第22話 リヨン再訪
黒曜の髪 蒼玉の瞳 転生医師の異世界奮闘記
─ 第二章、取り戻すために ─
乗合馬車にゴトゴトと揺られ、ようやく目的地のリヨンの町が見えてきた。
長かった……、本当に長かった。もう我慢の限界っ。
「早く、早く着いてくれぇぇ……」
ダメっ、うぷっ……。
はい、完全に乗合馬車というものを舐めてました……。
その実態は、ただの荷馬車に幌を付けただけ、というあまりにも原始的な代物。この簡素極まりない乗り物の揺れは、想像を絶するほど酷かった。
舗装されていない道をゆく車輪の衝撃が、荷台を通して、容赦なく僕の腰と尻に波状攻撃を仕掛けてくる。もう、僕のお尻の耐久値は限界に近い。
けれど、それ以上に深刻なのが、この酷い乗り物酔いだよ……。
ああ、貴族らしい華やかさなんて欠片もなかったけれど、それでも、あの使い古されたコンスタンツェ家の馬車が、いま心の底から恋しいよ……。
あれでも一応、貴族が使うことを想定した、ちゃんとした馬車だったんだなぁ。
衝撃を吸収するための板ばねと、座席の分厚いクッションのお陰で、揺れがどれだけ相殺されていたことか。
失って初めて気づくありがたさ、今更気づいてももう遅いよね。
前回リヨンへ訪れた際は、隣がアンリエッタさんだったのを覚えてる?
揺れるたびに、ほんの少し肩が触れ合えてちょっぴり嬉しかったし、彼女の陽だまりの中に仄かに燻るような甘い香りが、大好きだったから全然苦じゃなかった。
全然というのは、ちょっと言い過ぎたかも……。
──それにしても女性って、どうしてあんなにも良い香りがするのだろう?
さっぱりわからないな。 もしかして……香水でも飲んでたり? そんな訳ないのは重々承知しているけどさ、そう思ってしまうほど良い香りがする。
決定的に、男とは違うんだ。
嘘だと思うなら、こっそりパートナーに鼻を近づけてごらん? ほら、ね?
まあ、ゴホン。と、とにかく! だから前回の馬車移動は、僕にとってはむしろ役得というか、ご褒美タイムでもあったんだ。たとえ、例のカボチャパンツ事件のせいで、彼女のご機嫌が終始斜めだったとしてもね。
あー、こっそり近づけるパートナーがいて羨ましい、とか思ってないから!
だけど……今日のお隣さんは、あの黒曜蒼玉が美しい森の妖精様では断じてなく。
汗と埃が混じったような? 何とも言えないすえた臭いを発する、見知らぬむさ苦しいおじさんなのだ!
ようせぇ様とくせぇ様、なんちゃって。
臭いと、絶え間ない揺れのダブルパンチが、容赦なく僕の三半規管と精神を襲う。結果はホラこの通り、完全に酔ってグロッキー状態ってわけ。
お願いだからみんな。
乗合馬車に乗る前日には、せめて風呂くらい入ってくれよな!
もし、転生したら絶対に思い出して。
激しい揺れと、おじさんのすえた臭いによって、とてつもない精神的ダメージを負いつつも、僕はなんとかリヨンの門をくぐる。そこからフラフラと千鳥足で、冒険者ギルドを目指して歩き始めた。
何のコネもツテもない、ただの若造である僕がだよ。
これから先それなりのお金を……しかも短期間で稼ごうとするならば、取り得る選択肢は非常に限られていると思うんだ。
いま向かう冒険者ギルドで、己の剣や魔法の腕を頼りに稼ぐか、あるいは、あの商人ギルドに頭を下げて、何らかの商いに関わって稼ぐ。
おそらく、その二つくらいしかないのでは?
とはいえ商人ギルドには、できることなら借りを作りたくない。
となると、僕の足は必然的に、この冒険者ギルドへと向かわざるを得なかった。
冒険者ギルドの、年季の入った大きな木の扉を、少しだけ緊張しながら押し開けて中へ入る。すると、想像していたよりもずっと多くの人々でごった返しており、その熱気に僕は少々驚かされた。
見るからに屈強そうな、全身を金属鎧で固めた前衛職らしき男の人や、軽装で斥候風の男女、体の線が出ちゃいそうなローブを、お洒落に着こなす魔法使いらしきお姉さんもいた……。
あちらこちらで威勢の良い声が飛び交い、エール(この世界のビールのようなもの)の香りや、汗の匂い、そこに様々な料理の薫香が混じり合った。独特のむせ返るような熱気に満ちている。
その、いかにも「冒険者の溜まり場」といった、猥雑で騒々しい雰囲気に、僕は正直、少しだけ面食らってしまっていた。
……だ、だって、コンスタンツェ騎士爵領で年に一度開かれる収穫祭の日よりも、人がごった返しているなんて……。そんなこと信じられる?
僕が田舎者すぎるのだろうか。
さて、ギルドの建物に入ったはいいけど、具体的にここからどうすれば良いのかは、さっぱり分からない。なにせ、訪れるのも、利用するのも、これが初めてなのだから。
仕方がないので、ひとまず邪魔にならないように壁際に立ち、周りの喧噪に紛れながら冒険者たちの交わす会話にそっと聞き耳をたてる。すると、聞こえてくる会話の中に、結構な頻度で、一人の女性の名前が挙がっていることに気がついた。
「おい、見たか? 今日のアンさんも美人だよなぁ」
「俺ぁ、あの笑顔を見るだけで、キツイ依頼の後でも疲れが吹っ飛ぶってもんよ」
「おぅおぅ、ちっとばかし混んでるのが玉に瑕だが、それでもよ、ついついアンさんの受付に並んじまうんだよな」
「ちくしょう、俺、いつかアンさんとデートして、あわよくば付き合いてぇ……!」
「「「馬っ鹿野郎! てめえごときが、アンさんと釣り合うと思ってんのか! 身の程を知れ!」」」
……へぇ、アンさん、ね。随分と人気があるらしい。
まあ、僕にはアンリエッタさん──あの黒曜の髪と蒼玉の瞳を持つ、大正義にして唯一無二様がいるのだから? 他の女性がどんなに綺麗だろうと、仮にスタイルが抜群であっても、全くもって、どうでもいいことさ。
だけど、その「アン」っていう名前が、妙に僕のアンテナに引っかかるじゃあないか。だって、『アン』リエッタ『さん』みたいだろ?
なんか、ちょっとだけ名前が似てる。……むふ。
む? 誰だ、いま「キモイ」と言ったのは?
あらら~残念。キミはまだ青いね。この、どこまでも広がる異世界の空くらいに、真っ青だよ。まったく、人生の深みというものが、まるで分かっちゃいない。
ふーむ。例えばそうだな、分かりやすく説明してあげよう。
キミに、いつか心から愛する女性が出来たとしようじゃないか。そして、その愛しい女性の名前が、仮に、そうだな……「海」だとしよう。
そうすると人間って不思議なものでさ。今度は、あのどこまでも広く、深く、雄大な大海原、『海』そのものまで好きになったり、ただ街中で「うみ」って言葉を聞いただけなのに、なんだかちょっとだけ、気持ちが上ずったりするものなんだ。
そういうものなんだよ、わかったかね、チミ達。
だっ、誰だ!
「前世でも今世でも、まともに女と付き合ったことが無いくせに、何を偉そうに語ってるんだ!」とか言ったやつは! ええい、そこに直れ!
ぐぬぬぬ……そ、それを言われると、ぐうの音も出ない……。
ぐすん……。
フン! まあ、そんな人生経験の浅い、チーム青たちのことは放っておいてだ。とりあえず、話のタネにもなるだろうし、その噂の『アンさん』とやらの受付に、僕も並んでみるとしようじゃないかねっ。
「…………」
「……………………」
こ、これはちょっと、選択を誤ったかもしれないぞ……。
どうやら、周りの冒険者たちが噂していた「アンさん」というのは、このギルドでは相当な人気の受付らしく、彼女の窓口の前にだけ、やたらと行列ができている。
しかも、列の進みが絶望的に遅いときた。
前の奴も、その前の奴らも、皆少しでも長くアンさんに絡みたいのか、明らかに用件以外の世間話を切り出そうとしては、あえなく撃沈しているように見える。
ただまあ、今の僕にとっては、ここで繰り広げられる会話の全てが、この世界の常識やギルドの仕組みを知るための貴重なヒント? みたいなものだからさ。
アンさんと他の冒険者とのやり取りや、隣の受付嬢との会話なども、出来るだけ拾うように努めていた。
「お待たせしました。次の方、どうぞ〜」
ようやく、本当にようやく、僕の順番が回ってきたようだ。長かったぁ。
みんな、もしかして暇なのか? 受付に辿り着くだけで、こんなにも時間がかかってどうする……。
もし、これからも彼女にお願いするつもりなら、もっと空いている時間を狙って来るなどの工夫が必要かもしれない。毎日これでは、時間がいくらあっても足りやしない。
僕にはあと三か月しか、時が残されていないのだから。
「ふぅ……」
安堵と疲労がない交ぜになった溜息が、思わず漏れてしまった。




