見送りにいってきました。
ホーランの村に戻った時には、日が落ちていた。
ジュードに背負われたメアリーは、気持ちよさそうに眠ってしまっている。
「ほんと……こいつは……おい、メアリー。起きろ。そろそろ、自分で歩け!」
軽く揺すってみても目を覚ます気配はない。
街で買い物を済ませ、村人の荷馬車に乗せてもらい戻る途中、人の肩にもたれてうたた寝してしまったのだ。
ダメだなと諦めて家に入り、背負ったまま階段を上がる。
部屋に入り、ベッドに転がしても、口を半開きにして涎を垂らしている。
「殿下ぁ~~、お肉……」
ムニャムニャと寝言を言っている暢気の顔を見て、ジュードは溜息を吐いた。
(寝ている時まで食い物の事考えてんのかよ……)
考えてみれば、メアリー=オズボーンに出会ってから、ずっと面倒を見させられているような気がする。
本来、甲斐甲斐しく面倒見のいい人間でもない。
むしろ、他者などどうでもいいと思ってきたし、異母弟のように誰かれかまわず手を差し伸べるような偽善的精神も持ち合わせていない。
(なんで、こいつは……俺なんかといるんだろうな?)
メアリーは罪人でもないのだから、逃げる必要も隠れる必要もない。
王都の親戚の邸に戻り、今まで通りに学園に通って、普通の貴族の令嬢として暮らす事もできるのだから、送り返すべきなのだろう。
先の見えない逃亡生活に、付き合わせる事はない。
その能力が便利だから、連れているだけに過ぎない。
ルシアンも同じだ。利用価値があるから、側において利用している。
自分は元から、そういう考え方をする人間だった。
利用できない人間に興味もなく、どこまでも自分本位で身勝手。
傲慢で、優しさの欠片もない人間。
それでいい。その方がずっと楽に生きられる。
情なんてものは、何の役にも立たなくて、重荷になるだけ。
そんなふうに生きてきたし、その生き方は今後も変わらないだろう。
(俺なんかといたって、ろくな事もないだろうに……)
ベッドの端に腰を掛け、彼女の髪に手を伸ばす。
深緑色のリボンは、以前自分が買ってやったものだ。
解いて、ランプの置かれている台の上に置く。
顔にかかる前髪をちょっとかき分けてやると、メアリーが寝返りを打った。
すぐに手を引っ込め、目を覚ましていない事を確かめて小さな安堵を覚える。
そんな自分に呆れ、何をやっているんだと苦笑いした。
これは単純に、ちょっと餌をやったらまとわりついてくるようになった子犬を、今さら捨てるのも無責任なような気がして、結局面倒を見るしかなくなってしまった時の気分と同じだ。
そう納得して立ち上がり、上掛けをかけてやって部屋を出る。
◇◇◇
一階に下りると、ルシアンがお茶の用意をしていた。
椅子を引いて座ると、カップが置かれた。今日、街で買ってきた紅茶だろう。
雑貨店で、やけに時間をかけて選んでいた。
一口飲むと柑橘の爽やかな香りがする。
ルシアンも向かいの椅子に腰を下ろした。
テーブルでは、蝋燭の炎が揺れている。
「……ルシアン、お前明日には王都に戻れ。メアリーに送らせる。戻ったら、頼みたい事がある」
ジュードはポケットから取り出した鍵を、ルシアンの前に置いた。
王宮にある自室の鍵だ。それを見て、ルシアンはチラッと視線を上げる。
「首飾りを確認してこいと? それなら、私に頼むよりメアリーさんに頼んだ方がいいのでは? 彼女なら誰にも気付かれずに、部屋に入れるでしょう」
「……あいつがヘマをやらかして、またエヴァリーの野郎に捕まったら面倒くせーだろ」
傾けたカップに視線を落としたまま答えた。
今の自分は簡単には王宮内に入れない。王都に戻る事すら困難だ。
そんな状況でメアリーが捕まっても、どうする事もできない。
「……私だって、捕まるかもしれませんよ?」
「お前は公爵家の威光をチラつかせれば、何とかなんだろ」
「さあ、どうでしょうね……私も家には見限られているので」
「お前が俺の部屋に出入りしていた事は王宮の使用人も知っている。私物を取りに来たとか適当な事を言っておけば、誤魔化せるだろ。少なくとも、お前は簡単に殺されやしねーよ」
国王と言えども、公爵家の令息をそう簡単には処罰できない。
公爵家も、息子が投獄されたなんて事になれば黙ってはいないだろう。
「捕まったら、大人しく待ってろよ。そのうち、助けに行けたら行ってやるよ」
「あまり期待はしないでおきますよ」
ルシアンはフッと息を吐いて、鍵に手を伸ばす。
それを上着のポケットにしまっていた。
「……確認だけでいいのですか? それとも、持ち出しますか?」
「確認だけでいい。触れるなよ」
今まで、手許にあっても無事でいられたのは、触れなかったからだろう。
下手に取り戻すよりも、王宮の部屋に保管しておく方が安全だ。
誰も使っていない部屋だ。
「騎士団が捜索して持ち出した可能性もありますよ」
「だとしたら、どうなっても俺らの責任じゃねーよ。部屋を荒らして人の所有物を勝手に持ち出したんだ。その結果、呪われたとしても自業自得だ。そうだろう?」
軽く肩を竦めて言うと、ルシアンは「まあ、そうですね」とあっさり答える。
ただ、持ち出されていたなら、面倒な事になるのは確かだ。
「……母君の事は、首飾りのせいだと思いますか?」
ルシアンは淡々とした口調で尋ねる。
その目は真っ直ぐ、ジュードに向けられていた。
「さあな……死んだ後では確かめようもねーだろ。ただ、あの女が元からイカれていたのは変えようもない事実だ。多少の影響があったとしても、どうせ同じ運命だっただろうよ……」
騎士に押さえつけられた母親が、哄笑しながら喚き散らす姿が頭を過る。
剣を振り上げた、冷徹なクロフト=エヴァリーの顔と共に。
頭に焼き付いた記憶は、どれほど黒く塗り潰そうと消えず、時々蘇ってくる。
まるで、忘れるなと言い聞かせるように。
それがひどく煩わしくて、苛立つのだ。
いったいいつまで、苛めば気が収まるのかと――。
復讐を望むのは、母親だった女への憐憫や愛情によるものではない。
絶対に違うと、それだけははっきりと言えた。
そもそも、いったい誰に復讐すればいいのか。
母親を見捨てて幽閉した父親か、直接手を下した騎士団か。
あるいは、母親の死を望んだ誰かなのか――。
それすらも分からないでいるのに、復讐などと言葉を口にする自分も滑稽だと笑えてくる。
ただ、この煩わしい記憶と過去から、自分の人生を切り離したいだけなのだ。
片付けてしまわなければ、永遠につきまとわれる。
亡霊に――。
「……リード伯爵の方はどうなさるおつもりですか?」
「それはこちらで調べる。あの男は他にも隠している事があるだろう」
このチェルダール地方は、かつてエルドキアの中心地だった。
国が滅んでからは、王家の末裔でもあるリード家が一地方領主としてこの地を治めている。
亡霊となったデメトリオス王が剣を託したのは、この体にも王家の血が流れているからだ。
毒薬に毒薬を混ぜて飲み干したような不快感が口の中に広がる。
本当に、どこまでも血の呪いとは厄介で煩わしい。
「伯爵家の邸にはエルドキアの記録が残っているはずだ。女神聖教の遺物もな」
遺跡は冒険者によって偶然に発見されたのではないだろう。
その記述が残されていたエルドキアの資料が、伯爵家に保管されていたか、伯爵領内にある他の遺跡から発見されたかのどちらかだ。
だとすれば、伯爵が冒険者を送り込んだのは、最初から墓内にある王妃の棺とその中に埋葬されていた首飾りが目当てだった可能性が高い。
副葬品目当てのただの墓荒しではないだろう。
「王都で見付かった偽の死者の石には、女神聖教の古い魔法陣が使われていた」
「伯爵が裏で糸を引いていると?」
「黒幕かどうかは分からねーけどな。女神聖教の秘術を教えたのは、あの男だ。繋がりはあるだろうよ」
叔父といっても、リード伯爵はほとんど領地から出ない。
まだ母親が〝まとも〟だった頃に、何度か会ったことがある。
塔に幽閉されていた時に、母親と自分の元に現れたのが最後だ。
母親が処刑される前日だっただろうか。
母親をひどく哀れむような目をして見下ろしながらも、口元は薄っすら笑っていた。
それがひどく不気味だったのは覚えている。
母親に呪いの首飾りを与えて、正気を失う様を観察したかっただけなのか。
腹の底が読めなくて気味が悪い。
もし、王都で死者の石の実験をしているのが伯爵なら何が目的なのか。
王都に出てこない伯爵に疑いの目が向く事はまずない。
それも計算の内なのだろう。
巣穴から獲物を捕食しようと狙っている蛇のようだと、不快感が込み上げる。
その影が、自分の足元まで伸びているようで――。
「狙いは……あなたなのでは?」
ルシアンも同じように考えていたらしく、ジッとこっちを見ている。
「さあな……恨まれる覚えはねーけどな」
軽い口調で言い、肩を竦めた。
好かれてもいないのは確かだ。それはお互い様でもある。
どういう思惑があるのか、調べてみない事には分からない。
伯爵家の邸宅に忍び込めれば、分かることもあるだろう。
メアリーがいれば、それも容易い。
(すっかり、あいつに頼ってんな……)
だが、今はあの能力に助けられている。
メアリーがいなければ、今頃自分は塔に囚われたままで、いずれは母親と同じ最後を迎えていた。
「くれぐれも、気を付けてください。あなたが捕らえられると、私の身も危ういのでね」
「分かってる……お前もヘマすんなよ。無理なら部屋には入らなくていい」
◇◇◇
翌日、私はルシアンさんを王都まで送る事になった。
鏡の前でジュード殿下に、「じゃあ、行ってきます!」と挨拶する。
「寄り道とかしてんじゃねーぞ」
「わ、分かっていますよ。すぐに戻ります」
「ルシアン、頼んだぞ」
「承知しております」
私はルシアンさんを連れて、鏡に飛び込んだ。
王都までは距離が遠いため、鏡を使っても時間がかかる。
公爵邸に着いた時には、ちょっと息切れがしていた。
邸内にあるルシアンさんの部屋に転がり出ると、フラフラして立ち上がる。
「それじゃあ、ノース先輩。私は行きますね」
「ああ、ちょっと待っていてください。渡しておきたいものがあるので」
ルシアンさんはそう言うと、私を残して部屋を出て行く。
待っていると、そう時間がかからず戻ってきた。
腕に抱えているのは瓶や巾着状の袋だ。
それを、テーブルに並べながら説明してくれる。
「これは、回復薬、これは腹痛に効く薬、解毒薬。こちらが、虫除け水ですね」
虫除け水はありがたいわ!
農作業の手伝いの時にも役に立ちそうだ。
ルシアンさんの手作りなら、きっと効き目は十分にあるだろう。
「あ、ありがとうございます。すごく役に立ちそうです」
「それと、これは痺れ薬に睡眠薬。直接吹きかける場合は希釈する事をお勧めします。飲み物などに混ぜる場合は容量を守ってください。瓶のラベルに書いてありますから。ハンカチなどに染みこませて使う事も可能です」
「は、はぁ……」
痺れ薬や睡眠薬を使う事ってあるのかしら……。
なんだか物騒だわ。
「これは、媚薬なのでお使いになる時にはご注意を。かなり強力ですから。それと中毒性があるので乱用はお勧めしませんね」
「び、媚薬~~!?」
私は思わず声を上げて赤くなる。
ルシアンさんは、どうしてそんな薬まで作っているの~~!?
「黒い瓶に入っているものは特に取り扱い注意が必要です。蓋を取る時には直接手に触れないように」
「な、な、何が入っているんです……?」
「毒薬ですね。即効性のものと、遅延性のものを両方ご用意いしました。用途によって使い分けてください」
用途って、ど、どういう用途なのかしら……!?
動揺した私はとりあえず、コクコクと頷いておいた。
危険だから、迂闊に触らないようにしよう。
「一応、用意できるものだけ用意いたしました。気を付けて持ち帰ってください」
ルシアンさんは革製のリュックのようになった鞄にその薬を詰めてくれる。
受け取った私は、そのリュックを背負ってみた。
軽くて使いやすいリュックだわ!
「その鞄は差し上げますよ」
気に入っているのが一目で分かったのか、ルシアンさんが言う。
「あ、ありがとうございます! あのぉ……ノース先輩。気を付けてくださいね?」
「おや、心配してくださるのですか?」
「そ、それはそうです。ノース先輩は殿下の大事な仲間なんですから。私も……そう思っているんですから」
おずおずと言うと、ルシアンは笑みを深める。
「ご心配なく。それより、殿下を頼みますよ。危なっかしい人なのでね……」
「も、もちろんです。それじゃあ、行きますね」
私は挨拶をしてから、鏡の中にヨイショと頭を突っ込んだ。
いつかまた、王都に戻ってこられたら……三人でまた、時計塔にいた時みたいに楽しく暮らしたい。
その時まで、私がルシアンさんの代わりに、殿下の側についていよう。
ちゃんとあの人を守れるように。
◇◇◇
殿下にはすぐに戻ってくるように言われていたけど――。
私は自分の部屋がどうなっているのか気になって、リスモンド叔父さんのお屋敷をちょっと覗いて見る。
屋根裏の部屋は、私の荷物がすっかり片付けられていて、新しいメイドさんの部屋になっていた。
もう、ここには戻ってこないつもりでいたけれど、ちょっと心に小さな棘が刺さる。
叔父様も叔母様も、私の事はやっぱり少しも心配していないのだろう。
でも、むしろその方がいいかもしれないわ――。
心配して捜されているより、心は痛まない。
叔父様と叔母様の寝室を覗いてみると、大人の時間を満喫しているようで、私はすぐに目を覆って退散した。
邪魔をしては悪いわ!
それから、従姉妹のヒルダの部屋も覗いてみる。
ヒルダは今日も髪をお団子にして、鑿と金槌を握り締めていた。
一心不乱に彫っているのはユーイン殿下の石像……かと思ったけど、なんだかちょっと違うみたいだ。
ユーイン殿下の石像は隅に片付けられていて、部屋の中には新しい石像が増えている。
その石像の顔を見た途端に、私は思わず声を上げそうになった。
両手で口を塞ぎ、もう一度、鏡に隠れて部屋を覗いてみる。
ヒルダが不気味な含み笑いを漏らして彫っているのは、長い髪を後ろで結んでタキシードを着ている男子の像だ。
でも、どう見ても学園創立祭のパーティーに出席した時の私にそっくりだ。
実際の私よりは凛々しさが増しているけど。
ヒルダはうっとりして、石像に頬ずりまでしている。
私は見てはいけないものを見てしまったような恥ずかしさを覚えて、慌てて逃げ出した。
ヒルダ、いったいどうして……!
あんなにユーイン殿下推しだったのに。
それよりもマズいわ。
あれが私だと知られたら、ヒルダは噴火したように怒って石像を叩き壊して回るだろう。窓から放り投げるかもしれない。
ぜ、絶対に黙っていよう……。
石像だけではなく、私まで金槌で殴られそうだわ……。
◇◇◇
王都からホーラン村の家に戻った私は、一階に下りる。
キッチンでは、ジュード殿下が夕食の準備をしていた。
濃厚なスープの香りが部屋中に広がっている。
私はクンクンと鼻を動かした。
これは……ビーフシチューだわ~~!
それに窯で焼かれているのは、ポテトのグラタンで間違いない。
「殿下、戻りましたよ。ノース先輩もちゃんと送ってきました」
私がキッチンに入って報告すると、殿下はヘラで鍋をかき混ぜながら「ああ……」と生返事をする。
視線は鍋に固定されたまま動かない。ぼんやり考え事をしている顔だ。
鍋を覗いてみると、大きな角切りのお肉がグツグツと煮えるスープの中で泳いでいる。ワインとトマトのほんの少し酸味のある香りがフワッと香った。
私は口の中に溜まる唾液をゴクンッと飲み込む。
それから、殿下の顔を下から覗くように見た。
「殿下? あなたの下僕。メアリーが戻りましたよ~~」
「分かったから、鍋から離れてあっち行ってろ」
邪魔そうに引き離された私は、「へい……」と返事をしてキッチンを出て行く。
この家のキッチンはもうすっかり殿下のお城だわ。
私は溜息を吐いてテーブルに移動し、リュックを下ろす。
ルシアンさんからもらった瓶を全部出して並べておいた。
「ノース先輩が色んな薬を用意してくれたんですけど……これ、どこに置いておきます?」
「……何の薬だ?」
「ええっとですね……回復薬とか……あと……び、び、媚薬とか……?」
私は瓶を手に持ったまま、モゴモゴと答える。
瓶のラベルには、分かりやすくハートのマークが描かれていた。
「何だって?」
よく聞こえなかったかったのか、殿下がキッチンから出てくる。
「で、ですから、び、び、媚薬……だそうですよ?」
そう言って、私はおずおずと両手で瓶を差し出した。
「何考えてんだ……あいつ」
ジュード殿下は眉根を寄せて瓶をつかみ、ラベルを読む。
「本当に効くのかぁ?」
「さ、さ、さぁ?」
ジュード殿下は瓶の蓋を開け、怪しむように匂いを嗅ごうとする。
「わ、わぁ、ダメです。強力な媚薬だって、ノース先輩が!」
びっくりして殿下の腕に飛びついた拍子に、手からすっぽ抜けた瓶が宙を舞う。
ビシャッと私と殿下に液体がかかり、足元に落ちた空の瓶がテーブルの下に転がった。
なんだか、甘ったるい飴みたいな匂いがするわ……。
私は濡れたブラウスをつまんで顔をしかめる。髪からも滴が垂れてくる。
殿下を見れば、鬼瓦みたいな形相になっていた。
濡れたその顔からもショッキングピンク色の液体が垂れている。
「おわあああああ~~~~!!」
「ひゃあああああ~~~〜!!」
私と殿下は目が合うと、同時に悲鳴を上げた。
「ど、ど、ど、ど、どうすればいいんです!? び、び、び、媚薬が、媚薬がぁぁ~~~!!」
「バカ、落ち着け。水だ。水を持ってくんだよ!! いや、もう面倒くせーっ、川だ。川に飛び込むぞ!!」
殿下と一緒に家を飛び出し、暗くなった村を疾走する。
「おや、メアリーちゃん。どうしたんだい? 旦那さんと一緒に」
畑仕事を終えた村のおばさんが、声をかけてきた。
「さ、散歩でーす!」
私はそれどころではなく、早口でそう答える。
村を流れている小川まで走り、二人一緒にドボンと飛び込んだ。
水車の回る音が聞こえる。
川が浅い……。
私と殿下はうつ伏せになって、土左衛門みたいにしばらく川に浮かんでいた。
水音にびっくりしたのか、村の人たちまで続々集まってくる。
「なにやっとるんじゃ?」
「さぁ? おーい、大丈夫かぁ!?」
鍬を担いだおじさんたちが、川を覗いて声をかけてきた。
水に顔を浸けたまま返事をすると、ブクブクと泡が浮かんだ。
息が苦しくなって顔を上げ、深呼吸をして手で拭う。
殿下はまだ顔を浸けたまま、ピクリとも動かない。
もしかして、お、溺れたの!?
私は仰天して殿下を引っ張り上げる。
「で……じゃなくて、あ、あなた~~!! しっかり~~!!」
「ルシアン……許さねぇ……」
ジュード殿下がぐったりした顔のまま、低い声で呟いた。
顔からも髪からも水が垂れている。
目が据わっていて怖いわ!
私は思わず、抱えていた体を水に落とした。
「てめぇも、許さねぇ!」
勢いよく立ち上がった殿下に、ゴンッとゲンコを食らう。
「わ、私のせいではないですよぉ~~!」
私は涙ぐんで頭を押さえながら、逃げるように川から上がる。
「待て、コラ。メアリー。逃げてんじゃねーぞ」
「お、お鍋! お鍋、火にかけたままですってば!!」
私はびしょ濡れのスカートをたくし上げて走りながら、大きな声で答える。
早く戻らないと、せっかくのビーフシチューとグラタンが焦げてしまう。
ジュード殿下も思い出したのか、水をかきわけて上がってきた。
一目散に家に帰っていく私たちを見て、村の人たちが大笑いしている。
それがなんとも恥ずかしくて、私の顔は真っ赤になっていた。
こ、これは……ちょっと飲んでしまった媚薬のせいではないわ。きっと!




