執念と諦観と
どろりと粘つく血だまりの感触。
目を見開いてこちらを見ている父の死に顔。
夢だ。
父はとっくにこの世にいない。殺された。
場面が変わる。
顔を隠した男たちが、顔を隠していても分かる嘲笑を浮かべてこちらを見下ろしている。手には血がべっとりついた刃物や鈍器。そのうちのひとつが振り上げられる。
俺めがけて振り下ろされる鋼鉄の刃。避けられない。目を伏せる。
激痛は――無い。
代わりに足を踏み外すような感覚があった。足の裏を攣った痛みで目が醒めた。
ゼンの意識が覚醒した時、目の前には見覚えのない高い天井があった。
どうやら寝かされているようだった。
背中側の感触は硬い。
ともあれ、生きている。盗賊たちに包囲されたあの状況からどうやって生き延びたのか。そう考えていると、ふっと視界に影が差した。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
顔を覗き込んできたのは見覚えのある若い男だった。
あの誤認逮捕しそうになった――
「たしかヴューラー男爵家の三男だったか……」
「あ、はい。アルス・ヴューラーです。この間はどうも」
「どうしてお前があそこに。いや、そんなことより」
マリシャール商会はどうなった。それに――
行かなければ。
あの盗賊どもを野放しにしておくわけにはいかない。
絶対に。
起き上がろうとする俺の意思を察したアルスが両肩に触れた。推しとどめてくる。
「ゼンさん、今のあなたが行っても、その」
アルスの口にしかけて飲み込んだ言葉が何か、俺は理解していた。
行っても犬死にするだけだ、と。
「折角拾った命をまた捨てるのか、って、そう言いたいんだろ」
「え、えっと……」
「でも違うんだ。俺が行くのはマリシャール商会じゃない。もう一軒あるんだ」
「もう一軒?」
「あの連中が狙っている商会はもう一軒ある。まだ、終わっていない」
「……終わってない?」
「まだもう一軒、狙われている商会がある。俺の考えに間違いなければ」
「どういう意味ですか」
「一連の強盗事件の犯人――“蛇の爪”は標的を限定している」
「こ、根拠はあるんですか?」
「今まで被害に遭ったのは全部、侯爵家と何かしら関係のある商会なんだよ。俺が調べた。間違いない」
重要な取引先であったり、出資先であったり。関係は色々だが、それが共通点だった。
「ぜ、ゼンさん、それ、憲兵隊には報告していないんですか? 個人の力でどうこうできる犯罪じゃないと思いますけど」
「報告したけど聞き入れてもらえなかったよ」
「……え」
アルスは絶句していた。
まあ、第三憲兵隊の隊長はそんなものなのだ。日和見。事なかれ主義。石橋を叩いても渡らない。
「盗賊団を捕まえるなんてのは憲兵隊の任務じゃないとでも思ってるんだろ」
「なのにゼンさんは行くんですか?」
「ああ」
俺は行かなければならない。
「どうしてそこまで任務に忠実なんです?」
「任務に忠実なわけじゃない」
誰かのために行くわけじゃない。
正義感や、ましてや王家に対する忠誠心でもない。
俺の中にあるのは、復讐心だけだ。
まだ、あいつらを捕まえる機会が残っているんだ。それなのにじっとしてるわけにはいかないではないか。
奥歯を噛みしめて、身体を起こそうと試みる俺に、アルスはとうとう説得を諦めたようで「わかりました」と言った。
「わかりました」
僕はそう頷いた。
説得は諦めるしかない。
ゼンの決意は固すぎた。
僕は技能目録から「クラス:全知の賢人」を選択、有効化。
精神系魔法の中から《盗み見》を使用。
ゼンの記憶を覗き込み、残る一軒の商会についての情報を得る。
イゾルデ商会。
あまり褒められた手段じゃないけれど、今はこうするしかない。
商会の正確な場所も引き出させてもらった。ゼンさん、ごめんなさい。
僕は今もまだ現場へ向かおうとするゼンに《眠りの雲》を使用した。一度抵抗されたため、二回使うことになった。物凄い執念だ。
「ゼンさん、あなたの気持ちはわかりました。あとは僕に、任せてください」




