“銀閃”との戦い
まず先手を取ったのは「深き森の“銀閃”」だった。
目の前から巨体が消えたと錯覚するほどの速度。
にもかかわらず足音は殆ど聞こえなかった。
地面、土壁、木の幹、枝を蹴り立体的な動きで攪乱してくる。
「ちょっ、おまっ」
速すぎる。
滅茶苦茶だ。《身体強化》×4している僕の目でも、追いかけるのが精一杯だ。
“銀閃”は俺を中心に回り込むような動き。高速な移動を連続させる。こちらの死角を突こうとする動き。視界の外から太く鋭い牙や爪を喰らったら即死もありうる。
半ば恐怖にかられて僕は“銀閃”を追いかけはじめた。補正と強化で人間のステータスの限界を超えた僕の全力機動でなら追随することはできる。
ただ、
「はっ!」
無茶な動きの中で振った剣は“銀閃”に難なく躱されてしまった。
悔しがる僕を嘲笑うかのように“銀閃”は軽やかなステップで死角に移動した。回り込んでくる。さっきと同じ――、ワンパターンな動きだ!!
しなやかな巨躯が視界から消えた。
ということは後ろだ。僕は自身の死角めがけて振り向きざまの一撃を見舞った。斬った。手応えあ――あれっ? ない? 嘘だろ。見れば真っ二つになった銀狼が溶けるようにして消え失せていた。
「分身!?」
《幻影の術》。
そんなワザまで使えるのか……。冗談じゃない。僅かな動揺により一瞬、僕に生まれた隙。そこへ幻影ではない本物の“銀閃”が、鋭い爪を捻じ込んでくる。直撃したら致命傷は確実。死が間近に迫る。だが剣を振りぬいて体勢が崩れた俺は、動けない。
直撃の寸前、剣が勝手に動き、太い爪を受け止めた。
『馬鹿者め!』
「エンズ!」
『犬っころに知恵比べで負けてしまうとは情けない。手のかかる子ほどかわいいと謂うたりするが、アレは真っ赤な嘘じゃな』
悪態を吐きながらエンズの刀身は“銀閃”の爪を弾き返している。
見るに見かねて、ということなんだろうけど、
『煩わしいことこの上ない』
「ぐっ」
『我を手にしておきながらこの体たらくとは全く度し難いポンコツじゃな』
「がっ」
『〈王の器〉と聖魔の神剣。どちらも今の我が主には過ぎたシロモノであったのやも知れぬ。乗り手が未熟では名馬も駄馬に劣るというものじゃ』
「か、返す言葉もございません」
エンズの言葉のナイフが深く刺さった。痛い。痛すぎる。
『ひとつ、ヒントをやろう。速度に勝る犬っころを追いかけるなど愚の骨頂じゃ』
「じゃあどうするんだよぅ」
『あとは自分で考え正解を示すがよかろう』
それきり、エンズは沈黙した。
ヒントは追いかけるなってこと。
追いかけても攻撃は当たらなかった。
ならどうするか。
待つ。
追いかけるのが無駄なら来るのを待つ。
方針は決まった。
俺は剣匠のスキルから《居合い》を選択。
スキルに導かれるまま神剣を鞘に納めるような姿勢を取る。だが、エンズには鞘がない。ぢりっ、と刀身が啼いた。俺は鞘代わりに刀身が纏う聖属性のオーラを掴んだ。
低く構える。
聖属性の鞘の内側で、エンズ本来の魔属性が力を増大させてていく。
「……」
微動だにしない俺に向かって、“銀閃”が左右にステップを入れながら迫ってくる。
速い。
目で追う。
右、左、右――“銀閃”の巨体が二体に分かれた。片方は幻影か。
片方が跳躍。
もう片方は突っ込んでくる。
上か下。どちらが本物か、僕の目では判別できない。
だが、僕のスキルなら理解る。そのはずだ。
目で追うのはやめた。
両目を伏せる。
視界が闇色に染まる。
スキル《心眼》――発動。
刹那。
瞼の裏に“銀閃”の姿が、視えた!!
居合い「断空牙」――発動。
黒の刀身が白の鞘から抜き放たれた。僕と銀狼が交錯する。漆黒の斬光が疾るのと、刀身が鞘に収まるのがほぼ同時。
『我が黒刃は世界をも穿つ』
エンズがそう囁いた。
神速の斬撃を浴びて、
ずずん、と音を立てて“銀閃”は着地し、
勢い余って倒れこみ、それから立ち上がることはなかった。
「勝った……」
僕は居合いの構えを解いて“銀閃”の姿を確認した。
大きな体から溢れ出た血が地面に広がり続けている。まだ辛うじて息はあるが、絶命するのも時間の問題だろう。それほどの深手を《居合い》の一撃は与えていた。
恐るべきは〈王の器〉の「クラス:剣匠」と聖魔の神剣エンズ。僕みたいなのが仕留められるレベルじゃない相手をこうも容易く打ち破るのだから尋常ではない。
「ふん、仕留め損なったか。我も鈍ったものよな」
人型に戻ったエンズはしかし、心底つまらなそうに吐き捨てた。不満の残る結果だったようだ。僕なんかとは感覚がだいぶズレている。
「エンズのおかげで助かったよ。ありがとう」
「礼など要らぬ、我が主よ。剣は主を守護るものじゃ。とはいえ、今少し力量を上げてもらわねばな」
「ど、努力します……」
「では、今後に期待するとしようかの」
にやり、と笑う。幼女の顔に練達の師の表情。知性ある武具と知っているのに気圧されてしまう。
「さて、と」
僕は虫の息の“銀閃”に近付いた。
狼に対して虫の息って言うのはヘンな感じだけど。
僕の姿を認めると、ぐるると喉を鳴らして僅かに鼻先をこちらに向けた。身動きできなくとも戦意は無くしていないみたいだ。
「僕の方はもうオマエとやりあうつもりはないよー……」
両手を上げて、敵意がないことを示す。僕はこの時、この強く美しい名持ちの銀狼を死なせてしまってはいけないのではないかと思いはじめていたのだ。
そこら辺に生えている草を毟る。適当に雑草を採取しているわけではない。有効化した「クラス:超絶技巧錬金術師」のスキル《薬草学》で裂傷に効く草を選別して毟っている。
「こらこら、我が主よ。何をしておるんじゃ?」
「んー」
毟った草を《調合》する。ポーション完成。よしよし。“銀閃”に近付いて口元にそろりとポーションを近づける。ぐるぐると鳴っていた喉の音が、ややあって止まった。
「我が主!?」
「しっ。静かに!」
「む……」
今いいとこなんで静かにしてて。
ちょうど“銀閃”がポーションを嘗めはじめたところなのだ。最初は慎重に、やがて勢いよくポーションを舐めた。勢い余ってしまったのか僕の掌にもざらりとした感触が。待って待って、僕の手は食べ物じゃあないからね。
「呆れた主殿もいたものじゃな。自ら斬り倒した犬っころをその手で治療するとは……。阿呆なのかや?」
「ボロカスですか」
溜息をつきながら、エンズは口の端を笑みの形にした。
「もっとも、我もそういうのは嫌いではないがの」




