隠された秘密。
リード伯爵の邸は、古めかしく私好みに陰気な雰囲気が漂っていた。
真夜中という事もあり、邸内は寝静まっている。
鏡を使って侵入した場所は図書室だ。
ソファーやテーブルが置かれたスペースの奥に、書棚が並んでいるのが見える。
「殿下……何を探せばいいんです?」
私は広い図書室の中を見回して声を潜める。
「エルドキアと女神聖教に関する本だ。どうせ、ここにはないだろうけどな」
殿下はそう言いながら書棚に移動して、本の背表紙を指でなぞる。
分厚くて古い本ばかりが並んでいた。
「どうして、ここにないんです?」
「女神聖教は国教に禁止されてるのに、堂々と人目につく場所に本を保管しているはずがないだろ。禁書庫か、別の場所に隠している」
「そ、それもそうですね……」
分かったように頷く私を、殿下がジト目で見た。
「暇なら見張り番でもしてろよ」
シッシと邪魔そうに追い払われて、私は仕方なく側を離れる。
やることもなくて図書室内を歩いていた私は、壁に飾られていた肖像画に気付いて足を止めた。
鬼火さんを呼び出して照らしてみると、白銀色の髪の女の子が犬を抱きかかえている絵が描かれている。
髪の色も深い青色の瞳も、ジュード殿下にそっくりだ。
ユーリ殿下の髪は蜂蜜色だった。
ジュード殿下の髪色は、リード伯爵家の特徴なのかもしれない。
そんな事を考えていると、扉を開けようとする音がした。
焦って書棚の陰に逃げ込んだ私は、本のページをめくっていた殿下を見つけて側に寄る。
「で、殿下、人が来ました!」
背伸びをして殿下の耳元で囁くと、殿下は一瞬後ろを振り返ってから本を戻す。
照明のために灯していた炎もすぐに消していた。
足音は図書室の奥へと向かっているようだ。
ランプの灯りが広がり、天井に影が映っている。
殿下は身を低くしながら、書棚の間を移動して近付いていく。
私も後を追い、殿下の後ろから顔を覗かせた。
見えたのは、男の人の後ろ姿だ。
壁際の書棚の一部が隠し扉になっているらしく、回転するように動く。
男の人はランプを手に持って奥へと入っていった。
書棚が元の位置に戻ると、灯りが消えて図書室の中は真っ暗になった。
しばらく書棚の陰に隠れていると、再び隠し扉が開いて男の人が出てくる。
足音と扉が開閉する音が消えるのを待ってから、先ほどの隠し扉があった場所に近付いてみた。
棚と棚の間に大理石の台が置かれていて、小さな石像が飾ってある。
村の教会の祭壇に祀られている女神様の像に、どことなく似ているような気がした。
殿下が触れた瞬間、石像の周囲に魔法陣が浮かぶ。
びっくりして後ろに下がると、書棚が回転するように動いて階段が現れた。
「ど、どうして開いたんでしょう……?」
「大方、リード家の血に反応するようになってたんだろう」
ジュード殿下はあっさりそう言って、躊躇もせず階段を下りていく。
私は鬼火さんを呼び出して、後についていった。
◇◇◇
下は禁書庫になっているようで、円形の狭い部屋は壁に沿うように書棚が並んでいた。
本だけではなく、石盤や木の札、丸めた古い紙なども保管されている。
象形文字ような古い文字で書かれていて読めないものも多かった。
これは、エルドキア王国で使われていた文字だろう。
ゴートア王国の文字で書かれている本もあるけれど、どれも傷みが酷い。
『女神ルネーレの信仰と恩恵』と、背表紙に書かれてる。
他にも女神信仰に関する本が並んでいた。
その一冊を手に取って開いてみると、棺で眠る王様を復活させる女神様の絵が描かれている。
私が本棚を眺めている間に、殿下は書斎机の回りを調べていた。
机に広げているのは地図のようだ。
「それは、何の地図です?」
「エルドキア時代の地図だ。ここが今、魔窟の森になっている場所だろうな」
殿下は地図を指差す。
その場所には、赤いインクで印がついている。
ちょうど、王様のお墓があった場所だろう。
他にも何カ所か、同じような印がつけられていた。
殿下は私に地図を渡すと、引き出しの中から古い羊皮紙や小箱を取り出す。
その小箱の中には、黒曜石のような色と形の小さな石が入っていた。
「それって……死者の石です?」
「ああ……それも、本物の死者の石だ」
「本物!」
本物の死者の石はどのように生成されるのか分かってはいない。
そう、殿下とルシアンさんが話していた事を思い出した。
ほとんど発見されないため、入手も困難でものすごい価値があるとか。
これが、その本物の死者の石――。
確かに、王都で発見された偽物の死者の石とは違う。
偽物の死者の石は、これより大きかったけど、もっと薄くてぼやけたような色をしていた。
けれど、この本物の死者の石は、闇を染めたような漆黒の色だ。
ああ、綺麗だなとつい見つめてしまう。
無意識に手を伸ばすと、ペチッと額を叩かれた。
「触んなって言ってんだろ。呪われるぞ」
「でも、そんな不吉な感じはしませんよ?」
「死者の石は魂を取り込むって言われてんだよ」
「そ、そうなんです?」
でも、やっぱりそんなに悪いものには思えない。
指で恐る恐る触れてみると、石の輝きが強くなった気がした。
まるで喜んでいるみたいだ。
「ほら、大丈夫ですよ!」
「そーかよ。じゃあ、お前が持ってろ」
殿下は溜息を吐くと、その死者の石をハンカチで包むように取り出して、私に渡してきた。
なんだか、ハンカチの上からでもひんやりとした冷たさが伝わってきて気持ちいい。
やっぱり、この石は私の事が好きみたいだわ!
「……わ、私も好きですよ」
石に向かってコソコソと囁くと、殿下がドン引きしたように私を見ていた。
「何、石に話しかけてんだよ……怖えーよ」
「で、殿下の事はそんなに好きじゃないみたいです」
私が小声で伝えると、殿下はものすごく嫌そうな顔をしていた。
だって、そう思っているのが伝わってくるんだもの~~!
この石には意思があるのかもしれない。
石だけに……ククッ。
なんて、お寒いギャグに一人で笑ってる場合じゃないわ!
「そーかよ。どーでもいいから、そろそろ行くぞ」
「もういいんです?」
「とりあえずはな……」
殿下は机に羊皮紙と小箱を片付けて引き出しを閉める。
今日のところは、禁書庫の場所が分かっただけでも十分なのだろう。
その時、足音が聞こえてハッとした。
ランプの灯りが広がった瞬間、殿下が私を突き飛ばす。
大きくよろめいて、絨毯に尻餅をついた。
殿下の体に、銀色に鈍く光るチェーンのようなものが巻き付いている。
拘束魔法だ。
エヴァリー騎士団長様が、私を地下の拷問部屋に引きずっていく時にも使っていた魔法だ。
魔力阻害の効果があって、魔法も使えない。
殿下が突き飛ばしてくれなかったら、私も同じように拘束されていただろう。
「で、殿下……っ!」
私が立ち上がろうとすると、「来るな」と強い口調で止められた。
影が伸びて、ゆっくりと男の人が入ってくる。
灯りに照らされたその顔を見て、私はびっくりした。
ジュード殿下と同じ白銀色の髪と青い瞳をした四十代の男性だ。
「おや、どこのネズミかと思ったら……君だったのか」
男性は愉快そうに笑って、膝をついた殿下に歩み寄る。
「覚えているかい? 君の叔父のオスカー=リードだよ。最後に会ったのは確か、クリスティーナが処刑される前だったな。あんなに小さかった子供が、もうこんなに大きくなっていたとは実に感慨深い。会えて嬉しいよ、ジュード」
この人が殿下の叔父さん……。
頬や痩せこけているけれど、若い頃は殿下に似た美形顔だっただろう。
今は目が暗くて、ひどく辛気臭い顔になっていた。
「誰かと思えば叔父上か。俺の名前と顔を忘れていなかったとは驚きだな」
殿下は膝をついたまま、皮肉っぽく笑って言った。
「忘れるはずはないさ。君は私の唯一の血縁だ……ああ、やはりクリティーナによく似ているよ。目も口元もそっくりだ。思い出すね。あの子も生意気な口ばかりきいて困らせたものだ」
リード伯爵は殿下の前にしゃがんで、懐かしげに目を細める。
ジュード殿下の顔には嫌悪感しか浮かんでいなかった。
「さっさと、拘束魔法を解けよ。あんたの顔を見に来たわけじゃないんだ」
「だが、解けば逃げ出すだろう? だが……こうすれば、君はもう少しだけ私の話に付き合ってくれる気になるかな?」
ゆっくりと立ち上がったリード伯爵が、指をパチンと鳴らす。
「メアリー!」
ジュード殿下が腰を浮かせて振り返る。
ハッとした時には、拘束魔法をかけられて絨毯に転がってしまっていた。
「す、すみません……殿下ぁ~~」
私は涙ぐんで、情けない声を漏らした。
殿下は嘆かわしいとばかりに天井を見上げて、溜息を吐く。
だ、だって、逃げる場所も隠れる場所もないんだもの。
「随分と仲良しなお友達のようだな。これで、ゆっくり話ができそうだよ」
リード伯爵は拘束されている私と殿下を見て、悠然と微笑んだ。
◇◇◇
テーブルの上に燭台が置かれ、薄暗い部屋の中央だけがぼんやりと照らされている。
席についているのは、ジュードとオスカーの二人だけだ。
白髪の執事が、グラスにワインを注ぐ。
わざわざ晩餐のために、服まで用意してくれたらしい。
気持ち悪いほどに、上着の袖やズボンの裾の丈までぴったりだ。
「……あいつはどこだ?」
この食堂には彼女の姿はない。
セッティングされていたカラトリーやグラスも最初から二人分だけだ。
「あのお嬢さんなら、心配はいらないよ。別室で丁重にもてなしている」
「あいつは、俺の〝婚約者〟だ。少しでも危害を加えてみろ。刺し殺してやる」
「婚約者? それは……また……随分と変わった女性の趣味をしているね」
オスカーは困惑と驚きが混ざったような、なんとも言いがたい表情を浮かべていた。
「うるせーよっ、どうだっていいだろ。とにかく、あいつには触んな」
不快感を込めて眉間に皺を寄せる。
「分かった、分かった。そう睨まないでくれ。それより、君の話をしようじゃないか」
従僕が料理を運んできて、テーブルに並べる。
前菜に続いて出されたのはマッシュルームのポタージュスープだ。
それに手をつける気にもならず、ワインだけを口に運ぶ。
年代物の上等なワインの香りだった。
「母親が死んでからどうやって生きてきたのか、今さら気になるのか? 存在すら忘れていたような甥の事が」
「忘れるわけがないだろう? 君は愛する妹の忘れ形見だよ」
「ハッ! 笑わせるな……」
この男と最後に会った時の事は、覚えている。
蔑むような目で、鎖で繋がれた自分の妹を見下ろしていた。
あれは、家族の情など欠片もない目だった。
ただ、哀れな女の末路を見届けにきただけ。
泣いて縋る幼い子供の姿など、視界に入っていなかっただろう。
「本当だとも。後悔しているのだ。もっと強く、妹の結婚に反対しておくべきだったとね。そうすれば、クリスティーナもあんな屈辱的な死を迎える事もなかっただろう」
オスカーは運ばれてきたステーキを、フォークとナイフで切り分ける。
「結婚に反対だったから、呪われた首飾りを贈ったのか?」
ナイフを玩びながら尋ねると、オスカーの手の動きが止まる。
ジュードはテーブルに肘をつき、指でクルッとナイフを回転させた。
「誤解があるようだ……」
「何の誤解だ? 呪われていると、知らなかったとでも? あれを手に入れようとして墓を暴いた冒険者は全員死んだ。あんたが雇った冒険者だ。今さら、下手な言い訳をするなよ」
「随分とよく調べているようだな」
オスカーはナイフとフォークを置くと、テーブルに両肘をかけて手を組む。
「私は確かに首飾りを手に入れた。だが、贈ったのはクリスティーナにではないよ。国王のルイーズにだ。もちろん、国王は呪いの事も知っている。あの男は奇妙な収集癖のある男でね。呪われた遺物や宝飾品などを欲しがるんだ」
オスカーは困ったような顔をして、小さく首を振る。
「じゃあ、あの女に贈ったのは……」
「君の父親だろう」
オスカーの暗い瞳の中で、燭台の炎の影が揺らめいていた。
「……何のために」
「単純な理由だよ。あの男は賤しい愛妾とその子供に、冠を与えてやりたかったのだ。そのためには自分の妃と息子が邪魔だった。よくある話だよ……」
わざわざ、聞くまでもない。
ずっと、知っていた。分かっていた。
ただ、理解し難かっただけだ。
おぞましい行いを正当化して、平然と生きられる人間の醜悪さが。
だがしょせん、真実などこんなものなのだろう。
この男の言う通り、よくある話だ。
王家の歴史を調べれば、いくらでも出てくる醜聞の一つでしかない。
ことさら、騒ぎ立てるような悲劇でもない。
王家なんて、泥の上に君臨しているようなものだ。
額に手をやり、込み上げる笑いを堪える。
それだけの理由で心を壊されて、あげくに鶏のように首を斬られて死んだ女は、今頃地獄の底で何を思っているのだろう。
それとも、噂にあるように、その魂は今なおも現世に留まり、亡霊と成り果てて彷徨っているのか。
だとしたら、あまりにも哀れで、その生も死も何一つ報われない。
「復讐したいとは思わないかね? 君の母親を救ってやりたいとは思わないかね?」
その言葉にピクリと反応したジュードは、笑みを消す。
額から手を離して顔を上げると、オスカーは真っ直ぐにこちらを見て冷たい微笑を浮かべていた。
「私なら、君を助けてあげられる」




