聖女への期待と検問
トーイとティアの姉弟を連れて、アイラとルルは今度こそ町を出た。馬と子馬も一緒に、エストラーダ王国の南、ポルティカの街を目指す。
旅では、大きな街道を通ればアイラを捜索中の王都の騎士たちに出くわすかもしれないと遠回りすることもあった。
とある町では騎士たちと擦れ違い、危うく見つかるところだったが、相手はアイラの顔をよく知らなかったようで何事もなく終わったりもした。いかにも元奴隷という雰囲気のトーイとティアが一緒だったのも、騎士たちをごまかすのによかったのかもしれない。きっとアイラとルルも仕事を探している元奴隷だと思われたのだろう。
そうしてポルティカまであと少しというところまで来たのだが、実はここに来るまでに、アイラたち一行の人数は徐々に増えていた。その数、実に二十人だ。
増えたのはみんな仕事を探している元奴隷だった。旅の途中で出会い、アイラが困っている彼らに声をかけたのだ。
「本当に……こんなに人数を増やしてしまってどうするんですか。別グループのふりをして少し離れて行動しているとはいえ、全部で二十人いるんですから目立ちますよ」
周りを畑に囲まれたひと気のない道を歩いている途中で、ルルはちらりと後ろを見ながらアイラに言う。
トーイとティアはアイラたちと一緒にいるが、その他の元奴隷たちは、いくつかのグループに分かれてアイラたちの後に続いて歩いている。
これまでも目立たないように、アイラとルルが宿に泊まっても彼らは町の外で野宿をしたり、腹を満たす時も別々の店で食べ物を買ったり、時間差で飲食店に入ったりして、別のグループのように振舞ってきた。
そのおかげか、それとも今は仕事を求める元奴隷の姿を他にもよく見るからか、これまで周りの注目を集めることはほとんどなかった。
「だって仕事がなくて困っているみたいだったからさ」
「とは言え、ですよ。困っている人みんなを助けることなんてできないんですから」
「そうか? そんなことないと思うけどな」
アイラの返事を聞いて、ルルはすぐ後ろを歩いているトーイたちに聞かれないよう、小声で話し出す。
「アイラが王族だった時ならともかく、今は無理ですよ」
「王族だったら助けられるのか?」
「為政者として国を変えれば、あるいは助けられると思いますよ。でもアイラはもう庶民として生きているのですから。そもそも追われる身でもありますし……」
「まぁな」
ルルはそっとアイラの顔を見たが、歩きながら、隣の子馬のたてがみを暇そうに撫でているだけだ。少なくとも「元奴隷たちを助けるために女王になる!」と言い出しそうな気配はない。
そうやってルルが密かにアイラを観察していると、後ろにいるグループの会話が聞こえてきた。アイラたちと少し離れて歩いている元奴隷たちだ。五人ほどでまとまって歩いているが、全員アイラに声をかけられてついて来ているので初対面らしい。
「じゃあ前の主人は嫌な奴だったのか」
「うん、殴られたりはしないんだけど、嫌味を言ってきたりしたんだよ。ちょっとしたミスを見つけてネチネチうるさいんだ。あの主人のところで一生働くなんてごめんだったから、奴隷を解放してくれた聖女様には感謝してるよ」
そう言う青年に、隣を歩く三十代くらいの男が顔をしかめて返す。
「聖女様に感謝? 俺は違うね。俺たち奴隷を解放するなら、その後の面倒までちゃんと見てくれよと思うぜ。せっかく良い主人のところで働けてたってのに」
「その主人は引き続き雇ってくれなかったの?」
「うちのところは奴隷がたくさんいたから全員は雇えないってよ。でもせっかく借金して買った奴隷を何人か手放すことになって主人も大変そうだったな。その補償もしてほしいってさ。本当に、とんだ聖女様だぜ」
「補償についてはアーサー陛下が約束してくださったらしいよ。元の主人がそう言ってた。それより聖女様のことを悪く言うのはやめてよ」
「そうとも。聖女様は優しい人だ」
「いや、私も聖女様はもうちょっと考えて奴隷を解放してほしかったと思いますよ。アーサー陛下も聖女様に押されて少し頼りないですし」
元奴隷たちの中でも、聖女サチに対する考えは割れているようだ。それに国王であるアーサーは、サチに比べて存在感がない。
だが、サチには感謝して崇拝している者の方が多いようだった。
「聖女様ってすごくお綺麗らしいですよ。この世の者とは思えないほどの美しさだとか」
「それ、俺も噂で聞いた。ところで美しいといえば、あの人たちも綺麗だよな。一緒にポルティカへ行こうって言ってくれた兄弟」
男は、アイラとルルのことを言っているらしかった。
「特に弟の方はびっくりするほど顔が整ってる。態度はちょっと偉そうだけど、まぁ憎めない感じだし」
「確かにあの人たちは綺麗だ。でもきっと聖女様はそれ以上に綺麗なんだろう。だって聖女様だぞ」
「俺は聖女様はすごい魔法を使えると聞いた。癒しの魔法だったかな? どんな病気でも治してしまうんだと」
後ろの元奴隷たちの会話を聞きながら、アイラはルルに言った。
「サチってそんな魔法使えたのか?」
「以前は使えませんでしたし、今も使えないと思いますが……。そもそもサチの世界に魔法はなく、サチも魔力持ちではなかったはずです」
「そうだよな」
サチが癒しの魔法を使えようが使えまいがどちらでもいいけれど、と思いつつアイラは頷く。
後ろではまだ聖女トークが続いていた。
「動物たちも、なぜか聖女様にはみんな懐くと聞きます。野生の小動物たちも聖女様のところに集まってくるらしいですよ」
「動物にとっても魅力的な人物ってことか」
「癒しの魔法を使えるんだから、癒しのオーラも出てるんじゃないか? あー、俺の腰も治してくれねぇかな」
「腰、どうしたんですか?」
「うちは体力仕事が多かったからさ、重い荷物を持った時に痛めたみたいで、ずっと治らないんだよ」
そう言って腰をさする男に、青年が言う。
「聖女様ならきっと治せるよ。本当にすごい力をお持ちらしいから」
「でも、俺みたいに金もない元奴隷に、その力を使ってくれるのか?」
「もちろんさ! 聖女様は優しいんだから、むしろ僕たちのような弱者のために一番に力を使ってくれるよ」
「そうか、そうだよな。聖女様だもんな」
「俺の目も治してくれねぇかなぁ。最近、近くの物が見えにくいんだ」
「それただの老眼じゃないか?」
「でも、優しい聖女様なら老眼も治してくれるさ」
元奴隷たちは、冗談ではなくわりと本気でそんなことを言い合っていた。彼らはサチのことを見たことはないはずだが、それゆえに色々と想像が膨らんでしまっているようだ。
アイラは他人事のように言う。
「サチも大変だな。ものすごい美女で、優しくて、動物にも好かれて、どんな病気も治せる魔法を使えると思われてる」
「イメージだけで噂が広まってしまっているんでしょうね。それだけみんな〝聖女様〟に期待しているんでしょう」
「大変だなぁ」
アイラは再び他人事のように呟いたのだった。
それから三時間後。元奴隷たちを引き連れたアイラは、旅を終えてやっとポルティカに到着した。国の最南までやって来たのだ。
アイラはふぅと息を吐いて言う。
「さすがにグレイストーンからここまで来るのは日数もかかったし疲れたな。街に入ったら宿で何日かゆっくりしよう」
「そうですね」
ルルも頷いた。トーイとティア、それに他の元奴隷たちは、外から見ても活気を感じるポルティカの街を見て、興奮しているようだった。
「本当にすごく大きな街ですね! グレイストーンより大きいんでしょうか?」
「面積的にはグレイストーンの方が広いかもしれませんが、人口はポルティカの方が多いと思いますよ」
ティアの言葉にルルが返し、トーイは鼻をひくつかせる。
「嗅いだことのない匂いもします。何の匂いでしょうか、これ」
「私も初めて嗅ぎますが、潮の香りでしょう。海の匂いですよ」
「へぇ、これが海の匂い!」
ますます興奮するトーイの横で、アイラも「海の匂い……」と鼻をスンスン鳴らしている。ほとんど城から出たことがなかったアイラも、潮の香りは初体験なのだ。
グレイストーンで伯爵の城に滞在しているうちに季節もすっかり夏になり、太陽はアイラたちの真上でさんさんと輝いている。
エストラーダ王国の気候は穏やかで、冬は比較的暖かいが、その代わりに夏は少し暑い。とは言え、砂漠のように容赦のない暑さが襲ってくるということはない。日なたにいると汗が垂れてくる程度だ。
「さっそく街に入りますが、ところで……」
ルルは、今は自分たちの元に集合している二十人ほどの元奴隷たちの数を数えて言う。
「人数が二人ほど減っていますが、誰か遅れていますか?」
「あ、いいえ。二人は王都へ向かったんです。聖女様に腰痛と老眼を治してもらいに」
「そうですか……」
その二人はきっと無駄足を踏むことになるだろうと思ったが、今さらどうしようもないので放っておくしかない。
気を取り直して、ルルは元奴隷たちに説明する。
「これからポルティカに入りますが、街に入るには検問を通らなければなりません。ポルティカは港街で、船で異国の人間も多く着きますから、街に出入りする時には調べられるんです」
「そうなんですか? 僕たち、街に入れてもらえるでしょうか? これまで通って来た町では、『この町に居着かれちゃ困る』って感じで、厄介者扱いされてる空気を感じたんですけど……」
トーイが心配そうに言う。
しかしルルはこう返した。
「おそらく大丈夫だと思いますよ。ポルティカの街は様々な人間を受け入れてくれますから。それに港があるこの街には仕事はたくさんあるでしょうから、領主のポルティカ伯爵は働き手を求めているはずです」
「それに確か、この国の人間ならポルティカの街に出入りするのはそれほど難しくないと聞いたわ。私の元のご主人が商売をしていて、よくポルティカに行っていたから知ってるの」
三十代くらいの元奴隷の女性がそう言い、ルルが付け加える。
「ええ、そうですね。船で来た異国の人間が街の外に出ないようチェックしている、というのが検問の主な目的のようですから、入る時の検査は厳しくないと思います。この国の人間なら、出て行く時のチェックも緩いようですよ。ですから緊張しなくても大丈夫です」
「へー、そうなのか」
アイラもちょっと安心して相槌を打つ。検問で自分が王女だとバレるんじゃないかと思ったのだが、流れ作業的な緩い感じでチェックされるだけなら、何とかなりそうだ。
アイラは街の入り口を指さした。
「一人一人にあまり時間はかけていなさそうだしな。見ろ、そこそこ人が並んでいたが、列はどんどん進んでいく」
十人以上の人間が列を作り、街へ入るための検問を受けようと待っていたが、今はもう半分以下になっている。
街の出入り口には門が二つあり、片方は街に入る人たちのためのもの、もう一つが街から出て行く人たちのためのもののようだった。そしてそれぞれの門のそばには、小さな詰め所が併設されている。どうやらあそこで検問するようだ。
「お前たち、先に行け。もし元奴隷は中に入れないと言われたら、私が文句を言ってやる」
アイラが元奴隷たちに先を譲ると、みんな「ありがとう」と言いながらその言葉に従う。
アイラは続ける。
「無事に中に入れたら、まずは自分たちで仕事を探すんだぞ。でも何か困ったことがあれば私に声をかけてくることを許す。私からここの領主に話をつけてやってもいい」
なぜか偉そうなアイラに、元奴隷たちは笑う。
「はは、本当に変わった子だね。でもありがとう。ポルティカまで連れて来てくれただけで十分だよ。俺は地図が読めないから、一人ではここまで来られなかった」
「そうそう。それにあなたに言われなきゃ、そもそもポルティカに向かうということも思いつかなかったもの」
「短い間だったけど、楽しかったよ」
元奴隷たちはアイラに声をかけながら検問の列に並び、無事に街の中に入って行く。
そしてトーイとティアもこう言ってから、検問を通過していったのだった。
「ライアさん、ルルさん、ここまでありがとうございました! 街の中に入っても、また会いましょうね!」
「私たちは仕事を探しますが、また一緒に食事したりしましょう。働いたらお給料がもらえて、それを自分のために使えるのが今から楽しみです」
みんなが検問を通過してから、アイラは呟く。
「よかった。あいつらみんな、無事に街に入れたみたいだな」
「ええ、では私たちも行きましょうか」
ルルはそう言うと、自分の髪を一つにまとめて縛った。前髪もまとめて全部だ。
ちょっと新鮮なルルの姿を、アイラはじっと見つめる。
「その髪型だと、何だかルルが軽薄な男に見えるな」
「検問をしているのはポルティカ伯爵のところの下っ端騎士だと思いますし、彼らが私の顔まで知っているとは思えません。が、一応雰囲気を変えた方がいいかと……」
ルルは首にはスカーフを巻いて、奴隷の印を隠した。
「アイラはキャスケットをちゃんと被っていてくださいね。それを被っていると男の子っぽさが増しますから。でもあまり顔を隠し過ぎないように。しっかり隠していると逆に怪しまれますからね」
「分かった。でも、カトリーヌの騎士が検問してるならバレないだろ」
アイラは〝カトリーヌ〟というポルティカ伯爵の名前を出しながら続ける。
「そいつら、ルルはもちろん私の顔だって見たことないと思うぞ。カトリーヌは父上たちの機嫌を取るためによく金や貢物を送ってきたが、自ら王城に足を運ぶことはあまりなかった。だからカトリーヌの騎士たちも王族を直接見たことはほとんどないはずだ」
「そうですね。私も大丈夫だとは思っています」
そんなことを言いながら門に向かうと、そこに立っていた騎士に詰め所に誘導される。アイラの馬と子馬は、騎士に一旦預けた。
狭い詰め所の中にアイラとルルが入ると、中には机が一つあり、それを挟んでポルティカの騎士が二人いた。王都の騎士とは制服のデザインが違い、色は目を引く深紅だ。
二人はちらりとこちらを見ながら、簡単な質問をしてくる。
「どこから来ましたか?」
「グレイストーンです」
「出身は?」
「出身もグレイストーンです」
受け答えはルルがした。出身は嘘をつく。
「ポルティカに来た目的は?」
「伯母からポルティカは異国の雰囲気があっていいところだと聞いて、観光に来たんです。海と船を弟にも見せたいと思いまして」
「お二人は兄弟ですか?」
「ええ」
「分かりました。では、最後にここに名前を記入してください」
騎士がメモを取っていた書類に、ルルが自分たちの偽名を書き込む。アイラの名前はライアにし、ルルは名前も苗字もあらかじめ適当に考えていたものを書き込んだ。
係員の騎士は二人を特に怪しむことなく、名前をチェックする。そしてそのまま門を通れるかと思ったのだが――、
「では、少しお待ちください」
騎士の一人が詰め所を出て行き、アイラとルルは何故か待たされた。先に入ったトーイたちも、こうやって待たされたりしていたのだろうか?
「……あの、何故待たされているのですか?」
少し不審に思ったルルが尋ねる。
しかしそこで、出て行った騎士が他にも三人の騎士を連れて詰め所に戻ってきた。狭い詰所の中に、深紅の制服の騎士は五人になった。
そして騎士たちはスッと視線を鋭くし、アイラとルルに言う。
「アイラ王女に、その奴隷……いや、その元奴隷ですね?」
「おい、速攻でバレたぞ」
アイラはルルを見て言う。
アイラに焦りはなかったが、ルルは冷静に「何故でしょうね」と言いながらちょっと焦っていた。
ポルティカの騎士たちは説明を始める。
「ご領主様から言われていたのです。アイラ王女がこの街に逃げてくる可能性を常に考えておけと。追われる身である王女が着飾った格好のままでいるはずがないから、どんな格好をしていても、どんな髪型をしていても、華奢な体格と年齢、美しい顔立ちを見て判断するよう言われていました。そして王女の隣にはきっと、同じく美しい顔立ちをした男の奴隷がいるはずだともおっしゃっていました」
騎士はそこで、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。そこにはアイラとルルの精巧な似顔絵が描かれていた。
「これはご領主様が絵師に描かせたものです」
この騎士たちははアイラやルルの顔を直接見た事はなかったようだが、この似顔絵を毎日見て容貌を覚えたらしい。
「カトリーヌのやつ……」
アイラはちょっとだけ悔しくなって呟いた。
「これからお二人をご領主様の元へお連れします。特にアイラ王女のことは、もし見つけたら『絶対に逃がさないで』ときつく言われていますので」




