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脱走します。

 日が落ちた頃、晩餐の用意で慌ただしい厨房にこっそり忍び込んだ。

 元亡霊の私にとって、存在感を消す事くらい朝飯前……。

 クフフフッ……。

 

「おい、スープはまだか!」

「前菜の盛り付け、終わりました~!」

「おい、どこのバカだ。陛下の皿に豆を入れるな!! ぶっ殺されてーのか!」

 声が飛び交う戦場のような厨房の中を、ススーと移動する。

 キッチンメイドさんや料理人のおじさんたちとぶつからないように、パンやスープの器などをトレイに載せる。カゴに山ほど積まれているリンゴも、一個だけ失敬してエプロンのポケットに忍ばせた。

 

◇◇◇


 洗濯をしていたメイドさんたちが、ジュード殿下が塔に閉じ込められていて、もうすぐ処刑されると噂話をしているのも耳にした。

 それに、庭の草抜きをしている時に、北側の塔の周りだけやけに警備が厳重だった。

 ジュード殿下はきっと、あそこに閉じ込められている。

 もしかしたら、変わり者の魔法使いのおじいさんが住んでいるだけかもしれないけど……。


「と……とにかく、行ってみれば分かる事だわ!」

 私は小声で独り言を漏らし、急ぎ足で暗い庭を通り抜ける。

 城壁の端に突き出している北の塔の周りは灯りで照らされていて、扉の前に兵士が立っていた。


 私がトレイとランプを持って近付くと、「とまれ!」と兵士が制止する。

「何の用だ?」

「お、お食事を運ぶように言われまして……」

 緊張のせいで、声が小さくなる。

 兵士は私をジロッと見てから、トレイにかぶせた布巾を取って確かめる。

 ただの料理だと分かると、扉を開けてくれた。


「早くしろ。余計な口を利くなよ」

 兵士から鍵を渡されて、小さく頷いておいた。

 恐る恐る中に入ると、扉を閉める音が暗いホールに響く。

 夏になるというに空気が冷たい。

 それに埃とカビの臭いがひどかった。

 きっと、ずっと掃除もしていなかったのだわ。

 

 ランプをかざして、恐る恐る螺旋階段を上っていく。

 中に通してもらえたという事は、やっぱりここに殿下が閉じ込められているに違いない。

 もしかしたら、ただの魔法使いのおじいさんかもしれないけど。

  

 上がっていくと扉が見えた。

 兵士から受け取った鍵で開けると、部屋の中も真っ暗だ。

 ランプで照らしてみたけれど何もない。

 ベッド一つ置かれていなかった。


「で……殿下?」 

 呼びかけながら、中に足を踏み入れる。

 隅に蹲るように横になっている殿下の姿を見つけて、私は急いで駆け寄った。

 

 トレイとランプを床に置いて、ジュード殿下の体を揺すってみる。

 繋がれてはいないけれど、後ろに回した両手には手枷がつけられていた。

「で、殿下?」

 返事がないので、私は不安になって呼びかける。

 頬に触れてみると、ひどく冷えているけれど体温は感じる。

 その事に縮まりそうになっていた心臓がふっと緩んだ。

 

「殿下、起きてくださいよ。あなたの下僕、メアリー=オズボーンです」

 私は小声で話しかけながら、殿下の肩を揺らす。

「……うっ……せー……」

 ようやく不機嫌そうな声が返ってきて、思わず嬉しくなった。


「殿下~~! よかったです。死んじゃっていたらどうしようって思ったんですよ。びっくりしたじゃないですか。どうして、いきなり捕まったりしてるんです!」

 私はペタンと座って、滲んだ涙を手で拭う。

 

 億劫そうに目を開いたジュード殿下は、顔色があまりよくない。

「お、起きられますか!?」

「お前の声を聞いたら……また……気分が悪くなった……」

 かわいげのない事を言いながら、殿下は顔をしかめる。

 体を起こすのに手を貸すと、ジュード殿下は壁によりかかって息を吐く。


「なんで……こんなとこに来てんだよ……」

「あっ! そ、そ、そ、そ、そうだ……大事な事を言わないと!」

「あ? なんだよ……愛の告白でもしてくれんのか?」

「実は……王宮の廊下にあった、ものすごく高価そうな壺を……うっかり割ってしまいました……」

 私は正座して、ギュッと目を瞑りながら白状した。


「はぁ!?」

 壁から背中を離した殿下が、ちょっと大きな声を上げる。

「殿下ぁ~~どうしたらいいですか!? 一生王宮でただ働きですか!?」

「お前……あの壺を割ったのか……よりにもよって……」

 ジュード殿下がドン引きしたように言う。


「そ、そ、そうなんです。エヴァリー騎士団長に見付かりそうになって……」

「あいつに見付かったのか!?」

「いいえっ! その前に逃げ出したから、見付かってないです! た、た、たぶんですけど……」

 見付かっていたら、今頃拷問室に連行されているはずだわ。

 殿下は胸をなで下ろしたのか、また壁にもたれていた。


「あー……それは、どうしようもねーな。あの壺は国宝だ。お前……死刑確定」

 殿下に言われて、私はヒュッと息を呑んだ。

「死刑~~~~!!」


 ああ、セミのように短い一生でした……。

 私はヨヨヨッと泣き崩れる。


 ジュード殿下が下を向き、クッと笑うような声を漏らした。

「……そんなわけねーだろ……」

 呟くように言って、ジュード殿下は小刻みに肩を振るわせる。


「本気で心配したんですよ! 家政婦長も高価な壺だって言ってたし……」

「国宝の壺なんか、廊下に置いてあるわけねーだろ。お前さ……こんなところまで、そんな事を言うためにわざわざやってきたのか?」

「えっ……そんなわけないですよ? 殿下を助けに来たんですよ?」

「嘘くせー……しかも、その格好……誰か分かんねーだろ!」

 私の格好にチラッと視線を向けて、殿下は疲れたように溜息を吐いた。


「あっ、そうだ。厨房から、食事をかっぱらってきましたよ! お腹、すいてませんか?」

 私はトレイを殿下の前に置き、器とスプーンを取る。

 スープをすくって食べさせようとしたら、ひどく嫌な顔をされた。


「いらねー……お前が食えよ」

「食べないと、元気出ないですよ!」

「吐きそうなんだよ……あのクソ騎士団長のせいで……」

「じゃあ、林檎だけでも……食べます?」

 私はポケットから取り出した林檎を、ジュード殿下に差し出した。

 一瞬ためらっていたジュード殿下は、その林檎を一口囓る。

 少しは食べる気になってくれたみたいで、シャクシャクと咀嚼していた。

 

「……お前、早く塔を出ろ。もう二度とここに来るな」

 林檎を半分ほど食べたジュード殿下が、私の顔を見ずに呟いた。

 濡れている殿下の口元を、布巾でゴシゴシと拭う。

「……そのつもりですよ? こんな塔、さっさと一緒に抜け出して……もう、来ないです」

「どうやってだよ……お前も処刑されんぞ」

「…………それは嫌ですけど……一緒に助かる方法もあるかもしれないじゃないですか。それとも、ジュード殿下はもう諦めたんです?」

 殿下は一瞬言葉に詰まって、私の顔をジッと見つめる。

「一緒に、逃げましょうよ。一緒に処刑されるのは嫌ですけど……それなら、いいです」

 

「お前……バカだろ……」

 呆れたように笑って、殿下は目を伏せる。

「大丈夫です。抜け出す方法なら、考えてありますから!」

 私は胸を張って言い、立ち上がって殿下の腕を引っ張った。


◇◇◇


 ふらつきそうになる殿下を支えて部屋を出た私は、さらに上を目指して螺旋階段を上がる。

 見えてきた扉を開くと、夜の風が吹き込んできた。

 塔の屋上に出ると、煌々と光る月が近く見える。


「こんなところまで上がってきてどうするんだよ? 逃げられるところなんてないぞ?」

 殿下が若干不安そうに訊く。

「ありますよ! 私の能力、鏡と同じく映すものなら使えるんです」

「お、おい……まさか……」

 屋上を囲う壁まできたところで、殿下の顔が強ばった。

 壁の凹みから下を覗いてみると、王宮を囲うように流れる川が見える。

 川面に月の姿がくっきりと映っていた。


「大丈夫。少し濡れるだけです!」

 私はそう言って凹みによじ登り、殿下を引っ張り上げる。 

 かなりの高さで、風が吹くと煽られてふらつきそうになった。


「マジかよ……」

 殿下が下を見て、嘆くように呟く。

「それじゃあ、飛び下りますからね!」


 しっかりと殿下に抱きついて、後ろ向きに倒れるように川にダイブした。

 私も殿下も、落下しながら思わず悲鳴を上げる。

 その声が聞こえたのか、塔の下にいた兵士が焦ったように走ってくるのが見えた。

 

 ドボンと水に沈むと、そこはもういつもの鏡の中だった――。

 


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