契約書のサインは慎重に
王立魔法学園の敷地の端っこに、時計塔があるらしい。
その時計はずっと昔に止まったままで、何人かの生徒がそこから飛び下りたり、首を吊ったりして死んだ事があるため、〝呪いの時計塔〟という異名があるらしい。
今は立ち入り禁止になっている。
〝呪いの時計塔〟
なんて、素敵な響きなんだろう!
私はドキドキしながら、崩れた煉瓦の塀を乗り越えて庭に忍び込む。
恋愛ゲームにはあまりそぐわないけれど、きっと幽霊ドッキリイベントで急接近したり、親密度が上がったりするのだろう。私がいたホラーゲームも、カップルが一緒にプレイしてキャッキャと楽しそうに配信をおこなっていた。
私はそれを草場の陰からこっそり覗いて、一緒にドキドキハラハラしていたものだ。
中にはケンカをしたり、破局したカップルもいたからだ。そういえば、私がいたホラーゲームは、カップルが一緒にやると、破局率四十三パーセントとか言われていたのを思い出す。
…………。
「四十三%って多いのかしら…………?」
私は首を傾げてポツリと呟く。微妙な数字だ。
まあ、そんな事はどうでもいい。
サササッサササと、身をかがめながら草茫々の庭を移動すると噂の時計塔が見える。
時計の針や文字盤には蔦が絡みついているし、昼間でも周囲は薄暗く、人を寄せ付けない不気味な雰囲気に包まれている。
「す、素敵な場所だわ……!」
私はゾクゾクして、小さく身震いした。
扉に近付いてみると、誰も立ち入らないように封印の魔法陣が描かれているけれど、それを破壊する魔法陣が上書きされている。
そのため、扉は押すだけで簡単に開いた。
恐る恐る中に入ると、塔内には思ったよりも綺麗だ。
清掃がきちんとされているようで、蜘蛛の巣も張っていないし、埃も積もっていない。
階段を上がっていった先には部屋があり、扉の前でメガネをかけた男性が立っていた。
うちの学校の制服を着ているから生徒だろう。
昨日、あの倉庫の中にいたごろつきみたいな男の人たちとはタイプが違う。
み、見るからに、賢そうだわ……。
タイもきちんと結んでいるし、制服をだらしなく着崩してもいない。まさに模範的な着こなしだ。
紺色の髪をした男子生徒は、「ああ、来てしまったんですね」とメガネを指で押しながら口を開く。
「愚かですね……死にますよ、あなた」
男子生徒の口からこぼれた同情の呟きに、私は震え上がる。
わ、わ、私、来てはいけなかったのかしら!?
でも来なければ、時計塔から逆さ吊りにされると言われたし……。
学園の生徒だと分かっているし、名前も教えてしまったから、逃げようはない。
もしかして、私……悪魔を召喚する儀式の生贄にされてしまうのかしら!
こ、怖いわ……やっぱり、逃げればよかったかも!
いいえ、でも約束は守らないと。
来るって言ったくせに来ない人は嫌われるもの。
お誕生日会を開いても、友達が誰も来なかったりしたら、悲しい思いをするし……。
そうよ。今日はあの怖い人の誕生日だったかもしれない。
それなら、ケーキを用意して一人で待っているかも。
いくら悪人とは言え、そんな悲しい思いをさせるのは忍びない。
私は心がチクチクして痛くなり、「うっ!」と胸を押さえた。
そういえば、ホラーゲームでは私は生前ひどいイジメに遭っていたのだったわ。
そのエピソードの中に、子供の頃、お誕生日会を開いたのに誰も来てくれなかったというものがあった。
そうした恨みがちょっとずつ積もって亡霊になってしまったのが、この私、〝メアリーさん〟だ。
その悲しみを知っているのに、同じ事をしてはダメよ!
私はプルプルと首を振った。
青年は青くなっている私を一瞥して、「どうぞ」とドアを開けてくれた。
恐る恐る中に入ると、書斎のような部屋だ。書棚が並んでいて、応接椅子とテーブルが置かれている。
暖炉もあるし、なんだか快適そうな部屋だった。
ソファーに昨日と同様に偉そうに脚を組んで座っているのは、白銀の髪をした男の人だ。
昨日はフードで顔を隠していたからはっきり見えなかったけれど、今見るとびっくりするくらいに顔のいい。瞳はユーイン殿下と同じ青色。それも、深い海のような濃い青色だ。
でも、ユーイン殿下は蜂蜜色に似た金色の髪で、この男の人は白銀色の髪だ。
西遊記に出てくる金角と銀角みたいだわ……。
私は殿下の事を金角さん、この人のことを銀角さんと呼ぶ事にした。
だって、まだ名前を知らないのだもの!
「逃げ出さなかったのか。賢明な判断だ」
銀角さんは面倒そうな顔をしながら口を開く。
ああ、やっぱりこの人、怖いわ!!
でも、部屋の中には飾り付けもなく、誕生日のお祝いのケーキも用意されていない。
よ、よかった、この人のお誕生日パーティーじゃないのね。
何も用意してきていなかったから、贈り物を寄越せと言われていたら困っていたところだ。
それなら、やっぱり……悪魔召喚の儀式の生贄にされるのかも!!
私は心の中で、「ひえええっ!」と悲鳴を上げる。
汗がどっと噴き出してきて、全身が震えた。
銀角さんは、全身からトゲトゲしたオーラを放っていて、オレ様の視界に入ったヤツは全員ぶっ殺すというような目つきで睨んでくる。
やっぱり、この人は不良だわ。
不良は怖いの……だって、ゲームの中でも好き放題に暴れ回るんだもの。手が付けられないわ。
迷惑系配信者と呼ばれていて、開発者様(お父さん)が追い出してくれたっけ……。
でも、この世界には開発者様(お父さん)はいない。
私だけの力で、なんとかこの危機を乗り越えないと!
私は震えながら、何とか笑みを作る。愛想笑いをしたつもりだったけれど、ついホラーゲームにいたの時の癖で、ニターッと笑ってしまっていた。
彼が一瞬ビクッとしたような気がするけれど、すぐに不快そうな表情に戻っていた。
そして、手を出して後ろのメガネ君から書類の束を受け取る。
な、なにかしら……。
まさか、これからテスト!
ど、ど、どうしようましょう。
「テストをさせられるくらいなら、悪魔召喚の生贄にされた方がマシかもしれないわ……!」
私がボソッと呟くと、彼が「あ?」と威嚇するように睨んでくる。
「ひえっ、ごめんなさい、ごめんなさい、すみません。許して~~!!」
私は鋭いナイフみたいな視線を避けるように、両手で顔を覆った。
「お前の事は調べさせた。メアリー=オズボーン。伯爵家の生まれで、学園での総合成績はE判定……おいっ、E判定ってマジかよ。退学寸前じゃねーか! そんなヤツ、滅多にいねーぞ」
書類を読み上げていた銀角さんは、呆れたように私を見る。
「ひいっ、ごめんなさい、ごめんなさい。死んでお詫びします。お許しを~~!!
私は両手を握って、バッと絨毯に両膝をついてペコペコと頭を下げた。
わ、私、どうやらものすごく頭が悪かったみたいだわ!
「魔法属性は闇か……へぇ、珍しいな。けど、魔力量は……なんだこれ!」
びっくりしたように、銀角さんは書類に顔を近づける。
「あ、あ、あの……なにか問題でも?」
ドキドキしながら尋ねると、「ほとんどゼロじゃねーか!」と書類を叩き付けられた。
「お前、どうやってこの学園に入学したんだ!? ここまでひどいヤツは見た事がないぞ!」
「ひいいっ、すみません、すみません。私にも分かりません!!」
銀角さんはうんざりした顔で溜息を吐き、前髪をかき上げる。
「使えねぇ……」
「けれど、固有魔法が使えるのでしょう? しかも移動系、空間系の魔法なんて、珍しいのでは?」
後ろのメガネ君が口を開く。
「確かにな。しかし、これだけ魔力量が少ないのに、そんな高等魔法が使えるものなのか?」
釈然としないように、銀角さんは顔をしかめていた。
「さあ、それは実験してみればいいでしょう?」
「まあ、そうだな。こいつの固有魔法は使える。おい、メアリー=オズボーン」
呼ばれて、私はビクビクしながら顔を上げた。
「お前のその固有魔法、知っているやつはどれくらいいる? 学園の情報では、そんな魔法が使えるなんて報告されていなかった」
「ええっと、そうですね……それは……昨日初めて使ってみたので……誰も知らないかと……」
私がおずおずと答えると、銀角さんはメガネ君と視線をかわしていた。
「そうか。それは好都合だ。いいか、絶対に誰にもバラすな。授業でも絶対に使うな。バレた時には、分かってるよなぁ?」
脅すように言われて、私は赤べこみたいに首を縦に振るしかなかった。
きっと、バレた時には今度こそこの時計塔から逆さ吊りにされてしまうのだわ。
こ、怖いわ。怖いわ。助けて~~っ!
震えていると、銀角さんが「よし!」と満足そうに肩を叩いてきた。
「それじゃあ、お前も今日から俺の下僕な。協力してもらうけれど、これから見る事や聞く事、一切に漏らすな。漏らしたら、お前はその時点で……」
銀角さんはニッと笑って、処刑だとばかりに親指で首を刎ねる動作をしてみせた。
私はまた赤べこになって、コクコクと頷く。
メガネ君が一枚の羊皮紙を出してきて、銀角さんに渡した。
その羊皮紙には赤いインクで魔法陣が描かれている。
銀角さんはナイフを取り出すと、少しも躊躇せず親指に当てた。
あっ、痛い!
私はつい目をギュッと瞑る。
片目を開けて見ると、銀角さんが羊皮紙の上に滲んだ血で名前を書いていた。
ジュード=アッシュクロフト……。
アッシュクロフト?
どこかで……。
首を傾げていた私は、ユーイン殿下と同じ家名だと思い出した。
アッシュクロフトを名乗れるのは王族のみ。
とういうことは、この人は王族!?
ジュード=アッシュクロフトといえば……そ、そうだわ!
第一王子で、恋愛ゲームの中では、ユーイン殿下を目の敵にしていて何度も暗殺を企て、最後には悪魔に魂を売って王国を滅ぼそうとする悪役王子の名前!
けれど、その目論見は、ユーイン殿下や攻略キャラ、主人公のヒロインの活躍によって打ち砕かれ、最後にはこの時計塔から飛び下りて……死んでしまうのだった。
私は心臓がヒュンッとして、唇を引き結ぶ。
ゴクッと唾を飲み込んだけれど、額から流れる汗が止まらない。
「ほら、さっさと手を出せ」
悪の権化みたいな王子様が、私に手を差し出している。
ダンスに誘ってくれるわけではない。
よく分からない魔法の契約書に署名させるためだ。
どうしよう、契約書はよく読んで、簡単に署名しないようにしましょうって言われていたのに!
どう見ても、その羊皮紙は禍々しいオーラーを放っている。
悪魔に魂を売る契約書かしら……。
でも、拒んだら、目の前の悪魔にナイフで心臓を一突きにされてしまうかもしれない。
もしくは、目玉をくり抜かれるかも……!!
私は震えて汗をびっしょりかいている手を、ブルブル震えながら差し出した。
その手を片手でつかんだ銀角さんこと、ジュード殿下は反対の手で持つナイフを近づけてくる。
ひいいっ、絶対痛いわ!!
私は痛みに備えてギューッと目を瞑り、顔を背けた。
まるで注射針を近づけられる時みたいに、血圧が上がりそうになる。
「おい、そんなビビんな。殺すわけじゃねーだろ!」
ジュード殿下が手首を強めに握って、面倒そうな口調で言う。
「で、で、で、でも!!」
「でもじゃねぇ。痛い思いをしたくないなら、ジッとしてろ!」
グイッと引っ張られたかと思うと、一瞬指先に痛みが掠める。
見れば、指先に血が滲んでいた。「さっさと、やれ!」と促されて、私は言われるがままに羊皮紙に自分の名前を書き込んだ。
その途端に、羊皮紙がボッと燃えて灰になる。
いったい、何の契約書だったのかしら!
それを聞いていいものかどうか迷っていると、指先から血が垂れてきた。
ジュード殿下がまた私の手首をつかむと、その手を自分の方に引き寄せる。
血で濡れている私の指先を、平然とした顔で咥えたのだ。
私は一瞬ポカンとしてから、「ギャアアアッ!」と悲鳴を上げた。
「生き血を啜われたわーっ!! 蛭人間だわーっ!!!」」
叫んだ私の頭に、殿下はが「うっせーよ!」とゲンコツを落とす。
痛い!
ひどいわ……この人はやっぱり、乱暴者の不良だわ……!
私は涙を滲ませて、舐められてしまった指を自分の胸の前でギュッと握り締めた。
後ろのメガネ君は、「ブフッ」と笑って口元を手で押さえていた。
ジュード殿下に睨まれると、「失礼いたしました」と礼儀正しい態度に戻っている。
「てめぇ、俺が誰か分かってんだろ! 随分と無礼だな。誰が蛭人間だって!?」
「だ、だ、だ、だって、血を啜られたし…………ヌメヌメして気持ち悪かったし…………!」
怯えながら小さな声で言うと、またしてもゲンコツが振ってくる。
痛いわ。今日で二発目!
「なんで、お前みたいな珍獣がうちの学園に通ってんだ? まあ、いいけどな……使えそうなら、なんだって。おい。これ、つけてろ」
ジュード殿下はポケットから取り出したものを、テーブルに投げる。
それは銀の指輪だった。
「結婚指輪!? もしかして、さっきのは……結婚の契約書!?」
いきなり、結婚だなんてまだ早すぎるわ!!
出会ってまだ二回目なのに!
こういう事は、友達から初めて告白し、交際を得てからようやく結婚の申し込みを行うものだわ!!
私はまだ心の準備ができていない。
それに、こんな怖い人と結婚するなんて、なんか嫌よ!
できれば、幸せな結婚がしたいわ。お爺ちゃんやお婆ちゃんになっても仲睦まじく、手を繋いでお買い物とかにいけるような理想的な鴛鴦夫婦がいい。
でも、この人は私と手を繋いでくれそうにはない。
ゲンコツはくれるけれど、愛情は少しも向けてくれないだろう。
「あの……ごめんなさい。結婚はお断りします」
私はペコッと頭を下げた。その途端に、後ろのメガネ君がふき出し、殿下の三度目のゲンコツが私の頭に降ってくる。思わずカエルが潰れるような声を漏らしてしまった。
「誰がてめーみたいな変ちくりんな女と結婚するかよ!! 寝ぼけてんのか!? 天然か!?」
「ひいいっ、すみません、すみません、お許しを!!」
「あー……わけわかんねー女を連れてきたかも」
うんざりしたように殿下は顔を押さえる。
「処分いたしましょうか?」
後ろのメガネ君がさりげなく怖い事を言うものだから、私は震え上がる。
本人の目の前で山に埋める相談をしているなんて!!
「いいや、まだだ。使える限りは生かしておく。こいつの固有魔法は滅多に出ないレアものだ。けど、絶対に他に知られないようにしろ」
ジュード殿下はメガネ君に向かって命じると、テーブルの上に投げていた指輪を取る。
私の手をつかみ、無理矢理にはめてきた。
指輪が光ったかと思うと抜けなくなる。
「呪いの指輪!?」
「そいつは連絡用の指輪だ。魔石がはめてある。その石が赤く光ったら呼び出しの合図だ。すぐに来い。どこにいてもだ。他の用事は全部、無視しろ」
それはトイレに入っている時も、お風呂に入って時も呼び出しに応じなければならないという事だ。
なんて、理不尽な事を要求するのだろう!
でも、逆らうと、逆さ吊りの刑が待っている。
私はまた赤べこになって、ペコペコ首を振るしかなかった。
許される返事はイエスのみだ。
きっとさっきの契約書は、隷属契約書だったのだわ。
私はこの殿下の下僕として、共に破滅への道を爆進する運命らしい。
拒めば、死あるのみ!
ドタッと倒れるように絨毯に座り込んで、「ううっ……」と涙を滲ませる。
ジュード殿下が溜息を吐いて立ち上がり、テーブルを迂回して近付いてきた。
「おい……」
呼ばれて、クシャクシャになった顔を上げると、口の中にいきなり何かを放り込まれた。
シャクッと噛んでみると甘い! ベリーの味がする。
ジュード殿下がもう一つ持っているのは、黄色いマカロンだ。
それも私の口に押し込むと、彼は手を払って背を向ける。
「もう行っていいぞ。けど、忘れんなよ」
マカロン……おいしいっ!!
初めて食べるわ。これは女の子の憧れの高級スイーツ!!
ああ、もう一つはレモンの味だわ。
爽やかな風味と甘さが口いっぱいに広がって、私は頬を押さえた。
こんなおいしいスイーツがもらえるなら、悪魔王子に魂を売ってもいいかもしれないわ!
私はフラフラしながら部屋を出て行き、スキップしながら階段を下りる。
塔を出たところで、ハッとした。
そうだわ、あの人の下僕にさせられて、喜んでいる場合ではないわ――っ!!
あの人はユーイン殿下を暗殺して、王国の滅亡を企んでいるのだ。
その悪巧みに、私も加担させられるということ。
ああ、とんでもない人に捕まってしまったわ……。
これから、どうしたらいいの!?




