16-2
部屋に寄って、アルドが使っていたゴーグルを持ってから、檻に戻ってきた。
「ちゃんと言ったのか。」
檻の向こうで、グラファイトは大儀そうに躯を起こした。
見上げるほど大きなその躯に、おどろおどろしい雰囲気と共に、神々しさも感じる。
「ちゃんと言ったのかと聞いている。」
ふと気づくと、グラファイトは僕のすぐ目の前まで歩いてきていた。僕はぼーっとしていたようだ。
「あぁ、うん。もう大丈夫。その……また辛い思い、するかもしれないけど、その、心の準備は大丈夫?」
「言われなくとも、出来ている。苦難には慣れている。」
グラファイトは顔を突き出してきた。
鉄格子の隙間から、僕をつついた。
「無理して行かなくても、良いんだよ。僕が勝手に言いだしたことだし。」
僕はグラファイトの鼻の頭を撫でた。
グルルゥ、と唸り声が発せられた。
僕が哀しげな顔になったところで、グラファイトはすぐに顔を引っ込めた。
そして、僕を見下ろして「無理など、していない」と呟いていた。
「……行こうか。」
僕はもう一つの南京錠に鍵を差し込んで、錠を外した。
そして、ゆっくりと、扉を開いた。
グラファイトはじっとその様子を見据えていた。
「我が、」
一歩も動かないまま、グラファイトが静かに口を開いた。
僕は扉を全開にして、グラファイトを待った。
「我が、外で暴れでもしたら、どうするのだ。」
グラファイトはじっとしたまま、僕を睨みつけた。
からかうというよりは、純粋に尋ねているだけのように思えた。
しばらくの静寂を経て、考えた答えを口にした。
「……僕の知ってるグラファイトは、そんな事はしない。」
黄色の眼をじっと見つめて、言った。
「……」
何の返事もないまま、グラファイトは一歩を踏み出していた。
僕は檻を、グラファイトが出てくるのを心待ちにしていた。
心臓が高鳴っているのが、胸に触れなくても分かる。
「あ、」
グラファイトの前脚元で無言で歩いていると、前から仲良く話すギルベルトとブレイズが歩いてきた。二頭は立ち止まった。
ギルベルトは無表情になっていた。
やっぱり、僕のことをあまり良く思ってないんじゃないか、と感じてしまう。
「グラファイト、もう解放されたんだ。良かったな。」
「違う。仮出所だ。」
「そうなのか……、とにかく、ラグルを大切にしてやった方がいいぞ。」
「何が大切に、だ。たかが軟弱者の為にする事など無い。」
僕はグラファイトの脚を撫でると、びくりと動いた。
動いただけだった。突き飛ばさないところを見ると、その言葉は嘘のようだ。
そんな発見が、ちょっと嬉しい。
「行くぞ。」
ギルベルトはブレイズの脚に触れた。
それが合図になって、ブレイズはゆっくり歩き始めた。
「まあ、また問題を起こすなよ。」
「我の勝手だ。」
グラファイトも歩き始めた。「あ、待って」と声を漏らした。
さっきより早めに歩くグラファイトに遅れないよう、小走りで後ろをついて行った。
グラウンドの真ん中で、グラファイトの背に、尻尾の方からよじ登った。
そして、背にある角張った棘と棘の間に座り込んだ。
そしてすぐ、グラファイトは躯を持ち上げた。
「知ってたのか、座る場所。」
「うん、ノルデン隊長に教わったんだ。ここに乗るのが良いって。」
フン、とグラファイトは鼻息を吐いた。
「やっぱり高いね。グラファイトはいつもこの高さから見下ろしてたの?」
持っていたゴーグルを装着した。
当たり前だけど、周りを見回すと視界が褐色に染められていた。
「当たり前だ。軟弱者などただの虫螻同然だな。」
ククッ、と邪竜らしい笑い声を漏らす。僕はぐっと棘を抱き締めた。
「そも、家はどの方角にあるのだ。」
「あ、そうだ。……どうしよう、覚えてないや。多分、あっちの方だったと思うけど……」
記憶を辿ってみたが、ずっと誰かの口の中に居たことしか思い出せない。
口の中が酸っぱくなった。
「とりあえず、行くぞ。」
「え、ちょ、あっ、」
少し気を抜いていると、急にグラファイトは駆けだして、地面を勢いよく蹴った。
僕は慌てながらも、なんとか飛び立つ前に、棘にがしっと抱きついた。
少しでも気を抜くと、打ち付ける風圧に吹き飛ばされそうだ。
グラファイトはぐんぐんと加速を続けていて、風圧も強烈になってきた。
「もうっ……少っ……しっ……」
グラファイトに速度を緩めるように、声をかけようとしたが、風圧のせいでろくに話せなかった。
すると突然、グラファイトは速度を緩めた。
僕が大きく深呼吸していると、頭をこちらに向けて、にやりと邪な笑みを浮かべた。嫌な予感がした。
「な、何する気?……わっ」
少しの間があった直後、内蔵が押し出されそうな程の衝撃が、体を圧迫した。
ちらと見えた眼下の光景から、グラファイトが、急に上昇し始めたのだと気付いた。
どうすることも出来ず息もままならず、グラファイトの巨躯に押しつけられたまま、意識が朦朧としていく。
しかし次の瞬間、意識がはっきりと戻ってきた。
圧迫が急に無くなったのだ。
そして、ふわりと浮遊感を覚えた。
眼下の視界がぱぁっと開けた。木々の広がりが、小さく遠く見える。
一瞬、頭の全機能が停止した心地がしたが、すぐに気付いた。
僕の体が、空中に放り投げられたのだ。
「うわぁぁっ!」
僕は必死でグラファイトの方へ手を伸ばした。
グラファイトは余裕の笑みを浮かべて、声を押し殺して嗤っていた。
鋭い牙の先端が、眩しく輝いた――
……




