第2話 私たちが手を差し伸べる時なのです
武三郎たちが受けた依頼──浜芝村の『海竜の祠』を根城とする地鬼ゴブリンの討伐、ならびに行方不明となった冒険者たちの捜索・調査である。
およそ3か月前、近隣の冒険者ギルドから初級(十等級〜七等級)の3組、計16名のパーティが海竜の祠へ派遣されたが、いずれも未帰還となっている。
祠の入口周辺では、彼らの装備品と思われる品々の一部が発見されており、全滅、あるいは捕虜となっている可能性が極めて高いと考えられていた。
冒険者ギルドには、冒険者それぞれの実力・実績・経験を十段階で評価する「等級制度」が設けられている。これは大陸を問わず、世界中の冒険者ギルドで共通の基準として採用されている制度である。
最下位の十等級から最高位の一等級まで、等級が上がるほど受けられる依頼の難度や報酬は大きく跳ね上がる。その一方で、討伐対象もより危険かつ強力となり、命を落とす危険性も比例して高くなっていく。
十等級から七等級。
いわゆる新米冒険者が属する初級組だ。
雑務や比較的弱い魔物の討伐が中心で、経験を積むための登竜門とも言える段階である。
六等級から四等級。
中級組と呼ばれ、冒険者として一人前と認められる領域だ。 受けられる依頼の幅も広がり、武三郎たちもこの中級組に属している。そのため、初級組と比べれば報酬も幾分高く、懐も多少は温かくなる。
そして、三等級から一等級。
ここに至って初めて、冒険者は上級組と呼ばれるようになる。
だが、その領域へ辿り着くには、実力、経験、知識、そして運。そのすべてを兼ね備えなければならない。
道半ばで命を落とす者。怪我や事情によって冒険者稼業を退く者。あるいは闇に堕ち、犯罪者となる者。
初級組や中級組から脱落する者は後を絶たず、ゆえに上級組の人口は他の等級と比べても圧倒的に少ないのが現状であった。
だが今回は、将来、上級組へと成長する可能性を秘めた初級組三パーティが、揃って未帰還という異常事態が発生した。
事態を重く見た各派遣元の冒険者ギルドは、速やかに王都の中央ギルドへ報告を上げる。
その結果、依頼は江戸でも名高い浅草雷ギルドへ引き継がれ、ギルドマスター・深谷万三郎の要請により、六等級の武三郎たちが現地へ派遣されることとなったのである。
地鬼は、鬼族の一種として知られる亜人型の魔物である。
どす黒い緑、あるいは湿った土のような色をした皮膚に、尖った耳、そして顔の半分まで裂けた大きな口を持つ。身長は百センチから120センチほどで、只人の子供ほどの体格しかない。
しかし、その小柄な体格に反して、性格は狡猾かつ残忍。非常に好戦的で、油断ならない連中だ。
1対1なら負けようのない雑魚でも、徒党を組むと非常に厄介なので、注意を怠らず周到な準備と知識を持ち合わせていれば、初級組の冒険者には打ってつけの訓練相手になるだろう。
運が悪く上位種が現れた場合、無理せず逃げれば無事であることが殆どである。
この初級組でも生還率が極めて高いに相手にも関わらず、初級3組が未帰還というのは、予測を超えて大きな謎でもあった。
国砦を抜けてしばらく歩くと、田園風景は次第に山裾の景色へと移り変わっていく。やがて街道が緩やかな下り坂になり、これまで視界を遮っていた背の高い草木がふいに途切れた。
「わああ……海だあ」
あんずの歓声に応えるように、目の前には青空を映した鏡のような大海原が広がっていた。ほのかな潮の香りが三人の鼻腔をくすぐり、石畳の街道も、いつしか砂混じりの道へと変わっていく。
やがて遠くから波の咆哮が響き始める。その力強い海鳴りの先には、小さな村の屋根が見え始めていた。
「……ここが、依頼の村だよね?」
「遠くから見ると、思っていたより大きな漁村ね」
波打ち際に沿って弓なりに続く砂浜。その浜辺に寄り添うように、低い瓦屋根の家々が密集している。
あれが依頼の目的地、芝浜村で間違いないだろう。
軒先には白い漁網が揺れ、潮風に晒された板壁は黒ずみ、長年の風雨を物語っている。潮の香りと魚の匂いが入り混じる空気は、先ほどまで歩いていた田園とはまるで別世界だった。
漁村と聞けば、荒々しくも威勢のいい掛け声が飛び交う活気ある光景を思い浮かべる。
しかし、その想像とは裏腹に、村は異様なほど静まり返っていた。
昼時にもかかわらず戸口を固く閉ざした家も多く、人影もまばらで、どこか息を潜めているような空気が漂っている。
「人の気配が薄いわね。地鬼が出るって話も、どうやら本当みたい」
向日葵は周囲を見渡しながら、小さく呟いた。
「逃げるなモフ子!」
「ひゃっ……!」
恐怖のあまり踵を返して逃げ出そうとしたあんずの左肩を、武三郎の手が素早く掴んだ。
情けないほど小さな悲鳴を漏らした、その瞬間だった。
胸の奥が、きゅう、と締めつけられる。
「……っ、え?」
あんずの視界が、ふっと揺らいだ。
まるで足元の地面が消え、深い海の底へと沈んでいくような感覚が全身を包み込む。
冷たい水が頬を撫でるような感覚。
遠く、遠くから波の音だけが響いてくる。
──我を救ってくれ……。
泡のように儚く、それでいて確かな声が、海の底から浮かび上がってきた。
あんずは思わず胸元を押さえる。
「モフ子、どうした?」
武三郎の声に、あんずははっと我に返った。
目の前では、武三郎と向日葵が心配そうな表情で顔を覗き込んでいる。
さっきまで感じていた冷たい海の感覚は、まるで幻だったかのように消えていた。
「い、今……なんか……海の中にいるみたいで……」
自分でも何を言っているのかわからない。けれど、胸の奥へ流れ込んできた“哀しみ”だけは、確かにそこにあった。
向日葵が心配そうに顔を覗き込む。
「あんず……大丈夫? 目の焦点が合ってなかったよ」
「わからない……なんて言えばいいのかな。誰かが海の底で、ずっと哀しんでいるみたいな感じがして……」
あんずは震える指で海の方角を指差した。
「海の底の方で……『救ってくれ』って……」
「モフ子……霊感ネタでトンズラここうとしてんじゃねぇだろうな?」
「違うもん!」
あんずは涙目で抗議する。
「タケくんも向日葵ちゃんも、聞こえなかったの?」
武三郎は腕を組み、海をじっと見つめた。
「聞こえねぇよ。聞こえるのは波の音だけだ」
向日葵も静かに首を横へ振る。
「私にも……何も聞こえなかった。でも、あんずが感じた“何か”は無視できないわ」
「アタシも、さすがにこんなことで冗談は言わないよ……。気のせいだと思いたいけど……でも、すごく……悲しかったの」
あんずは必死に自分へ言い聞かせるように呟く。しかし、胸の奥に残る冷たい哀しみだけは、どうしても消えてくれなかった。
武三郎は小さくため息をつくと、あんずの頭を軽く小突いた。
「だったら、なおさら放っとけねぇな。巫女のモフ子がそう言うなら……『救ってくれ』って声が本当なら、なおさらだ」
あんずは驚いたように顔を上げる。
向日葵も、その言葉に力強く頷いた。
その時だった。
村の入口の影から、聞き慣れた朗らかな声が響く。
「おーい、みんなぁ。来てくれたんだなぁ」
北国訛りの声とともに姿を現したのは、先行していたパーティメンバーである、忍者の清志郎だった。
黒の忍装束を身にまとい、赤い襟巻きをひらりと揺らしながら、柔らかな笑みを浮かべている。
兼風 清志郎──通称“キヨ”。
只人の少年で、向日葵やあんずと同じ16歳。
大和大陸北方の雪国、その山奥にある忍の里──兼風忍軍に属する若き忍者である。
忍らしい細身でしなやかな体つきに、雪国育ち特有の透き通るような白い肌。頬にはいつもうっすらと赤みが差し、中性的な顔立ちも相まって、実年齢より幼く見られがちだ。
その愛らしい容姿から、初対面では年頃の少女と勘違いされることも少なくない。本人から「男です」と告げられ、驚かれるのは、もはや日常茶飯事である。
ともあれ「可憐で可愛い男の子」という印象は否定しようもなく、年上の女性から妙に可愛がられることが多い。
もっとも、武三郎たちのパーティでは、戦闘、索敵、罠解除はもちろん、潜入や諜報までこなす万能型の忍として活躍している。
体術や忍具の扱いにも長け、その実力はギルド内でも水準以上と評価されるほどだ。
……ただし、山奥育ちなため世情にはとことん疎く、北国訛りも相まって会話が噛み合わないこともしばしば。
もし戦国の世で敵国への潜入任務を命じられたなら、訛りだけで正体が露見してしまうだろう。
忍としては致命的とも言えるその残念さもまた、彼の愛すべき魅力のひとつなのかもしれない。
しかし、忍とは思えないほど温和で牧歌的な性格と、誰よりも仲間や周囲への気配りを忘れない包み込むような優しさこそが、兼風 清志郎という少年を何より象徴していた。
「キヨくん……!」
あんずの顔がぱっと明るくなる。
「お疲れさま!無事で良かった」
向日葵もほっと息をつく。
「おうおう、心配かけで悪りかったなぁ。そんで、来で早々なんだけんどもよ、状況はちっと、ややこしぐなってんだべ」
清志郎は村の奥を顎で示した。
「ここ最近がら、祠の洞窟に住み着いた地鬼どもが荒ぶっててよ、村の境界に姿見せっことが多くなって、村の衆は皆、家にへばりついてるべさ」
「地鬼……いつもと変わらず凶暴なんだね……」
あんずが小さく身を縮める。
「それだけじゃねぇんだ」
清志郎が腕を組む。
「既に初級パーティ3組が行方知れずだっけんども、昨日、上級組の三等級パーティ4名が祠さ向かったっきり、戻ってこねぇんだべ。 こりゃあ、ただの地鬼討伐じゃ済まねぇごどになるぞ」
武三郎は真剣な表情で頷いた。
「…… そうだよなぁ。今回の依頼で一番驚愕すべきことは、 キヨさんの猛烈な訛りを正確に聞き取れる村人の理解力じゃねえか」
向日葵は耐えきれずに「ぶっ!」と吹き出し、あんずも両手で口を押さえて肩を震わせる。
「タケ……やめなさい!今はネタを披露してる場合じゃねえべな!」
「悪りぃな、キヨさんの訛りは、もはや一種の伝統芸能だろ。イジらなきゃ失礼かと思ってよ」
「あはは!もう、タケったらキヨをイジるのホント好きだよねえ!」
「タケくんやめて!お腹壊れちゃう!」
武三郎の最後の一言がトドメとなり、2人は抱腹絶倒する。そんな様子を、清志郎は苦笑いを浮かべながら見守っていた。その目は「やれやれ」と呆れつつも、どこか温かい。
清志郎には分かっていた。
武三郎がこうして自分をイジり倒すのは、不穏な依頼内容で強張った仲間たちの緊張を、少しでもほぐそうとしているからなのだ。
笑い声が潮風に溶けた頃、武三郎がふっと表情を引き締める。
「さて、キヨさんをイジる続きは、討伐が終わってからにするとして……昨日の上級組が戻らねぇとなると、今回の『お仕事』は一筋縄じゃいかねえな」
その声には、先ほどまでのふざけた気配は微塵もなかった。
風が吹き抜け、村の戸板がかすかに音を立てる。
あんずは思わず向日葵の袖をつまんだ。
「ほれ、まずは村の集会所まで案内すっから。村長さんから詳しい経緯を聞いてみるべな。中に村の衆も集まってるべよ」
清志郎に案内され、村の中央に建つ年季の入った古い集会所へ入る。
囲炉裏の向こうでは、白髪交じりの初老の村長が、深い皺を刻んだ顔で四人を迎えた。
村長を囲むように、多くの村人たちが肩を寄せ合って座っている。頭や腕に包帯を巻いた若者たちの姿もあり、その表情には不安と警戒の色が濃く浮かんでいた。
「……よく来てくださいました。浅草雷ギルドの皆さま。依頼人であり、この芝浜村の村長を務めております、末吉と申します」
村長は深々と頭を下げた。
その背中には、長い年月を背負ってきた者だけが持つ重みが滲んでいた。
「お初にお目にかかります、村長さん。そして芝浜村の皆様。今回ご依頼をいただきました、パーティーのリーダーを務めます向日葵と申します。
浅草雷ギルドでは六等級という未熟な身ではございますが、我ら一同、誠心誠意務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
鈴を転がすような快活な声。しかし、彼女が正座へと移る動作には、いっさいの雑味がなかった。
広く仕立てられた陰陽装束の袖を片手でそっと押さえ、乱れなく畳へと膝をつく。両手を逆ハの字につき、深々と頭を下げた。
向日葵の背後に控える武三郎、清志郎、あんずもそれに倣い、そろって両膝をつき、深く頭を下げる。
完全に動きを止め、一呼吸置いてからゆっくりと顔を上げる。その一連の所作は、粗野な者が多い冒険者とは思えないほど流麗なものだった。
自分のような老いた村長や、一介の村人達にまで敬意を払ってくれている。
その事実だけで、村長や若者たちの心に刺さっていた不安の棘が、みるみると溶けていくようだった。
「……わしらのような、しがない漁村の者にまでご丁寧なご挨拶、いたみ入ります。浅草からの道中は大変だったでしょう。どうか足を崩して、楽にしてくんなせぇ」
村長の気遣いに甘え、武三郎と清志郎は胡座を組み、向日葵とあんずは正座から両足を横に崩して座り直した。
ゆっくりと顔を上げた向日葵の表情には、こちらを安心させるような、ひまわりの花のごとき温かい微笑みが浮かんでいた。
「まずは、詳しい話を聞かせていただけますか?」
向日葵が丁寧に問いかける。
村長の末吉はゆっくりと頷き、語り始めた。
芝浜村は本来、沿岸漁業や定置網漁、気候を活かした果樹栽培を主産業とする活気ある村であった。
果樹園は村から歩いた山林地帯に、海に面した斜面(段々畑)を作り、そこに山水を敷き西瓜、苺、蜜柑、甜瓜など沿岸ならではの果物を栽培しており、漁業と果物の両方で村の生計を立てていた。
だが、約200年前より海辺に鎮座する「海竜の祠」に、3か月前から地鬼が住み着いたことで状況が一変した。
最初は、漁の自網にかかった魚を奪われたり、果樹園を荒らされたりする程度で、人的被害はなかったのだが……。
地鬼が目撃された時期と重なるようにして、周辺の海域は異様な時化が発生。
3ヶ月間収まる気配はなく、海は怒りの如く唸りを上げ続けているのだ。
その影響で漁船は出せず、定置網も流されてしまい漁業は壊滅的となるものの、幸いにも浅瀬の岩場に生成するワカメや海藻類、貝や小魚を採って飢えを凌いでいる。
ただ、漁獲量も限られているし、村の蓄えも合わせると、もって2ヶ月持ち越せるかどうかだという。
漁業も果樹園も瀕し、市場に流すこともままならず、地鬼や行方不明の冒険者の噂が広まり商人も近付かない負の連鎖が生じたのである。
村人達は、最初こそ地鬼の仕業と思っていたのだが……日を追うごとに疑問点も生じた。そもそも大地の穢れから生まれると伝承される地鬼に、海を荒らすまでの脅威を起こせるとは考えづらいからだ。
「一度、刀や陰陽道にかじりのある若い衆が集団で海竜様の祠に討伐に向かったのですが……」
「返り討ちですか?」
「仰る通り……玄室に10匹以上の地鬼と上位種が待ち構えており、命からがら逃げるので精一杯でしたわい」
末吉も若者達の表情からは悔しさを滲ませている。
刀や陰陽道に覚えがあるとはいえ、戦闘経験が少ない者にとって地鬼相手は、危険も大きいのだが、敢えて討伐にむかったのは、村も追い詰められてのことだろう。
これには向日葵も同情を禁じ得ず、村人達を労るような表情を落とす。
「そもそも大地の穢れから生まれると伝承される地鬼に、海を荒らすまでの脅威を起こせるとは思えません。奴らの中には術式を扱う者もいますが、知能の低い地鬼に自然の摂理を曲げるような知識も霊力を持ち合わせているとは考えづらいのです……となると」
「海竜様に関係があると……?」
末吉の言葉に、向日葵は深く息をしながら頷く。
「その可能性は充分に考えられます。ただ……本来、村を守護するはずの海竜が前触れもなく牙を向く理由まではわかりません」
向日葵が考え込むように俯いたその裾を、あんずがそっと引っ張った。半ば怯えた声が、静かな集会所に落ちる。
「あ、あのですね……アタシ、この村から広がる海を見た時、感じたんです。海から……怒りとも、哀しみともとれるような……大きな存在の気配を」
「巫女様。大きな存在とは海竜様ですかな?」
村長がゆっくりと顔を上げ、あんずに視線を向ける。
「……わかりません。でも、巫女の私には……海がまるで“止めてほしい”って訴えているように感じました。とてつもなく深い底から、誰かに救いを求めているような……そんな気がして」
あんずの言葉に、包帯の若者がはっとしたように口を開く。
「巫女様の言う通りかもしれねぇ……。200年前、まだ村が集落だった頃、村ごと呑まれそうな大津波が迫ったことがあったんだ。でもよ──荒れ狂う波の中から海竜様が現れて、大津波を鎮めたって話が残ってる......」
「……この若造の言う通り、芝浜村の海竜様は、昔からこの村を守ってくださった存在でしてな」
その言葉に、向日葵が目を瞬かせた。
「えっ……浜芝村の海竜様って……江戸で子供の頃に聞いた御伽噺の、あの“海を鎮める竜”のことですか?」
あんずも慌てて頷く。
「アタシも知ってる!“海竜さんが大津波を鎮めた”っていう……あの話ですよね?あれって……浜芝村のことだったんだ!?」
2人の驚きに、末吉は静かに頷いた。
「ええ。江戸では古くから御伽噺として語られておるようですが……この村では、海竜様は紛れもなく“実在する守り神”ですじゃ。御伽話には浜芝村の記述はないため、この村の海竜様の事だと気付く者はいますまい」
向日葵は思わず息を呑む。
「……本当にいたんだ」
末吉が静かに語りかけた。
「村に伝わる古文書によると、若い衆の言う通り今から200年前、村の祖先たちは、かつてない大津波の脅威に晒されましたが……海竜様の救済と加護により脅威から救われたと記されております」
語る声には、静かな重みがあった。
「大津波を鎮めてくださった海竜様を讃え、海沿いの小高い岩窟に祠を建立いたしました。村人は毎朝、海竜様へ感謝の祈りを捧げ……春と秋には盛大な祭りを催し、海の恵みと村の平穏を共に祝っていたそうです。村の者にとって海竜様は守り神であり、身近な存在だったのです」
向日葵は静かに頷き、あんずは胸に手を当てて聞き入る中、末吉は続けた。
「しかし……時が移ろうにつれ、祈りを捧げる者も減り、祠も次第に寂れていきました。暮らしが豊かであればあるほど、人は“守られていること”を忘れてしまったのです」
煤けた壁に揺れる影が、村長の言葉の重さを際立たせる。
「祠への手入れや祈り、祭りの準備も、次第に簡素になり……かつては村総出で行っていたのが、時が経つにつれ海竜様へ祈りを捧げる者は、ほんの一握りになっていた......思えば、祠での地鬼の発生、止まない大時化、全ては海竜様への畏敬の念を忘れた罰なのかもしれんのう」
村長も若者達もやるせない表情で俯くと、あんずは静かに小さく呟く。
「……あの。確かに海竜さんへの敬いは忘れてはいけませんが......海からは村の皆さんに対してへの怒りは感じないのです。」
向日葵の瞳と村長と若者達の視線を集め、あんずは小さく震えながら言葉を続ける。
「……巫女長様が仰っていました。人の世とは、移ろうもの。日々の営みに追われ、祈りも、感謝も、薄れていく......忘れようとしたわけではない。ただ……時が、人の心をさらっていくと......それでも」
あんずは柔らかい笑みを讃える。
「……皆さんは、決して海竜さんを忘れてなどいません。祠が寂れても、祭りが途絶えても……心のどこかで、ずっと気に掛けていたのでしょう。その想いは、海竜さんにも届いています。だからこそ......今度は、私たちが海竜さんに応え、お救いする番なのです。かつて守られたように、今度は私たちが手を差し伸べる時なのです」
村人たちの“胸の奥に残っていた想い”が、目も前にいる犬人の巫女の言葉で一気に表にあふれ出す。
「……忘れちゃいねぇ。俺たち毎朝、海の色を見てたんだ。“今日も無事でありますように”って……心の中で、ずっと。俺たちは常に海竜様と共にあったんだ」
その声に、周りの村人たちが次々とうなずく。年配の漁師が、節くれだった手で膝を握りしめながら言う。
「海竜様がいなきゃ、この村ぁとっくに沈んでた。わかってたんだ……わかってたのによ……助けを求めてるなんざ、気づいてやれなかった」
悔しさと情けなさが混じった声。しかし、その目には確かに力強い何かが宿っていた。
若い母親が、胸に抱いた幼子をそっと揺らしながら言う。
「守っていただいた分……今度は、私たちが守る番なんですね」
その言葉は震えていたが、揺るぎない温かさがあった。
村長の末吉は巫女へに深々と頭を下げる。
「……巫女様。あなたの御言葉で目が覚めましたわい。海竜様と村を救うためなら、この末吉、村総出で力を尽くしますし、ご協力は惜しみません」
末吉の畏まる仕草に、あんずは自分が先ほどまで村人たちに向けて語っていた内容を思い出し、はっと肩を震わせた。
「……あ、あれ?アタシなんか、すごいこと言ったかな……?」
闘志燃えたぎる村人達を見て、巫女としての気迫が抜けた途端、少し引き気味になり、いつもの小動物のような、あんずに戻っていた。
その横で、向日葵が肘で軽くこつんと小突きながら、にやりと微笑んだ。からかうでもなく、誇らしげでもある表情。
「やるじゃん、あんず。あれだけ堂々と言えるなんて大したもんだよ」
「やめて、向日葵ちゃんまで……!」
あんずが縮こまるように肩をすくめたところへ、武三郎が腕を組んでずいと顔を寄せる。
「おお、あんず。さっきみてぇな立派な口叩いたんだ。逃げるなよ」
「ひっ……!」
低い悲鳴と共に、ぴしりと背筋が伸び、あんずは石像のように硬直した。
「タケ、モフ子もせっかくいい感じに暖まってきたんだべさ。水かけるような真似すんなって」
清志郎がと苦笑するが、武三郎は「けっ、励ましだよ励まし」と鼻を鳴らす。
そんな空気が一巡したところで、向日葵がふっと真顔に戻り、村長へ向き直った。
「村長さん。昨日、三等級の冒険者が海竜の祠へ向かったと伺っておりますが......」
向日葵の問いに、末吉は深く頷いた。
「はい……清志郎さんにお伝えした通り、昨日、今くらいの時間に三等級の冒険者様が突然やってきました。侍と戦士と僧侶、それと女の陰陽師で編成されていましたかな......侍殿は、数馬殿と名乗ってましたな。あなたのような井出立地をした若武者でした」
末吉に視線を向けられ、武三郎も口の端を吊り上げ不敵に笑う。
「へっ、そいつぁ見どころのある奴だったんじゃねぇか?」
「戦士殿は、侍の刀とは違い分厚く大振りな剣を背負い、金色の髪に青い瞳をしていましたな。武者鎧とは異なる胸当てを纏っていたので、明らかに異国の者でしょう。流暢な大和語で話しておりました」
向日葵は小さく頷く。
「大和には渡来者も多いですからね......国内の冒険者ギルドにも外国の冒険者は多数、登録されているので、その1人でしょうね」
清志郎が腕を組み、ぽつりと呟いた。
「んだべな。俺も何度か自分のギルドや浅草の街で見掛けるけど、異国の戦士や騎士ってなんかこう……迫力あるんだよなぁ」
末吉は頷きながら続ける。
「僧侶殿は森人でしてな、背が高く、厳格そうで物静かな方でした……祠の話をした時、誰よりも真剣な顔をして聞き入っておりました」
向日葵の表情がわずかに引き締まる。
「……そして、陰陽師の女性ですね」
「陰陽師の方は若い女性ですが、20後半くらいといったところで、あなた方よりは歳も上でしょうな」
その説明に向日葵は静かに続きを促した。
「陰陽師の女性は……どんな様子でしたか?」
村人のひとりが、少し困ったように眉を寄せる。
「べっぴんさんでしたよ。そりゃあもう。けんど……なんというか、冷たいというか、素っ気ないというか……あんたみたいな暖かい、べっぴんさんと比べたら、まるで氷みてぇで」
向日葵は苦笑し、あんずは「ひ、人と比べるのは……」と小声で抗議するも、別の村人の声でかき消される。
「真紅の陰陽装束を纏ってましてな。あれは……ちぃと異様に見えました。侍殿や戦士殿、僧侶殿は親身になって話を聞いてくれたんですが……あの陰陽師の姉ちゃんだけは、なんとも掴みどころがなくて」
向日葵の表情がわずかに引き締まる。清志郎も横目で仲間たちを見た。
「その4人は、行方不明の冒険者達の話を聞いて、遥々、浜芝村へやって来たそうです。事情を聞くと、すぐに祠へ向かわれました」
「とっとと行っちまったもんな」
村長が重々しく言葉を継ぐ。
「……ですが、戻ってこない。夕方になっても音沙汰がないもんで、若い衆が様子を見に行ったんです」
集会所の空気がぴんと張りつめた。
「祠の入口まで行ったところ……中から地鬼の奇声と、女性の声で術式の詠唱が響いてきたそうです。若い衆も危険を感じて、中には入らず引き返しました」
あんずの肩がびくりと震える。 武三郎がちらりと横目で見たが、今度は何も言わなかった。
向日葵は静かに息を吸い、村長へ深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。その情報、とても助かります」
清志郎が腕を組み、ぽつりと呟く。
「上級組の三等級パーティが戻ってこねぇってのは……やっぱ、祠ん中は相当ヤベぇんでねぇか」
武三郎は鼻を鳴らし、刀の柄に手を置いた。
「行くしかねぇだろ。地鬼の巣窟だろうが、なんかの穢れだろうが関係ねえ……ぶった斬って元を断ちゃあいいんだよ」
その言葉に、あんずはぎゅっと拳を握りしめた。そして、勢いよく立ち上がった。
「よ、よしっ……!じゃあアタシは村の留守番を」
くるり、と踵を返した瞬間。
「逃げるなモフ子」
武三郎の手が、あんずの襟首をがしっと掴んだ。
「ひゃあっ!?」
あんずの足が空を切り、まるで子猫のように持ち上がる。
「もう、逃げる体制に入ってんじゃねえか!冒険者が“留守番”してどーすんだバカやろー!」
「アタシはただ、その……村の戸締まりを……」
「村民の家を戸締りしに行く冒険者なんて聞いたことねぇよ!」
そこへ清志郎が横からひょいと顔を出し、あんずの肩をぽすっと押さえた。
「モフ子は逃げ足だけは、忍を凌ぐ一級品だべなぁ。でもよ、祠ん中ヤベぇんだし、巫女抜きって訳にもいかねぇべ」
「ひぃぃ!ふたりがかりはずるい……」
「ずるかねぇよ。よし、こうしよう。祠で地鬼の群れが出たらまずは、モフ子を放り込んで餌にしよう。地鬼が齧った隙にオイラ達は切り放題ってなもんよ。どうだい、頭良いだろう?」
「んだな。モフ子も餌になってくれれば、俺たちも楽できるべな」
武三郎があんずを床に降ろすと、あんずはその場で正座し、肩を震わせながら固まった。
「……逃げません。逃げないから……放り込むのやめて」
「最初っから逃げようとするなっての」
清志郎が肩をすくめ、向日葵は小さく吹き出した。
「ぷぷ……あんず、覚悟決まったみたいだね」
あんずは涙目で向日葵を見上げた。
「決めてないし……でも……逃がしてくれないし!」
「何が”今度は私たちが手を差し伸べる時なのです〟だよったく。村人煽るだけ煽って、逃げようとしてんだから、参っちゃうよなあ、まったくよ」
武三郎の突っ込みに、あんずは肩をすくめて小さく縮こまる。
「うぅ……ごめんなさい……反省してます」
肩をすくめて小さく縮こまる巫女の姿に、村人たちからくすくすと笑いが漏れた。だが、その笑いは決して嘲りではなく、どこか張りつめていた空気をほぐすような、温かいものだった。
「はは……巫女様でも、逃げ腰になることあるんだなぁ」
「いやいや、あれだけのことを言ってくれたんだ。年端もいかない子だし、逃げたくもなるさ……わかるわかる」
「でもよ、あの子のおかげで……なんつうか、胸ん中が軽くなったよ」
「んだんだ。海竜様のこと、ちゃんと向き合わねぇとって思えたもんな」
年配の漁師が、目尻を下げて笑う。
「巫女様は巫女様で、必死なんだろうなあ。見たところまだ、駆け出しの歳じゃろう……大したものじゃて」
若い母親も、抱いた子を揺らしながら微笑む。
「ふふ……可愛らしい子ね。あんなに震えてるのに、私たちのために勇気を振り絞って言ってくれたんだもの」
あんずは耳まで真っ赤にしながら「ち、違います……違いますけど!」と小声で抗議するが、村人たちの柔らかな笑いは止まらなかった。
そんな声があちこちから上がる中、年配の漁師がふと立ち上がる。
「……巫女様」
「ひゃっ……はいっ!?」
あんずがびくりと跳ねると、漁師はくしゃりと目尻を下げて笑った。
「そんなに怯えんでもええ。これはな、わしが若ぇ頃に、漁の安泰を海竜様へ祈るために作ったお守りだ。ずっと大事にしてきたが……今は、あんたに持っていってほしい」
「えっ……アタシに、ですか……?」
潮風に晒され続けてきた証のように 節くれ立ち、分厚く、まるで流木のようにごつごつした、その掌に、ひとつの小さな木札が乗っている。
木札には、海竜の姿が素朴な線で彫られていた。
長い年月で角が丸くなり、紐は潮で白く擦れている。だが、手にした者にだけ伝わるような温もりがあった。
「あんたが言ってくれた“手を伸ばす時”って言葉……わしらの胸に、ちゃんと届いた。だから今度は、あんた達が無事に戻ってくるよう祈らせてくれ」
年配の漁師から大切な木札を両手で受け取ると、胸の前でぎゅっと握りしめていた。
あんずは目を潤ませながら呟く。
「アタシが......受け取って良かったんでしょうか?皆さんを……煽って、逃げ腰になっていたのに……」
「だが......あんたの言葉で動けたんだ」
「逃げようとしたのは……まぁ、可愛げってことでな」
「がんばれよ、巫女様たち」
「巫女様達、必ず生きて帰っておくれよ。ささやかにはなっちまうけど、おばちゃん達、腕によりを奮って美味しいもん作るからね」
「先に向かった冒険者様たちのことも、よろしくお願いするぞい!」
あんずは、涙をこらえながら深く頭を下げた。
「……っ、ありがとうございます!アタシ、絶対……絶対に戻ってきますから……!」
その声は震えていたが、村人たちは誰も笑わなかった。むしろ、温かい眼差しが一斉にあんずへ向けられた。
その姿に、向日葵も武三郎も清志郎も向日葵も、どこか誇らしげに微笑んでいた。
あんずは深く息を吸い込んだ。潮の匂いが、ほんのりと鼻をくすぐる。
集会所の戸を開き表に出ると、外の陽は高い位置にあり5月にも関わらず、空気も若干、熱を帯びている。
突き抜けるような青空。その美しさとは裏腹に、遠くの波は荒れ、海竜の祠がある岬の方角だけが、不気味なほど暗く沈んでいた。
「……行くべ」
清志郎が荷物を背負い直し短く呟く。北国訛りのその声は、いつもより少しだけ硬い。
向日葵は腰の符袋を確かめ、あんずの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫。みんな一緒だからね」
「……うん」
あんずはぎゅっと唇を結び、漁師から手渡された木札のお守りを懐へしまう。心なしか海竜の意匠が、胸元でかすかに揺れたような気がした。
武三郎は刀の柄に手を置き、村人たちへ向き直ると悪戯っぽく笑う。
「おいら達が地鬼もろとも、ぶった斬ってくるから待っててくんな」
その豪胆な言葉に、村人たちの顔が少し明るくなる。
「武者殿……どうか、どうかお気をつけて」
「無理すんなよ!べっぴんな姉ちゃん達を守ってやってくれ」
「巫女様、これ持っていきな。握り飯作ったから、皆の腹の足しになるべ」
「忍の兄ちゃんも、怪我しねぇようにな!」
次々と声が飛び、4人の背を押す。
あんずは涙をこらえながら、深く頭を下げた。
その時だった。
「俺たちも一緒に行くぞ!」
「海竜様を救うぞ!わしらも手伝わせてくれ!」
「若ぇもんは全員出す!祠まで一緒に行く!」
村人たちが次々と名乗りを上げ、その勢いは、まるで潮が満ちるように広がっていく。
あんずは目を丸くし、武三郎と清志郎は一瞬だけ言葉を失った。
向日葵が、静かに息を吸い込む。
「……みなさんのお気持ちは、本当に嬉しいです。でも......」
武三郎が一歩前に出て、村人たちを見渡した。
「ダメだ。あんちゃん達を連れてくわけにはいかねぇ」
村人たちがざわめく。
「で、でもよ!海竜様は俺たちの守り神だぞ!」
「お前さん達を、見捨てられねぇ!」
「わかってる。あんちゃん達の気持ち痛えほど......わかってるからこそ、連れてけねぇんだよ」
武三郎の声は荒くなかった。むしろ、深い悔しさと申し訳なさが滲んでいた。
清志郎も続く。
「祠ん中は、オラたちでも命がけだべ。村の衆を巻き込むわけにはいかねぇ」
向日葵は村長の末吉へ向き直り、丁寧に頭を下げた。
「どうか……村の防衛をお願いします。もし私たちが戻らなかった時のために、避難経路の確保と、浅草雷ギルドへの応援要請を」
末吉は息を呑み、拳を握りしめた。
「……あなた方だけに背負わせるのは、心苦しい。だが……村を守るためなら、わしらもわしらで出来ることをしなければならんの」
向日葵は静かに頷く。
「はい。私たちが祠へ向かう間、村を守れるのは皆さんだけです。どうか……お願いします」
村人たちは互いに顔を見合わせ、やがて1人、また1人と頷き始めた。
「……わかった。わしらは村を守る。おめぇらは、海竜様を頼んだぞ」
「必ず戻ってこいよ!」
「村で待ってるからな!」
「帰ったら美味いもん食わせてやるからよ」
4人は深く頭を下げる。そして村人たちの想いを背に受け歩き出す。
武三郎が先頭に立ち、力強く道を踏みしめる。
「よし、行くぞ。この先、お天道様のみぞ知るってな」
清志郎が続き、向日葵が歩みを合わせ、最後にあんずが小さく頷いて後に続く。
4人の姿は、海竜の祠へと向かう道の先へ吸い込まれていった。
第2話を投稿いたしました。
もともと執筆していた内容を急ぎ再編集したため、読み返すと「少し回りくどいかな」「流れは大丈夫だろうか」と不安になる部分もありますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
次回はいよいよ戦闘シーンに突入します。引き続きお付き合いいただければ嬉しく思います。




