首飾りの行方は。
小さな悲鳴が聞こえて、ユーインはゆっくりと振り返る。
王宮の端にある、立ち入り禁止になっている北の塔の一室だ。
扉は開いたままになっていて、若いメイドが腰を抜かしたように座り込んでいる。
彼女の落としたランプは、火が消えて煙りが細く上っていた。
北の塔は今、立ち入り禁止になっている。
それなのに、メイドが一人でやってきたという事は、後をつけられていたのだろう。
ユーインは微笑みを浮かべて、ゆっくりと歩み寄った。
メイドは顔を強ばらせ、怯えた目を室内に向ける。
手桶が置かれている事に気付いたようだ。
床にこぼれている血にも。
それから、ユーインのシャツに飛んだ血の染みにも。
「で、殿下……そ、その血を……どうなさるのですか?」
手桶に入っているのは、厨房で使われた鶏の血だ。
エプロンが汚れているところを見ると、この娘はキッチンメイドなのだろう。
「ああ……見られてしまったかな……」
呟いて、彼女の前に立つ。
メイドは視線を彷徨わせ、震えている自分の手を握る。
「申し訳ありません……だ、誰も言いませんから……お許しください!」
「ちょうど、よかった。少しばかり足らないと思っていたところなんだ……ねえ、君。協力してくれる?」
ユーインが膝を折ってしゃがむと、メイドは目を見開いて、何度も頷いた。
「そう、君には感謝するよ」
救いを求めるよう見上げてくるメイドの青白い頬に手を添え、目を細める。
「ありがとう……」
◇◇◇
「骨董品にしちゃ、悪くねーなぁ」
ジュード殿下は悪い顔でニタッと笑い、王様にもらった剣を一振りする。
剣身から放たれた爆炎が命中すると、空から黒焦げになったワイバーンが落ちてきた。
もう一体のワイバーンが急降下してきて、私とルシアンさんは急いで岩の陰に避難する。
ワイバーンの翼が起こす突風で、周囲の木がへし折れたり、葉っぱが飛び散ったりしていた。
ジュード殿下は風に煽られながら、「クハハッ!」と悪魔みたいな笑い声を漏らす。
この状況が楽しくて仕方ないみたいだわ……。
ワイバーンの鋭い爪を飛び退いてかわすと、素早く後ろに回って飛び上がった。
飛翔する前のワイバーンの背に飛び乗り、硬い皮膚に剣を突き立てる。
ジュード殿下が飛び下りると同時に、爆発の音が空に響いた。
二体目のワイバーンも、蚊取り線香に燻された蚊みたいにフラフラしながら落ちてくる。
大きく開いた口から、黒い煙が出ていた。
王様の言っていた通り、あの剣は魔力をよく通すようだ。
魔力を込めると、魔法攻撃ができる魔剣となる。
高熱になった剣で突き刺せば、ワイバーンの串焼きの出来上がりというわけだ。
ここは、魔窟の森の奥だ。
アンデットが消滅したかわりに、再び大型の凶暴な魔物が出没するようになったみたいで、今日はその駆除に来ている。
でも、殿下は王様からもらった剣の威力を試してみたかっただけだわ……。
辻斬りみたいに、喜々として魔獣を屠っている。
ジュード殿下の闇落ちと、魔王化を防ごうとしているはずなのに、むしろどんどん世界崩壊ルートに進んでいっているような気がするわ……。
「ノース先輩、ノース先輩、そろそろ殿下を止めた方が……乱獲はよくないですよ!」
私は横にいるルシアンさんの袖を引っ張って、小声で訴えた。
「気の済むまでやらせておくしかないですね。まあ、そのうち飽きて満足しますよ。それより、魔獣の素材が多く手に入ったのです。街のギルドで買い取りを要請したいですね」
「こ、これ、全部持ち帰るんです!?」
ワイバーン二体だけでも運ぶのは大仕事だ。
その上、トゲトゲイノシシや、ワニのような魔獣、巨大蛇や巨大蜘蛛まで、そこかしこに焦げた状態で転がっている。
「採取するのは、魔石と肝くらいですよ。皮や牙も高く売れますが、さすがにこれだけあると運び出すが大変ですからね」
「ホーランの村まで運んで……村の人たちに手伝ってもらうのはどうです?」
素材を売ったお金をみんなで分けるなら、喜んで協力してくれそうだ。
「そうですね。森の外まで運び出して、村の人を呼ぶ方がよさそうです。アンデットも消滅したと言えば、来てくれるでしょう」
森の外までは魔獣も出てこない。
というより、殿下が狩りまくっているから、魔獣も恐れをなしてもっと奥地まで引っ込んでしまうかもしれないわ。
村の平和には貢献しているのかもしれないけど……。
「なんだよ。魔窟の森とか言うくせに、大した魔獣はいねーな。ドラゴンくらい出てくるかと思ったのによぉ」
剣を肩に当てながら、ジュード殿下が戻ってくる。
あれだけ暴れたのに、まだ物足りないような顔をしている。
岩の陰に隠れていた私とルシアンさんも立ち上がった。
「殿下はドラゴンと戦うつもりなんです!?」
「試してみてーだろ? ドラゴンの炎と、俺の魔剣の炎とどっちが強えーか。負ける気はしねーけどな」
すっかり、調子に乗ってるわ――!
伝説の剣を手に入れて有頂天になってる厨二病の人みたいだわ!
「も、もう、そのくらいにしておいた方が……油断大敵って言いますよ? それに、もう夕方になりますから、お夕食の準備をしないとですねぇ……」
私はオロオロしながら説得する。
殿下は西日が強くなり始めた空を一瞥してから、地面に累々と横たわる魔獣に目をやった。
「今日はこのくらいで勘弁しといてやるか……これ以上、大した魔獣は出てこねーだろうし」
「そ、そうですよ。ワイバーンを二体もやっつけたんですから、もう十分ですよ!」
村の人が知ったら、きっと腰を抜かしてしまうわ!
放っておくと、魔窟の森の魔獣を狩り尽くすまで終わりそうにない。
王様もなんてものを殿下に与えたのかしら!
鬼に金棒どころではないわ。
これで、殿下が世界征服に目覚めたら困るわ~~!
魔剣を試してみたくて最終戦争を起こす前に、何とか平和的利用方法を考え出さないと。
私は使命感に駆られて、汗ばむ手をギュッと握った。
◇◇◇
翌日、私たちは村から一番近い街に来ていた。
ジュード殿下が、重そうなお財布を持ってギルドから出てくる。
魔獣の素材は高く売れたみたいで上機嫌だ。
「とりあえず、店に入るか。昼になったしな」
「そ、それなら、前に行ったお肉のお店がいいですよ!」
広場のすぐ近くにあるお店だ。ここからも、大きな牛の看板が見える。
殿下は少し考えてから、「そーするか」と歩き出す。
やったわ! お肉だわ!
また、分厚いステーキにかぶりつけるかと思うと、涎が垂れそうになる。
口を拭って、急いで殿下を追い掛けた。
三人で店に入り、席に座る。
店はそこそこ賑わっていて、お肉の焼ける匂いと煙が漂ってくる。
大柄なおじさんが、カウンターの奥の鉄板で肉を焼いているのが見えた。
ステーキ肉とサイドメニューを頼んで待つ間、爽やかなベリーのお酒を飲む。
今日のジュード殿下はいつもよりも太っ腹だ。
昨日は魔獣狩りを思う存分満喫できたようだし、今日はお金がたんまり入ったからだろう。
「例の頼まれ物はどうするつもりですか?」
ベリーのお酒のカップを傾けながら、ルシアンさんが尋ねる。
周りの声が賑やかなので、私たちの会話は聞こえないだろう。
盗み出された首飾りのついては、何の手がかりもない。
誰が持ち出したのかも分からない。
「探す必要はねーよ」
殿下はカップを見つめてから、口に運んでゴクッと飲む。
「そ、それは……諦めるんです?」
「いいや、在処なら分かってる」
私だけでなく、ルシアンさんもさすがに驚いたようだ。
殿下はカップを置いて、私とルシアンさんを見る。
「たぶんな……そいつは王宮の俺の部屋の中だ」
離れた席に座っているおじさんたちの笑い声が聞こえる。
そのうちに、店のお姉さんがステーキやパン、スープやサラダを運んできた。
熱々に焼けた鉄板の上で、お肉から滲み出た脂が撥ねていた。
この前よりもちょっと大きなお肉だ。
殿下はフォークとナイフを取ると、切り取って口に運ぶ。
「そ、それって、つまり……で……〝あなた〟が持っていたって事です?」
私はここが街中だと思い出して、呼び方を変える。
「いつの間に、お二人はそんな親密な関係になったんです?」
ルシアンさんは、私と殿下を交互に見て目を丸くしていた。
「は? ちげーよ。とにかくだ。ほぼ、間違いなく捜している首飾りだ」
殿下は声を落とし、「あの女の遺品だ」と呟いた。
「…………そういう事ですか」
ジュード殿下をジッと見てから、ルシアンさんは察したように言ってステーキを食べる。
どういう事なのか私にはさっぱり分からないけれど、空気が重くなったように感じられて訊きにくい。
とりあえず、二人に合わせてお肉を食べる事に集中する。
おいしいお肉だけど、話が気になってちょっと喉を通らなかった。
「……リード伯爵が関係していると?」
「だとしても、驚かねーよ……いかにも、あの男が企みそうな事じゃねーか」
殿下は片手で頬杖をつきながら、ベリーのお酒のカップを軽く揺らす。
皮肉めいた嗤い方をしていた。
「あ、あのぉ……リード伯爵って誰です?」
「母親の兄で、俺の敬愛する叔父上様だ。そいつがチェルダール地方の領主なんだよ。ここはリード伯爵領だからな」
「そ、そうなんです……?」
なんだか言い方からして、あまり好意的には思っていない相手のようだ。
「冒険者を遺跡に送って調べさせたのも叔父上だろうな。だとしても、あの狡猾な男が証拠を残しているとは思えない……調べるだけ無駄だ」
「あ、あのぉ……それってつまり、呪われた首飾りを、叔父さんがお母さんに贈ったって事です?」
訊いてもいいのかどうか分からないけれど――。
お母さんの遺品と言うなら、他に考えられない。
ジュード殿下のお母さんが呪われた王妃と呼ばれていた事は、私でも知っている。
そのせいで、学園でもジュード殿下は陰口を言われていた。
殿下も呪われた血を引いているのだと、心無い噂を流す人もいた……。
「そーだろうな。どいつもこいつも、俺の血縁は頭がイカれてるんだ」
殿下は投げやりにそう言って、ベリーのお酒を飲み干す。
ど、どういう事かしら……。
殿下の叔父さんは、首飾りが呪われていた事を知らなかったの?
でも、遺跡に入った冒険者は首飾りのせいで死んでいる。
持ち帰った人が、それを報告しなかったとは思えない。
だとしたら、やっぱり……最初から知っていたという事になるのだろう。
そんな呪いの首飾りを、どうして妹に贈ったりするのだろう。
ジュード殿下のお母さんが呪われた王妃と呼ばれていたのは、首飾りのせいだったりするのだろうか。
亡霊の王様は、首飾りを手にした者は正気を失うと話していた。
もし、そうなら――。
私はチラッとジュード殿下を見る。
目が合うと、「何だよ?」とちょっと不愉快そうな顔で訊かれた。
きっと私が何を考えていたのかなんて、お見通しなのだろう。
「な、なんでもないですよ? お肉がおいしすぎるなぁと思って!」
私は鉄板に残っているお肉を頬張って誤魔化した。
やっぱり、何も訊けないわ……。
ジュード殿下のお母さんの元王妃様は、塔に幽閉されて処刑された。
殿下にとっては、きっとすごく辛い記憶のはず。
それを、余計な事を言って思い出させたくはない。




