7-2
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何故我は、軟弱者に心を許してしまったのか。
我は崇高なる誇り高き竜族、下等生物に翻弄されるような愚者ではない筈だ。
さる上に翻弄されたのが二度などという、これ以上に無い我に対する侮辱、穏やかで居られる筈など無い。
しかし……去る時のあの悲痛な顔、演技だと仮定するならば、並外れた演技力の持ち主の筈だ。
心情が表情に出やすい下等生物の特徴を完全に消し去るのは、殆ど不可能に近い。
我とて幾人もの下等生物を見てきたが、全て演技を見破ってきたのだ。
その我を騙せたのならば、……我の眼力が衰弱してしまったのだろうか。いや、違う。
更に言うなれば、奴は下等生物の中でも軟弱、我が少し脅せば直ぐに泣き喚くような奴に、そのような諸行が出来るものか。
我は頭を振った。
そう思案した結果、我は何度も騙されたのだ。
そもそも軟弱者という設定も、丁寧に創り上げられた仮面だったのではないか。
奴は我を、騙したのだ。
この我を、騙したのだ。
「やはり、誑かされたことが気になってるのか。」
赤竜、もといブレイズが檻の前までやって来た。
ブレイズは鉄格子の向こうで、我と同じように床に伏せた。
「許せるものか。」
「だからといって、私達の仲間に傷つけるのはどうかと思うけど。」
此処に連行されている最中、どうも人間を見ていると苛ついてしまい、つい口の中に放り込んで、呑み込んでしまった。
勿論旨かったが、無論檻に入れられる羽目になった。
コンクリートの冷たさが心地良いから構わぬのだが。
「下等生物を見て、苛つかぬ筈がない。とくに軟弱な奴はだ。」
「あの誑かしたという人間を言っているのかい。」
「黙れ。」
「さしずめ、図星といったあたりかい。」
「……」
ブレイズの言葉は、不本意ながらも、的確に我の本音を射抜いていた。
ブレイズはにやりと口の端を上げていた。非常に苛立つ。
「……昔と変わってしまったなぁ。貴方の口から下等生物という単語を聞けるとは、驚いた。」
「何が昔だ。騙されていたあの時にはもう戻りなくなど無い。それに、お前も我と同類だろう。」
「何の話。」
「白き竜、それだけ言えば分かるだろう。」
ブレイズが顔色を変えた。暫くは脅し文句に使えそうだ。
「あれは、……故意ではない。私は貴方と違って、後悔している。」
ブレイズは急に立ち上がり、すたすたと何処かへ歩いて行った。
我は溜息を吐いた。
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僕は溜息を吐いた。
何より、進んでも進んでも同じ様な光景しか広がってくれないことに、どうしても苛立ってしまう。早くグラファイトに会いたいと思っているからだろうか。
朝日はもう木々の隙間をぬって、僕の元に十分すぎるほど届いていた。
今頃病院では、僕が失踪したと騒いでいる頃だろう。
……僕はもう決めたんだ、グラファイトの元に行くと。
ただ黙々と、ラスヴァル国がある方向に歩いていく。
「あ、」
目の前に、小さな川、というより、澄んだ水がちょろちょろと流れていた。
ちょうど喉が渇いてきた頃だったこともあり、僕は近寄ってしゃがみ込んだ。
手で掬って飲んでみると、体の隅々に染みわたるような心地がした。
こんなに水がおいしいと感じるのは、人生で始めてかもしれない。
水を飲み終え、立ち上がろうとした、まさにその時、
ドシンッ!
慌てて振り返る。
するとそこに、少し黒ずんでいる赤い鱗をまとったドラゴンが、僕の方を見据えていた。
薄れた記憶の中から、赤いドラゴンは確かあの事件の時にいたのを引きずり出した。
だけど、あの時とは随分と雰囲気が異なっているような気がする。
鱗の色も、これほどくすんでいなかったと思う。
「あの…、」
「俺の縄張りを荒らすなんて、覚悟があってのことだろうなぁ?」
そう言った赤いドラゴンは僕の顔を覗き込んだその一瞬、「あ……」と呟いた。何だろう。
じっと僕の方を見据えていた赤いドラゴンは頭をぶんぶんと振り、改めて僕の方へ顔をぐっと近づけた。
「覚悟があってのことだろうなぁ!」
「……ごめんなさい。」
ところで、ここが縄張りということは、この赤いドラゴンは軍の所属じゃないということだ。
あの時のドラゴンとはまた違うようだと確信した。
「ごめんなさいで済む問題じゃあないよなぁ。対価として何か――」
「あの、僕をラスヴァル国まで連れて行ってくれませんか。急いでるんです。どうしてもグラファイトに……、ラスヴァル国に連れて行かれたドラゴンに会いたいんです。」
赤いドラゴンは一瞬口を閉ざした。そしてごくりと唾を飲み込んだ。
「お願いします、」
「それなら、貴様らが勝手に切り開いた麓の方を通ればいいだろう。どうしてこの道を通りたがる?」
赤竜は僕を見下して言った。言っているのは、ジオグルス国とラスヴァル国を繋ぐ幹線道路のことだろう。
「あの道を通ったら、僕はジオグルス国に連れ戻されちゃうんだ。」
もちろんあそこは大っぴらな国境だから、関所があるのだ。
両国の監視が隅々まで行き届いたあの場所を通り抜けるのは無理な話だ。
「それは残念だったな。」
それから、無言が続いた。
僕はリュックを背負った。
頼み込むより、先に進んだ方が早そうだと思ったからだ。
僕は赤いドラゴンに頭を下げた。赤いドラゴンはごくりと唾を飲み込んだ。
「縄張りに入ってしまって……ごめんなさい。」
そう言って去ろうとした、
「待て。」
僕は振り返った。
「どうして、俺を恐れないんだ?」
赤竜は怪訝そうに訊ねた。多分グラファイトに出会う前だったら、今頃脅えて逃げ出していただろうと思う。
僕は一瞬の間を空けて、言った。
「あなたよりグラファイトの方が、何十倍も恐ろしいからかな。」
赤いドラゴンは目を見開いた。
「俺よりも怖いのか。じゃあ、どうしてそのドラゴンに会いに行くんだ?」
「……元々は、優しいドラゴンだったと思っているから、かな。実は僕自身も分からないんだ……。」
赤いドラゴンはその朱い眼でじっと僕の方を見据えてくる。僕に興味があるからかな。赤竜はごくりと唾を飲み込んだ。
微妙な空気の中、最後にもう一度、頼みを聞いてくれるか尋ねてみることにした。
「……あの、もう一度聞くけど、僕を連れて行ってくれないかな。」
赤竜は少し間を空けて、溜息を吐いた。
「お前に一つ、いい事を教えてやろう。ドラゴンの背には、本当に信頼しあった者ぐらいしか乗せない。」
つまり、赤竜は信頼していない僕を背に乗せる気はないようだ。
「……うん、分かった。ありがとう。」
「だが、」
歩きだそうとした足が止まる。
「背に乗せずとも、運ぶ方法はある。」
赤竜は、口許を緩ませた。その口許から、白濁した唾液が微かに垂れた。
「俺に喰われろ。」
「え?」
赤竜は、口許を弛めたまま、舌なめずりを見せつけた。
まさか、あの長官と同じ目に……。
「だから、こういうことだ。」
後ずさりしようとした脚が柔らかな何かに捕まった。
確認せずとも、赤竜の舌だと分かった。
抗おうとしたが、人間とドラゴンの力量差は痛いほどわかっている。
いくら抗っても逃げられないのも分かっている。
するりと背からリュックが脱げた。
うっとくる血腥い臭いは、グラファイトのものと引けを取らない酷さだった。
むわっとくるじめじめした呼気がどんどん濃くなって、そして視界が暗くなっていった。と同時に、張りつめていた緊張もぷつりと途絶えてしまい、幸いにもそのまま意識も手放した。




