10-1
「ドラゴンの躯の掃除、やったことはあるか。」
「あ……無いです。」
ギルベルトは大儀そうに鼻息を吐いた。
そのただならない雰囲気に思わず「ごめんなさい」と呟いてしまった。
上からブレイズが覗き込む。
「ギルベルト、いつも言ってるが、もう少し柔らかく会話できないのか。」
「そんな事に気を遣わなければ駄目なのか。通じれば良いだろう。」
ブレイズは尻尾で頭を掻いたが、ギルベルトは無視して話を続けた。
「仕方といっても、布切れとこのブラシがあれば、自分で出来るだろう。蛇口はあそこだ。」
そう言ったギルベルトが指さす先は、檻の中の入り口付近だった。
確かに、少し不自然ではあるが、コンクリートの壁からそのまま蛇口がでていた。
「そうだ、ブレイズ、」
ブレイズはおもむろに頭を下げて、ギルベルトを見据えた。
「何かあったら連絡。いいな。」
ブレイズは肯いた。そしてギルベルトは手を伸べて、ブレイズの顔を優しく撫でた。
その時に視界に入ったギルベルトの顔は、目は据わっているものの、少しばかり口元を緩ませて笑顔を見せていた。
ブレイズは眼を細め、嬉しげにグルルゥ、と唸った。
……羨ましい。もしかして、パートナーなのかな?
「あと鍵。小さい方の扉だ。」
「あ、ありがとうご――」
ギルベルトは無表情で、鍵を半ば強引に僕に押しつけると、スタスタと足早に扉の方へ歩いていった。
「いつもあんな感じなんだが、根は優しい奴なんだ。」
僕はブレイズを見上げて「親しいの?」と訊ねた。
「私のバディだ。」
「バディ?」
「ジグリオス国では“パートナー”と呼ばれている間柄と言えば良いか。」
「やっぱり、そうなんだ。」
ブレイズはどこか嬉しそうに扉を眺めていた。相当慕っているのだろう。僕ももっとグラファイトと……。
そうしてようやく、ゆっくりと檻の中を見ることができた。
グラファイトは背を向けて、じっとしていた。全くもって微動だにしない。
「グラファイト……」
びくり、とグラファイトは躯を震わせ、そしてまた動きを止めた。
僕は、ふぅ、と溜まった息を吐き出した。
そして左手にバケツを持って、グラファイトの檻に手をかけた。
ガシャリ、と重厚な音に、グラファイトは、ぱっと振り返った。
「入ってくるな。」
僕はそれを無視して、鍵を開けた。ギリリと歯ぎしりをする音が聞こえた。
それと反対に、僕は心が弾むのを感じた。
扉を閉め、そのそばにあった蛇口の下に、バケツの中身を取り出して置いた。
そして蛇口をひねる。冷たい水がどおっと流れ始めた。
ふと檻の向こうに目を向けると、ブレイズが興味深そうにこちらを見ていた。
何だか動物園の檻の中で働く飼育員みたいだな、と思ってしまった。僕は思わずすぐに否定した。
ある程度バケツに溜まったので水を止め、バケツをグラファイトの元に運ぶ。
その間、グラファイトは無視を通していた。
「躯、きれいにしてもいい?」
僕はグラファイトに優しく訊ねた。
グラファイトはぴたりと止まって、そして尻尾をぶんと振った。
ドンとバケツが倒れた刹那、バシャッと水が撒き散ったと同時に、僕の体はグッと強い衝撃を受け、そして大きく重たい尻尾に下敷きになっていた。遠くでガシャンと檻が揺れた。
「グラファイト、止めろ!」
ブレイズの声だ。グラファイトは尻尾の拘束を解いた。
それでも、グラファイトの眼からは憤りが感じられた。
「貴様……まだ我を陥れたいのか!何が面白いのだ!」
グラファイトは勢いよく尻尾を僕のほんの僅か隣に振り下ろした。
「うわっ」と思わず声を漏らしたのは、尻尾を退けると、床のコンクリートが小さくひび割れていたのにただ恐ろしくなった。
でも、それでも、
「追いかけて来るな……帰れ。」
「僕は帰らない、帰りたくない。だって、ここまで頑張って、やっと、ここに辿り着いたんだ。僕は、僕は、……」
言葉を出そうとして、気持ちが焦って言葉に出来ない。
いっぱい、胸に抱えた何かがあるのに、僕の言葉に出来なかった。
何よりも、目の前のグラファイトに、この胸のたぎりを伝えたい。
「我はもう、騙されぬ。」
ギリリ、グラファイトはもう一度、歯軋りをした。
僕は何か言おうとして、……何も言えなかった。もどかしくて仕方がなかった。
「ラグル、戻ってこい。」
ずっと無言で見ていたブレイズが、少し語勢を強めて言った。
グラファイトはフンと仰々しく鼻息を吐き、背を向けてしまった。
心の隅々まで哀しくなった。




