071 TAKE A CHANCE
リーグベルの前に在る観測盤が、不穏な赤い光を放っていた。
中央制御陣の魔力が逆流しはじめている。
床の紋陣が焼け焦げ、壁を走る魔力導管が次々に破裂する。
盤の針が振り切れ、観測魔晶が次々と黒く濁っていった。
「リーグベル様! 観測塔からの応答が――!」
「繋がらないのはわかっている、次!」
怒声に近い指示が飛ぶ。
彼の額を伝う汗は、魔力の暴風に晒されて蒸発していく。
目の前の陣は、かつてこの国の中枢を支えてきた制御網の要。
それが今、王都を除いてすべて沈黙しているという事は。
「……東都、学都、北塔、すべて断絶。残存王都のみです!」
副官の報告に、リーグベルは声を失った。
◇◇◇
湿った石壁が軋む。
ユウは崩れかけた通路を、必死に足を動かしていた。
壁の亀裂から時折、青白い光が差し込み、
上層で何らかの――魔力の渦が暴走しているのがわかる。
先ほどの黒い何かは、暴走の一部だったのだろうか。
グレイドに教わった通り、壁の紋章を押すと重い音を立てて扉が開いた。
眩い光と共に、焼け焦げた空気が流れ込む。
目の前に広がるのは軍部の一部に建つ王立魔術研究所だった。
窓という窓が砕けているが、人の声や足音が忙しない。
まだ、機能し続けている。
ユウは瓦礫を踏み越えながら駆け上がる。
扉が軋み、内部から立ちのぼる魔力の波が肌を刺した。
中では、魔力導管を抑えながら指揮を取る男がいた。
「リーグベルさん!」
「……来てくれたか!」
「私に、何か出来る事ありますか!?」
リーグベルはユウの持つ杖を眩しそうに見やり、制御盤の横に立つ補助陣を指差した。
「魔女殿の魔力は、制御器を経由できない。直接、俺の魔力と同期させる」
「ど、どうやって……?」
「導く。何も考えるな。ただ、魔力を渡すと念じといてくれ」
心臓の鼓動が、魔力のうねりと重なって聞こえる。
リーグベルの手が、そっとユウの額に触れた。
「――頼むぞ」
瞬間、全身を貫くような熱が走った。
視界の端で、魔法陣が眩しく光を放つ。
結界核に流れ込む魔力の波が整い、暴走していた線が次々と鎮まっていく。
リーグベルが低く呟いた。
「……そのまま。俺が受ける」
彼の体から薄い光が立ちのぼる。
刹那、膨大な魔力が中央核を満たし、王都の空が、明るく脈動した。
◇◇◇
王城・北防壁では轟音が響いていた。
続いて、押し寄せる闇のうねり。
結界の外縁では、魔物の群れが波のように絶え間なく連なり、その一体が、ついに地を這って結界の隙間に爪をかけたのだ。
「第一砲塔、充填完了!」
「撃て!」
命令と同時に、蒼白い閃光が夜空を裂く。
魔導砲の弾頭が着弾し、群れの一角が吹き飛んだ。
しかし、倒れた魔物の上に、すぐに新たな影が覆いかぶさる。
数が多すぎる。
「……間に合え」
ロシュディが剣を抜く。
剣身には、彼自身の魔力が微かに共鳴して光を宿す。
結界の際に立ち、地を蹴った。
その瞬間、王都全体を包むように光が膨れ上がった。
空気が震え、闇が押し返される。
「これは――」
ロシュディは空を見上げた。
王都の防御結界が、再構築されはじめている。
研究所の方向に、確かな魔力の柱が立ち上っていた。
その光を見て、グレイドが低く笑う。
「……魔女殿か」
ロシュディも、剣を下ろしながら呟いた。
「……これで、少しは息ができる」
だが彼の瞳には、油断の色はない。
闇の向こうには、なお蠢く影がある。
「――ここからが、本当の戦だ」
そう言って、ロシュディは剣を構え直した。
◇◇◇
「……安定したか……?」
誰かがそう言葉を落とした瞬間、地下を突き上げるような衝撃が走った。
部屋の灯が揺れ、魔導管の中の液体が泡立つ。
「結界の波形が、急激に変化を――!」
観測盤に、眩い光が浮かび上がる。
それは暴走の兆候ではなく、澄んだ、静かな輝きだった。
リーグベルは手を伸ばし、波形を解析する。
確かにそれは、結界の再起動――。
だが、どの陣からも連結していない。
「相変わらず、規格外だな……」
膝の力が抜け、彼は呟いた。
ユウの魔力は、底が見えない。
そして彼女はその仕組みを理解してはいない。
つまりこれは暴走の果ての、一瞬の救済にすぎない。
王都の上空に淡い光が広がり、外の闇を押し返すように結界が再び息を吹き返した。
「結界が……戻りました!」
補助陣から歓喜の声があがるが、リーグベルは即座に首を振った。
「これは仮初の命綱だ」
燃え尽きる前に、次の打開策を練らなければいけない。
◇◇◇
王都はまだ息をしていた。
瓦礫の合間に灯りが戻り、人々は互いを呼び合う。
泣き叫ぶ子を抱く母、倒れた兵士を引き上げる若者。
光の粒子が街を包むように降り注ぎ、まるで世界そのものが希望の色に染まるかのようだった。
外では、闇が海のように渦を巻いている。
魔物たちは結界に阻まれ、何度も叩きつけられながら吠えた。
その咆哮が、遠い雷鳴のように王都の壁を震わせる。
「――全隊、第二配置に移行! 魔導砲の充填を急げ!」
ロシュディの声が響く。
肩口は焦げ、その下には新しい血の滲み。
だがその瞳は一点を見据えている。
結界の外で、闇の群れが蠢く。
羽を持つ魔獣が上空で鳴き、地を這う影が壁を登ろうとしていた。
「持ち場を離れるな! 先ほど、王都の防御結界が復活した!」
兵士たちが応えるように槍を掲げる。
ロシュディは短く息を吐いた。
眠る彼女の元に置いてきた、通信の魔道具が破壊されたのは気が付いている。
ロシュディが持っていた対になる道具はすっかり沈黙していたからだ。
闇の海を見下ろしながら独り言ちる。
「……どうか無事でいてくれ」




