愛(1)
「賑やかな街だな」
ポルティカ伯爵であるカトリーヌの屋敷に連れて行かれる途中、アイラは街の様子を見て呟いた。
とにかく人が多く、大通りを歩けばすぐに迷子になってしまいそうだ。店もたくさんあるが、高級宝石店や服飾店から簡単な食べ物を売っている屋台まで、様々な店がずらりと並んでいる。
人々の表情は楽しげで明るく、街にも人にも活気がある。
抑圧されていたアイリーデの街とは全く違うし、古き良き歴史を感じるグレイストーンの街とも違う。
ポルティカは自由で、そして新しい風を感じる街だった。
夏の太陽の日差しも手伝って、街全体がギラギラと輝いているようだ。それは悪い意味ではなく、仕事や商売に対してやる気のある人々が集まっている気がした。
「異国の人間も多いな」
「本当ですね。我々の白い肌とは違う、日に焼けたような肌の人々がちらほらといます。異国の言葉も聞こえてきますし」
「みんな船でこの街にやって来た者たちなのか?」
アイラは自分を連行している騎士たちに気軽に尋ねた。騎士はちらりとこちらを見て、無視するのは憚られると思ったのか口を開く。
「ええ、そうです。この街にやって来る船のほとんどは商船ですので、商人や船の乗組員たちですね」
「へぇ」
「さぁ、こちらです。大通りは人が多いので路地を抜けてご領主様のお屋敷へ向かいます」
のんきに通行人を眺めているアイラを騎士が促す。
その騎士に、アイラは尋ねる。
「ポルティカにも私を捜している王都の騎士は来てるのか?」
「もちろんです。拒む理由もないですし、普通に街に入れています」
「カトリーヌは私を王都の騎士に引き渡すつもりかな?」
「私には分かりかねます」
騎士は親しげに話しかけてくるアイラに困惑しつつ答える。高慢で冷血――イメージしていたような王族像とは少し違うと思っているのかもしれない。
「ここか」
そしてカトリーヌの屋敷に着くと、アイラはその建物を見上げて呟いた。街の中心部から少し離れたところにあったのは、赤いレンガが特徴的な、少し派手な外観の屋敷だった。バルコニーの欄干などは一部が金で塗られ、街の雰囲気と同じくギラついている。
赤いバラが絡みついている門を通って前庭を通り過ぎ、屋敷の中に入ると、アイラとルルは迎賓室へと通された。この部屋の天井の壁紙は赤色で、はやり派手な印象の部屋だ。
「調度品や絨毯は異国のもののようだな。あまり見たことない感じだ」
アイラは部屋を見渡して言う。
奇天烈な色遣いの絵画や、異国の民族衣装を着た人形、それに黒い絵の具で変な文字が書かれた紙も額に入れて飾ってある。
「あれ何だ?」
「異国の文字だそうです。『愛』と書いてもらったとご領主様はおっしゃっていました」
騎士はそう言うと、アイラたちを見張るための人員を部屋に残して、自分はカトリーヌを呼びに行った。
「はぁ、まさかこんなにすぐにカトリーヌにバレるとはな」
そう呟いてソファーに座ったアイラは、足を組んで背もたれに寄りかかった。人の屋敷でもいつもと変わらず偉そうなアイラに、ルルはそっと言う。
「アイラ。少ししおらしくしておいた方がいいのでは? 伯爵がアイラをどうしようとしているかは分かりませんが、彼女はアイラを嫌ってはいなかったはず。ですからここは同情を買い、伯爵を味方につけましょう」
「しおらしく、か……。難しいな」
とりあえず困っている感じを出そうとしたが、今までほとんど困ったことがないので上手くできない。
「まずはその組んだ足を戻して、背もたれにもたれるのをやめてください。そうすれば少しはマシに見えますから」
「えー? 疲れているのに」
ルルとアイラがそんなことを言い合っているうちに、バタバタと騒がしい足音が迎賓室に近づいてきた。
そして大きな音を立てて扉が開くと、妖艶な美女が姿を現した。女伯爵のカトリーヌ・ポルティカだ。
巻き毛の金髪の彼女は、深紅の布をたっぷりと使った豪華なドレスをまとっている。デザインは大胆で、胸元が大きく開いていて色っぽい。高いヒールの靴も赤色で、大きな宝石を使った首飾りやイヤリングはかなり存在感がある。
歳は見た目から推測すると三十代くらいに見えた。
「殿下!」
カトリーヌは金色の目を見開き、食い入るようにアイラを見つめた。
「その髪はっ!? まるで男の子みたいだけど本当に殿下なの!?」
「うん、私だ。久しぶりだな、カトリーヌ」
アイラがソファーにふんぞり返ったままそう返すと、カトリーヌは胸を押さえてホッとしたようにため息をついた。
「そうよね、こんな美少年他にはいないわ。美少女だった殿下が男装してるとしか考えられないもの。ああ、よかった、ご無事で」
そう言うと、カトリーヌは両手を広げてアイラの方に駆け寄ってくる。
「殿下~! きっと私を頼ってうちの領地に来てくれると思ってたわ~!」
「別にお前を頼って逃げてきたわけじゃないけど」
アイラはそこはしっかり否定しつつ、カトリーヌからの抱擁は甘んじて受け入れた。
「と言うか、もう殿下でもない」
「そうよねぇ。アイラちゃんとでも呼ぼうかしら? でも殿下は殿下って感じなのよねぇ。気軽な感じが似合わないと言うか、根っからの王族という感じ」
「私には高貴な血が流れているからな」
「……相変わらずねぇ。親兄弟が殺され、城を追い出されて、さぞや意気消沈しているだろうと心配していたけれど、元気そうでよかったわ」
カトリーヌは呆れたように言いながらも笑う。
アイラはどこを見るともなく、ぼんやりテーブルを見ながら返す。
「父上たちが殺されたことは私にとって悲しいことではなかったから。薄情だが、いなくなってよかったとすら思っている。私にとっても、この国にとっても」
するとカトリーヌもアイラの隣に座り、少し言いづらそうにしつつも本音を吐露する。
「私も、前陛下たちがいなくなって本当によかったと思っているわ。だって私、毎日のように殿下に会いに行きたいと思っていたけど、あなたの最悪な家族に会うのが嫌で行けなかったのよ」
カトリーヌはそこでアイラをぎゅっと抱きしめた。
アイラは嫌そうに顔をしかめたが、カトリーヌは気にせず続ける。
「お金も、彼らには随分貢いだわ。儲けた分のいくらかを王族に献上しなければ、私が処刑されると思ったから」
「まぁそうだっただろうな。商売上手でどんどん豊かになっていく貴族を、父上たちが放っておくはずがない。何らかの理由をつけてカトリーヌを処刑し、この街を自分たちのものにしただろう」
「そうね。だけど今は、儲けたお金はほとんど自分の好きなように使える。新しいドレスを買うのも、別荘を買うのも、街をさらに発展させるのも、領民のために使うのも、私の自由。そして――殿下を養うためにお金を使うのも、私の自由よ」
カトリーヌはしっかり化粧を施した目でアイラをじっと見つめてきた。
「殿下、この屋敷にいてちょうだい。私が匿ってあげるわ」
「……という事は、カトリーヌは私を捕まえて王都の騎士に差し出すために、検問担当の騎士たちに人相書きを渡していたわけじゃないんだな?」
「もちろんよ! 私は殿下を助けたいと思っているんだから」
「ふーん。じゃあしばらくここにいようかな」
すでに十分くつろいでいるアイラに、背後に立っていたルルが声をかけた。
「アイラ。気を抜かないでください。簡単に相手の言うことを信じないで」
そしてルルはカトリーヌの方を見る。奴隷が貴族の顔をじっと見つめるなんてことは許されない行為だ。
だけど今は、ルルはもう奴隷ではない。
カトリーヌもそれを分かっているので、口角を上げて笑う。
「あら、ルル。あなたに見つめられるなんて初めてね。嬉しいわ。奴隷解放によって、あなたももう奴隷ではなくなったんだものね」
余裕たっぷりに笑うカトリーヌに、ルルは真剣な顔で尋ねる。
「伯爵、あなたは本当にアイラの味方ですか? 正直、あなたを完全に信じることはできません。アイラとあなたは王城で何度か会ったことがあります。が、逆に言えば、何度か会っただけなのに、どうして自分の立場を危うくしてまでアイラを匿ってくれるのです?」
「顔を合わせた回数なんて関係ないの」
何も分かっていないのね、と言いたげに首を横に振ると、カトリーヌは自分の胸に手を当てて真面目にこう言う。
「たった一度会っただけの相手を愛してしまうことだってあるでしょう? だからどれだけ親しかったかなんて関係ない。私は殿下を愛しているの」
「愛……? それはどういう……」
ルルは困惑した。カトリーヌの言う愛とは、親愛だろうか? それとも友愛なのか、あるいはアイラを娘のように思っているとか?
色々考えたが、ルルの予想は外れたようだ。
カトリーヌはソファーに座っているアイラの足元に膝をついて言う。
「言葉のままよ。私は殿下を愛してる。殿下はいずれ女王になる方よ。そして私だけの可愛い女王様にもなってほしい」
「……つまりあなたは同性愛者であり、おまけに年下好きで被虐趣味があり……」
困惑するあまり目を泳がせながらルルが尋ねたが、カトリーヌはそれは否定した。
「私はマゾヒストじゃないわ。だけど殿下には服従したくなる。幼い殿下を一目見た時から、そんな衝動にかられたの。これも一つの愛よ。相手に尽くす愛」
カトリーヌはそこでアイラの手をぎゅっと握って続ける。
「けれど最初に言っておきたいのは、殿下には申し訳ないけれど、私が愛を与える相手は一人じゃないという事。私は誰か一人に心を決めるという事ができないの。そうするには、この身に溢れる愛が大き過ぎるのよ。老若男女、殿下以外にも恋人はたくさんいるけど許してね。殿下への愛も本物だから」
「許すも許さないもどうでもいい。お前に何人恋人がいようとも私には関係ない。私はお前の恋人にはならないし」
「つれないのね」
ソファーに座り直したカトリーヌに、アイラは辛らつに言う。
「というか、歳を考えて言え。巷では年齢不詳だとか言われてるけど、実は五十を超えてるって事、私は知ってるんだからな」
「あら、やだ。さすがに二十代とは言わないけれど、私はまだ三十代よ」
「嘘をつけ。ギスクから聞いたことがあるんだ。あいつ、カトリーヌは自分と同い年だって言ってたぞ」
ギスクとは、王城にいる大臣の名前だ。彼は現在、五十歳を超えている。
アイラがそう言うと、カトリーヌは眉を吊り上げ、ギリリと歯を噛みしめる。
「あのハゲめ」
「ギスクはハゲてないぞ」
「カツラなのよ、あいつ」
腹いせに幼馴染の秘密を暴露すると、カトリーヌは気を取り直して続ける。
「愛の前では、年齢も関係ないわ。でも、さすがに子どもに手を出すつもりはなかったから、殿下への想いは今までずっと胸の内に秘めていたの」
「別に秘めなくてもよかったのに。両想いじゃないから、お前が私に手を出すようなことにはならなかったし」
「冷たいわ、殿下。でもそんなところも好きよ」
愛おしげに自分を見つめてくる女伯爵を淡々と見返しながら、アイラは呟く。
「この国の貴族って、変わった奴しかいなかったっけ?」




