回収。
遅い……。
昼休みはもう終わっているのに、メアリー―=オズボーンは戻ってこない。
「これは……捕まったな」
ソファーに座っていささか焦れていたジュードは、顔を顰めて呟いた。
やっぱり無謀だったかと舌打ちする。それはそうだ。メアリー=オズボーンは、いつもオドオドビクビクしていて、見るからに鈍くさそうだ。初級魔法を使うだけで、魔力欠乏を起こすような貧弱な魔力しか持ち合わせていない、落ちこぼれ生徒だ。
ただ、どういうわけだか、鏡から鏡に移動できるという空間転移系の固有魔法を有している。
最初、あの娘が鏡の中に、水に潜るようにヌルッと入っていった時には、何の冗談だと目を疑ったものだ。そんな魔法、どこの文献にも載っていない。王立魔法研究所でも知られていないような魔法だ。
空間転移系の魔法自体、使える者は稀だ。魔法研究所の所長が唯一、それ系の魔法を使えると聞いたが、かなりの魔力を消費する上、失敗すれば代償が大きいと聞く。
以前、空間転移系の魔法を研究していた研究員が、肢体がバラバラになった状態で見付かったという話は、わりと有名な話だ。転移に失敗した者の末路である。だから、転移系魔法を試みようなんて者はほぼ皆無。やったとしても、せいぜい動物で試してみるくらいだ。それも成功率はかなり低い。
もし、空間転移系の固有魔法が使える者が現れたら、すぐに魔法研究所に連行されて、一生塔での幽閉生活だ。研究員たちによってくまなく調べられ、実験動物のように使い潰されるだろう。
メアリー=オズボーンに、特に思い入れがあるわけではない。ただ、たまたま遭遇しただけだ。彼女が捕まってどうなろうとも無関係で知った事ではない。彼女を救済する義務も、保護してやる義務もない。
オドオドビクビクしている陰気な女子生徒の事を思い出して、苛立ちが募る。
まったく、無理ならさっさと引き返してくればいいものを。何をやっているんだ。
部屋の扉が開いて、ルシアン=ノースが入ってくる。
「あの娘は?」
「近衛騎士団に捕縛されて、エヴァリー騎士団長が取り調べを受けているようですね」
(やっぱりしくじってやがったか……)
ジュードは顔をしかめる。
しかも、よりにもよって、あの冷徹な事で有名な騎士団長が相手だ。
「これは……あいつ……死んだな」
今頃、凄惨な拷問にかけられている事だろう。
「殿下の指示だという事も自白しているのでは?」
「だとしたとしても証拠なんてない。けど、あいつの固有魔法がバレるのはマズいな……」
それも自白させられているだろうか。
「切り捨てますか?」
ルシアンは平然と聞いてくる。その顔を思わず睨んでから、立ち上がった。
「回収してくる」
そう言って部屋を出て行こうとすると、ルシアンが分かっていたようにマントと紙袋を差し出してきた。
「お気を付けて」
「…………お前のそういう所が、すげームカつくんだよ」
顔をしかめてマントを羽織り、ポケットに紙袋を押し込んだ。
◇◇◇
王宮に向かうのはひどく気が進まないが、放っておくわけにもいかない。
あの固有魔法は、切り捨ててしまうには惜しい。
ただ、それだけの理由だと、馬車の中でぼんやり考える。
(今頃、ビスビス泣いてんだろうな……)
どうしようもなくダメな野良犬を拾ってしまった時のような気分だった。
王宮内はどこもかしこも華美な装飾が施されていて、歩くだけでも気が滅入りそうだ。
珍しく戻ってきた第一王子を見るなり、使用人たちはビックリした様子で廊下の脇に避ける。
地下室に向かうと、狭い通路には近衛騎士の制服を着た騎士が立っていた。
「これは……ジュード殿下。どうしてこのような場に」
「邪魔だ、どけ」
立ち塞がる若い騎士を押し退け、扉に近付く。
「お待ちください。騎士団長の許可がなければ、入室できません!」
止める若い騎士を無視して遠慮なく中に入ると、壁際に控えていた騎士たちが振り返る。
室内を見回してから、ジュードは膝をついているエヴァリー騎士団長を見る。
その胸にぐったりしてもたれているのは、メアリー=オズボーンだ。
どうやら気を失っているようだが、外傷はなさそうだ。その事に少し安堵した。
「いったい、何の用です? ここは殿下の立ち入るような場所ではありませんが」
クロフト=エヴァリーが振り返って、抑揚のない声で問う。
「そいつを返してもらいに来たんだよ」
「この者は宝物庫に無断侵入した罪人です。取り調べの最中ですので、邪魔をしないで……」
「そいつを宝物庫に行かせたのは俺だ。文句があるなら、俺に言ってもらおうか」
話を遮るように声を大きくして言うと、エヴァリー騎士団長が眉根を寄せる。
この場にいる他の騎士たちも、困惑した表情で視線をかわしていた。
「この者に宝物庫に侵入するように命じたのは殿下だと?」
「ああ、そうだ。残念だろうが、一応はこの俺も王子だ。王宮は俺の家でもある。何が問題だ?」
「……いったい、何のために宝物庫に?」
「母親の形見を取りに行かせたのさ!」
肩を竦めて答えると、エヴァリー騎士団長も沈黙する。
「いくら言っても、返却されないんでね。仕方なく、取りに行かせただけだ。それとも、あんたに頼めば取ってきてくれたのか?」
「どうやって、宝物庫に侵入させたのです。通路や扉には防犯魔法がかけられていた」
「さあ、それを教える義理は俺にはないな。防犯魔法をかけた魔法使いが、よっぽどヘボくて腕が悪かったんじゃないのか? 警備の見直しでもした方がいいだろうな。とにかく、そいつは俺に頼まれただけだ。いくら尋問したところで、それ以上の事は知らない。返してもらおうか」
ジュードはエヴァリー騎士団長の腕に抱かれているメアリーを引き離し、両腕で抱える。
エヴァリー騎士団長は不快そうな顔でゆっくりと立ち上がった。
「殿下、悪ふざけも大概になさるべきです。あなたの素行の悪さには、陛下も頭を痛めておいでだ」
「だとしても、お前に説教される謂われはない。いつからお前は俺の母親になったんだ。それとも乳母か? ただの騎士団長如きが弁えろ。しょせんは成り上がり者のくせに」
皮肉を込めて言い返すと、室内にいた他の騎士達の顔色が変わる。
ジュードはそれをチラッと見て、挑発的な笑みを浮かべた。
「ああ、そういえば、お前は俺の母親の首を刎ねた功績で騎士団長の座を得たんだったな。随分と名誉な事じゃないか。せいぜい、俺の母親に感謝する事だ。あの女が馬鹿げた罪を犯さなきゃ、お前は一生どこかの貴族の私生児で、せいぜい一介の騎士止まりだったんだ」
「ジュード殿下、お言葉が過ぎます!! 騎士団長を侮辱しないでいただきたい」
騎士の一人が我慢できずに声を張り上げる。
「事実だろう? どれほど高潔なふりをしてみたところで、権力に阿るしかないただの飼い犬だろうが。今さら騎士の名誉だなんだと寝言をほざくなよ。反吐が出る!」
嫌悪感を込めて吐き捨てると、騎士たちは気まずそうに口を噤む。
「お前らの飼い主に、俺の事を報告したければ好きにすればいい。じゃあな、クソ犬ども」
嘲るように笑って、メアリーを抱えたまま部屋を出る。止めるものは誰もいなかった。
◇◇◇
これだから、王宮には戻りたくなかったのだ。
どこもかしこも腐臭がする。
罪人の子で王家の恥。父親の恩情で生かされているだけの無価値な存在。
そんな嘲笑の声が、煩わしく耳にまとわりつく。
城門を出ると、王宮に近い公園に足を運んだ。
抱えていたメアリーをベンチに横たえる。
気を失っているのかと思ったが、腕の中で聞こえていたのは気持ち良さそうなイビキだ。
「こんな状況でよく眠れるな……」
呆れて呟き、「おい、起きろ」と頬を叩く。
けれど、メアリーは体を横向きにして芋虫のように丸まり、安眠を貪っている。涎まで垂れていた。
「人の気も知らないで……」
呆れて白い頬をムギュッと摘まむ。
「おい、起きろ。いつまで寝てんだよ」
名前を呼んでも目を覚まさない。
頬をペチペチと叩くと、ようやくハッとした様子で飛び起きてきた。
「殿下! ど、どうして……ここに?」
まったく、こいつは……。




