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怠ける事は許されません。

 一晩、暗い地下牢に放り込まれていた私が解放されたのは、朝方になってからだった。

 無表情のメイドさんに連行され、盥の中でジャブジャブと洗われ、用意された服に着替える。

 メイドさんのお古の黒いワンピースだ。


 こ、このワンピースは! 

 正直、嫌いじゃないわ……。

 白い襟にフリルがついているのがちょっとかわいい。

 継ぎ接ぎもあるけど……。

 

 ビクビクしながら無表情のメイドさんについていくと、部屋に案内された。 

 中では、朝日の差し込む窓際のテーブルで、殿下が優雅に朝食を取っている。

 私は百年ぶりの再会のように、「殿下ぁ~~!」と駆け寄った。


「メアリー……お前、どこ行ってんだよ?」

 脚を組んでいる殿下の膝に、ガバッとしがみつく。

「地下牢に放り込まれていたんですよぉぉぉぉぉ~~!」

 涙ながらに訴えると、一瞬の間があった。

 殿下は「そーかよ……」と素っ気なく言い、ズボンにすりつく私の顔を手で押し退けた。


 テーブルの上の朝食に目をやると、サラダやオムレツ、カットしたフルーツまで並んでいて、高級ホテルの朝食みたいだ。


「私が……私が……地下牢に放り込まれている間に……殿下は、歓待されていたんですね……」

 私は悔しくて唇をギュッと噛む。

 お腹が文句を言うみたいに、大きな音で鳴っている。

「しょうがねぇな」

 殿下は部屋の隅で待機中の無表情メイドさんに、私の朝食も頼んでくれた。

 

「殿下……っ! 私、一生ついていきますからね!」

 私は殿下のズボンをギュッとつかみ、潤んだ目で見上げる。

「ついてこなくていい。というか、さっさと離れろ!」


 朝食が運ばれてくると、殿下と同じテーブルにつく。

 無表情メイドさんがセッティングしてくれる間、おあずけをくらった犬みたいに涎が垂れるのを我慢していた。


 パンと紅茶。それに、サラダが添えられているオムレツだ。

 メイドさんが下がると、「いただきまーすっ!」と手を合わせる。


 きっとこのパンは焼き立て……じゃなかったし、ちょっと古くてカチカチになっている。

 それにオムレツも、殿下のオムレツと比べてずっと小さい……。

 それに、殿下のオムレツにはチーズやベーコンが入ってるのに、私のオムレツには何も入っていなかった。

 

 こ、これは……嫌がらせされている気がするわ!

 私はキッと、部屋の隅に控えている無表情メイドさんを睨む。

 

「クフフフ……」

 元亡霊のこの私に、こんなチンケな嫌がらせをするとは。

 いい度胸だわ。食べ物の恨みを思い知らせてやりますとも……!

「おい、その笑い方、怖えーからやめろ」 

 殿下にドン引きしたように言われて、私はスンッとなる。


 カチカチのパンを口に運び、温めの出がらしみたいな紅茶を啜る。

 リスモンド叔父様の邸で出されていた食事に比べたら、オムレツがついているだけは豪華だわ!

 

 このところ、毎日のように殿下が作ってくれるおいしい食事を食べていたから、口が贅沢になってしまっていた。

 たまには、カチカチのパンで、清貧の心を思い出さなくては……。


 私は海よりも広い寛大な心で、無表情メイドさんのうっかりな失敗を許す事にした。

 でも、次はないわ……っ!

 私は人形のように控えている無表情メイドさんをキッと睨んだ。

 

「お前、さっきから何やってんだよ……挙動がおかしいぞ」

「な、何でもありませんよぉ? それより……」

 私は殿下の方に椅子を寄せて、声を潜める。

「こ、この邸で、暢気に朝食を食べていていいんです?」

 私も殿下もリード伯爵に捕まっていたのだ。

 解放されたけれど、安心はできない。


「ああ……しばらく、この邸にいる事にした。お前は村に帰っていてもいいぞ」

 殿下はあっさりそう言って、オムレツをフォークとナイフで切る。

「殿下がいるなら、私もここにいますよ!」

 無表情メイドさんに会話を聞かれないように、声を落とした。


「で、でも……どうして、ここにいるんです? もしかして、あの伯爵に脅されたんじゃ……」

 笑顔が胡散臭くて、死んだ魚みたいな目をした人は信用できない。

 殿下に対して親族の情があるようには、少しも見えなかった。


「そんなんじゃねーよ……」

 殿下はオムレツを頬張り、ちぎったパンを口に運ぶ。

 殿下のパンは見るからに焼き立てでフワフワしてる。


 おのれ……無表情メイドさんめぇ~~!!

 ギリギリ歯ぎしりしていると、溜息を吐いた殿下が半分に割ったパンを私の方に向けてきた。


 私は目を輝かせてパンを受け取り、口に入れる。

 外はパリッとしているのに中は柔らかく、バターの風味が口に広がった。

 私は天にも昇る心地で、しっかりと咀嚼して味わう。

 おいしぃ~おいしぃわぁ~~。

 

 そうだわ。パンのおいしさに夢中になっている場合じゃない。

 ゴクンッと飲み込んでから、私は殿下に顔を寄せる。

「も、もしかしたら、殿下を邸に足止めしている間に、王都の騎士団を呼んでくるつもりかもしませんよ……!」


 そうしたら、あの仕事の鬼のエヴァリー騎士団長様は、一目散に馬を飛ばしてやってくるだろう。

 私はそれを想像して、ちょっと身震いした。

 捕まれば、私も殿下も回し車の刑だわ!

 

「それはねーよ……たぶん」

 殿下はそう呟いて紅茶を飲む。

 私は殿下が何を考えているのかよく分からなくて、横顔をジッと見つめた。

 何だか少し様子がおかしい気がする。


「昨日……あの人に、何か言われたんです?」

「お前の気にする事じゃねーよ。それより、朝食食ったら、さっさと村に帰れ」

「い、嫌ですよ!」

 今の殿下を、ここに一人で残しておくのは不安だ。

 ルシアンさんなら、きっと絶対に離れないだろう。


「ここにいたって、お前はする事がねーだろ」

「あ、ありますよ!」

「は? 何すんだよ」

「わ、私は……お、お掃除とか、洗濯?」

 それ以外に思い付かなくて首を捻る。

 目を丸くした殿下が、クッと声を漏らした。

 あ、ようやく笑ってくれたわ。


 それがなぜか、ホッとした。

 朝からずっと、眉間に皺が寄っていたから。

 

「と……とにかく、殿下がここにいるなら、私もどこにも行きませんからね!」

 リード伯爵が殿下にひどい事をしないように、見張っていないと!

 私は密かに決意して拳を握った。

 殿下がほんの少し目尻を下げ、パンの残っているカゴをこっちに寄せる。


「……食っていいぞ」

「殿下はもう食べないんです?」

「もう十分食った」

 殿下はカップを置いて席を立つ。


「どこに行くんです?」

「図書室」

 私はパンをワンピースの右のポケットと左のポケットに突っ込んで、急いで立ち上がった。

「わ、私も行きますよ!」


◇◇◇

 

 図書室に行くと、殿下は遠慮なく隠し扉を開いて禁書庫へと下りていく。

「殿下、勝手に入ったら、また捕まるんじゃ……」

「許可はもらってある」

「そ、そうなんです?」

 昨日、リード伯爵とどんな話をしたんだろう。

 私は不安になったけど、聞いても教えてくれないような気がする。

 

 ランプに火を灯すと、禁書庫の中が明るくなった。

 殿下は書棚から、女神聖教に関する本を何冊か選んでいた。

「殿下、あのぉ……」

「別にあいつを信用したわけじゃねーよ」

 私が気にしている事を察してか、殿下が先に答えた。

 ここには、私と殿下しかいない。


「そ、それじゃあ、どうしてです?」 

「調べるのに都合がいいから。毎晩、忍び込むわけにもいかねーだろ」

 殿下は本をめくって目を通す。

 毎晩捕まって地下牢に放り込まれるのは、私だって嫌だわ……。


 禁書庫への出入りを許可したという事は、殿下に見られてマズいものはここには保管していないのだろう。

 女神聖教の貴重な本も、エルドキアの遺跡に関する資料も多く揃っている。

 一晩で持ち出せるものでもないし、調べるには時間もかかる。


 でも、どうしてリード伯爵は、殿下の滞在を許したんだろう。

 親切心からではないはずだ。

 それに、あの人は殿下のお母さんに呪いの首飾りを贈ったかもしれない人だ。

 偽物の死者の石を作ろうとしている一団とも、無関係ではないかもしれない。


 あの人が黒幕なら、このまま邸に留まっているのは危険な気がする。

 邸に滞在させて自由に調べさせているのも、知られても困らないから?

 それは、最終的に殿下も――。


 下を向いていると、頬をムギュッと摘ままれる。

 それほど強い力ではないから、あまり痛くはなかった。

 ただ、びっくりして顔を上げる。

 殿下の青い瞳と視線がぶつかって、ドキッとした。

 時々、殿下は急に優しい目をする事があるから、なんだか落ち着かなくなる。

 相変わらず、口は悪いくせに……。


「で、殿下は……だ、騙されているんです。きっとそうです!」

 私は視線を彷徨わせて、そう言い張った。

「そんな間抜けじゃねーよ。あいつがどういうつもりかなんて知らないが……こっちも利用するだけ利用してやればいい。お前がいるんだから、いつだって逃げられんだろ?」

「そ、それは……そうですね」

 私の能力までは、あのリード伯爵も知らないのだ。

 殿下に頼られているようで、私の口元も緩む。

 いざとなれば、殿下を抱えて鏡の中に飛び込めばいい。

 調子に乗って「クフフッ」と笑っていると、ベシッとチョップされる。

 

「俺は調べ物があるんだから、しばらく邪魔すんな」

 殿下は書斎机に移動して椅子に座る。

 これは、ロアの村から持ち帰った日記帳を調べていた時と同じだわ。 

 没頭している間は、声をかけても返事もしないだろう。


「分かりましたよ……私は部屋に戻っていますからね」

 殿下は好きにしろとばかりに、追い払うように手を振っていた。


◇◇◇


 な、なんで、こんな事になっているのかしら――。

 私は木の桶と集草用の大きなフォークを持って、厩舎に立っていた。

 柵の中で、鼻息の荒い青毛の馬が、威嚇するように鼻を突きつけてくる。

 その鼻を押し退けると、ガブッと頭に噛みつかれた。


 廊下をウロウロしていると、家政婦のおばさんに捕まってしまい、新人のメイドさんと勘違いされてしまったのだ。

 このお古のメイドさん服が悪いんだわ!


 でも、私の服は回収されてしまったし、他に着るものがない。

 エプロンとキャップを渡されて、厩舎の掃除を命じられたというわけだ。

 馬番のおじさんは、外の樽の上にひっくり返ってイビキを掻いている。

 しかも、昼間から飲んだくれて、真っ赤な顔をしていた。

 

 仕事を怠けるなんて、ゆ、許せないわ!

 私は袖まくりをして、おじさんの代わりに掃除に取りかかる。

 この邸で飼われている馬は二頭。

 一頭は気性の荒そうな青毛の馬で、もう一頭はあまり賢くなさそうな栗毛の馬だ。

 青毛の馬は、私が柵の中に入ると蹴っ飛ばしたり、お尻に噛みつこうとしたりする。

 向かいの柵の中から、栗毛の馬が笑うように鼻を鳴らしていた。


 汚れている藁を新しいものに取り替え、掃き掃除をしてから、お馬をブラッシングする。

 その頃には二頭とも、私を蹴っ飛ばしたり、鼻で笑ったりしなくなっていた。

 その代わり、ベロベロと顔や頭を舐めてくるから涎まみれだ。

 

 ううっ、苦行だわ……。

 私は顔を袖で拭って、木桶に入っているニンジンを与える。

 青毛の馬は私の手ごとかぶりついてくるし、栗毛の馬はニンジンが気に入らないのか、私のキャップを囓ろうとする。


 どうして――!


 ようやく仕事から解放されたのは、夜も更けてからだ。

 ボロボロの格好で部屋に戻ると、ソファーで本を読んでいた殿下が顔を顰める。

「殿下ぁ~~!!」

 私がゾンビのように両手を出してフラフラしながら近寄ると、殿下がすかさず手で私の顔を押さえた。


「いったい、どこで何してきたんだよ!」

「厩舎の掃除とか色々掃除とか……」

 私はグスッとはなを啜る。

「なんで、お前が厩舎の掃除してんだ。とにかく、それ以上近付くな。風呂に入って着替えてこい!!」

 殿下に追い払われて、私は背中を丸めながらトボトボと部屋を出た。


 無表情なメイドさんに入浴の用意を頼むと、オンボロの空き部屋に水の入った盥を用意してくれた。

 一応、小さな石けんと雑巾みたいなタオルも渡される。

 私は体や頭を洗ってから、メイドさんが持ってきてくれた寝間着に着替えた。

 色のくすんだお古の寝間着だ。

 私にはサイズが大きすぎて、襟がずれて肩が見えそうなる。

 でも、借り物に文句は言えないわ……。

 

 トボトボと部屋に戻ると、殿下が読んでいた本から顔を上げる。

 私の顔を見るなり、また顔を顰めていた。

「他に着るものがなかったのかよ」

 そう言う殿下は、真新しいシルクの寝間着を着ている。

 入浴も夕食ももう済ませたみたいだ。

 

 社会の格差を感じるわ……。

 私はギュッと唇を噛む。


「いいんですよ……どうせ、私なんて……ダンゴムシですからね……ダンゴムシにはダンゴムシに相応しい待遇と環境があるんです……」

 私は顔を背けてブツブツ言いながら、ベッドに移動する。

 そしてモゾモゾと上掛けの下に潜り込んだ。


「おい……なんで、人のベッドで寝ようとしてんだよ」

「私の部屋なんて用意されていませんよ……今日の私は辛い目に遭ったんです。少しくらい、優しくしてくれたっていいじゃないですか……殿下なんて、きっと夕食もご馳走をたっぷり食べたんでしょうから……私なんて……朝のパンの残りを囓っただけなのに……」

 丸まってブツブツと不満を垂れていると、上掛けが剥がされる。


「お前がいくら待っても戻ってこねーから、先に食ったんだよ。なんで、働いてんだよ。雇われたメイドでもねーのに」

 殿下は呆れたように言うと、ベッド横の台にあったベルを鳴らす。

 無表情のメイドさんがすぐに入ってきた。


「こいつの夕食、なんでもいいから運んでやってくれ」

 ジュード殿下が頼むと、メイドさんは頭を下げて部屋を出る。

「で、殿下ぁ~~!」

 私は涙ぐんで、殿下の手を伸ばした。

 サッと避けられてしまって、ベッドから転がり落ちそうになる。

 上半身がはみ出した状態で、私は呻いた。


 しばらく待っていると、スープとパンが運ばれてくる。

 今日のスープは熱々で、パンもほんのり温かい。

 しかも、カチカチではなかった。

 私はソファーに移動して、パンを頬張る。

 おいしいっ、おいしいっ!

 スープもベーコンや野菜がたっぷり入っている。


 殿下は私の向かいに座って、頬杖をつきながら紅茶を飲んでいた。

「満足したかー?」

 私はスープとパンを交互に食べながら、コクコクと頷いた。

 食べ終わると、殿下が私の方にポケットに入れていたものを投げる。

 それは艶々した真っ赤なリンゴだ。

 リンゴを両手でキャッチした私は、目を丸くする。

 

「それ食ったら、さっさと寝ろ……」

「は、はいぃ!」

 私は返事をして、リンゴを囓る。甘酸っぱくて瑞々しい。

「おいしいです……」

「そーかよ。よかったな」

 殿下は素っ気なく言って、紅茶を啜る。

 

◇◇◇


 リンゴを食べている途中でウトウトしたかと思ったら、カクッと首が傾く。

 寝てしまったメアリーの体が倒れるのを見て、溜息を吐いて立ち上がった。


 手から転がり落ちそうになっている食べかけのリンゴを取り、テーブルに置く。

(ったく、世話が焼ける……) 

 濡らして絞ったタオルで手と口を拭いてやってから、彼女の体を抱え上げた。

 

 ベッドに移動して下ろし、上掛けをかけてやる。

 夕食を食べて満足したのか、寝顔まで幸せそうだ。

 ベッドの端に腰をかけて、その顔をしばらく眺めていた。


『復讐したいとは思わないかね? 君の母親を救ってやりたいとは思わないかね?…………私なら、君の助けになれる』

『助け? あんたが俺に、何をしてくれるって言うんだ?』 


『君が望む事なら、何でもだよ。言っただろう? 君は私の唯一の血縁だと。王家が君を見捨てた以上、もはや王都にいる理由もないだろう。だとしたら、私の後継者になればいい。私は私の持つ全てのものを君に譲ろう。もちろん、君が忍び込んだ禁書庫も、君が好きなようにすればいい』


『その見返りとして、あんたが望むものは何だ……無償の奉仕だなんて、嘯くなよ。あんたにはあんたの魂胆があるんだろう』


『後継者となる者に、全て与えるのは当然の事ではないかね? だが、確かに私にもささやかな願いがないわけではない。君がそれを手伝ってくれるというのなら本望だがね。もちろん、無理強いするつもりは毛頭ないよ』 

『その、ささやかな願いとは何だ? 俺に何をさせたい』 

『エルドキアの復活……それが私の……いや、リード家代々の悲願だよ』

 

(どこかささやかだ……)

 五百年も昔に滅んだ王国の復活?

 くだらない……。

 そんな事をして何の意味があるのか。


(やっぱ、うちの血縁はどいつもこいつも、頭がおかしい……)

 自嘲気味な笑みが浮かぶ。

 そんな夢物語を本気で信じているのだろうか。

 だとしたら、正気を失っている。

 

「付き合っていられるかよ……」

 夢なら一人で見ればいい。

 泥船に乗る気などない。

 

 だが、以前の自分なら、その誘いにも乗ったかもしれない。

 失うものも何もなく、死んだように目的もなく生きていた頃の自分なら。

 この国を道連れにして滅びの道を進むのも悪くないと――。

 

 それをくだらないと一蹴できるのは〝こいつ〟のおかげなのだろう。

 どこに行ってもついてこようとするから。

 堕ちるわけにはいかないと、崖の端で踏み留まっていられる。

  

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