パシらされました。
人間の世界で、目立たず、騒がれず、怖れられず、生活する方法。
すなわち、極限まで存在感を消し、まるで彷徨える亡霊の如き、足さばきで移動する!
元亡霊の私には、容易いです……ふふふ…………。
賑やかな廊下の隅っこを、私はスススー、スススーと移動する。
おかげで、誰も私の事に気付かない。視界に入っていない様子で、楽しそうに雑談している。
このまま、クラスに移動して、一番後ろの席にこっそり座っていれば、私に話しかけたり、気にしたりする人はいないはず。今日一日、なんと乗り切れるといいけれど、失敗すれば、悲鳴を上げられて、『陰気人間』、『亡霊女』と叫ばれたりして、教会が販売しているアンデット避けの聖水をぶっかけられたりしてしまうかもしれない。それに、ここは魔法学園。アンデットに効く光属性の魔法を使える生徒も少なからずいるはず。そう、光の王子様、ユーイン殿下のように。
あんな人に話しかけられたら、眼光だけで浄化して消滅してしまうわ……。
私は想像しただけで震えそうになる。
「あれ……君は……」
廊下の向こうから歩いていた男子生徒が、不意に私に気付いて足を止めた。
取り巻きの男子たちも、会話を中断してこちらを見ている。
まさに私の天敵にして光の王子様のユーイン殿下!
私は悲鳴を上げそうになった。
ど、どうして、気配を消していたのに、この人には気付かれてしまったのかしら。
もしかして、光属性の人間だから、陰気な空気とか、オーラに敏感なのかもしれない。
怖いわ、怖いわ!
殿下が急に注目したものだから、廊下にいた他の人達まで私に気付いてしまった。
亡霊が人間に姿を見られてしまうのは、素っ裸でいるところをうっかり見られてしまった時のように恥ずかしいものだ。私は赤面してオロオロしながら、逃げ場を探す。
暗がりに逃げ込まないと!
つい、本能的に柱の陰に移動しそうになったけれど、殿下は遠慮なくズンズンやってくる。
「この前は失礼したね。今日も顔色があまりよくなさそうだけれど、大丈夫? 真っ青になったり、真っ赤になっているけど……熱があるんじゃないかな?」
殿下は心配そうに私の顔を覗き込んで、不意に手を伸ばしてくる。
ピタッと額に手を当てられて、私はいきなり触られた野良猫みたいにビョンッと跳びはねそうになった。
途端に悲鳴があちこちから上がる。女子生徒たちが、『狩ってやる!』とばかりの殺気立った目で私を睨んだり、卒倒しそうな顔をして悲鳴をあげたりしていた。
「殿下にお声をかけられるなんて! なんて図々しいのかしら!!」
「そうよ、いったいどこの誰よ!! あの陰気女!!」
「ああああ、私も気分が悪くなってしまいましたわ……倒れそう!」
「私もですわ~~! ひどく目眩が!」
「私なんて高熱が!!」
「私は吐血しそうですわ~~!!」
女子生徒たちが、次々にふらついて廊下に座り込むものだから、殿下が振り返ってびっくりしている。
いったいどうしたのかしら。疫病が蔓延したみたいにバタバタと女子生徒が倒れるなんて!
ま、まさか、私の陰気か瘴気に当てられたのかも……。
大変だわ。早く、ここを離れないと!!
「ええっと……とにかく、君は医務室に行った方がいいよ。ほら、顔色が悪いし、震えているじゃないか。よければ、付き添おう」
「いいえ…………顔色が悪いのは生まれつきなので、け、け、結構です――っ!!」
私は甲高くなってしまった声で言い、ジリジリと後退りした。
けれど、殿下はますます心配そうな顔をして近付いてくる。
「でも、ひどい汗だ。いまにも倒れそうだよ?」
それは、殿下のせいです。
殿下に近付かれると、動悸と目眩と、吐き気と頭痛に見舞われてしまうんです!!
お、お願いですから、離れてそっとしておいて~~!!
廊下にいる女子生徒たちが、人類の天敵の害虫を見つけた時みたいな怖い顔で睨んでいるわ!
「でも……」
殿下は気づかうように、私の腕をつかもうとする。
その時、指につけていた呪いの指輪の魔石が点滅するように赤く光った。
こんな時に、呼び出しが!!
私は慌てて指輪を握り締め、キョロキョロした。
「その指輪……」
殿下が私の手許を見て小さな声で呟く。
「ご、ごめんなさ―――い!!」
私は殿下を突き飛ばすようにして、全速力で廊下を駆け抜ける。
これでも、元ホラーゲームの亡霊役だ。追い掛けてくるプレイヤーから逃げ回るのは得意だ。
走行する車と併走して、窓に張り付いたり、フロントガラスにしがみついたりした事もある。
あっという間に私の姿は見えなくなったはずで、その証拠に誰も追い掛けてこない。
よかったわ。振り切れたみたい!
安堵したけれど、振り返っていたせいで目の前に壁が迫っている事に気付かず、激突してしまった。
痛い……。
痛いです……。
私は真っ赤になった鼻を押さえながら、ヨロヨロと後ろに下がった。
握り締めていた手をゆっくり開いて見ると、指輪がますます強い光を放っていて、小さな文字が浮かび上がっている。なんと、この呪いの指輪はメッセージ送信機能付きなのだ。
目を眇めて文字を読んでみると、『五分以内に時計塔に来い。来ないとゲンコの刑』と簡潔明瞭な命令が書かれている。
「ひいいっ、またゲンコツを落とされるわ!!」
私はオロオロして階段を駆け上がる。誰も見ていないのを確かめてから、ショートカットをする事にした。今から校舎を出て、時計塔まで走っていたのでは間に合わない。
いくら私の足でも、さすがに五分以内に到着するのは難しい。
踊り場にある大きな鏡の中に、「えいっ!」と飛び込む。
平泳ぎスタイルで暗い鏡の中を必死に泳ぐと、ようやく薄らと光が見えてきた。
出口だとばかりに転がり出てみれば、まさに時計塔の部屋の中だ。
壁に取り付けられた鏡からゴロンと出ると、ソファーに偉そうに座っていたジュード殿下がビクッとして紅茶のカップを揺らす。「熱っ!」と膝にこぼれた紅茶を、ハンカチで拭っていた。
「いきなりそんなところから出てくるんじゃねーよ!」
「で、で、で、でも……五分以内に来いって…………!」
急いできたのに怒られるなんて、あんまりにも理不尽だわ!
私はオドオドしながらも、小さく唇を尖らせる。
「そうですよ。五分、ピッタリではありませんか。優秀です」
後ろに控えたメガネ君、ルシアン=ノースが紅茶をカップに注ぎ入れながら口を挟む。
彼はノース家という公爵家の出の男子生徒らしい。
「紅茶はいかがです?」
と、カップを差し出されて、私はコクコクと頷いてから受け取った。急いで来たから、すっかり喉が渇いていたところだ。一口飲んでみると、びっくりするくらいにおいしい。
しかも、ほどよい温度でゴクゴク飲めてしまう。このメガネ君、すごく優秀な人なのだわ!
はぁ、と一息吐いていると、「おい」と睨まれる。
「な、なんでございましょう!」
「お前を呼んだのは、茶を飲ませるためじゃねーよ。今日から、予定通りにテストだ」
「テスト!?」
そんな話は少しも聞いていないわ!!
いったい、どんなテストをさせられるのだろう……。
ま……まさか!
除霊用の聖水に浸けて何分耐えられるかとか、二十四時間聖歌を聞かせたらどうなるかとか、車の耐久テストみたいに実験するつもりじゃ!
今の体は一応は生身だけど、中に入っているこの私の魂は亡霊だ。体は無事でも、魂の方は吹っ飛ばされてしまうしかもれない。私は悪霊だったから、行き着く先は天国ではなく地獄だろう。
「今から、悔い改めたら天国に行けないかしら……!」
私は両膝をついて、両手を合わせて天を仰ぐ。
「何わけわかんねー事を言ってんだ。お前のその固有魔法を試してみるんだよ」
側にやってきたジュード殿下にゴンッとゲンコツを落とされる。
私は「痛い!」と声を漏らして、恨みがましい目で殿下を見た。
「私の固有魔法……を? そんな事をして、どうするんです?」
「決まってるだろ。どれくらい使えるか試すんだよ。ということで、お前、ちょっとパン買ってこい」
しゃがんだままニッと笑った殿下が、私の手に金貨を落とす。
金貨だわ~~!!
生まれて初めて手にした金貨に感動して捧げ持つ。
それから、勝利を手にした金メダリストみたいに、端っこを囓ってみた。
「食うな!」
ゴンッと頭にゲンコツが振ってきて、私は「い、痛い…………!」とまた涙目で訴える。
頭を押さえながら上目遣いに見ると、ジュード殿下は呆れ切った様子で目頭を押さえている。
後ろでは、ルシアンさんが「グフッ」と声を漏らして口を押さえていた。
「ったく……お前、一応は貴族の令嬢だろ。なんでこんな珍獣に育ってんだ!?」
「ご、ご、ごめんなさい……!」
私はビクビクして謝る。また、ゲンコツをくらいたくない。
この人の拳はそんなに強くないけれど、ゴツゴツしているから痛いのだ!
「まあ、いい。とにかくパン買ってこい。この店の一番人気の、ローストビーフサンドを三つだ」
そう言いながら、ジュード殿下は地図の書かれたチラシを見せてくる。
「この店の裏通りに、鏡を設置しておいた。お前なら、行って帰ってくるくらい簡単だよな? あと、絶対に見付かるんじゃねーぞ。見付かったら、ゲンコじゃすまさねえ。いいな?」
脅すように言われて、私はまた赤べこになってペコペコと頭を下げた。
怖くて、震えた手でチラシをクシャクシャに握り潰す。
「よし、行ってこい」
ジュード殿下はそう言うと、私の肩をポンと叩いた。
テストだなんて言っていたけれど、これではただの不良の〝パシリ〟だわ~~!!
◇◇◇
よいしょと鏡を抜け出してみれば、薄暗くて狭い裏通りだった。
ゴミ桶がおかれていて、その上で威嚇ように猫が毛を逆立てている。
「よ、よかったわ……誰にも見られていない」
私は安堵して、ヨロヨロしながら通りを出ると、急に明るくひらけた石畳の道に出る。
ひっ、人がたくさんいる!
私はマントのフードをしっかりとかぶり、人目につかないようにコソコソと移動する。
目当てのパンやはすぐに分かった。店の前には人がゾロゾロ並んでいて、「ローストビーフサンドの販売中です!」とお店の人が声を張り上げている。
どうしよう……あの列に並ぶなんて、怖いわ。
でも、並んで買って帰らないと、ゲンコが落ちてくる。
私はギュッと目を瞑ってから、「ダメよ、弱気になっては」とクイッと顔を上げた。
ただ、ちょっと後ろに並んでいればいいだけだ。
恐怖心を振り払い、私はコソコソ移動して行列の最後尾に並んだ。
もし売り切れてしまったら、どうしたらいいの!
何も買わずに帰ったら、きっと銀角さんは許してくれない。
『は? 買えなかった? それじゃあ、お前をローストビーフにしてやるしかねーなー!』
とか言いながら、暖炉の炎の中に放り込むか、火炎魔法でじっくり燻し焼きにするつもりだわ!
私は金貨を両手で握り締めて、小さく震える。
「ローストビーフサンド売られてるよー。ここのサンドすごくおいいんだよね!」
「じゃあ、ちょっと買っていくか」
カップルがそんな話をしながら、私の前に割り込む。
ぬ、抜かされてしまったわ!
オロオロして、声をかけようかと迷っている間に、次々やってきた人たちが私を押し退けて列に並んでしまう。
存在感がなくて、気付かれていないのだわ!
私は「あの……その……」と、小さな声で呼びかけてみたけれど、誰からも無視されてしまう。
そのうちに列はどんどん長くなっていき、「ローストビーフサンド、売り切れました!」と店員さんが声を上げた。その声で、「なんだよ……」と人々が散っていき列は解消される。
ポツンと残された私に気付いた店員さんが、「あら、すみません。ローストビーフサンドのはもうありませんよ」と申し訳なさそうに教えてくれた。
どうしよう……。
パンを買うお使いすらできないと知られたら、本当に役立たずだと思われて、消滅させられてしまう!
私は金貨をグッと握り締めて、「あ、あの!」と思い切って声を上げる。
震えた声になったけれど、ドアを閉めようとした店員さんが振り向いた。
◇◇◇
パンの紙袋を抱えた私は、鏡の中を移動して「えいっ!」と出口から転がり出る。
ドタッとみっともなく床に墜落した私の耳に、「遅せぇ」と苛立った声が聞こえた。
急いで立ち上がり、スカートの埃を払う。
「か、買ってきました――!」
私はバッと紙袋を差し出す。
それを受け取ったジュード殿下が紙袋の中身を確かめるのを、ドキドキしながら見守った。
「は!? 俺はローストビーフサンド買ってこいって言ったよな!?」
「ひいっ、ごめんなさい、ごめんなさい。ローストビーフサンドは売り切れでした!! だから、あの……違うサンドを……買ってきたんですけど……」
これで、許してもらえないだろうかと、私はジュード殿下の顔色を恐る恐る伺う。
「何を買ってきたんです?」
ルシアンさんがひょいと殿下の後ろから覗き込んで尋ねる。
「ええっと……あのニンジンのピクルスサンドと、オニオンのピクルスサンドと、キュウリのピクルスサンドです!」
「全部、俺の大嫌いなピクルスじゃねぇか!」
ジュード殿下の怒った声に、私は身を庇うようにしながら「ごめんなさい、ごめんなさい!」と謝った。
サンドはその三種類しか残ってなかったんです~~!!
ピクルスは健康にいいのに……。
ジュード殿下は溜息を吐くと、紙袋の中から取り出したサンドの包みをポイッとルシアンに投げる。
それから、あと二つサンドイッチが入っている紙袋ごと、私に押しつけてきた。
「ほらよ。さっさと食わないと昼休み時間が終わるぞ」
「で、で、でも、それだと……殿下の昼食が…………」
「いらねーよ!」
不機嫌な顔で言われて、私は困惑して紙袋を見る。
サンドイッチを三つ買ってくるように頼んだのは、最初から殿下の分と、ルシアンさんの分と、私の分だったのだろう。
うまくお使いもできないなんて……。
私はギュッと唇を引き結んで両腕で紙袋を抱き締めた。
「このキュウリのピクルスサンドは、意外といけますよ?」
サンドイッチを立ったまま食べながら、ルシアンが言う。
殿下は「そーかよ」とふてくされたように言って紅茶だけを飲んでいた。
◇◇◇
人気のない裏庭のベンチに座った私は、ニンジンのピクルスサンドを頬張る。
中にレーズンが入っていてほんのり甘い。
「おいしい……」
そういえば、おつりをたくさんもらったのに、返しそびれてしまった。
ジュード殿下は、お腹が空いても我慢しているのかしら……。
「大失敗をしてしまいました」
私は落ち込んで小さな声で呟く。
「こんなところで、昼食を食べていたの?」
不意に声をかけられて、私はビクッとする。
歩いてくるのは、ユーイン殿下だ。しかも今は取り巻きを連れていない。
「わ、わ、わ、なんで……殿下が!」
慌てふためいていると、ユーイン殿下はちょっとぎこちなく微笑んで私の隣に座る。
「静かに食事を取りたくてね。ここは、あまり人が来ないだろう?」
殿下は私に紙袋を見せながらニコッと微笑む。
なんてことかしら! この裏庭は、殿下の密かな昼食スポットだったのわ。
「ごめんなさい、すみません! すぐに立ち退きますから~~!」
私は紙袋と食べかけのサンドを持ったまま立ち上がる。
「いや、僕の方が後から来たんだから、気にしないで。それとも、邪魔かな?」
頬を掻きながら尋ねる殿下に、私はプルプルと首を左右に振った。
座り直すと、殿下は紙袋の中からサンドイッチの包みを取り出す。
私はそれをチラッと見た瞬間、目を見開いた。
あれは――――!!
私がさっき並んでも買えなかった、ローストビーフサンド!!!
しかも紙袋に押されているのは店のロゴが入ったハンコだ。
「で、で、で、殿下……あの、その……サンドは…………」
私が手をワナワナさせながら尋ねると、ユーイン殿下が「え?」と振り向く。
「ああ、これね。僕の従者が昼休み前に買ってきてくれたんだよ。予約しておいてくれたみたいで」
「よ、予約~~~~!?」
あの店のパンは、予約なんて事ができたのですか!?
それとも、殿下だから特別!?
私が凝視していると、殿下が紙袋の中からもう一つの包みを取り出す。
「よかったら、食べる?」
「もらっていいのですか!?」
私はバッとユーイン殿下の顔を見た。
「うん、二つはちょっと多いからね」
なんていい人!!
さすが、光属性の殿下だ。存在そのものが光!
私には眩しすぎて直視できない。
「それじゃあ……あの、これと交換という事で!」
私は紙袋の中に残っていたオニオンピクルスサンドを取り出して、殿下の手に押しつけた。
かわりに、ローストビーフサンドを受け取る。
「あ、オニオンピクルスサンドだ。これ、おいしいよね。君もあのパンやに行っていたの?」
「はい。ローストビーフサンドを買おうとしたんですけど……売り切れで……本当にありがとうございます。殿下のおかげで、命が救われそうです!!」
私は殿下の両手をギューッと握って、紙袋の中にローストビーフサンドをしまい、急いで立ち上がった。
「それじゃあ、失礼します~~!!」
「あ、ちょっと待っ……」
殿下が何か言いかけていたけれど、私はそれに気付く間もなくその場をダッシュで離れた。
時計塔に向かって走っている途中で、石にけっ躓いて身を投げ出すように転がる。
い、痛い……。
膝を擦りむいたらしく、血が出てしまっていた。
ヨロヨロと立ち上がった私は、落ちてしまった紙袋を拾って急いで手で払った。
だ、大丈夫。中身は汚れていないから!
◇◇◇
「ロ……ローストビーフサンド、手に入れてきました~~っ!!」
時計塔の階段を上がった私は、部屋のドアを勢いよく開く。
「は!? 売り切れだったんじゃねーのかよ?」
驚いて振り返ったジュード殿下は、私の格好を見た途端にギョッとしたような顔をしていた。
転けたせいで、制服が汚れてしまっていたからだろう。
「あ、中身は無事ですから、だ、だ、大丈夫です!」
私は慌てて言った。
ジュード殿下は立ち上がって側にやってきて、険しい顔私を見下ろす。
遅くなったし、お腹が減ってイライラしているから、ゲンコツが降ってくるかもしれない。
私はギュッと目を瞑って痛みに備えた。
殿下は私が差し出した紙袋を受け取ると、ポンと頭に触れただけだ。
思いがけない優しい感触にびっくりして瞬きした。
「あー……マジでローストビーフサンドだ。どうやって手に入れたんだ?」
「入手経路は……ひ、秘匿という事で……」
私をジッと見たジュード殿下は、「まあ、いい」と溜息を吐く。
「あの殿下……先ほどのお釣りが……」
ポケットに入れていたお釣りを取り出そうとしたけれど、遮るように「いらね」と声が返ってくる。
「というか、ひでー格好だな。おい、ルシアン。そいつのケガ、手当してやれ」
ジュード殿下はそう言うと、ソファーにドカッと座って紙袋からローストビーフサンドを取り出す。
「承知いたしました」
ルシアンさんは頭を下げると、「では、行きましょうか」と私を促して部屋を出た。
私は一度ジュード殿下に視線を向けてから、ルシアンさんの後についていく。
頭をポンとされた時の感触が妙にくすぐったくて、落ち着かない気持ちになる。
な、なんでしょう。このムズムズする感触は。
これってもしかして……。
心臓に毛が生えようとしているのかもしれない。
私はドキドキしている胸を両手で押さえた。




