助けにいきますとも。
メアリーが鏡の中に消えるのを見送った後、ジュードは彼女の背中を押したその手を下ろした。
「……お前も早く行け。ここにいると、巻き込まれる」
振り返らず、この部屋に残っているルシアンに向かって言う。
騎士団がこの部屋にやってくるまで、そう時間はない。
「……逃げないのですか?」
「どこにだよ。公爵家にでも、匿ってくれんのか?」
ルシアンは返事をしない。
できないだろうと、微かに笑って足の向きを変えた。
ノース公爵家は、他の貴族同様にユーインを王太子にと望んでいる。
それどころか、娘を王太子妃候補に強く推しているくらいだ。
兄二人も王家には忠誠を誓っている。
その中で、ルシアンだけが〝異端〟だった。
「必要であれば……」
「いらねーよ」
「騎士団があなたを捕らえるために動いたという事は、陛下がそれを承認なさったという事です」
「ああ、そのようだな。とうとう、あのクソ親もできの悪い息子を切り捨てる事にしたらしい。とっくに耄碌したのかと思ってたけど、珍しくまともな判断だ」
冗談めかして言い、肩を竦める。
ルシアンは苛立ちを含む溜息を吐いた。
「現時点で、騎士団があなたが主犯だという明確な証拠を揃えているとは思えません。状況から見ての判断でしょう。だったら、まだ……」
「無実の証明をしろって? 誰が俺の話をまともに聞くんだ? なあ、ルシアン。教えてくれよ。この世界で、俺の言葉を信じる人間がどこにいる。俺自身ですら、まともかどうか信じられていないってのに。いっそ、このまま本気で地獄まで全員を道連れにしてやりたいとすら思っているんだ……」
黙って視線を下げるルシアンに歩み寄り、その肩を軽く叩く。
「心配しなくたって、すぐに殺されやしねーよ。これでも、一応は王族の端くれだ。あいつらだって体裁ってものがある。どこかに幽閉されるか、移送されて終わりだ」
「……それで、納得されるのですか?」
「納得も何も、今とそう変わりはしねーだろ。俺より自分の事を心配しろよ。お前だって、目を付けられてるんだ」
「あなたよりは、うまく立ち回りますよ」
「だろーな」
ニッと笑って、ジュードはルシアンの肩から手を離す。
ルシアンはメガネを指で直し、踵を返した。
「……大人しくしていてください」
それだけ言い残して、部屋を出て行く。
ソファーに座って背もたれにもたれると、疲れたように息を吐いた。
タイを解いて投げ捨てる。
ダンジョンでのアンデットの発生と、創立祭でのアンデットの発生は、偶然引き起こされた事ではない。
明らかに狙ったものだ。
アンデットは、ユーインを殺すために放たれたものと見て間違いない。
(俺に疑いがかかるのも当然か……)
皮肉な笑みが口元に浮かぶ。
第二王子が死ねば、王位継承権が転がり込んでくるという動機もある。
その上、評判も素行も悪く、信用もない。
〝あの者なら卑劣な事を企てたとしてもおかしくない〟
多くの者の目には、そう映るだろう。
死者の石を集めていたことも、騎士団はつかんでいるはずだ。
こちらにとっては、不利な証拠ばかりが揃い過ぎている。
これも、事件の主謀者の思惑の内なのだろう。
死者の石の実験を何度も妨害している。
相手にとっては目障りで邪魔な存在だ。
罪をなすりつけて排除できれば、これ以上都合のいい事はない。
無能騎士団どもの目も逸らせる。
やはり、王宮内にも協力者がいると見て間違いない。
それも、国王の側近の中にだ。
王宮の事情に精通していて、ユーインや騎士団の行動も把握している。
「どうしても、俺を弟殺しにしたいらしいな……」
廊下の方から人声と足音が聞こえ、待つまでもなく扉が開いた。
「ノックもなしに入るとは、随分と無礼じゃねーか? なぁ、騎士団長様」
ソファーに座ったまま、首だけを動かす。
騎士を率いて入ってきたエヴァリー騎士団長は、無表情のまま部屋の中を見回し、テーブルの上に置かれた二人分のカップに目をやった。
「客人がいたようですね」
「暇だったから、俺が二杯飲んだんだ。お前らが来るのが、あんまり遅いからな。それとも、おもてなししてほしかったのか? 生憎だけど、ここには冷めた出がらしの茶しか残ってねーんだ」
肩を竦めるようにして答えると、スッと冷たい視線を向けられた。
「ジュード殿下、あなたをユーイン殿下暗殺の容疑で拘束します。これは、陛下の承諾も得ている。無駄に抵抗をしない事です」
「は? 証拠があるのか?」
「ないと思うのですか?」
エヴァリー騎士団長が片手を上げて騎士を促す。
取り囲む騎士を見て、ジュードは面倒臭そうに立ち上がった。
その一人を、「退け」と乱暴に突き飛ばして扉に向かって歩き出す。
端から抵抗する気などない。
「で、俺はどこに行けばいいんだ? 処刑場か? それとも、このまま地獄まで案内してくれんのか?」
ふざけた口調で尋ねると、エヴァリー騎士団長がやってきて強く腕をつかむ。
両手を重い手枷で拘束された。
「連行しろ」
◇◇◇
翌朝、邸の部屋で目を覚ました私は、ぼんやりしながら起き上がる。
クローゼットを開けて着替えようとしたけれど、掛かっているのは黒い喪服と、ダンスパーティーに来ていたジュード殿下の礼服だけだ。
そういえば、制服は時計塔に置いてきたんだったわ……。
礼服の胸についているエメラルドのブローチを見て、ジュード殿下の顔が頭を過る。
なぜか、胸が少し苦しくなった。
「返しそびれてしまったわ……」
ルシアンさんやジュード殿下は、あれから大丈夫だったのだろうか。
ユーイン殿下は無事だと聞いたけれど、ケガをしたかもしれない。
私は喪服に着替えて、クローゼットの扉を閉じる。
これしか着られるものがないんだから、仕方ない。
寝間着で邸内をうろつけば、叔父様や叔母様に詰られてしまう。
朝食をもらうために一階に下りると、ヒルダが食堂から出てきた。
「あっ、ヒルダ……お、おはよう」
私が挨拶すると、ヒルダは足を止めてチラッとこちらを見る。
「……あなた、昨晩のパーティーには来なかったのね」
「ああ、えーと……急にお腹が痛くなって、部屋で休んでいたの」
ジュード殿下に、パーティーには行かなかった事にしろと言われていた事を思い出して、咄嗟にそう誤魔化した。嘘は心臓に悪い。
「そう。むしろよかったのかもね」
ヒルダは素っ気なく言って、私の横を通り過ぎる。
「……今日の授業ってどうなるのかしら?」
「聞いていないの? 授業は中止。早めの夏期休暇に入るそうよ」
「あ、そ、そうなのね……教えてくれてありがとう」
さっさと立ち去ろうとする彼女を、「あの!」ともう一度呼び止めた。
振り向いたヒルダが、煩わしそうに顔をしかめる。
「なによ……」
「えっと……ヒ、ヒルダが無事でよかったわ」
私はちょっとだけ笑みを作る。
「あんたは……その陰気臭い格好、いい加減にやめなさいよ。葬式でもないのに!」
彼女は苛立ったように言うと、小走りに階段を上がっていった。
ど、どうして……。
私はちょっと涙目になった。
◇◇◇
厨房でもらったカチカチのパンを部屋で食べた後、私は鏡を使って時計塔に向かった。
ジュード殿下も時計塔に戻っているかもしれないと思ったからだ。
この礼服やブローチを返したい。それに制服を取りに行きたかった。
鏡から抜け出すと、部屋はシンッとしていて薄暗い。
ジュード殿下がいつもダルそうに座っていたソファーには、誰も座っていなかった。
テーブルの上に、私の制服が畳んだ状態で置かれている。
礼服の入った布袋を置いて、その制服を手に取る。
不意にドアが開いたものだから、驚いて顔を上げた。
「あっ……ノース先輩」
一瞬、ジュード殿下かと思ったけれど、立っていたのはルシアンさんだ。
「………どうしたんです?」
「服を返そうと思ったんです。ジュード殿下はまだ王宮ですか?」
「ええ……当分は戻ってきませんよ」
ルシアンさんは溜息を吐いて入ってくると、書棚に足を向けた。
何冊かの本を選んで取り出している。
「もしかして……怒られたりしたんでしょうか?」
「誰にです?」
「お……お父さんとか?」
他に思い付かず、首を捻る。
ジュード殿下のお父さんという事は、国王陛下だ。
危ない事ばかりするから、謹慎させられているのかもしれない。
「さあ、どうでしょうね」
ルシアンさんは書斎机に本を積み、引き出しの中から書類や手紙を取り出す。
「あの……何か探しているんです?」
「私物を片付けているんですよ。もう、ここに来る事もないので」
作業を続けながら、ルシアンさんが答える。
私は驚いて、「えっ!」と顔を上げた。
「どうして、もうここに来ないんです?」
ジュード殿下と、ケンカでもしたのだろうか。
ルシアンさんは書類の束を暖炉に放り込むと、しゃがんで火を点ける。
燃えていく書類を見つめているルシアンの背中に、私は胸騒ぎを覚えた。
なんだか、やっぱり変だ……。
「あなたも、ここには来ないほうがいい。これ以上、あの方に関わっていると、捕らえられるだけではすまなくなります。死にたくはないでしょう?」
立ち上がったルシアンさんが、ゆっくり振り返る。
「ノース先輩……ジュード殿下は、どこにいるんです?」
私は不安になりながら尋ねた。
「王宮ですよ。さっきもお答えしましたよ」
「王宮の、どこなんです?」
「さあ……地下牢か拷問部屋じゃないですか?」
表情を変えないまま、ルシアンさんはメガネのブリッジを指で押さえる。
地下牢……?
拷問部屋!?
あの、私が押し込められた部屋!?
私はルシアンさんに駆け寄って、その腕をつかんだ。
「どうしてジュード殿下が拷問部屋に……なんで、捕まるんです!?」
「アンデットを呼び出して、ユーイン殿下の暗殺を企て容疑がかけられているからですよ。陛下の命令です」
「陛下って……お、お父さんじゃないですか……なんで、息子を疑うんです?」
信じられなくて、私の声が震えた。
「疑われるだけの理由があるからでしょうね」
「ど、どうしてそんなに、平気な顔をしているんです!?」
私は思わずルシアンさんの両腕をつかんで揺さぶり、声を荒らげた。
こうしている間にも、ジュード殿下は拷問を受けているかもしれない。
回し車の刑ならまだいい。
もっとひどい拷問にだって――。
「アンデットを呼び出したのがジュード殿下じゃない事は、私もルシアンさんも知っているじゃないですか……いわれのない事で疑われているんですよ!? 助けないと、いけないじゃないですか!」
私は……ジュード殿下やルシアンさんは、仲間だと思っていた。
二人は違うと言うかもしれないけれど、私は初めて誰かに受け入れてもらえたような気がして、一緒にいてくれる人ができた気がして、嬉しかった。
仲間は助け合うものだ。
どんな辛い時にも、支え合うものだ。
ルシアンさんも同じように思っているのだと思っていた。
「ノース先輩は、自分くらいはジュード殿下の味方でいてあげないとって……言ったじゃないですか!」
「私達に何ができると? 無実を証明する手立てが、あなたにありますか? 我々が知っているというのは、なんの証拠にもならないんですよ」
「だからといって……見捨てるんですか? 殿下を……」
ルシアンさんの袖をつかんでいる手が震える。
暖炉の中で炎が揺らめく。パチパチと書類の燃える音がした。
「では、あなたが名乗り出ますか? 自分が犯人で、あの方は何も知らずに利用されていただけだと。そうすれば、あの方の命くらいは助かるかもしれませんね。かわりに、あなたは処刑場行きでしょうが。尊い犠牲的精神だ。それだけの覚悟と決意があるのでしたら、止めはしませんよ」
私は言葉に詰まり、ルシアンさんから両手を離す。
かわりに死ぬ覚悟なんて……ないに決まっている。
死にたくない。死ぬのは怖い。何よりも怖い。
元亡霊として生み出されたから、余計に分かる。
死んだ後は寒くて暗くて孤独だ。
簡単に、死ぬ決意なんでできるわけがない。
ルシアンさんはさめた目をしたまま、皮肉っぽく唇の端を上げる。
私の浅はかさを嗤うみたいに。
「私だって同じですよ。自分が大事だ。人生をかけるほどの忠義心があって一緒にいたわけではない。助けられるものならそうしていますが、できない事に命をかけたりはしない。それだけの話です」
ルシアンさんは私の肩を押して退かし、書斎机の上の本を抱える。
「あなたも、恥じることはありません。それが人というものです」
「わ、私は……嫌です。絶対、助けますからね。また、三人で……ここでお茶を飲んだり、バケットサンドを食べたりするんです!」
部屋を出て行くルシアンさんの背中に向かって、精一杯声を張り上げた。
目が潤んできて、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「……お好きにどうぞ」
ルシアンさんは相変わらず感情のこもらない声で言い、パタンとドアを閉めてしまった。




