肉が突進してきました。
夏の休暇も終わりに近くなった頃、王宮では第二王子の誕生日を祝う宴が盛大に開かれた。
国王陛下は、その席でユーインを正式に王太子に立てる事を公表した。
(兄上があんな事になったのに……)
北の塔に幽閉されていた第一王子のジュードは逃亡し、その行方はいまだ分かっていない。
川に沈んだのではないかという噂も聞いたけれど、兵士たちが川底を攫っても見付からなかったという。
だとしたら、どこかで生きているのだろう。
すでに、王宮ではその名を口にすることすらタブーとなりつつある。
貴族たちもこの話題は避けているようだった。
国王や王妃の耳に入れば、不興を買うからだ。
最初から、そんな王子など存在しなかったように振る舞い、祝いの言葉ばかり並べる人たちに、一種の薄気味悪さを覚えずにはいられなかった。
息苦しさを感じてタイを外し、部屋に入ってきたダニエルに渡す。
「贈り物は別室に運んでおきましょうか?」
「ああ……一応、リストを作っておいてくれ」
そう答えて、山のようになっている贈り物に目をやる。
箱を取って開いてみると、美しい意匠の魔導具が入っていた。
他は大半が宝飾品の類いだ。
宝石で飾られた、あまり実用的とは言えない剣を見て蓋を閉じる。
どれもこれも、幼い頃から飽きるほど見てきたものばかりだ。
それ以上、中身を確かめる気にもなれない。
風呂の用意を頼もうとした時、ひどく古びた箱が目に入る。
リボンで飾られてるわけでもない。
手に取ってみると、中には血のように濃い赤色のルビーの首飾りとイヤリングが入っていた。
しかも、どう見ても女性ものだ。
「それは……どなたからのものです?」
ダニエルが眉を潜めて尋ねる。
女性物の宝飾品を、王子の誕生日に贈ってくれるなんて、皮肉か嫌がらせと受け取られても仕方ない。
箱の中には、送り主の名を書いたカードも添えられていなかった。
「書いていないな……」
「そんなはずは……私が確認して参りましょう」
ここに置かれているもの全て、中身と送り主は確認済みのはずだ。
不審な贈り物は事前に選別される。
首飾りとイヤリングは、古いけれど、かなり高価な物だと分かる。
これほど深い色のルビーなど、そう見た事はなかった。
「母上のものが、手違いで紛れていたのかもしれないな。私が訊いておくよ」
「ですが……そのような怪しげな品を置いておかれるのは危険です」
「食べ物ではないんだ。毒が入っているわけでもない。大げさだよ。それより、入浴の用意を頼めるかい?」
「承知しました。伝えて参ります」
ダニエルは何か言いたげな顔をしながらも、頭を下げて部屋を出て行く。
扉閉まる音を聞きながら、ルビーの首飾りにもう一度目をやった。
無意識に滑らかな石の表面を指で撫でる。
血を吸い込んだよう……。
(美しいな)
「……ユーイン殿下」
いつの間にか戻ってきていたダニエルに声を掛けられ、急に我に返る。
一瞬、意識が飛んでしまっていた。
落としそうになった箱を抱えて蓋を閉め、ダニエルにぎこちなく笑みを向けた。
「ああ、ごめん……ちょっと疲れてぼーっとしていたみたいだ」
「入浴の支度が調うまで少々時間がかかります。お茶をおいれしましょうか?」
「頼むよ。少し、濃いめにいれてくれ」
「承知いたしました」
◇◇◇
「でん……がぁ~~」
私はジュード殿下のマントを両手でつかんで、ゾンビの呻きみたいな声を漏らす。
ざんばら髪になってしまっていて、顔も窶れ果てているから、今の私はまさに生ける屍……。
「怖えーよ! しがみつくな」
振り払われてしまって、私はズベッと地面にうつ伏せに倒れた。
もう一歩も歩けないし、起き上がれない……。
空は茜色に染まっていて、カラスの鳴き声が薄暗い森に木霊していた。
「もう、三日も歩き通しじゃないですか……足がもげそうです」
王都を出て一週間。
途中の村までは乗り合い馬車や、農家のおじさんの荷馬車などに乗せてもらって移動できたのに、そこからは徒歩ばかりだ。
森に入ってからは、もう二日も経っている。
魔獣が出るそうで、森を抜けて街道を進む馬車が見付からなかったのだ。
「しょうがねぇな……今日はここで野宿するぞ」
げんなりしたように溜息を吐いた殿下は、空の端が暗くなりかけているのを見て荷物を下ろす。
私はビョンッと飛び起きて、「やったー!」と万歳した。
夕食だぁ~~!
あのカラスさんをしとめたら、焼き鳥になるかしら……。
なんて思いながらギラついた目で見た途端、カラスは威嚇するように鳴いて飛び去ってしまった。
私は「チッ!」と舌打ちする。
舌打ちなんて、不良のジュード殿下みたいで行儀悪いわ。
気をつけないと……。
ずっと一緒にいると、素行の悪さや口の悪さが移りそうだ。
「お前、なんか、今……すげー失礼な事を考えていただろ」
「いいえっ! 尊敬するジュード殿下様の下僕でいられて、幸せだなぁって思っていただけですよぉ~~?」
私はブンブンと頭を振って誤魔化しておく。
最近、ジュード殿下が妙に鋭いわ……。
これはまさに、以心伝心!
熟年夫婦のようだ。あまり嬉しくないけど。
「火を起こすから、お前は薪集めな。昨日みたいに、妙なキノコを採ってくるんじゃねーぞ。今度、おかしなものを採ってきたら全部食わすからな」
「へい……」
私は鼻の下を指でこすって、丁稚奉公の子供みたいな返事をする。
昨日、美味しそうなマーブル色のキノコを見つけてたくさん採ってきたのに、食べると幻覚を見て大変な事になる毒キノコだったらしい。
ゲンコをくらった挙句、キノコは焚き火に放り込まれて消し炭にされてしまった。
私は殿下が野宿の準備をしている間に、森の中を歩いて薪になりそうな木の枝を集める。
「はぁ……人使いが本当に荒いわ……」
ブツブツ不満を垂れていると、木の根元の穴から兎がヒョコッと顔を出す。
兎だわ~~!!
しかも、まん丸と太っていておいしそう……。
私はジュルッと涎をすすって、慎重に近付いていく。
キョロキョロしていた丸焼きちゃん……じゃなくて兎ちゃんは、震えて素早く穴に引っ込んでしまった。
おかげで、捕まえ損ねた私はズデッと転び、土まみれになる。
「はぁ……失敗だわ……丸焼きはお預けね」
溜息を吐いて顔の土を拭っていると、背後から唸り声が聞こえた
風に乗って、獣臭まで漂ってくる。
これは、かなり近いんじゃないかしら……。
ゆっくり後ろを見ると、ブルドッグの首輪みたいなトゲトゲがついた特大のイノシシが、鼻息を荒くしてこっちを睨んでいる。
足で地面を蹴ると、涎をまき散らしながら突進してきた。
「ひゃあぁ~~~出たわ~~!!」
私は悲鳴を上げ、木の枝を放り出して逃げ出す。
「殿下ぁ~~、殿下ぁ~~!! た、た、た、助けて~~!!!」
全速力で走って戻ってきた私を見て、殿下が「あ?」と振り返った。
もうちょっとで、イノシシに追いつかれそうだ。
焦って躓いた瞬間、殿下が片手を向けて火炎魔法を放つ。
爆発と共に吹っ飛んだイノシシは、木にぶつかってゴテッと転がっていた。
毛皮が焦げて煙りが上がっている。
ちょっとだけ、肉の焦げるいい匂いがした。
さすが、ジュード殿下だわ。
アンデットにはあまり効果がない火炎魔法だけど、魔獣には効果覿面だ。
しかも、一撃で倒してしまうのだから、ジュード殿下は他の人たちが知らなかっただけで本当はすごく優秀だ。
「殿下ぁ~~!」
私はガバッと体を起こし涙ぐむ。
こ、怖かったわ~~!
「お前……何やっての?」
側にやってきたジュード殿下が、目の前にしゃがんで訊く。
「薪を集めようとしたら、いきなり現れたので……お、美味しそうかなと思って連れてきました……」
モジモジしながら答えると、殿下の眉がグイッと上がる。
「変なもの採ってきたら、全部食わすって言ったよなぁ!?」
「お、お肉なら、大歓迎ですよ?」
「はぁ……お前。このデカい魔獣の肉、解体すんのも大変なんだぞ。血の臭いで他の魔獣まで寄ってくるかもしれねーのに。それとも、お前がやんのか!?」
連続チョップされて、私はムズムズするはなを啜った。
「だって、毎日干し肉とカチカチパンだけじゃないですか……お腹、空いたって殿下だって言ってたじゃないですかぁ! ほら。イノシシですよ? トゲトゲついてますけど……きっとおいしいですよ? 殿下の火炎魔法ならこんがり、いい感じに丸焼きにできると思います!」
「俺の火魔法は焼き肉のためにあるんじゃねーよ」
「お肉が食べたいんです! 薄っぺらい犬の餌みたいな干し肉じゃなくて、柔らかくてジューシューな肉汁滴るお肉が食べたいです~~!!」
私が座り込んだままビスビス泣くから、殿下は面倒くさそうに顔を顰める。
雑巾みたいな布で、顔をゴシゴシと拭われた。
「食いたいっつったのはお前なんだから、解体を手伝えよ……」
雑巾みたいな布を投げ捨てると、ジュード殿下は重い腰を上げる。
「は、はい!! 手伝いますとも~~!!」
私は腰に携帯していたナイフを鞘から引き抜いた。
「血なら見慣れていますからね……」
キランとナイフを光らせて、クフフッと笑う。
殿下はすっかりドン引きした顔になっていた。
◇◇◇
木の棒に括り付けられた大きな肉の塊から脂が滴り落ると、焚き火の炎が大きく揺らめく。
パチパチと音が聞こえて、香ばしい匂いが辺りに立ち込めていた。
丸木を置いて腰をかけたジュード殿下が、面倒くさそうに片手を翳して、肉の上部を火魔法で炙る。
私は涎が垂れるのを我慢しながら、肉から一時も目を離さずに我慢していた。
片手にナイフ、片手にフォークを握り締めて、食べる準備は万端だ。
「殿下……そろそろ、表面がいい感じに……」
「まだだ。そんなに簡単に焼けるわけねーだろ。魔獣の肉は中まで火をしっかり通さないと腹壊すぞ」
「で、でも、もう肉汁が……」
「もっと焼いた方が皮がパリパリになってうめーんだよ」
「もっと火力を強めてもいいんじゃ……」
「丸焦げになんだろ。このくらいの火加減で丁度いいんだよ!」
イライラした声が返ってきて、私はシュンッと項垂れてる。
お腹がさっきから鳴りっぱなしだ。
限界に達して震える手を伸ばそうとすると、ベシッと叩かれる。
「お前はこれでも食っておけ!」
ペラペラの干し肉を投げ渡されて、仕方なく囓ってみる。
特大の肉の塊を目の前にすると、塩辛いだけの木の皮を食べているみたいだ。
「殿下……何も徒歩でなくても、私の能力を使えば早く森を抜けられるんじゃないんです?」
鏡がなくても、川や池があれば同じように通り抜けられるのだ。
「この森には水性の魔物や肉食の怪魚が出るぞ。食われてもいいなら好きにしろ。骨は拾ってやらないけどな」
頬杖をついた殿下は、炎を見つめたままダルそうに答える。
ピラニアのような魚にかぶりつかれる自分の姿を想像して震えた。
そ、それは嫌だわ!
「森を抜けたら……どこに向かうんです?」
「西のチェルダールだ。気になる事があるから調べたい」
殿下は見るからに美味しそうな焼き色になったお肉を、ナイフで切って木の器に盛る。それを、私に渡してくれた。
お皿の端には温めた薄切りのパンも添えられている。
「ほわぁ……ご馳走! お肉!!」
フォークに突き刺したお肉を頬張る。
思わず、立ち上がって拳を振り上げながら雄叫びを上げたくなった。
こ、これは……絶品お肉だわぁ~~!!
外側はパリッとしていて中はふっくら柔らかく、肉汁がしっかりと閉じ込められている。
味付けは塩だけなのに、肉の旨味が引き出されていた。
しみ出す脂が熱くて、ホフホフしながら咀嚼する。
「殿下はやっぱりお肉を焼く天才です! 王子をクビになっても生活には困りませんよ。お肉料理のお店を出せば、大繁盛間違いなしです」
「あーそうかよ」
殿下は肉をナイフで切ると、そのまま口に運んでいた。
王宮育ちで、行儀作法は完璧なのに、こういう時には気にしないのだ。
「まあ、悪くねーな」
満足そうに言って、自分だけパクパクとお肉を食べてしまう。
私は急いでお皿のお肉を口に押し込み、お皿をサッと差し出した。
このままでは、全部殿下のお腹に入ってしまうわ。
「殿下。本当に……このまま知らないところに行って、そこで二人でお肉料理のお店を営んで暮らすっていうのは……どうです? わ、私も一生懸命、働きますよ!」
そうすれば、世界は破滅する事なく、殿下も闇落ちせず、王宮のゴタゴタに巻き込まれる事はない。
王子様でなくなったとしても、ジュード殿下なら平気な気がするのだ。
ジュード殿下はナイフで肉を削ぎながら、チラッと私を見る。
その視線はすぐに逸らされた。
「お前は……王都に帰らなくてどーすんだよ……」
「待ってる人は……いませんよ」
私はお皿を見つめて、ポツリと答えた。
唯一の親友、リリーくらいは寂しがってくれるかもしれない。
でも、生きている人で、私を待つ人なんていないだろう。
「くだんねー事を言ってないで、さっさと食って寝ろ……」
お皿にお肉を盛ってくれたジュード殿下は、それっきり黙ってしまった。
やっぱり、庶民として慎ましい幸せで満足するよりも、王子様でいたいと思うのだろうか。
王子であっても、少しも幸せそうな顔をしていなかったのに。
私には、分からないのだ。
ジュード殿下の気持ちも考えている事も。
◇◇◇
『殿下。本当に……このまま知らないところに行って、そこで二人でお肉料理のお店を営んで暮らすっていうのは……どうです? わ、私も一生懸命、働きますよ!』
片付けを終えてから、ジュードは頬杖をついて火の番をする。
メアリーは毛布にくるまって、小さく丸まるようにして寝ていた。
木の棒で焚き火をつつくと、黒く焦げた薪が崩れる。
火花が夜の闇に散っていた。
「悪くねーかもな……」
呟いてほんの少しだけ笑った。
何もかも捨ててしまって、国外にでも逃げ出して、誰も自分たちの事を知らない場所で、ただの庶民として暮らしていけたら。
たぶん、今よりはずっとマシな人生が送れるのだろう。
母親の事も魔石の事も、関係ないと割り切ってしまえたらどれほど楽なのか。
王都で誰がどのような陰謀を巡らせていようと、自分に何の関係があるのか。
それを調べるは、騎士団の役目だ。
クビを突っ込むだけ無駄で、結果的に謂われなき罪を着せられて逃亡する羽目になっている。
本当に馬鹿馬鹿しいなと、自嘲の笑みが浮かんだ。
何も知らないふりをして、何にも気付かないふりをしていれば、今まで通りのくだらぬ惰性の日々は送れていただろう。
いや、どちらにしろ、弟の命が狙われている以上、その疑いの目は自分に向けられていたのかもしれない。
何をしなくても、疎んで排除しようとする者はいる。
いずれは幽閉されて、処刑される未来は確定していただろう。
それがほんの少し、遠のいただけ。
どう足掻いたところで、自分の運命は変わらない。
呪われた女の息子である以上、安穏と生きられる場所などありはしない。
多くを望むな。
迷うな――。
そう言い聞かせるように、拳を小さく握った。
進んだ先に待つのは地獄だけだ。
地獄だと分かっていて進むと決めた。
復讐を望む人間に、幸せなど必要ない。




