第5話 初めまして、私は朱音
第5話の登場人物
レオ・ハワード
28歳 只人の戦士
ララリカ合衆国出身。大和王国を旅する金髪と青目の冒険者。
大振りのバスタードソード操る優れた思慮と戦闘能力を持つ。
戦士らしからぬ人当たりの良いダンディな性格の好青年。
小田瓦ギルド 三等級冒険者
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樹玄
78歳(只人換算年齢27歳) 森人 の僧侶。
美しい銀髪と容姿をした森人で、法力を操り、仲間を支える回復と防御の術を得意とする。
穏やかで温厚な性格だが、根が非常に真面目のため融通がきかないこたもある。レオとはパーティ仲間。
小田瓦ギルド所属 三等級冒険者
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矢尾津 数馬
25歳 只人の侍
大和国の侍でありレオ達のパーティリーダー。冒険、酒、女をこよなく愛する放蕩武者だが、仲間に対して家族愛を感じるほどの仲間思い、武人として剣技、判断にも優れている。
小田瓦ギルド 三等級冒険者
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朱音
24歳 只人の陰陽師
黒炎を特技とする女性。真紅の陰陽装束で身を包んでいることかは真紅の陰陽師と呼ばれている。
呪術に長け、黒炎という独自の術を操る。優秀ではあるが性格は冷淡で情がない。
小田瓦ギルド所属 三等級冒険者
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シグルド・ヴァン・ホーレン
47歳 戦士→侍に転向
高い戦闘能力と強い信念を持つ武人。
小田瓦ギルドのギルドマスター
皆からは親父さんとして慕われている。
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白妙
22歳 森人と只人の混血 召喚士
小田瓦ギルドのギルドマスターの秘書
冷たい石床に倒れたまま、戦士レオは息をするだけで、胸が焼けるように痛みに襲われていた。
真紅の陰陽師が放った黒炎と風の呪術を、その身に浴び深手を負い、指一本すら動かすこともままならない。
昨日、襲われてから、どのくらいが経過したのだろう。
意識が戻ってからは、祠の玄室に閉じ込められており、時間の感覚すらわからない。
僅かに視線を横にやると、仲間の僧侶・樹玄が倒れており、自身と同じく深手を負っている。
意識が朦朧としながらも、彼もまた死の顎から懸命に抵抗しているようだった。
(……全く……ざまあないな)
生死の境の中、視界がまどろむ暗闇の中で、過去の記憶が鮮明に浮かび上がってくる。
ララリカ大陸……旅立ちの記憶。
大和から北東に位置し、広大な大陸の1つで知られるララリカ大陸。
レオの故郷はララリカ合衆国領の1つ"クィーンズ・セラフィム"だった。
湿気の低い広大な西海岸の海。土と草の匂いが広がる大地。
「天使の女王がもたらす慈悲」の名を冠した大型河川のグレース河には、様々な商家や民家などが立ち並び"グレース・シティ"という名の巨大な港湾都市として発展している。
河川から離れ、陸地に進めば進むほど、小高い丘に囲まれた自然豊かな景色。
平野部の天使たちの野には大和と比べ物にならない敷地面積を誇る広い麦畑とトウモロコシ畑、黒目豆をはじめ、様々な野菜や果物を栽培している。
四季もあり、冬には雪がよく降っていた。
戦士レオは19の年に故郷を後にしている。
かつては将来を誓い合った、冒険者の恋人がいたが、死別という悲しい別れを経て、失意を振り払うように半ば捨て身で旅に出たのである。
傭兵として、時に冒険者として、ララリカ大陸や西方の諸大陸を大剣一本で渡り歩き、3年の歳月を戦場と冒険に費やして武芸を磨いた。
その旅路で、レオは様々な人種・種族・文化と出会い、時の移ろいと経験を重ねるうちに、ようやく前を向いて歩けるようになっていった。
やがて、久方ぶりにララリカの故郷へ戻り、恋人の墓前に手を組み祈りを捧げていると、幼馴染のデリックと再会する。
彼は冒険者の傍ら商人として各国を巡っているのだという。 グレース・シティの冒険者ギルド直営の酒場で盃を交わし、懐かしい思い出に花を咲かせていると、ララリカから南西に位置する大和大陸について語りだした。
ララリカや西方の国とは違う、独特の文化と雅な街並み。
黄金色に輝く大地。
侍や忍者という異端な戦士達がいること。
陰陽術、神術、法力など西方にはない、妖の術を持つ者。
四季豊かで、独特のある風情。
デリックの話を聞けば聞くほど興味を惹かれ、レオの心は、まだ見ぬ大和国に想いを馳せるようになった。
数日後、その想いと好奇心を胸に、大和国行きへの船に乗り込み、未到の異国へと向かう。
外洋を越え、大和大陸の港に辿り着いた日の澄んだ青空と、潮風の冷たさが、今でもはっきりと記憶に残っている。
ララリカや西方とは異なる建築物、食べ物、黒髪黒眼の人種。
初めて冒険に出た頃のような、新鮮な好奇心で満たされていた。
(……あの日から、俺の人生は変わったんだ)
「よう!お前さん異国の戦士か。腕も立ちそうだな。良かったら、俺たちと共に来ないか?」
東海沿岸の港町 小田瓦の冒険者ギルドの酒場で、1人飲んでいると黒髪を後ろで束ね、凛とした眼差しの侍が愛想良く声を掛ける。
名を矢尾津 数馬という。
その声は、異国の地で彷徨っていたレオにとって、初めて差し伸べられた“手”であり大和での冒険譚の始まりだった。
数馬は気さくで、そして礼儀を重んじ、誠実さを持つ侍だったが、戦いの場では、誰よりも勇猛だった。
同時に女好きの面もあり、冒険中やオフの時構わず、気に入った女性がいたら、構わず声を掛けては色恋を紡いでいた。
「旅の縁は、仏の導き。あなたもまた、逢うべくして出逢えたのでしょう」
森人の僧侶──樹玄。銀色の髪と端正で品のある顔立ちに加え、安心感を覚える穏やかな笑み。 清流を思わせるような佇まい。
戦いとなれば慎重で堅実。語れば清水のように染み入る優しさがある。
回復術式、防御術式、状態回復術式にも優れ、錫杖による戦闘もこなすなど、法力のみならず武芸の心得もあった。
(数馬と樹玄。この2人がいたから、俺は大和国で生きていくことができた)
レオが彼らと組んで最初に驚いたのは、数馬の刀捌きが“斬る前から強い”ということだった。
数馬の太刀は派手さはない。また無闇に振り回すでもなく、力任せでもない。むしろ、構えの型から入った瞬間“そこに壁がある”ような圧があった。
レオはそれを初めて見たとき、思わず息を呑んだ。
この男は、刀を振る前から戦っている。
数馬の精神は、強靭な刀と同じく揺るがない。敵を前にしても、恐れも怒りも見せない。ただ、静を保ち、必要な一太刀を見極める。
その姿は、レオが戦場や冒険で出会った剣士にはない“侍”という存在そのものだった。
戦いの後、数馬が刀に付着した血糊を拭いながら言った言葉が忘れられない。
「刀は振るうためだけにあるんじゃねぇ。振るわずに済むように、強くあるためのもんだ。誰も斬らずに済むのが1番よ!まあ、世の中そんな、おいしい話なんてねぇけどな。でもよ……人同士なら斬らずに、互いに笑いながら酒でもかっくりゃあ、最高だよな」
侍や刀は斬るために在らず。
木鶏の如く動じず、交えない刃も持ち合わせること。
レオはその精神に、深い敬意を抱いた。
僧侶の樹玄は数馬とはまったく違う“強さ”を持っていた。
数々の戦いの場で、例え凄惨極める状況であっても、彼の周囲だけ空気が澄む。
まるで雑念が祓われ、心が静かになるような不思議な感覚。
ララリカや西方にも神官や司祭を始めとする僧侶はいたが、大和の僧侶は信仰の理念、佇まいは良い意味で、独特のものに映った。
また、初めて樹玄の法力を見たとき、"経文"と呼ばれる詠唱、そして法力が展開される時に見せる光の清らかさは、言葉にならない神秘性を放っていた。
これは、武ではない。祈りそのものが力になっている。
樹玄の唱える経文は、言葉の意味が分からなくても胸に響く。その声は、戦場の喧騒を押し返すほどの“品格”を帯びていた。
敵を倒すためではなく、仲間を守るために力を使う。
その姿勢は、レオにとって新鮮で、どこか眩しかった。
戦いの後、樹玄が静かに言った。
「武も法も、道は異なれど、どちらも人を救うためにある。救い方が違うだけで目指すところは、互いに結ばれているもの」
その言葉は、レオの胸に深く残った。
数馬の剣は“弛まぬ武への探求と精神”。
樹玄の法力は“救済の慈悲”。
どちらも、レオの故郷にはない価値観だった。
大和という国の“武と法の精神”が、レオの中に静かに根を下ろしていく。
この国には、この国の強さがある。
この国に来て本当に良かった!
レオは心の底から、そう感じていた。
魔物討伐、盗賊討伐、護衛依頼、紛争平定、宝探し、数多の冒険をくぐり抜け、時には酒を酌み交わし、時には命を預け合い、笑い、怒り、泣き、戦い続けて来た。
3人で歩んだ5年間は、レオにとって“家族”と呼べる時間に変わる。
怖いもの知らずで、向こう見ずな行動も多かった気がする。だが、気が付けば三等級にまで昇り詰め、これからも変わらず、3人の旅は揺るぎなく続くと信じてやまなかった。
(……あの頃は……こんな充実した日が……家族のような日々が、ずっと続くと思ってた……)
だが、1人の女によって3人の運命が一変することとなる。
潮風が吹き込む港の城下町・小田瓦の夜。
その中心にある冒険者ギルドの酒場は、夜になると船乗りと冒険者が入り混じり、潮の匂いと酒の香りが渦を巻く。
船乗りの笑い声と盃の音で賑わい、油灯の揺らめきが木の壁に影を踊らせていた。
レオ、樹玄、数馬の3人が卓を囲み、今回の冒険の無事を喜び合っていると、数馬がレオと樹玄に話を持ち掛ける。
「2人とも。ちょっと相談があるんだけどよ」
数馬は熱燗の入ったお猪口わ軽く揺らしながら、声を潜めるでもなく話し始めた。
「俺たちとパーティを組みたいって三等級の陰陽師がいてな。実際に木札も見せてもらった。何でも”黒炎”という術式が得意らしい」
樹玄が訝しげに眉を上げる。
「黒炎……?珍しい術式だな。陰陽師の呪術に、そのような属性の術は聞いたことないが……まさか禁呪ではあるまいな」
「まあ......陰陽道の呪術とか、詳しく分からないけど、実力は折り紙付きってわけよ」
数馬はニヤリと笑い、お猪口の熱燗をあおりながら言葉を続ける。
「ぶっちゃけ言うと、冷たくて無愛想なのがな......でも、その代わり美人だぞ。年齢も俺たちと大差ないし、戦力としては申し分ねぇ」
レオは徳利の酒をお猪口に注ぎながら、特に警戒する様子もなく静かに頷いた。
「美人であるとかは関係ない。陰陽師が後衛に入るなら、戦線は安定する。腕が立つならこちらは歓迎だよ」
その落ち着いた反応に、数馬は肩をすくめて笑う。
「お前は本当に肝が据わっているよなレオ。美人と聞いても靡かねえしよ。普通は“黒炎使いの陰陽師”なんて得体の知れない言葉を聞いたら、ちったあ身構えるもんだぞ」
「身構えるもの何も、会っていないから何とも言えないよ。強いなら、俺達が生き残れるなら強い手駒はほしいとは思っているがね」
レオは淡々と答えた。三等級の冒険者ともなれば、相手の素性より“実力と経験”に比重がかかる。
少なくとも上級の冒険者ともなれば、名も多少は知れるし、悪さをする素性の輩は、そういないように思えるのだ。
「で、その陰陽師の名前は?」
樹玄が尋ねる。
「おう、名前は朱音と言ってたな」
その名が告げられた瞬間、ギルド入口の格子戸が、軋むような音を立てて開く。潮風だけがひときわ冷たく吹き抜けたように感じられた。
実際には開け放たれた格子窓から風が入っただけだったのだが......。
それでもレオは、一瞬だけ胸の奥がざわつくのを覚えたその瞬間、ギルド入口の格子戸が、軋むような音を立てて開く。
3人が振り向いたその先で、潮風に乗って真紅の袖がふわりと揺れた。
黒髪は夜の海のように深く艶やかで、肩から背へと流れるたび、まるで闇の中に一筋の光が輝くようだ。
彼女は、周囲のざわめきに目もくれず、ただ静かにギルド酒場の中へ歩みを進める。
その歩調は軽やかで音がない。
真紅の陰陽装束は、金と黒の刺繍が施され、袖口や裾が揺れるたびに、衣擦れの音が妙に心地よく聞こえる。
腰には黒漆の符箱、胸元には陰陽師の位を示す銀の紋。装束の赤は深い紅と表現すべきだろう。
近くの冒険者がひそひそと囁く。
「……あれって噂の三等級の陰陽師だろ」
「黒炎の術を使うって噂の……色っぽくて綺麗な姉ちゃんだけど、ちと気味悪いところもあるかもしれねえなあ」
「お酌してもらいたいけど......すぐ酔いも覚めちまうかもな」
飛び交う言葉になど、一切意に介さず真紅の陰陽師は、3人が囲む卓の前で立ち止まり、静かに言葉を落とす。
「数馬……お久しぶりね。顔合わせの機会をいただいて感謝するわ」
その澄んだ声には、夜の潮風よりも冷たく、人間味が欠落しているかのように感じられた。
「おっす!来てくれてありがとうよ。今夜は仲間も連れてきたから紹介させてくれ」
レオはお猪口を置き、静かに彼女を見つめた。ただ、観察するような落ち着いた眼差しで。
女性の顔立ちは美しく整っているが、愛想も表情もなく氷のように無機質だった。
(なるほど……数馬の言う通り、美しい女性だ。だが……それ以上に“異質”さを覚えるのは、なぜだ)
レオは直感的にそう感じた。
お世辞など不要なほど、周囲の視線を奪う美貌。
しかし、その美しさとは裏腹に、どこか近寄りがたい静謐さがあった。人の温度感が皆無というか……まるで、どこかに置き忘れてきたような、言葉にし難い何かを彼女から感じ取れた。
樹玄が低く呟く。
「……なるほど。数馬の言う通り、只者ではない雰囲気を纏っていますね」
数馬は肩をすくめると口元を緩めて笑う。
「言ったろ?腕もあるし、美人だってな」
朱音は3人の卓に腰を下ろすと、紺の半纏に白い前掛けを締めた、酒場嬢に声をかける。
「熱燗を......2合を2本つけて頂戴」
淡々と短く注文。
相変わらず声は静かで、どこか冷たく、しかし不思議と耳に残る響きを持っている。
酒場の喧騒の中、“静寂”を是として、保っているかのようだった。
樹玄は姿勢を正し、レオも改めて朱音と向き合う。
「……初めまして、私は朱音。陰陽師を生業とした冒険者です。レオさん、それから樹玄さん。貴方達のことは数馬から聞き及んでおります」
人間味の無い形式的な挨拶。
まるで、“必要な言葉だけを選ぶ”と言ったところだろうか。
レオは静かに頷き、樹玄は両手を合わせ一礼する。
「初めまして、私はレオ。見ての通りララリカから来た戦士だ。よろしく頼む」
「拙者は樹玄。お初にお目にかかる。ご覧の通り、仏に仕える旅の僧侶であり冒険者をしている。宜しくお願いし申し上げる」
朱音はわずかに頭を下げ、肯定の意を示す。
「初顔合わせ早々ですが、お話がございます」
開口一番、丁寧でも粗野でもなく、ただ必要最低限の事務的な口調。
「まあ、立ったままってのも何だから、朱音もまずは座れよ」
苦笑する数馬に促されると、朱音はレオの真横の席へ静かに腰を下ろした。その瞬間、酒場のざわめきが再び戻り、潮風が窓を揺らした。
酒場の喧騒が遠のいたように感じられる。潮風の匂い、油灯の揺らぎ、冒険者たちの笑い声。
すべてが薄い膜の向こうにあるような、不思議な静けさ。
「相変わらずお主は唐突だなあ。こいつらは5年来の仲間で、信用できるし腕も人柄も申し分ねえ。話があるなら言ってみてくれ」
数馬が苦笑しながらお猪口を掲げる。
朱音は静かに2人へ視線を移した。その目は、値踏みでも警戒でもない。
ただ淡々と“観察”しているだけのようだった。だが、レオに向けられた視線だけは、どこか質が違って見えた。
(……見られている、というより“品定めをされて”いるような……)
数多の戦場や死線を潜り抜け培われた、レオの直感が僅かにざわつかせた。
「へい、お待ちどうさま。熱燗二合を2本お持ちしました」
酒場嬢が愛想の良い声とともに、朱音の熱燗とお猪口を丁寧に置く。それに続いて、厚揚げ・大根・里芋を煮込んだ小鉢が並べられた。
お辞儀をして立ち去る酒場嬢を見送ると、朱音は熱燗をお猪口に満たしながら、静かに口を開いた。
「ここから先の湯ノ河原の温泉町に、山林鬼の群れが出現しています。すでに町人や旅人にも被害が出ているそうです」
朱音はお猪口の熱燗を一息で飲み干し、淡々と続けた。
「山林鬼は地鬼や豚鬼と同じく徒党を組む連中。私ひとりでは手に余ります。貴方たちのお力を借りたいのです」
「なるほどねえ。山林鬼の群れとなると、地鬼や豚鬼より力も体力もある。実力ある陰陽師といえど、ひとりじゃ難儀しそうだな」
数馬は空になったお猪口を左手に添え、徳利から熱燗を注ぎ足す。
レオはお猪口を置き、静かに朱音へ視線を向けた。
「山林鬼は何度かやり合ったことがある。我々で良ければ手は貸そう……だが、1つ聞かせてほしい」
朱音の瞳がわずかに細められた。それは、彼女が初めて見せた“反応”だった。
「……黒炎の呪術。君が得意とすると聞いている。陰陽師の術式については多少なり知見があるつもりだが、炎の術式に黒炎など、聞いたことがない」
朱音の唇が、かすかに吊り上がる。
「何を仰りたいのかしら……」
朱音はお猪口を置き、レオをまっすぐ見た。その瞳は、今まで通り感情の影を一切含まない。
「……黒炎の名を口にするのは、軽い興味からでと信じたいわ」
淡々とした声なのに、言葉の端が鋭く光る。レオの胸に緊張が走った……が表情や態度には一切出さず、平静を保っていた。
「……悪く思わないでくれ。単なる軽い興味ではある」
朱音の視線が、再びレオを射抜くように向けられたままだった。
数馬や樹玄もレオの態度に緊張した表情が走る。
「なら、続けて下さるかしら」
短い言葉なのに、刃のような冷たさだ。レオはその圧を正面から受け止め、静かに言葉を紡ぐ。
何事にも臆しない戦士の技量といったところだろう。
「黒炎は……俺が知る限り、どの系統にも属さない。炎の術式は陰陽師個人の資質や個体差で、色や性質が様々のようだが、黒炎だけは見たことも、聞いたこともない。おそらく例外といって良いだろう。だから、君がそれを使える理由を……知りたいと思った」
朱音の指が、お猪口の縁を一度だけ、静かに叩いた。その仕草は優雅だった。
「理由、ね……あなたは異国の人なのに、大和の呪術は博識なのね」
朱音は熱燗をもう一度満たし、ゆっくりと口元へ運んだ。その横顔は、やはり揺らぎひとつないと思われたその瞬間、朱音の言葉が鋭く空気を切り裂いた
「私が黒炎を使えることに、戦士である貴方に理由が必要なのでしょうか?」
「まあまあ、朱音。レオは戦士面にこそ見えて、理由もなしにふっかける柄じゃねえ。黒炎の話も、興味本位ってより“仕事の見立て”ってやつだ。悪気はねえんだよ」
不穏な空気を察した数馬が2人の間に割って入ると、徳利を軽く揺らし、朱音とレオの前に徳利を滑らせる。
「ほれ、飲め飲め。肩の力が入りすぎると酒も不味くなるっつうの」
数馬の軽口に、張り詰めていた空気がわずかに緩み、樹玄もホッとした顔をする。
朱音は数馬から注がれた熱燗を口につけると、静かに息をひとつ吐いた。
レオはお猪口を手に取り、朱音へ向き直る。その表情は変わらず平静で、声も落ち着いている。
「……もし、君を怒らせてしまったら素直に謝罪する。黒炎について聞いたのも、ひとえに俺が呪術に無知であるが故、興味を持っただけのこと」
朱音はレオから視線を離すと、ぼんやり俯く。
数馬が肩をすくめ、苦笑しながら徳利を揺らす。
「ほらな、朱音。こいつはこういう奴だ。興味本位で突っかかるようなタマじゃねえ。ララリカにはない大和文化を、ただ“知っておきたい”だけなんだよ」
朱音はお猪口を指先で転がし、静かに目を伏せた。
「そう……なら、いいわ」
その言葉は短いが、先ほどまでの鋭さは和らいではいなかった。
ギルド直営の旅籠屋。3人は風呂に浸かり女将が用意した部屋に入った。
手入れの行き届いた畳部屋には、ほのかに檜の香りが漂っている。
数馬と樹玄は浴衣姿で布団に横たわり湯の余韻に身を沈め、レオだけは窓際に腰を下ろし、夜風に揺れる行灯の灯りと海を眺めていた。
「レオ、らしくねえな。朱音に黒炎のことで突っかかるなんてよ」
数馬が横になったまま、片腕を枕にして言う。
「突っかかったつもりはない。率直に聞いただけだ」
レオは視線を外へ向けたまま、淡々と答えた。
「言い方を気をつけないと、相手はそう受け取っているとは限りませんよ」
樹玄が静かにレオの行き過ぎた行為を嗜める。
「善処することにするよ」
レオは短く返す。その背中には、わずかな反省が同居していた。
「それにしても、戦士のお前が黒炎をあんなに警戒するなんてな」
数馬が浴衣の襟をゆるめながら、興味深そうに言う。
「……かつて一緒に旅した陰陽師のご老人がいただろう」
「いたねえ。ヨボヨボだったけど、闊達で腕も知識も相当の爺さまだった。江戸にいる息子夫婦の家に隠居しているらしいけど、元気してるかな」
樹玄が懐かしそうに笑う。
「そのご老人が教えてくれたことがあるんだ。陰陽道には......外法というものが存在していると」
畳部屋の空気が、わずかに静まり返った。
樹玄は布団の上でゆるく体を起こし、浴衣の襟を整えながら静かに言葉を継いだ。
「外法......確かに存在している。陰陽道の理から外れし、禁じられた術式。力を得る代償として、術者は心身や魂を蝕むとされる危険なものだ」
数馬が眉をひそめる。
「爺さん、そんな話してたか?俺は聞いた覚えがねえな」
「お主は深酒をして、そのまま寝てしまったであろう。あのご老人は、夜更けに拙僧とレオ殿に話してくれたのだ」
樹玄は苦笑しながら続けた。
「外法の特徴は、本家の理である“色”や“気配”が異なる。炎なら赤、青、白などは、使い手の個体差や霊力の影響が具現化するようだが……しかし黒炎など類を見ない色は、まず陰陽道の系譜には存在しないらしい。故に使い手と遭遇、あるいは対峙した場合は心せよと。まあ、兼正の爺さんほどの使い手が、随分、神妙な顔で教えてくれた」
レオは窓の外を見たまま、低く呟いた。
「だから警戒したんだ。黒炎と聞いて、兼正の爺さまの言う外法の一種なら、扱う者にも相応の“代償”があるはず。それに俺たちの身にも危険は及ぶかも知れない」
樹玄は静かに頷く。
「うむ。レオの言うことは尤もといえよう。外法は、術者の精神を削り、感情を薄め、人ならざるものにすると聞き及んでいる。朱音殿の静謐さ……あれが生まれつきの性格によるものか、黒炎の影響なのか。判断はつかぬが、心した方が良かろう」
数馬は布団の上で寝返りを打ち、天井を見上げながらぼそりと呟いた。
「なるほどなあ……あの静けえ感じ、ただの性格じゃねえってことか。だけど、一夜を共にした時は、普通に女の貌してたけどなあ......あっ」
「数馬......今なんと?」
レオも窓際からゆっくり振り返り、低い声で問いただす。
樹玄が勢いよく上体を起こした。
「えっ!? 数馬、それはどういう」
数馬は上半身を起こすと、慌てふためいた。
「いや、その……前に湯ノ河原の宿に泊まったろ?」
「まさか、無理矢理にとは言うまいな!」
樹玄の目が厳しく光る。
「いやいやいや!違う違う!合意でだ!ほら……お前たちが旅籠屋で寝ついてから、喉乾いて目ぇ覚めちまってな。井戸まで歩いて行ったら、夜中に廊下でばったり会ってよ……その時は、ほら……妙に色っぽいと言うか、口説いてきやがってよ……だから、ついその一夜を……」
レオは深く息を吐き、窓際からゆっくりと視線を戻した。
「……全く呆れた奴だ。何の警戒も無しにホイホイついて行くなんて」
樹玄も腕を組み、ため息をつく。
「うむ、全くだ。数馬……軽率が過ぎるぞ。それにしても、あの氷塊の如き女性に、そのような一面があったとは……」
樹玄は更に細め、低く問いかける。
「まさか、今回のパーティ編成も男女の情で動いたわけではあるまいな」
「まさか!」
数馬は両手をぶんぶん振った。
「俺も朱音もいい大人だ。その辺は割り切りしてるぜ!会ったのも偶然で、たまたま俺らが三等級の冒険者だから、仲間にして欲しいって言ってきたんだ。嘘は言ってねえ」
「それなら結構」
樹玄は静かに頷いた。
「……黒炎の術者が、数馬と一夜を共にしていたとはねえ......」
レオは再び窓の外へ視線を戻し低く呟くと、その様子を察して樹玄が声をかける
「レオ。思うところはあると思うが、不穏な動きがあれば即座に対応する。それで良いかな?」
「ああ、異論はない」
樹玄は数馬へ視線を向ける。
「数馬もそれで異存はないな」
数馬は浴衣の襟を直しながら、真剣な顔で頷いた。
「も、もちろんだ。朱音が危ねえ橋を渡ってるなら、俺らが見張ってやりゃいい。仲間になるなら、なおさらだ!俺だって、家族同然のお前らが1番大事だってわかってんだ」
レオは窓際からゆっくりと2人へ向き直る。
「……外法の疑惑がある以上、油断はできない。だが、彼女が敵だと決めつけるのも早計だ。まずは見極めよう」
樹玄は静かに微笑む。
「うむ。3人で注意を払えば、見落としはあるまい」
数馬は布団に仰向けになり、天井を見上げながら笑った。
「ま、俺ら三等級の冒険者だ。今までだって火の粉は振り払って来たんだ」
「お主は、まず女癖の悪さを何とかすべきだ。今回の朱音殿のことだけではないぞ!冒険者、商家の娘、町娘、酒場嬢、しまいには武家の娘にまで!」
「樹玄......説教はもう良いから寝ちまおうぜ」
顔が引き攣る数馬。
「そうは行かぬぞ、数馬!御仏に仕える身として説教だ!」
「レオ......助けてくれえ」
「悪いが怒ったお坊さんを止める方法は俺にもわからない。諦めろ......」
数馬は布団の上で正座をさせられ、樹玄の"ありがたい説教"が展開される。
旅籠屋の部屋の灯りは3人の影を揺らし、その夜は静かに?更けていくのだった。
朱音がパーティに加わってから、もう半年以上が過ぎていた。魔物討伐、護衛依頼、裏街道の掃討、4人は数え切れないほどの戦いの場を共にし、その都度、無事に生還を果たしていた。
特に危惧していた朱音の黒炎は切り札と言ってよく、数馬達のパーティの勝利に貢献していた。
だが、ここ3ヶ月間、朱音は以前のように、常に一緒にいるわけではなくなっていた。
依頼出発の前日になっても姿を見せないことが増え、ギルドの受付嬢に尋ねると「別のパーティと先に出発されましたよ」と告げられることもあった。
時には、依頼の途中でふらりと姿を消したかと思えば、数日後に何事もなかったかのように数馬達パーティと合流することも1度や2度ではない。
馴れ合った間柄と言えるかは別として、半年間も組んでいるパーティメンバーに無言で離れたり、悪びれもなく合流するなど考えられない。
「ま、あの性格だから、仕方ないとも言えよう。それに腕も立つから、他のギルドからも引っ張り凧なんだろ」
肩をすくめながら、そう答える数馬に、樹玄は眉を寄せる。
「しかし、何度も音沙汰なく、姿を消すのは気になります。 朱音殿もご事情はあるのでしょうが、単独行動をとるならば、我々に一言、断りや相談があってもよろしいのでは?」
「まあ、そう言うな樹玄。一応、仲間といえど立ち入っては、いけないこともあるさ。それに、たまにだけど、形式的に謝ってくることはあるからな」
樹玄の苦言を諌める数馬だが、樹玄はいささか納得のいかない表情を浮かべる。
大和は元々、礼に始まり礼に終わるという習慣が根付いているため、樹玄が不満を口にするのも無理はない。
だが、確かにここ最近の朱音は、いつもと違っていた。
最近の朱音には、どこか“気持ちが別の方向に向いている”ような気配があった。
依頼を終えた直後、報酬を受け取ると、生還祝いもせずに
一足先にギルドを出て行ったきり帰らないのだ。
宿屋にもおらず、顔馴染みの冒険者や町人に尋ねても、姿を見た者はいない。
レオは何も言葉を発する事なく、熱燗のお猪口を口につける。
その夜、3人はそれぞれの思惑を胸に抱えたまま、静かに更けゆく城下町の灯りを見つめていた。
朱音の単独行動が増え始めてから、さらに数週間。
レオ達一向の預かり知らぬところでも、不穏な空気は漂っており小田瓦冒険者ギルドにも、朱音の行動に関する報告が上がっていた。
その日の夕方。
ギルドマスターの執務室で、秘書の白妙からの報告を受けた壮年の男が、書簡をめぐる手をふと手を止めた。
「……朱音殿の行動記録、また抜けているのか」
白妙の静かに頷く。
雪のような白髪と灰緑の瞳を持つ、森人と只人の混血の娘で、わずかに尖った耳と白磁の肌が神秘的な雰囲気を纏わせる。
淡い薄藍の 着物姿は、銀の羽根簪が霧のように揺れ、彼女の“静の美”を象徴していた。
「はい。依頼達成の報告は受けているのですが、前後の行動経路が不明瞭です。同行したパーティからの証言では“途中でいつの間にか姿を消した”と……これと同一の証言も多数出ております」
ギルドマスターことシグルド・ヴァン・ホーレンは深く息を吐いた。
「黒炎の使い手……外法の影がある以上、放置はできん。レオたち3人と組んでいる間は何もおかしな様子は、なかったとと聞いているが……」
シグルドはは書簡を机に置き、深く息を吐いた。
「特に問題行動の報告は受けておりません。ただ最近は、あの3人とも距離を置いているようですわ。朱音の過激な行動も、その後からです」
白妙は手元の書状をめくりながら続けた。
「調査させましたところ、朱音殿は江戸に足を運んでいることまでは判明しました。そこで初級・中級冒険者とパーティを組んでいるようですが……いずれも生還しており、討伐依頼も成功していますわ。過剰な攻撃性と途中で姿を消すのとを覗いては」
シグルドは眉間に皺を寄せた。
「江戸か……。東海領の小田瓦ギルドを離れ、初級・中級の冒険者に手を差し出す。まあ慈善で動いているとは考えづらいな」
白妙は静かに視線を落とす。
「ええ。朱音殿は、必要とあらば冷徹に敵を焼き払う方です。 人だろうと躊躇なく殺める故、弱者救済のために動く人物とは思えません。それなのに、江戸で新米の冒険者たちと合流している。その理由と動機がどうにも結びつきません」
シグルドは机を指で叩き、低く呟いた。
「……人としての感情が希薄に見える場面も多い。朱音殿が何を追っているのか、何を抱えているのか……探る必要があるな」
白妙は胸に手を当てる
「必要とあらば、一等級冒険者を差し向けますが……」
「それはまだ、時期尚早というものだろう」
腕を組み、考え込むシグルド。武人らしい沈黙が室内に落ちる。
「彼女に最も近しい者なら、任せられるかもしれない」
ギルドマスターは視線を上げ、決断を告げた。
「白妙、すまないが数馬、レオ、樹玄を執務室に呼んほしい。頼めるか?」
「承知いたしました」
白妙は静かに深々とお辞儀をすると、衣の裾を乱さぬよう一歩下がり、執務室を後にした。
夜、小田瓦ギルドに向かう途中、白妙が神妙な面持ちで声を掛けてきた。
「お三方、探しましたよ。ギルドマスターがお呼びです。至急、執務室へ」
数馬が眉を上げる。
「おっと、珍しいな。親父んが俺ら3人まとめて呼び出すなんてよ」
樹玄は軽く頷き、レオは無言だが事態を察したような表情を浮かべる。
「なあ……まさか、お前さんとの一夜が親父さんにバレて、カンカンとかじゃないよな?」
数馬が白妙の形の良い耳元にボソッと囁きかけが、思いっきりレオと樹玄にも聞こえていた。
白妙は顔の白肌を赤く染めながら、数馬の頬を力一杯つねり始めた。
「数馬殿……行ってくださいますね?」
「いだだだっ!いぐいぐ。お願いだからつねるのやめて!」
ギルドマスターの補佐役にまで手を出していたことに、レオも樹玄も呆れてものが言えない様子だった。
「白妙殿。仲間のうつけ侍の無礼の数々、どうか許されよ。今の話は拙僧もレオも聞かなかったことにする故、安心なされ。早速だがシグルド殿の下へ案内して頂けるだろうか?」
端正な顔立ちの樹玄の謝罪と申し出に、平静を取り戻す。
「私としたことが……端ない姿を見せてしまいましたわね。では、私と一緒に参りましょう」
「突然、呼び出してすまんな。まあ、座って楽にしてくれ」
小田瓦冒険者ギルドの執務室は、昼の光が障子越しに淡く差し込み、 藍色の影が静かに揺れていた。
その中心に立つ男。深藍の着流しに紺羽織を纏い、黒袴を締めた侍姿の男が、三等級冒険者たちの視線を一身に受けていた。
ギルドマスター・シグルド。
今は侍として大和に生きる男。しかし、その肩の線や立ち姿には、かつて若かりし頃に、西方の戦場で戦士として勇名を馳せたいた名残が、わずかに滲んでいるのだか、その厳つい経歴とは裏腹に、彼の声はいつも穏やかで、背中は不思議と温かい。
それ故、小田瓦ギルドに所属する冒険者の誰しもが"親父さん"と慕い、数馬もレオも、そして樹玄でさえも彼を心から慕い敬意を払っていた。
戦場の雄ではなく、ただ静かに仲間を守る侍。それが、彼らの"親父さん"ことシグルドだった。
ソファに3人が腰を下ろすと、数馬は侍らしく、背筋を伸ばし、礼を崩さぬまま、親しみのある声音で言う。
「親父さん。朱音殿の件、急ぎで呼ばれたと聞きましが……」
隣では、戦士のレオが家族のような信頼を込めてシグルドを見つめる。
「親父さんが直々に呼ぶなんて、只事ではないと見えるが」
そして、最も静かに座るのは森人の僧侶樹玄。彼は丁寧に膝を揃え、深く頭を下げた。
「ジグルド殿。穏やかではないご様子。いかがなされた」
3人の視線を受け、シグルドはゆっくりと息を吐いた。羽織の銀刺繍が淡く光り、彼の影が障子窓に長く伸びる。
「……あの娘のことだ。お前たちに話しておかねばならん」
その声音は、戦場の猛者でも、西方の戦士でもなく、ギルドを守る“親父さん”そのものだった。
「単刀直入に言おう。朱音殿の行動についてだ」
数馬がわずかに身じろぎする。樹玄は表情を引き締め、レオは黙って頷いた。
(やはり、朱音のことだったか……)
召喚された理由が朱音のことだと言うことは、わかっていた。自分達は彼女と深く関わっているから、当然のことと認識している。
「ここ数ヶ月、朱音殿は依頼の事前申請なしに別隊と同行したり、依頼の途中で姿を消したり、報告が遅れたりしている。 行動記録にも抜けが多い」
マスターは机の上の書類を指で叩いた。
「さらに、野党や山賊の討伐でも、戦意喪失した者を容赦なく一方的に焼いた、斬り刻んだという証言もある。規定違反とまでは言わんが、人道的に目に余るという声が増えている」
数馬が口を開く。
「確かに、やりすぎな所はあるな。俺達が標的した魔物や外道の悪党達に朱音は容赦しなかったが、切り刻むまではしなかった……正直、初耳だし驚いている。親父さん、噂に尾ひれがついたとかじゃないのかい?」
「数馬……これは“噂”ではなく"事実"だ。同行した者も朱音殿は"壊れている"と言うも者もいる。それくらい同行した者達は凄惨な光景を目の当たりにしたことは理解してほしい」
シグルドの声は低く、重かった。
「それに現状況から見ると、彼女は他の冒険者たちと行動を共にしてから、その残忍生が芽生えている。君たち3人と行動している時だけ過剰なまでの殺戮は行わなかった」
樹玄が息を呑む。
「つまり……我らは彼女の"人"としての外法に侵食し始め理性や情が失われつつあると」
「そうだ」
シグルドは深く頷いた。
「既に討伐を殺戮として興じる以上、外法の闇に侵食されている可能性は非常に高い。外法の闇は修練を積んだ高名な陰陽師でさえ、押さえ込むのは容易ではないと聞く。それにギルドとしても看過できん」
シグルドは3人を見つめる。
「彼女が何を追っているのか、何を抱えているのか、君達3人には危険を承知で見極めてもらいたい」
レオは静かに呟いた。
「……承知した。だが、朱音が外法に侵食されつつあるなら、俺達ですら、足止めは難しいかもしれない。むしろ危険と言うべきだろう」
数馬も立ち上がる。
「親父さん、万が一、俺達や他の者に危険が及ぶ場合……斬ってでも止めろ……そう言うことかい?」
シグルドは一瞬、言葉を詰まらせるが大きく頷いた。
「口に出すには、酷い話やも知れぬが、君達の身に危険が及ぶと判断した時は……斬っても構わない。仲間を手に掛けるのは辛いだろうが」
樹玄は深く頭を下げた。
「シグルド殿のご懸念と辛いご決断、確かに受け取りました。 我ら3人で善処するといたします」
ギルドマスターは安堵の息を吐いた。
「頼んだぞ。小田瓦ギルドから、犠牲者も加害者も出したくない。それが本音だ。しかし、危うい影がある以上、彼女と距離の近い君達に任せる他ない。どうか許して欲しい」
シグルドは静かに立ち上がり、姿勢を正すと、レオ・数馬・樹玄の三人へ向けて深々と頭を下げた。 隣の白妙もそれに倣い、衣の裾を乱さぬよう丁寧に頭を垂れる。
「親父さん、頭を上げてくれよ。らしくねえ」
数馬が苦笑しながら言う。その声音には、気さくさと敬意が同居していた。
「俺たち冒険者は、危険と死と隣り合わせだ。いつ命散らしてもおかしくない稼業だろ。親父さんの依頼なら、喜んで受けるぜ」
数馬は立ち上がり、シグルドの肩に手を置く。
樹玄は胸の前で両手を合わせ、静かに頷いた。
「左様。我らもシグルド殿には世話になっている。今さら遠慮する仲でもなかろう。困り人に手を差し伸べる。これぞ冒険者の本懐」
レオは少し照れたように笑い、言葉を続けた。
「俺がララリカから来た時、数馬に声を掛けるよう手引きしてくれたのは、あなただった。親父さんのお陰で、この5年間本当に充実していたんだ。遠慮することはないさ」
シグルドは3人の顔を順に見つめ、武人らしい強さの奥に、わずかな戸惑いを滲ませた。
「……お前たちすまない……本当にすまない。この依頼、よろしく頼む」
白妙は静かに目を伏せ、男達の熱い友情に少しだけ当てられ涙を拭う。
小田瓦の冒険者ギルド酒場。夜の喧騒の中、レオ・数馬・樹玄の三人は、ギルドマスターから受けた密命とも取れる依頼について思案を巡らせていた。
"朱音の行動を見極めよ"
その言葉は、3人の胸に鉛のように沈んでいた。
数馬が杯を揺らしながらぼそりと呟く。
「……気が重くならない……と言えば嘘になるが、朱音自身が、あんな感じじゃ疑われて当然だよな」
樹玄は静かに眉を寄せる。
レオは黙ってお猪口を置き、酒場の奥を見つめていると
入口の扉が静かに開く。
黒と朱の陰陽装束。揺れる黒髪。感情の色をほとんど含まない赤みを帯びた瞳。
依頼の対象の朱音本人が姿を現し、3人を見つけると、すぐさま歩み寄ってきた。
(何とも間の悪い……)
ギルドマスター・シグルドからの依頼直後ということもあり、レオも内心では、気の引け目を感じざるを得ない。
「……あなたたちを探していたわ」
数馬が苦笑する。
彼自身もレオと同じ心境のようだった。
「お、おう。久しぶりに会ったのに、いきなり依頼かい?どうしたんだ朱音」
3人の心境など知る由もなく、朱音は淡々と告げた。
「小田瓦から西の向こう、王都江戸領の宿川の冒険者ギルドをはじめ、付近各地のギルドで初級冒険者のパーティが未帰還だという話を耳にしたわ」
樹玄が怪訝な表情になる。
「未帰還……各地でですか」
「ええ。宿川は江戸の玄関口。そこから海沿いへ東に向かった芝浜村の海竜の祠に向かった初級パーティが戻らない、と」
朱音の声は静かで、揺らぎがなかった。
だが3人は互いに視線を交わした。ギルドマスターの密命が脳裏をよぎる。
今は黙って話を聞くべきか?それとも問いただすべきか?
そんな中、レオは、迷いを断ち切るように口を開いた。
「朱音。率直に聞く」
朱音はレオを見つめる。その瞳は、いつものように深い静謐を湛えていた。
「……半年間、君と苦楽を共にした、いわば仲間だ。だからこそ伺いたい」
レオは一瞬の躊躇を飲み込み、朱音の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「最近、真紅の陰陽師と組んだパーティを組んだ者達から戦闘時の『過剰なまでの攻撃性』が指摘されている。噂であってほしいと願っていたが……」
数馬が息を呑み、樹玄がわずかに身を乗り出す。レオは言葉を継いだ。
「真紅の陰陽装束は何を隠そう君のことだろう。なあ朱音。仮に君の『黒炎』が外法だとしたら、君は今、その術自体に心身を蝕まれているのではないのか?」
朱音は、ほんの一瞬だけ瞬きをした。
「……久々に会えたと思えば、3人揃って疑っているのね」
発せられる声に揺らぐことはない。迷いも、怒りも、含まれることはなかった。
数馬がたじろぎながらも口を開く。
「小田瓦にまで噂は飛んでいるんだ。初級、中級のパーティとばかり手を組んでいるとも聞く。俺たちを仲間と思ってくれているなら、素直に話してくれないか?」
じろりとと数馬を睨みつける朱音。
「それは小田瓦のギルドマスターの意向? ならば、私が直談判に行こうかしら?」
心を見透かすような鋭い一言に数馬が気圧されるが、樹玄がすかさず割って入った。
「朱音殿、どうか鎮まられよ。これはあくまで噂の真偽を確かめるだけのこと。貴殿自身の口から真実を語って頂きたいだけなのだ」
真摯な眼差しと、その言葉に、朱音はフッと僅かな笑みを浮かべた。
初めて見る彼女の笑みに、三人は少なからず動揺する。
「いいわ、答えましょう。まず黒炎は外法にあらず。私の一族が生まれ持っている特殊な才のもの。そして『攻撃性』についてだけど……野党や山賊の類は、治安奉行所も手をこまねく極悪人よ。女子供まで殺める連中に、慈悲をかける必要なんてあるのかしら?」
扇子を広げ、口元を隠しながら淡々と告げる。樹玄が瞳の奥を覗こうとするが、そこには相変わらず感情の影がなく気味の悪さすら覚える。
レオは迷いを押し殺し、決定的な問いを投げかける。
「……君の言い分は理解した。野党の討伐は冒険者として間違いじゃない。だが噂の論点はそこじゃないんだ」
レオは言葉を切り、喉の奥で震える声を押し出した。
「問題なのは、討伐の是非じゃない。君の戦い方が、まるで……『人として何かが欠落している』ように見えるということだ」
数馬と樹玄が言葉を失う。
静寂の中、朱音はただレオを見つめていた。
「……理解したわ」
返ってきたのは、やはり温度のない声だった。
「やりすぎたのは事実。ごめんなさい。確かに過剰に手を加えていたわ。無用な心配をさせぬよう、今後戒めるわね」
淡々とした気持ちの無い謝罪。
だが、朱音の口から謝罪の言葉が出ることを予想していなかったのか、数馬たちは安堵の吐息を漏らす。
だが、レオだけは違った。
朱音の瞳の奥底に、最後まで『人らしさ』がなかったことが気にかかる。
その謝罪には、人間らしい熱量が欠けすぎていたのだ。
重苦しい空気のまま、朱音は先程提示した依頼の話へと切り替えた。
「話を戻してよろしいかしら?未帰還の件。海竜の祠へ向かった初級冒険者のパーティが3組、立て続けに戻らない。これは、ただの地鬼の仕業ではないわ」
数馬が眉をひそめる。
「不穏な存在……ってことか?」
「ええ。祠の周辺には、地鬼以外の“何か”がいるとしか思えない。上級種なのか、或いは得体の知れない何か……私1人では対処が難しい。だから、協力してほしいの」
朱音は淡々とした口調で、依頼の全容を明かした。
「ええ。祠の周辺には、地鬼以外の“何か”がいるとしか思えない。上級種なのか、或いは得体の知れない何か……。私一人では対処が難しいの。だから、協力してほしい」
朱音は3人を見渡した。相変わらずその瞳は揺らぎ1つ見せない。
「この依頼は、江戸宿川の冒険者ギルドで受注しているわ。向かう途中、あなたたちにいらぬ疑いをかけられない為にも、伺い所に一緒に顔を出すつもりよ」
数馬は腕を組み、レオと樹玄へ無言の視線を送る。決断を促すその眼差しに、レオは迷うように沈黙した。数馬が痺れを切らして問いかける。
「……どうする、レオ?」
「朱音殿も宿川ギルドに顔を出すならば、我らとしても同行に不都合はない。初級冒険者が行方不明のことも捨ておけまい。現地で確かめるべきことも多かろう」
朱音の事は気掛かりではあるが、初級冒険者の件は気掛かりな樹玄。
レオはしばし沈黙し、朱音の横顔を見つめた後、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。行こう朱音。祠の件も、そして君のことも、俺たちで確かめる」
その言葉を受けた朱音は、小さく目を伏せた。
「ありがとう。では、夜明け前に出発しましょう」
3人は互いに視線を交わし、静かに頷く。
朱音の抱える「黒炎」の真意を探るために。そして、海竜の祠に潜む“何か”を暴くために。
一行の足取りは重いが、目指すべき場所へと足を向けるのだった。
第5話・後書き
今回の一幕では、戦士レオ、森人の僧侶・樹玄、そして侍・数馬3人人の歩んできた経緯に焦点を当てました。
彼らは、主人公あんず達の物語に脇から関わる存在でありながら、その背後には、それぞれが積み重ねてきた旅路や痛み、そして誰にも語られぬ冒険譚が息づいています。
世界には数え切れぬほどの冒険者がいて、彼ら一人ひとりに人生があり、光に当たらぬまま埋もれていく物語は星の数ほどあるのでしょう。
すべてを拾い上げることは叶いませんが、本編を語る上で必要とあらば、こうして脇役たちの歩みや想いにもそっと光を当てていけたらと思っています。
彼らの物語が、あんず達の冒険譚をより深く照らす一助となり、読者の皆様に感慨深い味わいを残せれば幸いです。




