教会に避難します。
村の人たちに囃し立てられるようにして、広場を追い出された私と殿下は、火を灯したカボチャのランタンを持ち、森の中を進んでいた。
「なんで、森なんかに行かなきゃならねーんだよ?」
「もしかして、村の人たちが安全にお祭りを楽しめるように、見まわりをしてこいって意味だったのかもしれませんよ?」
村にはお年寄りも多い。お祭りで浮かれ騒いでいる間に、魔獣とか、山賊が襲ってくるかもしれない。
だから、若い人たちが警備する事になっているとか?
「適当に回って戻んぞ。付き合ってられるかよ……」
殿下は面倒臭そうに言って、さっさと歩く。
森の中は静かで獣の声はしなかった。
「ま、魔獣は……いなさそうですね……」
「そうだな……」
「お、お祭り……楽しかったですね」
「そうだな……」
「お腹いっぱいになって、歩くのが苦しいです」
「そーだな」
だんだん、殿下の相槌がおざなりになってくる。
私たちが枯れ草を踏む音以外、聞こえてこない。
「そ、そういえば……色々と調べていましたけど、何か分かったんです?」
黙って歩いているのが落ち着かなくて、私の口はいつもよりもおしゃべりだ。
「まあな……」
ランタンの灯りに照らされる殿下の目は、森の先に向けられている。
殿下がそれ以上話さないので、私も口を閉じた。
私の目には前を歩く殿下の背中しか見えない。
その上着に恐る恐る手を伸ばす。
ちょっとつまもうとしたけど、すぐに手を引っ込めた。
かわりに、自分のスカートをつかんでクシャクシャにする。
森の空気は湿っていて草の匂いがした。
「で……」
小さな声で呼ぼうとした時、急にジュード殿下が私の手をつかんだ。
ビクッとして顔を上げると、木の陰に引っ張り込まれる。
抱き寄せられるように、一緒にその場にしゃがんだ。
「あ、あの……っ!」
いきなりの事に動揺して声を漏らすると、殿下の手が私の口を覆う。
私は目を見開いて、近い殿下の顔を見た。
息がしづらくて、顔が真っ赤になっているだろう。
ランタンの灯りをすぐに消した殿下は、険しい表情で暗がりを凝視している。
風に流されるように森に広がるのは、瘴気の黒い靄だ。
それに気付いて、私も息を潜める。
無意識にジュード殿下の上着をつかんでいた。
木の陰から覗こうとすると、密着するような体勢になってしまう。
そんな事を意識してしまう私と違って、ジュード殿下はいつでも攻撃できるよう片膝を立て、杖を上着のポケットから取り出していた。
不気味な呻き声が森の奥から聞こえてくる。
暗闇の向こうに現れたのは、赤い小さな灯りだ。
その灯りは揺れながら少しずつ、こっちに近付いてくる。
アンデットだわ!
それもスケルトンの軍団だ。
姿が見える頃には森の瘴気が濃くなっていた。
私は狼狽えて殿下の顔を見る。
口を開こうとして、ギュッと閉じた。
声を出せば、スケルトンが気付くかもしれない。
殿下は音を立てないようにゆっくりと立ち上がった。
私の腕をつかんだまま、身を翻して村の方へと駆け出す。
木々の間を迂回するように逃げるのは、できるだけアンデットを遠ざけるためだろう。
アンデットはまだ気付いていない。
息を切らして走りながら、私は「で、殿下!」と小さな声で呼んだ。
「ど、ど、どうするんです!?」」
「村に知らせるのが先だ」
アンデットは村を襲撃するつもりなのだろう。
村の人たちはお酒も入っているし、騒いでいるから、すぐには気付かない。
村の灯りが見えてくる。
森を抜けて広場に戻ると、「おや、もう戻ったのかい?」、「随分と早えーじゃねーか!」とおばさんやおじさんが冷やかしてくる。
「アンデットが森に出た。この村に向かっている!!」
殿下が声を張り上げると、賑やかかった広場が静まり返った。
演奏の音も止み、踊っていた人も中断して、急に酔いが醒めたような顔になる。
「ど、どういう事だ? アンデットが森に出ただと?」
おじさんがお酒のカップを落として、信じられないように訊く。
おばさんたちが小さく悲鳴を上げた。
「かなりの数がいる。避難できそうな場所は?」
殿下は集まってきた村の人たちを見回す。
みんな、顔を見合わせてざわつくばかりだ。
「教会は……どうかのぉ?」
ヨボヨボの村長様が杖をつきながらやってくる。
「ああ、そうだな。村の教会に集まるしかない」
村のおじさんが、頷いて声を上げた。
賛同する声を上げる人もいれば、不安げな顔をする人もいる。
「教会に避難して、アンデットを防げるのか? ロアの村の事を思い出してみろ!!」
誰かの上げた声で、全員が沈黙する。
「い、今から……領主様に救援を頼めばいいんじゃないのか?」
「それじゃあ、遅すぎるだろう! 村は全滅だ」
「司祭様、教会に聖水はどれくらいあるんだ?」
おじさんが尋ねると、ヨボヨボの司祭様はオロオロする。
「い、一本くらいかのぉ……それも随分昔のものだから、効果が残っているかどうか……」
「こんな時に、教会は役に立たねぇ!!」
こんな議論をしている間にも、アンデットは迫っている。
私はジュード殿下の顔を見た。
口を出せる雰囲気でもないし、いい考えがあるわけでもない。
黙ってるほうがよさそうだわ……。
「村から離れた場所に、全員避難できそうな場所は?」
殿下が訊くと、村の人たちは首を振る。
別の村に避難するにしても離れている。
アンデットに追われて逃げてきた村人を、他の村の人たちが受け入れてくれるとは思えなかった。
むしろ、アンデットを呼び寄せると、追い払われるかもしれない。
何か考え込んでいた殿下は、顔を上げて近くにいたおばさんを見た。
「祭りのために豚を解体したよな。その時に抜いた血は?」
「そ、それなら、桶に残ってるよ。けど、血なんてどうするんだい?」
「必要なんだ。すぐに用意してくれ。それと、刷毛が必要だ。教会の礼拝堂を避難場所にする」
おばさんたちは困惑しながらも、殿下の指示に従って動き出す。
「だが……教会で防げるのか?」
「いいから、早くしろ。もうそこまで来てんだよ。死にたくねーだろ!」
殿下の声で、村のおじさんたちも武器になりそうなものを集めて、礼拝堂に移動する。
教会の裏手から、おばさんが急ぎ足で戻ってきた。
地面に下ろされた手桶の中には、並々と豚の血が入っている。
おばさんは、不安そうな顔をして殿下に古い刷毛を何本か渡した。
「こ、これでいいのかい?」
「ああ……十分だ」
村の人たちが礼拝堂の中に移動するのを見届けてから、ジュード殿下は私を見る。
「お前は手伝え」
「ど、どうするんです?」
「ロアの村の扉に描かれていた魔法陣、覚えてるだろ?」
「アンデット避けの……ですか?」
「ああ……効くのかどうか分からねーけどな。時間くらい稼げるだろ」
「わ、分かりました!」
私と殿下は手分けして、礼拝堂の扉や窓に魔法陣を描いていく。
学園で教わる正統魔法の魔法陣よりずっと簡単な図案だ。
間違えないように、殿下が描く魔法陣を横目で見ながら真似をする。
殿下は最後に、教会全体を囲むように地面に血を撒いていく。
杖を向けて呪文を唱えると、その血が魔法陣の形に変わった。
空になった手桶に刷毛を放り込む。
「教会に、鏡があったよな?」
「は、はい。着替えた部屋に……」
村の人たちは礼拝堂に集まっているから、その部屋には誰もいない。
「その鏡を使って、ルシアンを連れて来い。お前の能力ならいけるだろ」
「お、王都まで!? わ、分かりませんよ……そんなに遠くまで移動した事がないので……」
でも、今まで移動距離の制限はなかった。
鏡の中の距離は、実際の距離とは違う。
空間がねじ曲がっているのか、別次元なのか分からないけど、移動時間は大幅に短縮できる。
でも、やったことがないから不安だわ……。
鏡の中で迷子になるかもしれない。
「いいから、やれ。できるはずだ。それと、ルシアンに、ありったけ聖水を持ってこさせろ」
私の目を真っ直ぐ見て、殿下は有無を言わさない口調で言う。
「わ、分かりましたよ……で、でも、殿下もその間、無茶をしないでくださいよ。一人で戦おうとか考えないでくださいね」
「そこまで無謀に見えんのかよ。それに、こんな事に命掛ける気なんてねーよ」
殿下は私の頭をポンと叩いて、礼拝堂の方へと歩いていく。
ほ、本当かしら……。
殿下はそう言いながら、誰かのために体を張るのだ。
そう言う人だ。
そういう人だと、私はもう……知っている。
◇◇◇
礼拝堂と渡り廊下で繋がれた建物の中に入り、着替えをした部屋に入る。
レースの頭飾りが邪魔で解いた。
おばさんたちに結ってもらった髪だけど、今は元の髪型の方がいい。
三つ編みを解くと、ウェーブ巻きになってしまっている。
私はちょっとアワアワして髪を引っ張って伸ばした。
も、戻らないわ!
仕方なく、ウェーブ巻きの髪型のまま鏡に飛び込んだ。
◇◇◇
鏡の中からヌルッと出てると、そのまま落下して床に転がる。
私はゼーゼーと息を吐きながら、床についた両手に力を込めて体を起こした。
お、王都に辿り着けたけど……き、きついわ!!
クロールとバタフライを駆使して、鏡の中を泳いできたのだ。
ウェーブ巻の髪がワカメみたいに顔に張り付いている。
真っ暗な部屋だけど、公爵邸はここで間違いないはず……。
私がキョロキョロしていると、部屋の扉が開いて灯りが差し込む。
ナイトガウン姿で入ってきたのは、間違いなくルシアンさんだ!
私は立ち上がり、ヨロヨロしながら近付いた。
灯りを持ったルシアンさんは、暗がりから現れた私を見て、仰天したようだ。
扉に背中をピッタリと押しつけて、つま先立ちになっている。
小さな悲鳴が喉から漏れていた。
「ノース……せ……先輩……」
息切れしながら呼びかけると、ルシアンさんは立ったまま気絶してしまう。
傾いて倒れそうになるその体を、私は慌てて引っ張った。
「ノース先輩、わ、私ですよ。ジュード殿下の下僕のメアリーです!!」
小声で言いながら、ルシアンの体を扉に立てかけて揺さぶった。
そのたびに、ゴンゴンと頭が扉に当たっている。
ハッとしたように意識を取り戻したルシアンさんは、私を見るなり白目を剥いた。また、気を失いかけているみたいだ。
「わ、わぁ、ダメです。幽霊じゃありませんから!! ジュード殿下の命令で来たんですよ。早くしないと、た、大変なんです!!」
「は……あなたでしたか……こんな夜更けに男の寝室に忍び込むとは、いけませんね」
ルシアンさんは震える手でメガネをかけ直す。
動揺しているのか、上下逆さまになっていた。
すぐに気付いて直すと、私の格好をマジマジと見る。
「おや……メアリーさん。しばらく見ない間に髪型が変わりましたね?」
「私の髪の事はいいんです! それより、ジュード殿下に、ノース先輩をすぐに連れてくるように言われているんです。アンデットが現れて、聖水がたくさん必要なんですよ!」
私が早口で言うと、状況を察したのかルシアンさんは表情を変える。
「……分かりました。あなたはここで待っていてください。用意してきます」
ルシアンさんはそう言うと、ランプを持って寝室を出て行く。
戻ってきた時には、背中に大きな荷物を背負っていた。
でも、着替える時間はなかったらしく、ナイトガウンとフワフワのルームスリッパという格好のままだ。
「では、行きましょう」
「は、はいぃ!」
私はルシアンさんを連れて、もう一度鏡に飛び込んだ。
◇◇◇
教会に戻った時には、教会はもうすでにアンデットに取り囲まれていた。
でも、魔法陣の効果でか敷地内には入ってきていない。
私とルシアンさんは部屋を出て、廊下の窓から外を覗いた。
「あの魔法陣、効果があったみたいです……」
「魔法陣? アンデット避けですか?」
「この近くの村の扉に描いてあったんです。王都の魔法陣とは違うものみたいですよ?」
殿下と違って魔法陣に詳しくないから、それ以上の説明はできなかった。
「ほぉ、それは興味深い。ですが、研究している時間はなさそうですね。行きましょう。あの方はどこです?」
「礼拝堂に村の人たちと一緒に避難中です!」
◇◇◇
「ルシアン……お前……なんで、その格好で来たんだよ?」
それが、ルシアンさんと再会したジュード殿下の第一声だった。
ドン引きした時の顔になっている。
おばさんたちが、「あら、いい男だね!」と頬を赤らめていた。
おじさんたちは、「あんた……その格好で村までやってきたのかい?」と呆気に取られていた。
礼拝堂に避難した村の人たちは無事だったようで、ホッとする。
ただ、アンデットは村の周りを囲んでいるから逃げ場がない。
あの、魔法陣の効力もどれほど続くのか不安があった。
「夜中に呼び出したのはあなたでしょう。このまま帰りますよ?」
「いや、悪い……来てくれて助かった。聖水は?」
「十本ほど用意してきました。手持ちがこれ以上なかったのです」
ルシアンさんは背負っていた荷物を下ろして、瓶を取り出す。
村の人たちも集まってきて、物珍しそうに見ていた。
「この人は、教会の司祭かなんかかい?」
「違いますよ。金にものを言わせて教会を脅し、聖水を納入させているのです」
ルシアンさんがそう答えると、村の人たちは「なるほどぉ」と頷き合っていた。
「で、どういう状況なんです?」
長椅子を向かい合わせにして、ルシアンさんとジュード殿下が座る。
私はおばさんたちを手伝って、お茶の用意をする事にした。
村の男たちは、殿下とルシアンさんの周りに集まっている。
「祭りの最中に森にアンデットが現れた。それで、急遽この教会に立てこもったんだよ。魔法陣の効果で、今のところ入っては来ない」
ジュード殿下はルシアンさんに、魔法陣を描いた紙を見せる。
「…………この辺りでは、この魔法陣が使われているのですか?」
ルシアンさんが村の人たちに尋ねた。
「この村じゃ見た事がねぇな……けど……」
おじさんは言い淀んで、周りの村人の顔を見る。
「隣のロアの村じゃ……使われていたのを見た事がある……」
おじさんの一人が口を開くと、「おい!」と咎めるような声が上がった。
「隠していたって仕方ねーだろ! この村もあの村と同じようになっちまうかもしれないんだぞ」
「バカを言うな……ロアの村は……疫病で滅んだのじゃ」
「爺さんは村の連中の死体を見たのか!? 疫病なら死体は残る……けど、あの村じゃ、全員消えちまったんだ。アンデットにされちまったんだよ!!」
おじさんが声を荒らげると、周りの人たちは沈黙する。
礼拝堂の中に、重苦しい空気が広がった。
「お茶をいれたよ! 休憩しようじゃないかね。イライラしたって、始まらないんだから」
恰幅のいいおばさんが手を打って注目を促す。
私もおばさんたちを手伝って、みんなにハーブの茶を配った。
カモミールのお茶のようだ。いい香りがして、気持ちが落ち着く。
「その……ロアの村というのは?」
ルシアンさんがジュード殿下の顔を見て尋ねた。
「この村より西にある村だ。今は誰も住んじゃいない。村人が逃亡したとか、疫病とか、アンデットに襲われたとか噂はあるけど、理由は分かってねーよ……」
殿下はお茶を飲みながら答えた。
たぶん、殿下はずっと調べてたから、何かつかんでいるのだろう。
でも、村人がいるこの場では話せない。
私たちがロアの村に行った事は、村の人にも秘密だ。
「村の近くにアンデットが出た事なんてなかったんだ」
「この辺りは魔獣も出ない」
「魔獣が出ない? それはむしろ、おかしいだろ……」
殿下は村の人の話を聞いて眉を潜める。
「ええ、そうですね。チェルダール地方は魔獣が多い事で知られています。定期的に領主が魔獣狩りを行っているはずですが、それでもまったく出なくなるという事はないはずです」
ルシアンさんは村の人たちに視線を向ける。
「確かに、昔は多かったな……この村でも柵を作って防衛していたし、村の男で駆除を行っていた」
「出なくなったのは、二十年ほど前からだ」
「アンデットの気配を避けて、魔獣が移動した可能性があるな……」
殿下が考え込みながら呟く。
「魔獣はアンデットが苦手なんです?」
私が尋ねると、「性質が違いますからね」とルシアンさんが教えてくれた。
「棲み分けがはっきりしているんですよ」
「な、なるほどぉ」
私は分かったような顔をして頷いておいた。
「とにかく……今は、アンデットを追い払う事が先だろうな」
殿下が手を額にやって、面倒そうに溜息を吐く。
「朝になったら消えてくれたりしないです?」
「消えるかもしれねーが、消滅したわけじゃないんだ。毎晩襲ってくるだろうな」
殿下の言葉に、村人たちがざわめく。
ロアの村の家の扉には、アンデット避けの魔法陣が描かれていた。
きっと、こんな風に、毎晩のように現れるアンデットから、息を潜めて隠れているしかなかったのだろう。
けれど、それでも村の人たちは忽然と消えてしまった。
この村も、いつそうなるか知れない……。
「あのアンデットを片付けたところで、元凶を叩かなければ意味がない」
そうだわ……。
お墓やダンジョンでも、死者の石に操られた親玉がスケルトンを生み出していた。
親玉に魔力を供給している石を破壊しない限り、スケルトンは次から次に現れるし、倒せない。
その親玉がどこにいるのか、私たちは知らない。
すぐに見つけられたらいいけれど、姿を見せずに隠れている事もある。
「……しょうがねぇな……ルシアン、聖水の瓶を半分よこせ。お前はここに残ってろ。メアリー、お前は俺と来い」
「は、はいぃ!?」
「どうするんですか?」
「片付けんだよ。じゃねーと、家に帰って寝られねーだろ」
殿下は長椅子から立ち上がる。
ルシアンさんは止めるかと思ったけれど、荷物の中から聖水の瓶を五本取りだしてジュード殿下に渡していた。
こういう時、殿下なら大丈夫だだと信頼しているんだわ。
私もグッと顔を上げる。
あ、足手まといにならないようにしないと……!
村の人達は親切で、優しくしてくれた。
怪しいのに、いきなりやってきたよそ者の私たちを村で受け入れてくれた。
この小さな村と、村の人たちを守りたい。




