第10話 終わったぞ、数馬
戦いが終わった玄室。
黒炎は消え去り、静寂が戻っていた。
先ほどまで命を奪い合っていた場所とは思えないほど、辺りは静まり返っている。
向日葵とあんずは、仰向けに寝かされた、朱音の遺体へと歩み寄る。
彼女がこれまでに犯してきた所業を思えば、このような悲惨な末路を迎えたことに納得できる。
それでも……。
2人は、酷く哀れに思えてならなかった。
なぜ、そう思うのかは、10代の少女たち自身にも分からない。
だからこそ……せめて、今できることをしてあげようと思った。
硬直する前に、見開かれた目をそっと閉じさせる。
顔についた血や汚れを拭い、髪をとかし、簡素ながら化粧を施し、苦悶に歪んでいた表情を、安らかなものへと整えていく。
それが、今の2人にできる、せめてもの手向けだった。
向日葵は静かに印を結ぶ。
淡い霊力が朱音の身体を包み込み、腐敗を防ぐ結界が形成されていく。
遺体の状態を保つための、数馬にも施した防腐の術式だった。
続いて、あんずが祓串を手に取る。
朱音の遺体へ向けて静かに振ると、淡い神気が周囲へ広がっていく。
穢れや邪気を寄せ付けぬよう、魔除けの結界を施す。
さらに、持参していた魔除香を玄室の四方へ焚き上げると、白い煙がゆっくりと立ち上り、静かな玄室へと漂っていく。
やがて、禍々しかった空気が少しずつ薄れていった。
向日葵は、安らかな表情になった朱音を見つめる。
「……これで、少しは人として眠れるかな」
あんずも静かに頷いた。
「うん……綺麗な顔で数馬さんと逢えたら、謝れるんじゃないかな」
「そうだね……そうだといいね」
向日葵は朱音の遺体を見つめ、静かに息を吐いた。
「これから、私が浅草雷ギルドへ依頼完了と今回の件について報告します。書簡は式神を使って送るので、今夜中には届くはずです。早ければ、明日にでも調査隊がこちらへ到着するかもしれません。遺体の回収、搬送もその日になるでしょう」
向日葵は、レオと樹玄へ今後の事後処理について説明していた。
「呪禁道の術式や祭壇、祠内部の状況、それに朱音の遺体についても、ギルドの各専門担当が詳しく調査することになると思います」
今回の討伐依頼は、単なる地鬼の討伐と行方不明者の捜索に留まらなかった。
当初の依頼内容を大きく逸脱して、想定外の事態へと発展しており、もはや6人だけで処理できる範囲を超えている。
「事態は深刻ですので、急を要することも付け加えます」
向日葵は、最後にもう一つ付け加えた。
「それと、小田瓦ギルドにも報告が必要ですよね」
「そうだな。数馬が犠牲となっている以上、俺達もギルドマスターへの報告は急務になる」
レオは静かに頷いた。
「浅草雷ギルドから小田瓦ギルド宛に書簡を送り、今回の事態について、一部始終をお伝えるするよう掛け合ってみます」
「命を救ってくれたばかりではなく、細かいご配慮。申し訳ござらぬ」
樹玄は両手を合わせて深々と頭を下げた。
「後に続く者が現れぬよう、白日の下に晒し、同じ悲劇を繰り返さぬようにいたそう」
「ええ……こんな悲劇は、二度と起きてほしくないです」
向日葵も心の底から願うような気持ちだった。
向日葵は平らな岩を机代わりにすると、紙を広げる。
そして筆を走らせて、今回の依頼について一連の状況を簡潔に書きまとめていく。
また、レオと樹玄が所属する小田瓦ギルドにも同一の報告を書簡にするよう付け加える。
そして……。
あんずによる、海竜の救済と、海竜に依代にされたことを締めとして、書き終えると、文を折り畳み封をする。
「……よし、まとめた!」
向日葵は立ち上がり、懐から形代を取り出し掲げると、静かに印を結ぶ。
「──天翔伝文、天羽翔空。天風穿ち、言の葉を彼方へ。急急如律令|── 式神・天羽鷹」
淡い光が、向日葵の周囲に集まると一気に弾けた。
その中から姿を現したのは、一羽の鷹を思わせる霊鳥だった。
蒼白い羽毛には淡い霊光が宿り、その瞳は人のものとは思えぬほど鋭く、そして澄んでいる。
霊鳥は大きく翼を広げると、向日葵を見据えた。
向日葵は文を細く丸め、その足へしっかりと結び付けた。
「浅草雷ギルドの真愛凛さん、もしくは伺い所の受付嬢達に届けて。お願いするね」
式神・天羽鷹は、鋭い鳴き声を上げ大きく翼を広げた。
──バサァッ!
天羽鷹は祭壇の最奥へ向かって飛翔すると、海原が大きく開いた大口を抜け、そのまま夕暮れの空へ舞い上がっていった。
「これなら、浅草雷ギルドにもすぐ届くはず」
「どれくらい掛かるんだ?」
武三郎が尋ねる。
「歩いても距離はないから、そう時間は掛からないし、今日中にはギルドに届くと思う」
「そうか」
武三郎は、隣にいる向日葵へ視線を向ける。
「……向日葵よぉ」
「なに?」
向日葵が振り向くと、武三郎は少しだけ視線を逸らした。
「そのよぉ…… 今回は……お前には、負担を掛けちまったな」
言いにくそうに頭を掻く。
「え?」
向日葵が翡翠色の目を丸くする。
「村の連中との話も、作戦も、術も……全部お前に任せちまった」
武三郎は、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
「しかも、相手は地鬼の群れと、お前より強え陰陽師だったしよぉ……」
「……」
「それでも怯まず、最後まで、おいらたちを面倒みてくれたお陰で、誰も死なずに生き残ることが出来た」
武三郎は照れくさそうに鼻を鳴らす。
今回の依頼で、向日葵がどれほど気を張っていたのか、武三郎には容易に想像がつく。
依頼人である浜芝村の村人たちとのやり取り。
状況を把握してからの的確な判断。
朱音という、呪禁道の陰陽師を相手にしながらの術式の応酬。
仲間たちへの正確な指示。
敵であった朱音の亡骸を綺麗にして、化粧を施す情の深さ。
そして、最後まで誰1人として犠牲者を出すまいと奮闘していたこと。
いつもなら、そんなことをいちいち口にすることなどない。
だが、自分より年下の向日葵が、パーティリーダーとして三等級の実力者であるレオや樹玄を含め、仲間全員の命を背負いながら戦っていたのだ。
それが、今になって凄く身に染みて分かる。
「……よくやったよ。向日葵」
「…………」
しばらく黙っていた向日葵の頬が、ほんの少し緩む。
「……ふふっ」
「な、何だよ」
「別に?」
向日葵は顔を逸らした。
その口元には隠しきれない笑みが浮かび、少し顔が赤くなっている。
「タケがそんな素直に褒めるなんて、珍しいなって思っただけ」
「うるせえな。悪ぃかよ」
「ううん。でも……」
向日葵は少しだけ嬉しそうに笑った。
「ありがと」
「……おう」
短い返事だった。
だが、そのやり取りを聞いていた清志郎が、にやりと笑う。
「へえ……タケぇ。向日葵に礼を言ってるのけ?」
「うるせぇよ、黙ってろテメェは!」
「ムキになるタケも新鮮だべな」
乱暴な江戸弁で返す武三郎だが、相方への親しみと信頼あってこその照れ隠しであり、毎回、そう返すことが定番のため誰が見ても気にならないのだ。
清志郎も相方の妙に律儀な態度が珍しく、面白そうに2人を見ている。
向日葵は、その視線にむず痒くなり、ぱんっと手を叩いた。
「そうだ!ねえ、タケぇ。お願いがあるんだけど」
「何だよ、嫌な予感しかしねぇぞバカやろう」
「さかい屋さんのお萩を6つ。タケの部屋に用意しておいて」
「はあ!?」
武三郎が素っ頓狂な声を上げる。
「お萩はいいけど、何でおいらの部屋なんだよ!」
「私が食べたいから」
「理由になってねえじゃねえか!」
「ちなみに私は2個で、あんずは3個。タケとキヨは1個を半分ね」
「何でこいつと半分こしなくちゃいけねぇんだよ!」
向日葵の言う"タケの部屋"とは……。
深谷 万三郎の弟子として浅草雷ギルドの2階にある10畳の畳部屋を武三郎と清志郎が2人で借りている部屋のことである。
貧乏侍と貧乏忍の2人を見兼ねた万三郎が、破格の家賃で住まわせている部屋だ。
もっとも、その部屋は、住み始めた頃から2人だけのものではなくなっていた。
向日葵は時間などお構いなしに遊びに来ては、勝手に書物を読み、寝転がり、お菓子も食べたり、愚痴を言ったり、挙げ句の果てには、そのまま昼寝までするし、不在の時でもお構いなしに入り浸る。
もはや自分の部屋と勘違いしているのではないかと思うほどだ。
あんずも時折、遊びに来るため10畳の部屋は4人が集まれば、なかなか賑やかな場所になる。
「私に対して申し訳ないと思うなら、お茶も用意してね」
「ええ〜!?おいらが用意するの?お茶を?」
露骨に嫌そうな顔をする武三郎に、向日葵は悪戯っぽく笑った。
「タケ〜、優しい〜♡」
「……気色悪い声出すんじゃないよ!ったく」
武三郎は、ふてくされたように顔を背ける。
「まあ……茶くらい淹れてやるよ」
「うん!」
向日葵は嬉しそうに笑うと、一同に声を掛ける。
「さて、私たちもここを出て、数馬さんのいる玄室に報告に行きましょ」
一同、頷くと、静まり返った祭壇の最奥玄室を後にした。
祭壇の部屋手前の玄室。
レオと樹玄は、変わり果てた数馬の遺体に改めて対面する。
最後まで家族同然の親友を守るため奮戦し、勇敢に散っていった1人の侍。
旅を共にした彼らに取って、自分の身体の一部を切り取られたような喪失感がじわりと浸透している。
武三郎が静かに歩み寄る。
「……数馬の兄ちゃん」
武三郎は背負い袋から自身の外套を他に、ゆっくりと数馬のに歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「兄ちゃんの刀で一矢報いることが出来たぜ。皆を守ってくれて、ありがとうよ」
その身体へそっと外套を掛け全身を覆った。
同じ侍として、武人としての最低限の手向だった。
「……これで、少しは寒くねえだろ」
武三郎は、それだけ呟くと数歩下がった。
6人は自然と横に並び、誰からともなく両手を合わせる。
静かな祈りが、玄室を包み込んだ。
レオも目を閉じる。
「……数馬、皆がお前の仇……取ってくれたからな」
低い声が響く。
その言葉には、戦いを終えた安堵と、友を失った悲しみが滲んでいた。
レオは祈りを終えると、静かに目を開いた。
「本当に……すまなかった。お前は俺の心の一部だ」
その一言に、全ての想いが集約されていた。
樹玄も静かに目を伏せる。
「終わったぞ、数馬…… 改めて迎えに参る。それまで安心して御仏の下で眠れい」
両手を合わせたまま、穏やかに語りかけるると、ほんの僅かに微笑んだ。
向日葵は黙って目を閉じていた。
あんずも胸元の御守りを両手で包み込む。
清志郎は俯き、何も言わず涙を堪えながら、ただ、静かに手を合わせていた。
やがて、レオがゆっくりと目を開く。
「……行こうか」
六人は黙って最後にもう一度、数馬へ頭を下げる、
武三郎の外套に包まれた数馬が、静かに横たわる玄室をゆっくりと後にした。
海竜の祠を出て、磯山道を歩くと、少し冷たいひんやりとした風が6人頬を撫でていった。
長い戦いを終えた身体には、その風が妙に心地よかった。
空はすでに夕暮れが迫っており西の空へ沈みかけた夕日が、山々の稜線を赤く染めている。
しばらくすると、木々の向こうに、浜芝村の家々が視界に入った。
「……村だ」
清志郎が、ぽつりと呟いた。
6人が村の入口へ近づくと、入口付近にいた若者が、その姿に気付く。
「戻ってきたぞ!冒険者様たちだ!」
それを聞きつけた者たちが、次々と村の入口へ集まってくる。
村長を先頭に、老人も、若者も、子供を抱いた母親もいる。
皆、固唾を呑んで六人を見つめると歓声が上がる。
「おお……!」
「戻ってこられた!」
「どうでしたか!?」
「地鬼は……!」
「祠の中では、一体何があったのですか!?」
次々と飛んでくる声。
村人たちの顔には、不安と期待が入り混じっている。
武三郎が一歩前へ出た。
「まあ、落ち着けって」
ざわめきが少しずつ収まる。
武三郎は腰に手を当て、村人たちを見渡した。
「地鬼の群れは全部、討伐した」
「おおおおおっ!」
「地鬼が……!」
「討伐したんだ!」
一斉に村人の歓喜が響き渡った。
互いに肩を抱き合う者。涙を拭う者。
その場に座り込み、安堵の息を吐く者。
村人たちの張り詰めていたものが、一気にほどけていく。
しかし、武三郎はまだ話を終えていなかった。
「それとな」
歓声が少しずつ静まる。
「地鬼を操っていた奴もいた陰陽師もいた」
「……操っていた?」
「ああ」
武三郎の表情を変えずに応える。
「朱音っていう陰陽師だ」
その名を口にした瞬間、武三郎の脳裏に、あの黒炎と呪禁道の光景が蘇る。
「そいつが地鬼を操って、この村を襲わせていたが……」
黙って武三郎を見つめる村人。
「そいつも討伐したぜ、バカやろう!」
再び、村人たちの歓声とざわめきが広がった。
「では、もう……本当に……?」
「ああ」
武三郎は頷いた。
「今回の騒ぎを起こしていた奴は、もういねぇ」
村人たちの間から、深い安堵の息が漏れる。
武三郎は、ふっと口元を緩めると、ちらりと後ろにいる二人へ視線を向けた。
「……まあ」
そして、にやりと笑う。
「最後のトドメを刺したのは、戦士と巫女なんだけどな」
「え? おお!」
村人たちの視線が、一斉にあんずとレオへ注がれる。
突然、名指しされたあんずは目を丸くし「ふがっ!」と思わず、変な声を漏らした。
「巫女様が……?」
「戦士殿が……?」
ざわめく村人たち。
「えっ、アタシ?」
あんずは自分を指差して、きょとんとする。
隣では、レオが苦笑していた。
「タケ。ここは6人全員が健闘したんだぞ」
あくまで謙虚な姿勢のレオに対し、武三郎は満面の笑みを浮かべる。
「まあ、そう言うなって!」
そして、村人たちへ向き直った。
「詳しい話は、ウチの陰陽師と巫女から報告させてくんな」
向日葵は、呆れた顔で小さく息を吐いた。
村長の末吉がゆっくりと歩み寄り頭を下げる。
「では、改めて伺いましょう。皆様、どうぞ広場へ」
末吉は村人たちへ振り返る。
「皆の者、広場へ集まってくれ!今回のことを詳しくお聞きするぞ!」
「はい!」
「分かりました!」
村人たちが一斉に動き始める。
家々からさらに人が集まり、子供を連れた者や老人たちも、次々と広場へ向かっていく。
6人も末吉に促されるように、その後を歩いた。
6人と村人達が広場へ着く頃には、空はすっかり夜の帳に包まれ、見上げれば無数の星々が静かに瞬いている。
広場には、村人たちが急いで用意したいくつもの篝火台が置かれ、赤々とした炎が夜風に揺れていた。
その明かりに照らされる中、向日葵がこれまでの経緯を簡潔に説明した。
地鬼の群れが村を襲っていた背景は、朱音という呪禁道の使い手が召喚していたこと。
祠の奥では、海竜を祟り神へと堕とすため、禁忌の呪術が施されており、行方不明の冒険者たちが、その呪術のための贄として命を捧げられていたこと。
そして、その呪禁道の儀式を阻止し、地鬼の群れと朱音を討伐したこと。
また、あんずが海竜と邂逅したことについては、"神降し"に至る経緯には触れず、海竜の穢れが祓われ、本来の姿を取り戻したことだけを伝えている。
また、浅草雷ギルドへ一連の事情を報告しているので、早ければ明日にでも調査隊と各分野の専門部隊が浜芝村へ到着することも知らせた。
村人たち一同は、向日葵の話に、誰一人として口を開くことが出来なかった。
自分たちが住む側で、得体の知れない陰陽師が海竜を祟り神へと堕とそうしたこと。
討伐に向かった冒険者たちを、次から次へと贄にする非道行為が行われていたこと。
襲ってきた地鬼は手駒であったこと。
朱音の神をも畏れぬその所業は、怒りと戦慄を禁じ得ないものとして、村人の心に冷たく浸透する。
だが、その所業も若き冒険者たちによって阻止されれ、長きにわたり苦しめられた海竜は、あんずとの邂逅を果たしたことで、呪術や穢れから解放されたことは、唯一の救いであり光明をもたらした。
その事実に村人たちは互いに顔を見合わせたると、やがて、1人の村人がおそるおそる口を開く。
「……あの、巫女様」
「あ、はい?何でしょう?」
あんずが声を掛けた村人の若者に顔を向ける。
「その……海竜様は……」
村人は、言葉を選ぶように、ためらいながら尋ねた。
「……我々、村人のことを、何か仰っておられましたか?」
広場が静まり返る。
あんずは胸元の御守りへ、そっと手を添えると、海竜との邂逅を思い出すように、静かに目を伏せた。
しばらく目を伏せていたが、やがて顔を上げ口を開く。
「海竜さんは……村人の皆さんのことを、とても愛しています」
「……え?」
村人たちの間に、戸惑いが広がる。
「お恨み給うことも、お怒り給うこともございません」
あんずは、ゆっくりと言葉を続ける。
「堅苦しい言の葉で飾らず、率直に申し上げますね。海竜さん……仰っていたんです。ずっと、皆さんのことを見守っていたって」
村人たちは、黙ってあんずを見つめている。
「200年以上、子供が生まれたことも。誰かが結婚したことも。お祭りで、みんなが笑っていたことも……」
あんずの声が、少しだけ柔らかくなる。
「そういう、皆さんが 生き生き暮らしている姿が……海竜さんは大好きだったそうです」
「……」
「素朴で、小さな村だった頃から……ずっと」
末吉は握った手を振るわせる。
あんずは遠い眼差しで、白い砂浜から広がっていく海を見つめる。
「だから、海竜さんは……この村そのものを、とても大切に思っていたんです」
「何と言うことだ……それでは海竜様は……」
末吉が震える声で尋ねる。
「……寂しかったんです」
あんずは静かに答えた。
「海竜さんは、寂しかっただけなんです。私たちと同じ"心"を持っておられるのです」
その一言が、広場へ静かに落ちた。
「村が大きくなって、人が増えて……少しずつ、海竜さんへの祈りも、感謝も薄れていく」
「……」
「それでも、海竜さんは村を、そして村人の皆さんを愛していました」
あんずは首を横に振る。
「ただ……ずっと、孤独のまま、皆さんを見守っていたんです」
村人たちの表情に、深い後悔の色が浮かんだ。
俯く者。唇を噛み締める者。
中には、目元を潤ませる者もいた。
「そして、やがて心も疲弊して、神としての力が、少しずつ弱くなっていった」
あんずは胸元の御守りを握り締める。
「そこへ……朱音が付け込んだんです」
村人たちの間から、息を呑む音が漏れた。
「弱っていた海竜さんを呪禁道で縛って……穢れを植え付けて……祟り神に変えようとした」
あんずは、一度言葉を切った。
「でも……海竜さんは最後まで、皆さんを傷つけたくないと抵抗して、足掻いていました」
「海竜様……俺たちは何て酷いことをしてしまったんだ……」
村長の瞳から、一筋の涙が零れた。
「我々が……忘れてしまったばかりに……」
「……はい」
あんずは小さく頷く。
けれど、その表情に責める色はなかった。
「……今からでも、遅くないと思います」
「えっ……!?」
「過去に、海竜さんの存在や、恩恵を忘れてしまうことがあっても」
あんずは、村人たちを1人ずつ見つめ、そして、柔らかく微笑む。
「こうして思い出し……やり直すこともできます」
あんずの言葉に村人の眼差しに光が灯る。
「皆さんが、もう一度、海竜さんを大切にしてあげればいいと思うんです」
あんずは胸元の御守りを、そっと両手で包み込む。
「だから……」
少し遠慮がち戸惑いながらも、はっきりと言葉を続ける。
「皆さんとの絆の再出発として……新しく、海竜さんをお祀りする祠を建ててあげませんか?」
「……新しい祠を建て直す?」
「はい」
あんずは頷いた。
「今の祠は……長い間、呪禁道に使われ、多くの命が奪われた場所になります。海竜さんが安心して帰ってこられる、新しい場所を作ってあげたらいいと思うんです。ようは遷座です」
そして、もう1つの希望。
「それと……もしできるなら、ここに……海竜さんの像を建てるのは、どうでしょう?毎日、子供たちが海竜さんの姿を見上げられるように……」
あんずは、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
「大人たちも、ここを通るたびに海竜さんのことを思い出せるように……お祭りの日には、みんなで海竜さんの前で笑い合うんです。もちろん、年末年始の行事も含めて!」
その光景を想像するように、あんずは海へ目を向けた。
「そうしたら……海竜さんも、きっと寂しくなる暇なんでないと思います」
村人たちは、黙って広場を見渡し思いを巡らす。
今は何の変哲もない、いつもの広場。
けれど、ここに海竜の像が建てられれば、子供や若者たちは、その姿を見上げて育ち、時を過ごすのだろう。
それに、大人たちも、日々の暮らしの中で、海竜の存在をより一層、感じることが出来るだろう。
そして祭りの日や行事には、祠やその像を祀り、皆で笑い合う。
この村を長い年月にわたって見守り続けてきた、神への感謝を誰一人として忘れないために。
この村の存在の一部として、暮らしの中へ、もう一度迎え入れるために。
そんなあんずの願いが、静かな夜の広場に広がっていった。
「ささややかな供物と祈りだけでも良いんです。ご挨拶に来るだけでも良いんです」
あんずは微笑んだ。
「海竜さんは……皆さんの日々に暮らしに御神様も共にいることなのですから」
その言葉に、村人たちも自然と笑顔になった。
「御神様の下で、子供たちが元気に遊んで、家族が笑って、村人たちが元気に駆け回り、みんなで楽しく過ごす、いつもの日常……」
あんずは、少し照れたように笑う。
「そういう浜芝村を、海竜さんはきっと……また見たいと思うんです」
村長があんずに向き直ると、ゆっくりと頭を下げる。
「巫女様……承知いたしました」
震えていた声には高揚感。そして、その奥には確かな決意があった。
「海竜様がお戻りになる場所を……そして愛した日常の営み。我らの手で、もう一度取り戻しいたします」
村の男衆も呼応する。
「祠を……必ず建て直します」
「海竜様の像も作りましょう」
「今度こそ、忘れずに伝えて参りましょう!」
その声は、次第に広がっていった。
「それから……海竜さんは碧海龍命と言う神名です」
あんずは、胸元の御守りをそっと握りしめる。
「海竜さんのことを……これから先も、忘れないでください」
そして、村人たちを見渡した。
「神名も……皆さんから、その先の人たちへ伝えていってください」
「碧海龍命……響きの良い神名だなあ」
誰かが、その名を噛み締めるように呟いた。
「ああ。忘れるもんかい」
別の村人も、力強く頷く。
「今日から神名も含め、この村で大切に伝えていきます」
「はい、お願いします」
あんずは、ほっとしたように微笑んだ。
そして、御守りの木彫りの海竜を、そっと撫でた。
「……海竜さん」
あんずは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「村の皆さんが……海竜さんをお迎えに来てくれますよ」
その瞬間、あんずの手の中で、木彫りの海竜が僅かに、蒼く輝いた。
あんずは目を「わあ」と目を見開く。
「……えへへ」
その微笑みは、まるで海竜からの返事を受け取ったかのような嬉しさに満ちていた。
報告が終わる頃には、時間も夜更前に差し掛かっていた。
広場の中央には、いくつかの焚火が設けられ、村人たちが囲いながら、笑顔をこぼしながら、これから先の行く末を語り合っていた。
燃え上がる赤い炎は、あんず達6人の顔を柔らかく照らしている。
村人たちは、精一杯の感謝を込めて6人を労った。
向日葵は村の厳しい実情を察し、何度も丁重に辞退しようとしたのだが、村人たちの熱意に押し切られる形で、その厚意を受けることになった。
きっと村人たちにとっても、長く続いた恐怖と抑圧から解放されたことが、何より喜ばしかったのだろう。
今夜くらいは、皆で笑い、語り合うこと日があっても良いと思った。
そんな空気が、広場には満ちていた。
「何もございませんが……ささやかなものです」
「どうか、召し上がってください」
差し出されたのは、地元の果物から作った果実水。
潮の香りが残る採れたての刺身や焼き魚。
魚の出汁で作った汁物と、ほんの少しばかりの酒。
けれど、村人たちが持てるものを精一杯に持ち寄った、心尽くしの食事は、暖かく……そしてありがたいものだった。
村人たち曰く、これは今回犠牲となった多くの冒険者たちの冥福と供養の意味も込められているという。
その想いを受け取りながら、6人は噛みしめるように食事を口へ運ぶと、疲れ切った身体に、温かな料理と酒がじんわりと染み渡っていく。
武三郎と清志郎は酒瓶を片手に、レオのもとへ近づいた。
「よう!レオの兄ちゃんと樹玄の兄ちゃんも、一杯どうだい?」
レオは苦笑しながら、手にしていた椀を差し出す。
「……ありがとう。それでは、頂くとするよ」
「おう!」
武三郎が酒瓶を傾けるとレオの椀へ、なみなみと酒が注がれていった。
「樹玄の兄ちゃんも、まだ足りねぇべ。飲め飲め。お坊さんだからって、堅いごと言いっこなしだべや」
清志郎も樹玄の横から酒瓶を差し出す
すでに顔は真っ赤に染まり、目はとろんとしており完全に酔いが回っていた。
その表情は、まるで恋心を自覚した少女のように、妙に恍惚としている。
「これこれ。お主は年端もいかぬのに、もうそんなに飲んでいるのか」
樹玄は呆れたように笑い清志郎を眺める。
「どれ、拙僧ももう少し頂くとしよう」
樹玄が椀を差し出すと、清志郎は嬉しそうに酒を注いだ。
「タケ~~~、飲みすぎんなよぉ?」
清志郎が、べろんべろんになった顔で武三郎へ絡み始める。
「オメェはすぐに酔うベぇ。幾ら女日照りさだからって、俺を襲ったりするなや~~」
「誰が襲うか、バカやろう!」
武三郎が即座に突っ込む。
「いつも、女みたいな紛らわしい顔しやがって!誤解されんだろ!」
「ひでぇなぁ、タケぇ……」
「何で傷ついた顔してんだよ!気持ち悪ぃ!」
武三郎の怒鳴り声が、夜の広場に響き渡る。
その様子を眺めていたレオが、思わず吹き出した。
「ははっ……君たちは本当に仲が良いんだな」
「どこがだよ!」
「仲良しだべぇ~」
「お前は黙ってろ!」
清志郎はへらへらと笑いながら、さらに酒を煽る。
そんな2人を見ながら、樹玄は小さく息を吐いた。
「……まったく。死線を越えた直後だというのに、元気なものだ」
けれど、その口元には、ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。
そんなやり取りを、少し離れた場所から眺めていたあんずは、湯気の立つ汁物のお椀を両手で包むように持ちながら、向日葵の隣でほっと息をついていた。
向日葵は果実水を飲み干しながら、星空を見上げていた。
疲労のためか、少し瞼が重くなってくる。
その時だった。
暗い夜空から、霊鳥が一筋の淡い光を放ち舞い降りてきた。
「あ……」
あんずが顔を上げる。
鷹の姿をした霊鳥は広場へ降りてくると、向日葵の上を旋回している。
先ほど浅草雷ギルドへ向けて放った式神・天羽鷹である。
その足には、一通の書簡が括り付けられていた。
「もう戻ってきたの?ご苦労さま。ありがとうね」
向日葵は手にしていた杯を置き、左手を軽く掲げると、天羽鷹はその手へ静かに舞い降りる。
手際よく天羽鷹の足に結ばれた書簡を外し、封を解くと書かれている内容へ目を通していく。
役目を終えた天羽鷹は、淡い光へと姿を変え、空気へ溶けるように消えると、あとには一枚の形代だけが、ひらりと舞い落ちる。
「なんだ? ギルドからの連絡か?」
武三郎が向日葵の隣へ腰を下ろし、書簡を覗き込む。
「うわっ……キヨくん、酒臭いぃぃ……」
その横では、泥酔した清志郎があんずにべったりと寄り添い、へらへらと笑っている。
あんずは困ったように肩をすくめていた。
やがて、レオと樹玄も向日葵のもとへやって来る。
「……返信よ」
向日葵が顔を上げた。
「浅草雷ギルドから。明日の早朝、リーダー1名と精鋭の調査•専門班6名の計7名が到着するそうよ。午前10時に、祠の前で合流するとあるわね」
「7人も?」
あんずが目を丸くする。
「三人か四人くらいだと思ってた」
「ええ。それだけ今回の件が重大だったってことね」
向日葵は再び書簡へ目を落とし、続きを読み上げる。
「祠の内部と周辺一帯、それに呪禁道の術式や痕跡を詳しく調査するそうよ」
一度、言葉を切る。
「それと朱音の遺体と、犠牲になった冒険者たちの遺体も回収して搬送も行うとあるわ」
その言葉に、6人の間に静かな空気が流れた。
「今回は例外として、依頼に関わった冒険者も、可能な範囲で調査と遺体の回収に協力するように、とあるわ」
「そうか……」
武三郎が、茶碗に注がれた酒を飲み干す。
「まっ、これでようやく、ひと段落できるわな」
「うん……そうだね。ようやく終われるね」
あんずも疲労のせいか、小さな欠伸する。
「俺も樹玄も、喜んで協力するつもりだ。調査にもできる限り応じよう」
「うむ。拙僧も喜んで。遠慮なく申し付けてほしい」
「ありがとうございます。最後までご面倒をお掛けします」
向日葵が頭を下げると、武三郎とあんずも、それに倣うように頭を下げた。
清志郎はヘラヘラしながら親指を立てている。
「こちらこそ、お頼み申す」
樹玄は穏やかに頷いた。
広場の焚火は、変わらずぱちぱちと音を立て、村人たちの穏やかな話し声が夜風に乗り、遠くから聞こえてくる。
焚火を囲む6人の影が、地面へ長く伸びていた。
「ねえ、タケ」
「うん?なんだよ」
向日葵が、ぽつりと声を掛ける。
「私、もう寝るから……膝枕して」
「はあっ!?」
武三郎が素っ頓狂な声を上げた。
「何で、おいらがしなくちゃいけねぇんだよ!」
「タケ、優しい」
「話聞いてねえな!」
「おやすみ」
「おおい!」
武三郎の抗議も虚しく、向日葵はそのまま武三郎の太腿に頭を置いて顔を埋めた。
「……すぅ……」
数秒もしない内に、小さな寝息が聞こえてくる。
向日葵は、すっかり深い眠りについていた。
「……寝ちまった」
武三郎は唖然として呟くと、その様子を見ていたレオが、苦笑を浮かべた。
「ずっと気を張っていたからな。余程、疲れていたんだろう」
そして、眠る向日葵へ視線を向ける。
「それにしても……こんな美人で可憐な女の子に懐かれるなんて、タケも男冥利に尽きるな」
「よしてくれやい。俺とこいつは、そんなんじゃねえよ」
武三郎は困ったように頭を掻く。
「そうか?お似合いだと思うけどな」
レオがからかうように笑う傍らで、樹玄も2人を眺めながら、穏やかに微笑んでいた。
若者らしい不器用な関係が微笑ましくて仕方がないらしい。
「……ったく」
武三郎はぼやきながらも、膝の上で眠る向日葵を起こそうとはしなかった。
そんな光景を眺めていたあんずが、ふと自分の膝の上を見る。
「うわっ……キヨくん、アタシの膝の上で寝ないでよぉ」
いつの間にか、清志郎があんずの膝を枕にしていた。
「……すぅ……」
清志郎は完全に眠り込んでいる。
その寝顔は、普段の忍らしい鋭さなど微塵もなくまるで少女のように穏やかで、無防備だった。
「……うう、重たい」
あんずは困ったように頬を膨らませ、ブーブー文句を言いながら、強引に起こそうと清志郎の髪の毛を引っ張り出した。
焚火の向こうで、レオと樹玄が堪えきれずに小さく笑った。
今だけは、誰もが安心して眠れる夜が訪れていた。
翌朝。
浜芝村で一夜を過ごした6人は、午前10時、海竜の祠へ続く参道の入口で、浅草雷ギルドの調査隊を待っていた。
朝の海は穏やかそのもの。
昨日まで荒れ狂っていた波も静まり、潮風が鳥居の注連縄を揺らしている。
色褪せている鳥居の向こうには、昨日の戦いの痕跡が生々しく残る。
祠の入口付近は、討伐された地鬼たちの死体が、いまだ散乱している。
ギルドの調査隊が来るまでは、現場保存のため、そのままにしていたのだ。
「……そろそろ来る頃ね」
向日葵が海の向こうへ目を向けた、その時だった。
遠くから、複数の蹄の音が響いてくる。
やがて、朝日に照らされながら、一団の姿が見えてきた。
向日葵は息を呑む。
「……ギルドの……調査隊……」
だが、次の瞬間、彼女の心臓が、大きく跳ねた。
先頭を進む馬上の人物。
黒と赤の陰陽装束が風に揺れている。
黒髪は艶やかに結われ、金の飾りが朝日を受けて煌めいていた。
背筋は真っ直ぐと伸ばし、馬上にあっても微動だにせず、鋭い眼差しで前方を見据えている。
その姿には、ただ者ではない威圧感があった。
その背後に従えるように、大柄な真っ白の毛並みを持つ犬人の鎧武者。
さらに、背丈は低いものの、鍛え上げられた強靭な肉体と立派な髭を持つ鉱人の鎧武者。
そして、その後方には2台の幌付き荷車が続いている。
荷車を牽いているのは『山駆』と呼ばれる、牛と山羊を掛け合わせたような大型獣で、体高は1.5から1.7メートルほど。
二重構造の蹄は岩場では大きく開き、大地を掴むようにして進むことができふ強靭な四肢を持ち、自らの体重の2倍近い荷物を背負って山道を登ることさえできる。
1台目の山駆の手綱を引いているのは、黒装束を纏った竜人。その隣には、巫女装束を身に纏った猫人の巫女が座っている。
2台目には、藍染の陰陽装束を纏った男性陰陽師と、薄い金髪をフードの中に隠した魔法士の女性。
総勢7名。
だが、向日葵の視線は、その先頭に立つ女性陰陽師へ釘付けになっていた。
黒と赤を基調とした陰陽装束。
自分と同じ色。
自分と同じ意匠。
そして、同じ流派。
向日葵が誰よりも会いたくて、そして、誰よりも、ここでは会いたくなかった人。
「……おっかさん」
顔を赤らめながら声が震えた。
──深谷 真愛凛
浅草雷ギルド副長であり、名実ともに江戸…….いや全国屈指と噂される陰陽師。
そして、翡翠色の瞳を持つ少女、深谷 向日葵の母親。
その圧倒的な存在感は、まだ距離があるにもかかわらず、隠しようがなかった。
第10話、ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は、長く続いた海竜の祠での戦いが終わり、その後の出来事を中心に描きました。
第9話では激しい戦闘となりましたので、第10話では少し落ち着いて、村人たちが今回の事件と向き合い、これからどうしていくのかを焦点を当ててます。
特に、あんずが海竜こと碧海龍命から聞いた想いを、村人たちへ伝える場面は、この物語を書く上でも大切にしたところです。
碧海龍命は、村人たちを恨むどころか、長い年月、この小さな村を見守り続けていた。
そして愛していた。
ただ、寂しかった。
その想いを知った村人たちが、過去を悔いるだけではなく「これから自分たちの手で海竜様を祀っていこう」と決意する。
終わるとかてまはなく、そこから新しい物語が始まる。
今回は、そんな話にしたかったです。
そして最後には、浅草雷ギルドから調査隊が到着。
その先頭に立っていたのは……。
向日葵にとって、誰よりも会いたい人であり、そして今回ばかりは、できれば会いたくなかった人。
「……おっかさん?」
浅草雷ギルドの副ギルドマスター。
深谷 真愛凛。
向日葵の母親。
というところで次回へ続きます。
さて、次回はどうなるのでしょうか。
向日葵、逃げ場なしです(笑)
それでは、次回も「怖がり巫女のモフ子」をよろしくお願いいたします。




