10-2
グラファイトの檻から出て行ったその後、合流したギルベルトも加えて、軍の建物内を案内してくれた。
説明はブレイズがほとんどしてくれた。最初に出会ったときには、少し高圧的なドラゴンだと思っていたが、話してみると、ブレイズは冷静ながらも饒舌なようだった。いや、ギルベルトと比較して、そう思うのかもしれない。
「どうして、あいつに拘る?」
ずっと黙っていたギルベルトは、唐突に僕に尋ねてきた。
油断していたところに、思わずびくっとなってしまった。
「僕は、……。」
言葉が出なかった。最も簡単に説明するなら“好き”という言葉だろうけど、それを人前で言う勇気も無かったし、それが全く持って正しいとは言い切れない。かといって、“興味がある”と言ったら、まだまだ不足しているような気がする。
「そんな生半可な気持ちで居るから、すれ違うんだ。」
僕ははっとなって、俯いた頭を上げた。
ギルベルトはじっと僕の方を見ていた。
「此処まで来たからには、それなりの覚悟があると思っていたが、そうじゃないな。グラファイトだってお前に心の隙がなければ、ちゃんと懐いていたはずだ。お前は心の底からグラファイトのことを信頼しているようには見えない。いや、お前はグラファイトのことを何も分かっちゃいないんだ。信頼以前の問題だ。悪いことは言わない、大人しく帰った方が良い。このままではアルドの二の舞になるだけだ。」
今まで無口だったギルベルトが激しくまくし立てた。その最中、何度もブレイズは「ギルベルト、よせ。」と制止していたが、ギルベルトの強硬な姿勢は崩せなかったらしい。
「僕が悪いんだ。そんなの、分かってるよ。」
溢れ出しそうな悲しみを、やっとのことで呑み込んだ。ギルベルトの手元をちらと見ると、ぐっと力を込めて握り拳を作っていた。
空気が澱んでいる中、ブレイズが「ここが私達の部屋だ」と立ち止まった。
そこには、ブレイズがぎりぎり入れそうなほど大きな扉があった。
ドラゴンと一緒の部屋で過ごすことが出来るようだ。
その先にギルベルトとブレイズの部屋があるらしい。
次に、僕の部屋も教えてくれた。
ちょうどギルベルトとブレイズの部屋の隣にある。グラファイトと過ごせるように、広い部屋になっているらしい。
それからすぐ、ギルベルトとブレイズに別れを言って、中に入った。
本当は色々聞きたかったが、何か話せば心が破裂しそうだったのだ。
扉は、大きい割に軽かった。音もなく扉が開くと、そこは何もないシンプルなワンルームだった。
壁は白で、茶色の絨毯が敷かれていて、奥に人間用のベッドがあって、それだけだった。
余計に虚しくなった。
僕はグラファイトに対して生半可な気持ちじゃない、グラファイトのことを全て理解している、そう思い込んでいたのが、間違いだったんだ。
……ギルベルトの言葉を反芻してみると、そうかもしれない。いや、そうだったんだ。
僕はただグラファイトにふらふらと後ろをただ辿っているだけだったのだ。
何となくの雰囲気で話していたんだ。グラファイトなら信じて「くれるだろう」、分かって「くれるだろう」……。
だから僕は、自分の気持ちを言葉に出来なかったのだ。
そうしてその微妙な気持ちを振り翳して、グラファイトのことを何でも分かったように振る舞っていたんだ。
僕は、踵を返していた。
「まだ何か用か。」
「やっぱり、僕はグラファイトと一緒にいたい。」
僕は扉を開け、中に入った。まだこけたままのバケツが放置されていた。
「……帰れと言っただろう。何度言ったら分かるのだ。」
グラファイトは、何だかしょげているようだ。
僕は無言でバケツを拾い上げ、そこに水を入れ始めた。
「僕は帰らない。たとえグラファイトに殺されても。」
グラファイトはパッと振り返って、僕を睨みつけた。
「僕はもっと、グラファイトのことを全て知りたいんだ、理解したいんだ。」
「お前はただ、我を誑かしておるだけなのだろう。」
僕は大きく息を吸った。
「最初はそうだったのかもしれない。僕の家は貧しいから学校も行けてなくて、ろくな仕事が無くって、軍を辞めさせられたくは無かった。軍を辞めさせられたら、仕事が無くなって、両親を養えなくなる……。あっ」
ふとバケツを見ると、水が溢れていた。急いで蛇口をひねり、バケツを持ち上げた。バケツは思いの外重く、よろけてしまったが、僕はなんとか踏ん張った。
グラファイトは無言でこちらを睨み続けている。
「でも、今は違う。両親には悪いと思ってるけど、でも、僕はやっぱりグラファイトの元に居たい。」
グラファイトの目の前にバケツを置き、布切れを水に浸けた。
「愚か者め。我は嘘には騙されぬ。」
「僕は愚か者だよ、生半可な気持ちでグラファイトと接してた。だから、今度は、グラファイトと真剣に向き合いたいんだ。グラファイトのことを真剣に考えたいんだ。」
グラファイトは眼を見開いた。鋭い黄色い眼は、僕を見据えて離さなかった。
布切れを絞ると、グラファイトの脇にあてがった。
「本当に愚か者だ。我に真剣に向き合うなど、時間の無駄だ。」
「僕は、無駄だと思ってない。僕が無駄だと思ってないんだから、無駄じゃないよ。」
無駄じゃないんだ、と念押しをして、グラファイトの躯を拭き始めた。
丁寧に、優しく、後脚の一枚の鱗を撫でた。布切れはあっという間に黒ずんだ。遠目で見ただけでは、もとの鱗が黒色だったせいで汚れは目立たなかったのだ。こんなに汚れていたんだ、と思うと何だか哀しくなった。
無言で、丁寧に、グラファイトの巨大な躯を拭いていった。
鱗は汚れを拭ってあげると、その鱗はなめらかな肌触りだった。
お腹の辺りも丁寧に拭ってみると、くすんだ黒色から灰色へと移り変わった。お腹の部分は元々こんな色なんだ、新たな発見も心が躍った。
その間、グラファイトは微動でさえしなかった。
軽く灰色の鱗を手でなぞると、確かに滑らかだ。
ますます綺麗になっていくグラファイトに、ただただ嬉しかった。
ふう、と溜まった息を吐き出し、また拭こうとした。
……けど、何だか、
体が重く、
瞼が、重い、
力が、……。
僕の意識が無くなった。




