12-1
「口移ししてくれないか?」
うつらうつらしていた僕の耳にそんな言葉が聞こえてきて、反射的に慌てて「駄目だよ!」と口内で叫んだ。
外の状況が良く分からないが、とりあえず声の主はグールだ、ということは分かった。
「何だ、聞こえていたのか。」
ブレイズの残念そうな声が響く。
何でそんなに残念そうなの、と思わず呟いた。
「人間は非力だろう。無理にでも喰わせてくれよ。」
グールの声だ。
体から冷や汗が出たけど、よくよく考えたら、僕は今ブレイズに喰われていたんだなと気付いた。
そう諦めた途端に口内が歪み、光が射し込んできた。
口を開いたんだな、と思いの外冷静に把握したのも束の間、血腥い臭いが充満し始めた。
そして大蛇のような真っ赤な舌が現れ、僕の体に巻き付いて引き込まれていく。
血腥い臭いが濃くなってくるが、グラファイトと接していたからか、吐き気がすることはなかった。
そしてちらと外の光景が見えたかと思うと、また口内に入れられてしまった。
「……それほど旨くないな。」
「え……そうなの?」
出してもらえるんじゃないか、という期待も込めた。
「なんてな。不味い人間なんか、この世には存在しない。一度期待させておいて突き落とすのが、俺のやり方だ。やはり見込んだ通り、旨いぞ。」
そう言ったグールはそのまま舌を激しくくねらせた。
僕の体が口内で暴れまくる。
くちゃぁ、ねちゃぁ、と唾液の絡まる不快な音が騒がしくなる。
何が何だか、天地が分からないまま、とうとう体の中の物が口を伝って外に出てきてしまった。
……
ゲホッ、ゲホッ、……
「吐くなんて聞いてないぞ。」
近くの川で、僕とグールは口を濯いでいた。ブレイズは近くで今にも笑い出しそうになるのを堪えながらこっちを見ていた。
「ごめんなさい、でも動きが激しいから酔っちゃったんだよ。」
「こうすりゃ俺が吐き出すって分かってたんだろ。」
「違うよ!そんなつもりじゃぁ……」
グールはグルァゥッと唸った。
「元々喰い殺す気は無いのだろう。」
「何を……、」
捲くし立てていたグールが、ブレイズの言葉でふいに動きを止めた。
僕は「えっ」と声を漏らす。
「アルドに似ているな。」
グールは後ずさり、唸った。ブレイズは息を吸った。
アルドに似ているって、どういうことだろう。
「アルドに会わせてくれないか。」
「え?」
僕は思わずブレイズの方を見上げた。
「……どうしてだ。」
「ちょっと待って、アルドに会えるの……?」
一応、とブレイズは肯き、もう一度グールの方へ向き直った。
「お前もラグルのことは聞いているだろう、それで、ラグルはアルドと会って話が聞きたいらしい。」
そうか、あの時の、病院でのギルベルトとの会話を聞いていたんだな。と納得した。
「……本人が会いたくないと言ったら、そこまでだ。それでも良いのか。」
グールの顔は今まで見せたことのない真面目な様子だった。
グールとアルドの関係も気になるところだが、何も考えないで肯いた。
「よし、じゃあ俺の口の中だ。」
「え、また……?」
「会いたくないのなら良いけどな。」
「……我慢するよ。だけど酔うから、激しく動かさないでね。」
グールは不服そうに睨みつけてくる。僕は何となく、なぜか申し訳なく思えた。
「じゃあ……グフフ……」
悪魔のような笑みを浮かべ、グールは寄ってきて、がばっと上顎を持ち上げた。
一気にまた血腥い臭気が鼻に入り込んだ。
「入れ、入らねば噛み砕いてやる。」
「グール、そういう言葉は興醒めだな。何も話さない方が邪竜らしいぞ。」
「ブレイズまで……!」
ブレイズの口元はにやりとつり上がっている。ブレイズも道を外していたら、グールみたいに野蛮に暮らしていたのだろうか……。
「やっぱり兄弟だね……」
僕は仕方なく、グールの血腥い口の中へと突入していった。
……
結果、二度目の嘔吐。
吐く物も無いだろうと油断していたが、酸っぱい液体のみが戻ってきた。
「次に吐いたらそのまま噛み砕いてやるからな。」
「うぅ……ごめんなさい……」
たまたま近くに流れていた川で口を濯いだ。
ブレイズが口許を緩ませて、にやにやしてこっちを見ている。
どうして舌で僕の体を締め上げるんだ。と叫びたかった。
そのお陰でえずいてしまい、その上に幾度となく口内でごろごろと転がされたら、誰だって吐くだろう。
……でも、おいしい食べ物を舌の上に載せたままにしておくのは、犬にさせる“待て”と同じか、いや、それよりも辛いことなのかも、と勝手に思った。
……そのことを口にしたら、グールは調子に乗りそうだ。
「歩くか。あと少しだからな。」
ブレイズはそう提案した。僕は思わず首を何度も縦に振った。
森をかき分け進むと、緑の真ん中にひっそりと佇む一軒の木造家屋が現れた。
ラスヴァル国の外れに位置するここに、アルドは住んでいるのだという。
意外とジグリオス国との距離も近いようだ。
「アルドー!」
グールは親しげに呼びかけ、家の近くへと駆け寄っていった。
僕も追おうとしたが、ブレイズが止めた。
許可が下りたら、向こうから呼びに来てくれるらしい。
僕は心を落ち着けながら待った。




