こっそりお見舞いです。
翌日の昼休み、私はリントン先生に呼び出されて教員室に来ていた。
先生は神経質そうに眉間に皺を寄せて、トントンと指で机を叩く。
「オズボーンさん、事情は分かりました。つまり、あなたは演習時、入り口で足を滑らせ、頭を打って気を失っていたと」
私は「は、はいっ!」と、汗をタラタラ垂らしながら返事をした。
「まあ、いいでしょう。無事だったのですから。昨日の演習は予期しない事態発生のために中止になりましたし、参加していた者は一応合格という事になります。ただし、あなたは集団行動を外れて単独行動をしていた。そのペナルティとして、魔物と魔石についてのレポートを提出する事。期限は来週までですよ」
「レ、レポート!?」
「あなたがいないせいで、班の人たちにも迷惑をかけたのですよ! しっかり反省なさい」
「は、はぁ……」
私は渋々返事をして、教員室を出る。
昨日のアンデット騒ぎで演習は中止になり、初級ダンジョンは立ち入り禁止になった。
ギルドや魔法研究所などが共同で調査に向かうらしい。
幸いにして、怪我人は多く出たけれど、みんな命は無事だったようだ。
聞いた話では、ユーイン殿下とダニエルさんもすぐに先生たちによって救出されたそうだ。
ただ、今日は二人とも授業を休んでいる。
殿下がみんなを助けるために残りアンデットと戦った事は、学園中の噂になっていた。
「ユーイン殿下、大丈夫かしら……」
ルシアンさん特製の傷薬で血は止まっていたけれど、魔力欠乏も起こしていたようだ。
様子を見に行きたいけれど、殿下は王宮にいる。
簡単にお見舞いにも行けない。
それに、考えてみれば私は殿下と親しいわけではない。
何度か昼食を一緒にとって、バケットサンドを恵んでもらっただけの仲。
殿下にとっては、何度かかまってやったことのある公園の野良猫か野良犬くらいの認識だろう。
私なんかが会いに行けるはずもなく、門前払いされるに決まっている。
こっそり、鏡を使って覗きに行こうかしら……。
でも、先日、王宮の宝物庫に忍び込んでお縄になったばかりだ。
また、見付かったら、あの怖ろしいエヴァリーとかいうイケメン騎士団長様に捕らえられて、ハムスター式拷問を受ける羽目になるだろう。
あ、あれだけは嫌だわ! 転んだ時の屈辱感がすごいから!
それに、迂闊な事をして鏡を通り抜けられる能力がバレてしまったら、珍獣よろしく檻に監禁され、死ぬまで怖ろしい実験に付き合わされるかもしれない。
マッドサイエンティストみたいなお爺さんが、メスを手に奇怪な笑い声を漏らしている姿が頭に浮かんできて、私はブルブルと身震いした。
や、やっぱり、お見舞いはやめておこう……。
殿下にはきっと王宮一の治療師がついていて、万全の態勢で治療に臨んでいるはずだ。
それに、あの時ルシアンさん特製の傷薬で応急処置もしてある。
療養のために休んでいるだけだろう。
数日したら、学園に復帰するはずだ。
◇◇◇
なんて、思っていたんだけど……。
やっぱり、気になって覗きにきてしまいました。
その日の夜、私はくすんだお古の寝間着を着て鏡の中に入り、王宮内にある殿下の部屋を捜す。
あちこちの部屋を覗いてようやく見つけると、ユーイン殿下はベッドに横になっていた。
眠っているらしく、部屋の灯りは消えている。
私が覗いた鏡は、寝台のサイドテーブルの側に置かれていた小さな鏡だ。
殿下は穏やかな寝息を立てていて、時々寝返りを打っている。
その様子からして、ケガはすっかりいいようだ。
魔力の方がまだ回復していないから、休んでいるのかもしれない。
何にせよホッとして、私は寝間着のポケットから取り出した林檎を、そっとサイドテーブルに置いておく。夕食のトレイに載っていた林檎をこっそり取っておいたのだ。
「お見舞いといえば林檎だわ……」
私は小声で呟いて、鏡から手を引っ込める。そして、急いで鏡から離れた。
あのエヴァリーとかいうイケメン騎士団長は鋭そうから、気配を察して駆け込んでくるかもしれない。
あの人はすごく怖いから、苦手だわ……。
私は小さく身震いして、また平泳ぎスタイルで自分の部屋に引き返したのだった。
◇◇◇
朝の光で目を覚ましたユーイン=アッシュクロフトは、体を起こして目をこする。
水を飲もうとしてサイドテーブルを見ると、ピッチャーやグラスの載ったトレイの上に、見覚えのない林檎が一つ置かれていた。
(林檎?)
昨晩はなかったものだ。
寝室の扉がノックされ、「殿下、お目覚めですか?」とダニエルの声がする。
返事をすると、銀のトレイを持って入ってきた。
「ダニエル、君はもういいのか?」
彼もダンジョンでの戦闘で負傷していた。
あの後、教師によって助け出され、学園の医務室に運ばれたようだが、二人とも気を失っていたため覚えてはいない。
ユーインが意識を取り戻した時には、すでに学園から王宮に移されて、宮廷医の治療を受けていた。
治癒魔法と回復魔法をかけられて傷は塞がり、今は魔力の回復に努めつつ安静のために療養している。
本当はもう大丈夫で動けるのだけど、父や母、周りの者たちが承服しない。
「問題ありません。それより、殿下の具合はいかがですか? 昨晩はあまり食欲がなかったようですが」
「ああ、魔力欠乏のせいで気分が良くなかっただけだよ。傷はもう平気だ……」
そう答えて寝癖のついた前髪を手で上げた。
ダニエルはテーブルの上に銀のトレイを置き、ピッチャーの水やグラスを新しいものと取り替える。
その時、林檎に気付いたようだ。
「これは……」
「目が覚めたらおいてあった。君かと思ったんだけど」
「いいえ、存じません。夜中に誰か入り込んだのでしょうか?」
ダニエルは不審そうに眉根を寄せる。
ユーインの寝室の前には、夜間でも見張りがいる。
「……片付けておきましょう」
「いや、いいよ」
ユーインは林檎に手を伸ばす。
「ダニエル、ナイフはある?」
「召し上がるのですか? お止めになったほうが……毒が盛られているかもしれません」
「メイドがおいていったんじゃないかな。嬉しいじゃないか」
ダニエルは渋々、棚の引き出しからナイフを取り出した。
「私が剥きましょう」
「いいよ。そこまで世話を焼いてもらうような子供でもない」
ユーインはナイフを受け取って林檎の皮をスルスルと剥いていく。
「私が毒味を!」
ダニエルが止める前に、ユーインは林檎を口に運んでいた。
シャクッと囓って、「うん、甘い」と笑みを浮かべる。
昨晩、気分が悪くて夕食をあまり食べていないから空腹だったのだ。
瑞々しい林檎の爽やかな酸味と甘みがおいしくて、あっという間に平らげてしまっていた。
考えてみれば、王宮では生の林檎などあまり食べることはない。
コンポートや菓子に使われているのを食べるくらいだ。
「殿下……お気を付け下さい。王宮内とはいえ安全ではないのです」
ダニエルは溜息を吐いて、ハンカチを差し出してくる。それで手を拭い、水を一杯もらう。
「警戒ばかりしていても仕方ないよ。世の中、善人ばかりと思うのも間違っているけれど、悪人ばかりだと思うのも間違っている。そうだろう?」
「人を信じようとなさるのは殿下の美徳ですが、悪意を持つ人間はそうした美徳を利用をしようと企むものです。ご自身の立場をお考えください。せめて、私に先に毒味を」
「もしかして、君も食べたかった? それなら、悪い事をしたなぁ」
ユーインは警戒心のない緩い笑みを浮かべる。
ダニエルは何か言いたげに顔をしかめていた。
「それより……ダニエル。ダンジョンでの事なんだけど、何か分かった?」
「今、ギルドと魔法研究所の職員が共同で調査を行っています。なぜ、アンデット系の魔物が現れたのかは不明との事でした。陛下も王妃様も、今回の件は殿下が巻き込まれたのですから、重く見られております。徹底的に調査せよとの仰せでした。いずれ、調査結果は報告されるでしょう」
「いや、そうじゃないんだ……」
ユーインは軽く手を上げて、ダニエルの話を遮る。
「あの時……気を失ってしまったからはっきり覚えていないんだけど、僕ら以外にも誰かいた?」
「私と殿下以外にですか? 生徒は避難させたはずですが」
ダニエルは紅茶を用意しながら眉を潜める。
「うん、そうなんだ。でも、誰かの声がしていたような……」
(兄上の声だった気がするんだけど……)
はっきりとは覚えていない。それに、兄のジュードがあのダンジョン内にいるはずもないのだ。
けれど、もしそれを口にすれば、兄に疑いがかかる可能性がある。
アンデットの発生に、ジュードが関わっていたのなら大事だ。
それに、あの時――。
別の声も聞こえていた気がするのだ。ただ、それはあまりにもぼんやりしていて、幻聴か、気を失っている間に見た夢だったと言われれば、そうだったような気もする。
(なんにせよ、迂闊な事は言えないな)
「誰かが引き返してきたのかもしれません。殿下を心配して……ただ、通路が崩れたために私と殿下は取り残されていたと聞きました。不可解な点なら、確かにあります。私と殿下は救助された時、すでに傷が塞がっていて応急処置をした痕跡があったと」
「応急処置?」
「ええ、それがなければ危なかっただろうと、医務室の先生がおっしゃっていました」
(ということは、やはり誰かがいたということだ……)
ユーインはダニエルから受け取った紅茶のカップを口に運ぶ。
その誰かは、気を失っていたダニエルとユーインを救助し、あの場にいたアンデットを消滅させた。
アンデットは騎士団の騎士でも手こずる魔物だ。
光魔法でなければほぼ攻撃が通らない。
物理的な攻撃もあまり効果はないのだ。
魔力が尽きない限りは、アンデットは何度でも復活できる。
学園の生徒が相手にできるような魔物ではない。教師陣でも難しいだろう。
本当なら――。
ユーインは自分の手を見つめる。
「不甲斐ないな……」
生徒の中で光魔法が使えたのは自分だけだった。
もっと魔法の扱いに長けていたら、魔力が多ければ、皆を危険に晒す事はなかった。
生徒を逃がすのが精一杯だった。
自分の身すら満足に守れはしない。
「何をおっしゃっているのです。殿下がいなければ、生徒の大半は逃げる事も叶わなかったでしょう。被害はもっと多く出ていたはずです。あの場では、生き残れただけでもよしとしなければ」
ダニエルの慰めるような言葉に、苦笑いがこぼれた。
その通りだ。王子といっても、今はただの学生に他ならない。
できる事は限られているのは当たり前で、力不足を痛感するのも当然の事だ。
(それでも兄上なら……)
「力不足というなら、私の方です。側仕えでありながら、危険に晒してしまいました。本来なら、真っ先に殿下の身の安全を図るべきだった……」
項垂れたダニエルの口調には悔しさが滲んでいた。
「誰かに何か言われたのか? 君の父上か? それとも私の父か?」
「いいえ……ですが、私は少しも役に立たなかった。恥じ入るばかりです」
「何を言う。君の助力がなければ、私はとっくにあの場でやられて死んでいたよ」
ポンと腕を叩いて飲み終えた紅茶のカップを返す。それから、ベッドを出た。
「殿下、お休みになっていた方が……」
「もう平気だよ。それより、着替えをしたい。父上や母上にも、今回の件は詫びておかねば。心配をかけただろうからな」
カーテンを開くと、部屋の中に光が差し込む。
庭園では庭師たちが木の剪定をしていた。
その様子を眺めてから、青い空を見上げる。
そういえば……彼女は、メアリー=オズボーンは無事だっただろうか。
ダンジョンで倒れた時、兄の声と一緒に聞こえたのは、彼女の声だった。
「まさかな……」
そう呟いて、ユーインは首を小さく振った。
気のせいだ。たぶん、色々な記憶が混同してしまっているのだろう。




