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13/41

騒ぎの後で。

 邸に戻った私は、寝間着に着替えてからこっそり屋根裏部屋を出る。

 足音を立てないように狭い階段を下りて、使用人の皆さんが使っている裏口から外へと出た。

 もう、夜中の三時過ぎだ。こんな時間に起きている人はいない……はず。

 

 墓地に行って土を掘り返したり、埋め戻したりしていたから、すっかり汚れてしまっていた。

 お風呂に入りたいけれど、私はこの邸の居候みたいなものだから、用意してもらえない。

 亡霊だった頃は、お風呂に入らなくても少しも気にならなかったし、入ろうと思えばゲーム内にも温泉地や銭湯があった。廃墟になっていたけど……。


 生きている人間って面倒くさいわと、密かに溜息を吐いた。

 朝起きたら顔を洗わないといけないし、寝癖で逆立っている髪を櫛で引っ張って伸ばさないといけない。亡霊の時はいつでもサラサラストレートヘアだったのに。

 こっちの世界に来てからは、朝起きるとハリネズミのようになってしまっている。


 さすがに、今日は疲れたわ……。

 私は背中を丸めてトボトボと歩き、裏庭の井戸に向かった。

 お風呂の代わりに、井戸の水で洗うしかない。

 誰も見ていないのを確かめてから寝間着を脱ぎ、井戸の水を汲んでバシャッと頭にかける。

 夜は風が冷たくて、震えそうだ。

 持ってきた石けんでゴシゴシ髪や体を洗っていると、鼻歌が聞こえてくる。


 こんな時間に起きている人がいるなんて!

 私は焦って井戸の陰に身を隠す。

 灯りを持って歩いているのは、馬丁のおじさんだ。

 酔っ払っているのか、酒瓶を握り締めていて千鳥足で歩いてくる。


 どうしよう……下着姿なんて見られてしまったら、もうお嫁に行けなくなるわぁ!

 私は薄い下着しか身につけていない胸元を咄嗟に手で隠す。


 どうか、あのおじさんが私に気付かないまま、早く立ち去ってくれますように……! 

 目を瞑って必死に念じていると、おじさんが「ん~?」と足を止める。


 どうして立ち止まるの~~!

 心臓がバクバクしてきて、体を丸めて小さくなった。

 足音が近付いてきて、影がこちらに伸びる。


「なんだぁ? 誰かの忘れ物かぁ?」

 おじさんはそう言いながら、井戸までやってくる。


 井戸の縁にかけていた私の寝間着に気付いたんだわ。

 私は必死に手を伸ばして寝間着を取ろうとしたけれど、あと少し届かない。

 おじさんが井戸の周りを灯りで照らすものだから、私は観念してすっくと立ち上がった。

 髪からボタボタと滴が垂れていて、陰気な青白い顔が灯りの中にぼんやりと浮かび上がる。

 寝間着をつかんでいたおじさんが、驚愕の表情で目を見開いた。


「そ……それ……わ、私のです……」

 手を伸ばしながら小声で言うと、おじさんは一瞬で酔いが醒めたようだった。

「ギャアアアア――――ッ! ゆ、幽霊だぁ~~~~!!」

 寝間着を放り出して、腰を抜かしたように尻餅をつく。

 ランプが転がって、灯りが揺らめいていた。

 

 私は急いで寝間着をつかみ、濡れた体の上にガバッと着る。

 おじさんの悲鳴のせいで、邸の中が俄に騒がしくなった。

 使用人が邸から出てきて、部屋の窓にも明かりが点く。

「なんだ、どうした!?」と、人声があちこちから聞こえてきた。


 まずいわ。このままじゃ、あられのない格好を邸中の人に見られてしまうわぁ!

 私は焦って逃げ場を探し、井戸の中にドボンと飛び込んだ。

 体が水に沈む。

 あ、あら……これって鏡の中と一緒だわ。


 鏡だけでなく、鏡のように映すものなら同じように移動できる。

 これなら、誰も追っては来られないだろう。私だともバレていないはずだ。

 平泳ぎスタイルで、一目散にその場から逃げ出した。


◇◇◇


 流されるようにして、転がり出たのは暗い部屋だ。

 ここは時計塔の部屋の中……。

 つい、いつもの癖で逃げ込んできてしまったらしい。

 

 鬼火さんを呼び出すと、ぼんやりと明るくなった。

 誰もいないのかしら……。

 鬼火さんの炎で室内を照らしながら、忍び足で歩く。

 

 ソファーに移動すると、ジュード殿下が毛布にくるまって横になっていた。

 私はびっくりして側に移動し、芋虫みたいに小さくなって寝ている殿下を見下ろす。

 王子様なのに、毎日ソファーなんかで寝ていたの!?

 王族専用の寮があるのに、わざわざ時計塔に住んでいるのだろうか。


 ジュード殿下が寝返りを打ってこっちを向く。

 その瞼がわずかに動き、眠そうな目が私を捉えた。

 あっ、気付かれてしまったわ!

 殿下の目に鬼火さんの青い炎が映ると、見る間に強ばった表情に変わる。

 ぬぼーっと立っている私は、びしょ濡れのままだから髪や寝間着から滴が垂れていた。

 

「ギャ……ギャアアアア!!」

 殿下は悲鳴を上げるなり、毛布にくるまったままゴロンと転がって床に落ちる。

 頭を打ったのか、かなり痛そうな音がした。


「殿下、私ですよ!! げ、下僕のメアリー=オズボーンです!!」

 私はあたふたして名乗る。

 騒げば守衛さんとかやってくるかもしれない。

 時計塔の周りでは一人も見た事がないけれど。


「~~~~~~っ!!」

 殿下は頭を押さえてむっくり起きあがると、毛布をはね除けて私を指差した。

「お、お、お前なぁ!! 今、何時だと思ってんだ!? ていうか、なんでびしょ濡れの格好で現れんだよ。怖えーよっ!! 心臓止まるかと思っただろ!!」

「ひいっ、ごめんなさい、ごめんなさい、非常事態だったので、つ、つい…………っ!!」

 私はゲンコツに供えて、頭を抱えてしゃがみ込む。

 殿下は顔を押さえて、呻くような声を漏らした。


「起こすつもりはなかったですよ? まさか、殿下がここに住んでいるなんて知らなかったんです……ほ、ほら……寮で暮らしているものだとばっかり……ユーイン殿下はそうじゃないです?」

 ビクビクしながら言うと、ジュード殿下は手を離して立ち上がる。

 どうやら、今日はゲンコツが落ちてこないようだった。

 

 でも、油断はできない。

 身構えていると、毛布をバッとかけられる。

「寮にはあいつがいんだろ……面倒くせーよ」

 そう言うと、ジュード殿下は背を向けて部屋を出て行ってしまった。

 毛布にはジュード殿下の温もりが残っている。


 あいつって、ユーイン殿下の事かしら……。

 弟と一緒に寮で生活するのは、嫌なのだろうか。

 寮にはユーイン殿下の側近となる生徒や、王宮から連れてきている使用人たちもいるそうだ。

 ジュード殿下の周りには使用人なんていないし、一緒にいるのはルシアンさんだけだ。

 だから、同じ寮は肩身が狭いのかもしれない。


 同じ王子様なのに、なんだかジュード殿下の方が不遇な気がしてくる。

 その事情を、私はよく知らない。


 毛布を羽織ったまま、プルプルと髪を振って水滴を飛ばす。

 ドアが開いて、ジュード殿下が戻ってきた。

「これでも、着てろ!」

 投げつけるように渡されたのは、バスタオルと寝間着のシャツだ。

「文句は言うなよ。夜中にそんな格好で現れるお前が悪いんだからな!」

 私に指を突きつけて不機嫌に言うと、バタンとドアを閉めてしまった。


◇◇◇

 

 濡れている寝間着を脱いでシャツに着替えると、サイズが大きくて袖も裾も長い。

 どうやら、殿下の寝間着らしい。

 私はハッとした。

 これは……いわゆる〝彼シャツ〟というやつでは!? 

 私は赤くなる頬を両手で押さえる。

 ダメダメ。そんな事を考えるのは破廉恥だわ! 

 殿下はただ、濡れ鼠の私を見て哀れみ、シャツを貸してくれただけだ。

 私のみっともない寝間着姿を、見るに堪えなかったのかも。

 き、きっとそうだわ……。


 私はちょっとだけ、シャツの匂いを嗅いでみた。

 石けんのいい匂いがする。

 ちゃんと洗ってあるみたいだ。

 この時計塔には使用人の姿は見えない。洗濯や料理はどうしているんだろう。


「まさか……殿下が?」 

 とても、家事をこなしているようには見えない。

 それとも、几帳面なルシアンさんが、やっているのだろうか。

 ルシアンさんも名のある公爵家の子息だと聞いたけれど、殿下のお茶やお菓子の用意はしている。


 部屋のドアがノックされて、私は「は、はいっ!」と急いで返事をした。

「着替えたら、下に来いよ」

 殿下の声が廊下から聞こえる。


 大きめなシャツを着たまま部屋を出て、急ぎ足で殿下の後を追った。

 裾が長いから膝まですっぽり隠れるとはいえ、足元がスースーする。

 貧相なゴボウみたいな脚が見えてちょっと恥ずかしい。


 殿下が下の部屋に入っていくのでついていくと、そこは狭い厨房だ。

 壁にかけられているフライパンやミルクパンなどが、妙に生活感がある。

 掃除はきちんとされていて、片付けられていた。


「あ、あのぉ~~殿下?」

「お前がこんな時間に起こすから、腹減って眠れなくなったんだよ」

 殿下はフライパンを取り、魔石のついたコンロに火を点ける。

 竈のように薪を入れて火を起こさなくてもいいから簡単なようだ。


「殿下が料理をするんです!?」

「当たり前だろ……他に誰がすんだよ……」

 パンを出してきて切り、温まったフライパンでベーコンを焼き始める。

 パチパチと油が滲んだところで、片手で卵を割って落としていた。

 慣れているのか、随分と手際がいい。


「てっきり、ノース先輩がやっているのかと……」

「あいつは料理なんてできねーよ。お茶はいれられるけどな」

 ジュード殿下は私に背を向けて答える。

 ベーコンエッグを作ると、別のフライパンでカリカリに焼いたパンの上にのっけていた。

 それを皿に盛り付ける。ちゃんと二人分、用意してくれていた。

 紅茶と一緒に、それを木のテーブルに運んでくる。

 私は急いでテーブルの下から丸い腰掛けを出した。


 紅茶にはミルクがたっぷりと入っている。

 美味しそうなベーコンエッグのオープンサンドに目が釘付けとなり、思わず涎が出そうになる。

 こんなご馳走が食べられるなんて!!


「いただきますっ!」

 私はパチンと両手を合わせた。

 ジュード殿下が「お前のそれ、何なんだ?」と、怪訝そうな顔をする。

 この世界では食べる前にお祈りはするけれど、手を合わせたりはしない。


「えっと、その……私の宗教では、これがお祈りの代わりなんです」

 視線を逸らして適当にはぐらかすと、殿下はますます眉間に皺を寄せていた。

「お前……変な宗教にはまってんじゃないだろうな?」

「ち、違いますよ! それよりも……このベーコンエッグのパン……すごくおいしいです!!」

 パンはパリッとしていて、ベーコンエッグはちょうどいい半熟の焼き加減だ。

 ハーブソルトが使ってあるから、香りがよく塩加減もちょうどいい。


「これは、ローストビーフサンドを超えるかもしれません……殿下は天才です!!」

 私が褒めちぎると、「いいから、食え!」と頭をムギュッと押さえつけられた。

 アムアムとパンを頬張り、吸い込むようにベーコンエッグを食べる。

 おいしい……幸せ、お腹が喜んでるぅ~~~~!


 夜中に労働をしたから、すっかりお腹が減っていたのだ。

 それは殿下も同じだったのだろう。

「お前見ていると……気が抜ける」

 殿下はミルクの入った紅茶を飲みながら、額を押さえて溜息を吐いていた。

 

「あの……ジュード殿下。ノース先輩は、一緒に時計塔で暮らしてないんです?」

「あいつは、公爵邸に帰った。学園から近いからな。たまに泊まり込む事があるけど、毎日じゃねぇよ」

「そうなんですね……」

 それなら、家事はジュード殿下が一人でやっているという事だ。

 私はカップを引き寄せて、ズズッと甘い紅茶を飲む。

 シロップがたっぷり入っているみたいだ。


「それより、お前はなんでいきなり現れたんだよ。しかもずぶ濡れの格好で。川で泳いでたんじゃねーだろうな?」

「ち、違いますよ! 井戸に……飛び込んだんです」

 私は視線を彷徨わせながら、ボソボソした声で答える。

 殿下が口に含んだ紅茶を、「グフッ」とふきそうになっていた。


「なんで、夜中に井戸に飛び込むんだよ!」

「お、お風呂に入ろうと……思って?」

 モジモジしながら答えると、殿下は顔を手で覆って深く溜息を吐いていた。


「お前んちは、井戸が風呂なのか?」

「ち、違いますよ! 叔父様や叔母様やヒルダは、ちゃんとお風呂を用意してもらってるんですけど……私は事情があって、お風呂を用意してもらえないというか……ですね……」

 私があたふたして答えると、殿下が顔から手を退けて同情まじりの目で見つめてきた。


「だからって、井戸に飛び込むバカがいるかよ。もう少し、マシな方法を考えろ……一応は女だろ!」

「は、はぁ……」

 今度は邸の井戸ではなく、人目に付かない場所の井戸を探した方が良さそうだ。

 殿下は食べ終えて紅茶を飲み干すと、自分の空の皿を持って立ち上がる。


「それ食ったら、さっさと帰れ」

「は、はいっ」

 私は返事をして、急いで残りの紅茶を喉に流し込んだ。

「片付け、私も手伝います!」 

「いらねぇよ」 

 殿下は私から皿とカップを受け取ると、流し台に運ぶ。

 ポンプがついていて、地下の井戸から水が汲み上げられるようになっているらしい。

 

「じゃあ、あの……お休みなさい」

 私が小声で言うと、殿下は返事の代わりに手をヒラヒラさせる。

 さっさと行けという合図だろう。


 厨房を出て部屋に上がり、大きな鏡に飛び込んだ。

 

 あ、殿下のシャツ……借りたままだったわ!

 それに、一着しかない寝間着は置いてきてしまった。

 殿下のシャツは私の安物の寝間着と違って、シルク製だからツルツルして着心地がいい。

 このまま、もうちょっと借りておこう……。

 私はムフッと小さく笑った。


◇◇◇


 朝、起きて制服に着替え、コソコソと人目につかないように一階に下りる。

 ホールが妙に騒がしかった。

 何かあったのかしら……。


 階段の陰に隠れて様子をうかがっていると、リスモンド叔父さんとバーバラ叔母さんが、朝食の食堂から出てくる。


「昨晩、幽霊が出たんですよ!! 馬丁の話では、髪の長い不気味な女がびしょ濡れで立っていて、ニターッと笑っていたんですって」

「バカを言うな。見間違いだろう。あいつは酒癖が悪いからな。酔っ払っていたんだよ」

「見間違いですって!? 他にも女の幽霊が井戸に飛び込むのを目撃した使用人がいるんですよ!? きっと、井戸に飛び込んで死んだか、殺されて井戸に沈められた女の亡霊ですよ!! 気味が悪いわ。あんな不吉な井戸は早々に埋めてちょうだい!!」

 バーバラ叔母さんの甲高い声がホール中に響く。


「井戸を埋めたら、どこに水を汲みに行けと言うんだ? 使用人に川にまで汲みに行けなんて言うつもりじゃないだろう? バーバラ。大げさに騒ぐ事じゃない。井戸をさらっても、死体なんて出てこないさ」

「幽霊が出るような井戸の水なんて、使えるわけがないでしょう! 今すぐにあの井戸は埋めてちょうだい。せめて、別の場所に井戸を掘らせるべきだわ」

「それにはいくらかかると思っているんだ!? 井戸を掘るにもかなりの金がかかるんだぞ!」

「だったら、せめて教会から神官を呼んでお清めしてもらってくださいな! そうじゃなくては、安心できませんよ。また出てきたらどうするんです! ああ、おぞましい!!」

 バーバラ叔母さんとリスモンド叔父さんは騒がしい声を上げながら、廊下を歩いていく。


「わ、私のせいで大変な騒ぎになってしまったわ」

 私は青くなって呟いた。

 正体がバレたら、邸においてもらえないかもしれない。

 塩と教会の聖水をぶっけられて、「出てお行き!」と叩き出されるに決まっている。

 そうなれば、私は流浪の身に……。

 階段の陰にしゃがんだまま、プルプルと小さく頭を振る。


「何をしているの? 邪魔よ」

 急に声がして振り返ると、制服に着替えたヒルダが階段の踊り場に立っていた。

「あ、ヒルダ……おはよう。あの、昨日……ゆ、幽霊騒ぎがあったみたいね。わ、私は寝ていたから、ち、ちっとも気付かなかったけど……」

「さあ、興味はないわ。どうでもいいし」

 ヒルダは髪を手で払うと、さっさと階段を下りていってしまう。

 相変わらず、クールだわ……。

 幽霊騒ぎにも少しも動じていないなんて。

 

 私も見習って、堂々としてよう。 

 その方がきっと、バレないはずだ。 

 シャキンとして立ち、スカートと上着を整えて階段を下りていった。

 朝食のパンを厨房で貰ったら、それを囓りながら学園に向かうのだ。

 今日はチーズもつけてもらえるといいな……なんて、ちょっとした期待をしてみる。

 

 けれど、今朝は厨房の使用人たちも昨日の幽霊騒ぎの話題に夢中になっていて、私はカチカチの古いパンを一切れ渡されて追い出されたのだった。

 ジュード殿下が作ってくれたベーコンエッグのオープンサンドの味が恋しくなる。

 あれは、すごくおいしかったから。


「殿下、また作ってくれないかしら……」

 それには、もっと役に立って活躍する必要がありそうだった。

 頑張らなくちゃ!


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