王都に戻ってきました。
王国騎士団の騎士団長であるクロフト=エンヴァリーが、副官のジリアン=ラッセルから報告を受けて地下室に向かうと、見張りの兵士が顔色を変えて姿勢を正した。
拷問や尋問のために利用される部屋だ。
室内からは、怒鳴る声が聞こえてくる。
「……いつからだ?」
エンヴァリーが険しい表情で問うと、兵士は「昨日からです」とオドオドした声で答えた。
扉を開いて中に入ると、声がピタリと止む。
室内にいた騎士数人が、狼狽えたように視線をかわしていた。
「こ、これは騎士団長……なぜ、ここに?」
顔を強ばらせて尋ねたのは、騎士団に所属するハリ-=ドーソンという男だ。
「何をしているのだ? 誰の許可を得て行っている」
エヴァリーは騎士たちを見回して尋ねる。
「我々は、ユーイン殿下より、この者の口を割らせ、早急に罪人の行方を突きとめて捕らえよと命を受けているのです。どうやら、殿下は騎士団長殿の能力に疑念を抱いておられるようで。一月も経つのに、以前、足取りすらつかめていないのは、騎士団の怠慢ではないかとお怒りなのですよ」
ドーソンは鞭を玩びながら、壁の鎖に繋がれた相手を一瞥する。
繋がれているのは、公爵家令息のルシアン=ノースだ。
白いシャツは破れ、赤い染みが広がっていた。
メガネは床に落ちて砕けており、額や頬からも血が滲んで垂れている。
座り込んだまま目を伏せていて、ピクリとも動かない。
唇は青くなり、腕や首筋には痣ができているのが見えた。
すでに意識を失っているのだろう。
その相手の肩を、ドーソンはエヴァリーの目の前で踏みつけてみせた。
「ユーイン殿下が?」
驚いたように声を漏らした副官のジリアンが、エヴァリーに視線を移す。
エヴァリーは無言で歩み寄り、ドーソンを突き飛ばした。
「……手枷を外せ」
エヴァリーが要求すると、他の騎士たちは戸惑うように互いの顔を見合わせるばかだった。
「ユーイン殿下の命に背くおつもりか、騎士団長!」
ふらついたドーソンが、顔を赤くして声を荒らげる。
エヴァリーが一歩近付くと、彼は怖れをなしたように後退りした。
「貴様はこの者を殺すつもりか? 公爵家から騎士団が〝不当〟に捕らえた息子をすぐに帰すように抗議書が届いている。国王陛下が病に伏せっておられる今、公爵家派閥の貴族たちの離反を招けばどうなるか、貴様の足りない頭でも想像がつくだろう」
「こ、公爵家の脅しに王家が屈するのですか!? それでは我ら騎士団も舐められる事に……」
胸ぐらをつかまれて壁に押しつけられたドーソンは、「ひっ!」と上ずった声を漏らした。
「殿下はこの者を殺せと命じたのか? 違うなら、さっさと治療師を呼べ。死体を公爵家に送り返すつもりか!?」
怒りを抑えた声で言い、ドーソンから手を離す。
「……何をしている? 聞こえなかったのか?」
蒼白になっていた他の騎士たちは、ようやく慌ただしく動き出した。
ルシアンを繋いでいた手枷が外され、担がれるように運び出される。
「ドーソン、貴様はしばらく謹慎だ」
「わ、私は殿下の命に従ったのですよ! なぜ、謹慎を……」
「私への報告を怠り、独断で騎士団を動かした。本来なら、謹慎では済まない。納得いかなければ退団しろ」
座り込んでいるドーソンを冷たく見下ろして言い放ち、踵を返す。
騎士団本部の執務室に戻ると、ジリアンも後から入ってくる。
扉を閉めて書斎机にやってきた彼は、不安な表情を滲ませていた。
「本当に、ユーイン殿下のご命令でしょうか?」
「そうだろうな」
「殿下の命を受けた一部の騎士団員が、自警団に所属していた者を手当たり次第に捕らえていると聞きます。そのせいで、王都の住民の反発が起きているとか……自警団は彼らの生活の安全に直結していますから」
「騎士団全員の行動を全て報告させろ。勝手な行動を取る事を禁止する。違反者は捕らえて牢に放り込んでおけ」
淡々と指示を出し、溜まっていた書類を手に取る。
ジリアンはまだ何か言いたそうな顔をして立っていた。
「このような事は……言うべきではないのは分かっているのですが……」
「だったら、黙っていろ。首が飛ぶぞ」
「騎士団長は、不自然だと思われないのですか? このところのユーイン殿下は、まるで人が変わられたようで……」
「ジリアン=ラッセル。口を慎め」
ジリアンはグッと表情を強ばらせてから、書斎机に両手をついた。
「先日、北の塔で瀕死の状態のメイドが発見されました……手や首に切られた傷があった……すぐに治療を施して一命を取り留めたにも関わらず、治療室から逃げ出したメイドは川に飛び込んで自殺したのです」
「その報告は受けている。最初から自殺目的で北の塔に入ったと結論付けられている」
「……北の塔に出入りする殿下の姿を見た者がいます」
「いったい、誰の証言だ?」
「それは……使用人の間で密かに噂されていた話ですが……」
「信憑性のある証言ではないな。北の塔には何かと不穏な噂がつきまとう。今に始まった事ではない」
エヴァリーは書類にサインを入れる。ペン先から垂れたインクが紙に滲んだ。
一瞬、頭を過った光景に、無意識に眉間に皺が寄る。
北の塔は罪を犯した王族を幽閉するための塔だ。
だから、噂や怪談話の類いはいくらでもある。
「ですが……そのメイドが治療中、ユーイン殿下の名を呼びながら許しを請うていたというのは、治療師の証言にもあります。錯乱した状態だったので、話は聞く事ができなかったようですが……」
ジリアンは声を潜める。
「何が言いたい?」
「……それだけではありません。墓地で殿下らしき姿を目撃した者もいます。墓地を巡回していた騎士団員の証言です。アンデットを発生させている者たちに、殿下が関係しているのであれば……これは放置していい問題ではありません」
この一月の間に、墓地を中心にアンデットの目撃例は多発している。
騎士団が見回りをしているが、発生件数が多すぎて全てに手が回っていない状態だ。
そのため、王都内の墓地の夜間の立ち入りは禁止されている。
「殿下の警護は近衛騎士団が担っているのだ。我々の管轄ではない」
王国騎士団は、主に王宮の警護と王都の治安維持を担っている。
王族の周辺警護は、近衛騎士団の役割だ。
夜中にユーイン殿下が王宮を抜け出しているとしても、自分たちには口を出す権利はない。近衛騎士団が護衛を行い、必要ならば国王に報告するべき事だ。
「で、ですが……」
「墓地への巡回とアンデットの討伐を優先しろ。それが我々のやるべき事だ。それと、捕らえられた自警団員は釈放させろ」
「分かりました……ジュード殿下の捜索はいかがいたしますか?」
「すでに王都にはいないだろう」
だとすれば、王国騎士団としてできるのは、各地の領主に手配書を送り、捜索を依頼する事くらいだ。
領地の治安を守るのは領主の役割で、独立した権限を持つ。
そこに王国騎士団は介入できない。
「おそらく……チェルダールだろうな」
エヴァリーは書類に視線を落としたまま呟いた。
「リード伯爵家が匿っていると?」
「だとしても、我々には手を出せない。殿下が王都に戻ってくるのを待つしかない」
ユーイン殿下はルシアン=ラッセルを囮にするつもりで捕らえたのだろう。
だが、自らの身を危険に晒してまで助けに戻るとは思えない。
それは、自殺行為に等しい。
数年は伯爵領で身を隠しているはずだ。
むしろ、ジュード殿下を利用して、リード伯爵がチェルダール地方の独立に動く可能性の方を危惧すべきだろう。
国王が病に伏せている今の状況は、まさにその好機とも言える。
今はまだ、ユーイン殿下も貴族たちの支持を得られておらず、求心力は弱い。
だからこそ、ノース公爵家と対立するのは避けるべきだというのに。
もし、ノース公爵家派閥の貴族がリード伯爵と結託して、ジュード殿下を担ぎ出せば、国は割れて内乱の切っ掛けとなりかねない。
呪われた王妃の子と言われているが、それでも正統な王家の血筋だ。
だからこそ、ユーイン殿下も自分の地位を盤石にするために、異母兄という邪魔な存在を早めに排除しておきたいのだろう。
(それも、ユーイン殿下らしくはないがな……)
正気を失っているのではないかという噂は、耳に入ってくる。
元々、猜疑的な性格だったのか、あるいは……何か別の要因が関係しているのか。
「……ジリアン。数名信頼できる者を選び、ユーイン殿下の行動を調べさせろ。近衛騎士団に感づかれるな。面倒な事になる」
エヴァリーが逡巡した後で命じると、ジリアンは緊張した表情に変える。
「畏まりました」
◇◇◇
「人目に付かない場所とは言ったけど……なんで、この墓地なんだよ!」
鏡から転がり出た途端に、ジュード殿下のゲンコをくらう。
ここは、墓地内にある小さな教会の中だ。
穴の空いた屋根からは明るい月が見える。
「だ、だって、ノース先輩のお屋敷に行くわけにもいかないですし、時計塔は見張っている人がいるかもしれないですよ! 倉庫は燃えちゃいましたし……」
他に安全そうな場所が思い付かなかった。
それに、ここなら人も滅多に来ない。
「で、こいつらは何なんだよ……」
あぐらをかいている殿下と、膝をそろえて座る私の周りには、この墓地の幽霊たちが集まってきていた。
その中にはリリーの姿もある。
私の後ろにひっついて、おっかなそうに顔だけを覗かせていた。
「ええっとですね。みんな心配して集まってきてくれたんですよ!」
私はワタワタして説明した。
殿下が威嚇するような目で、幽霊たちを追い払おうとする。
教会をフワフワ飛びまわっている幽霊もいれば、椅子の下や天井の梁の陰に隠れている幽霊もいる。
殿下の周りには子供の幽霊たちが集まっていて、背中に乗ろうとしたり、膝にしがみついたりしていた。
「殿下は子供の幽霊に好かれているみたいですよ!」
「全然、嬉しくねーよ……というか、こいつらをどうにかしろ」
殿下は重そうに背中を丸めて、プルプルと震えていた。
「だ、大丈夫ですよ。みんな、無害なんですから!」
「そういう問題じゃねーよ。なんで、こんなに集まってくるんだ!?」
リリーが私の耳に顔を寄せて、小声で囁いてきた。
周りの幽霊たちも一斉にしゃべりかけてくるので、ガヤガヤしている。
でも、殿下の耳にはその声は聞こえていないらしい。
「あ、あのぉ、殿下。みんなが言うには、王都の墓地でアンデットの出現が多くなっているみたいなんです。騎士たちが退治しているみたいなんですけど……少しも数が減らなくて、困っているそうなんです」
「……女神聖教の連中だろうな」
殿下は神妙な顔で言う。
肩に乗った赤ちゃんの幽霊が、髪を引っ張って遊んでいた。
「それで、色んな墓地の幽霊たちが、この墓地に逃げてきているとか……」
「は? 待て……この墓地に王都中の幽霊が集結してんのか?」
殿下が顔を強ばらせる。
床から半分だけ顔を覗かせているおじさんの幽霊もいれば、窓の外から覗いている幽霊もいる。首のない騎士も隅の方に突っ立っていた。
「そ、そうみたいですね……」
「とっとと、ここを出るぞ」
「み、みんな不安なんですよ! 浄化の光魔法や聖水は、弱い幽霊たちも一緒に消してしまので……アンデットだけじゃなくて、騎士団や教会の神官も怖がっているんですよ!」
「知るか……俺らも追われているのに、幽霊の面倒まで見られるかよ!」
「ここの幽霊たちなら、色んな事を知っているかもしれませんよ!」
殿下が立ち上がったので、私は慌てて殿下のマントを引っ張った。
教会内をうろつく幽霊たちに視線をやってから、殿下は渋々のように腰を下ろす。
「……こいつらから、話を聞き出せんのか?」
「は、はいっ!」
「じゃあ、王都内で起きている事について、知っている事を全部教えろ」
私は周りにいる幽霊やリリーと、コソコソと話をする。
他の幽霊たちも集まってきて、口々に訴えかけてきた。
一度に言われるから、全部は聞き取れない。
墓地に現れる男たちは、最近、アンデットに埋め込まれている偽物の死者の石に宿る、闇属性の魔力を集めて回っているらしい。
騎士団が街の住人を捕らえて牢に連行している事や、騎士団の墓地への巡回の回数が増えた事も教えてくれた。
人の墓地への夜間の立ち入りも禁止されたという話だ。
「闇属性の魔力を集める?」
殿下は不可解そうに呟く。
「闇属性の魔力を持つ人なら……できるんじゃないです? 私もほら……できますし」
私は自分を指差して言った。
「お前は普通じゃねーんだよ。闇属性の魔力持ちでも、そんな事ができる人間なんて聞いたこともねーよ。もし、いたら王立魔法研究所に即護送だ」
殿下が呆れた目をして私を見る。
リリーが私の耳元で小声で囁いた。
「ええっと……赤い石を持っている人間がいて、その石に魔力を吸わせているそうです」
「赤い石……首飾りの石か……」
「その首飾りの石って、どういう石できているんです?」
私は実際に首飾りを見た事がないから、どういうものか分からない。
「一見すればただのルビーのようだが、降霊石という特殊な魔石だ。俺もエルドキアの資料を見るまでは知らなかったけどな……」
殿下が伯爵家で調べていた文献の中に書かれていたのだろう。
「降霊石……?」
「エルドキアの神官が儀式に使う石だそうだ。魔石を加工して性質を変化させたものと書いてあったが、実際の加工の仕方までは書かれていなかった。たぶん、ろくな方法じゃないだろうな」
「その石って、闇の魔力を吸収するとどうなるんです?」
「さぁな……俺だって、そんな方法を試した事はないから知らねーよ。けど、首飾りの石を持っていたのだとすると、おそらく〝あいつ〟だ」
ジュード殿下の言う〝あいつ〟というのは、ユーイン殿下の事だ。
首飾りを持っているのが、ユーイン殿下なら他には考えられない。
でも、私にはやっぱり信じられなかった。
「あ、あのぉ……私、ユーイン殿下の様子を見てきましょうか?」
私が小声で言うと、「やめろ」と殿下に止められる。
「また、エヴァリーに捕まりたいのかよ」
「鏡の中からこっそり覗くくらいなら……」
「気付かれないと思うか?」
殿下にジッと見られて、私は言葉に詰まる。
今の殿下がもし、首飾りに宿る怨念に取り込まれているなら。
亡霊なら、鏡の中にいる私の存在にも気付くかもしれない。
リリーが私と殿下を見てから、またコソコソと耳打ちしてきた。
「えっ、ノース先輩が!?」
私は思わず声を上げる。
「ルシアンがどうした?」
「それがですね。王宮に捕まっていて、ひどく虐められているそうです……」
私はリリーから聞いた話をそのまま伝えた。
リリーは私の袖を引っ張って、助けてあげてほしいと目で訴えてくる。
「も、もちろんですよ! ノース先輩を助けるために戻ってきたんですから」
私はリリーに向かってそう答えた。
「そいつらは、王宮内の事も分かるのか?」
「入れる場所と入れない場所があるみたいですけど……で、でも、今は怖くて王宮にはあまり近付きたくないそうです」
リリーは私の袖をまた引っ張って、小声で囁いてくる。
「リリーが様子を見に行ってくれるそうですよ!」
「大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫ですよ。リリーは頼りになるんです」
「そっちは任せる。場所が分かり次第、行くぞ。いつでも逃げられるように、手鏡は準備しておけよ。その場に鏡があるとは限らないんだ。また、川に飛び込むのはご免だ」
殿下は塔から川にダイブした時の事を思い出したのか、首を振る。
「分かっていますよ。任せてください。でも……ノース先輩、無事でしょうか」
リリーに聞いた話では、かなりケガをしているみたいだ。
きっと、あの鬼畜エヴァリーに、ビシバシ鞭で打たれたんだわ!
私は怒りが湧いてきて、握った拳を震わせる。
「あんまり、時間はねーかもな。今すぐに動けるか?」
殿下は私ではなく、直接リリーに尋ねる。
リリーは頷いて、すぐに姿を消した。
「今日中に助けに行くんです?」
「死んでから助けたってしょうがねぇだろ。あいつに恨まれて化けて出られんのは、俺だって勘弁だ」
リリーが戻ってきたのは、十分ほど経ってからだ。
彼女は姿を見せると、私の耳元で報告してくれる。
「殿下、分かりましたよ。ノース先輩は、ええっと……地下室から騎士団の治療室に移されたみたいです。繋がれていないみたいですけど……見張りがいるって言っています」
「騎士団の治療室……なら、治療は受けてんだな」
ジュード殿下は荷物の袋の中を探って、薬の瓶を取り出す。
「それ、ノース先輩がくれた薬です?」
「ああ、眠り薬と痺れ薬。ついでに、毒も盛ってやろうか」
殿下は髑髏のマークがついた黒い瓶を手にして、悪い顔でニヤッと笑った。
「ね、眠り薬と痺れ薬だけでいいですよ!」
私は慌てて止める。
この上、罪を重ねたら、本当にお尋ね者になってしまうわ!




