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【完結済】異世界移住パッケージ~保証付きスローライフだと思っていたら拾った男が訳アリ王族でした  作者: りわ あすか
事端編*暁の境界

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072 THROUGHOUT ~のあらゆる場所に,~の至る所で~

 制御陣から溢れ出していた奔流のような光が、穏やかな燐光へと変わり、やがて静寂の中に溶けていく。


 どれほどの時間が経過したのだろう。

 永遠のようにも、瞬きのようにも感じられる濃密な時間だった。

 

 鼓膜を圧迫していた音が止み、震えていた床の振動も、波が引くように静まっていた。


「……とりあえず、回避出来たか」


 張り詰めていた糸が切れたように、リーグベルが深く息を吐く。

 その肩から力が抜けるのが分かった。 彼の頬には煤と汗が泥のようにこびりつき、服の袖は焦げていたが、眼差しは、驚くほど穏やかだった。


 ユウは全身の力が抜けたのを感じ、ズルズルと背後の壁にもたれかかった。

 膝が笑い、指先が微かに震えている。  

 そっと開いた自分の手のひらを見つめた。  

 まだ、じんわりと熱い。

 皮膚の下を未知の熱量が駆け巡った余韻が残っている。  


 リーグベルの指示に従い、ただ必死に彼を信じて魔力を流し込んだだけだ。

 それなのに、まるで自分自身の命が大きな灯火となって燃え上がったかのような、奇妙な充実感と喪失感が入り混じっていた。


「リーグベルさん……これで、本当に大丈夫なんですか?」  


 絞り出した声は、酷く掠れていた。


「ああ。当面は、な。魔女殿の純度の高い魔力が王都全域の地脈に拡散し、損傷した物理結界の代用として機能している。言わば、街全体を君の魔力による包帯でぐるぐる巻きにしたようなものだ」  


 リーグベルは汚れた頬を乱暴に擦り、天井を見上げる。


「だが、被害の全容が見えない。街の損壊状況はまだ把握できていないな」


 リーグベルに促され、ユウは重い足取りで立ち上がった。  

 研究所の長い階段を上り、瓦礫を踏みしめて外に出る。  


 その瞬間、鼻腔を突いたのは、石や木材が焼けた焦げ臭さと、雨上がりのような土の匂いだった。冷たい風が熱った頬をなでていく。


 目の前に広がる光景に、ユウは息を呑んだ。  

 王都の象徴だった時計塔は先端が欠け、美しい石畳の大通りは所々で隆起し、亀裂が走っている。だが、そこにあるのは絶望だけではなかった。


 崩れかけた屋根の下では、若い職人が既に仲間と声を掛け合い、補強用の木材を運び込んでいる。怒声にも似た活気のある声が飛び交う。


 なぎ倒された露店の跡では、皺だらけの手をした老婦人たちが、散乱した荷車を拾い集め、使える野菜とそうでないものを手際よく選別していた。 路地の隅では、泣きじゃくる子どもを抱き上げ、煤けたパンを分け与える母親の姿がある。


 恐怖に凍りついていたはずの世界が、驚くべき速度で熱を取り戻し、息を吹き返している。  


 ユウは足を止め、思わず胸に手を当てた。  

 ドクン、ドクンと、自分の心臓が街の鼓動と共鳴しているような気がした。


「……すごい。みんな、もう動いてる」  


 その呟きを聞いて、リーグベルが隣で小さく、けれど誇らしげに笑った。


「人間は、滅びるのが下手だからな」  


 その皮肉めいた、しかし温かい響きに、ユウは思わず笑ってしまった。  

 張り詰めていた感情が緩み、涙が視界ににじんで景色が揺れる。


 二人は足元に散らばる木片や石片を避けながら、大通りを進んだ。  

 王都の冒険者ギルドの前まで来ると、堅牢さを誇った建物は半壊し、片側の壁が崩れ落ちていた。しかし、瓦礫を寄せただけの入り口には、臨時受付中と荒々しく書かれた板が掲げられている。


 中に入ると、そこは野戦病院と市場が混ざり合ったような喧騒に包まれていた。  

 冒険者たちが怪我人の手当てをし、商人たちが荷の仕分けを行い、ギルド職員が声を張り上げて指示を飛ばしている。  


 ユウがその混沌とした様子を覗き込むと、山積みになった木箱の影に、見覚えのある恰幅の良い後ろ姿があった。  


 テンシアの街で出会い、旅の心得を教えてくれたあの商人の男――カイだ。彼は今、何やら指示書のようなものを片手に、若い荷運びたちに激を飛ばしている。


「……カイさん?」  

 ユウの声に、男が振り向いた。  

 疲労の色が濃い顔に、一瞬驚きの色が走り、それからぱっと大輪の笑みが広がった。

「おおっ……! やはり、王都で会えましたな、ユウさん!」


「よかった……無事だったんですね」  


 安堵で膝が抜けそうになるユウを見て、カイは豪快に笑いながら、積まれた麻袋の上にどっかり腰を下ろした。


「ええ、まあ。私の運の良さは商売道具ですからな。もっとも、荷車の車輪は二つほどイカれてしまいましたが」

「王都には到着したばかりなんですか?」


「ええ、つい先ほど到着したのですよ。いやはや、参りました」  

 カイは額の汗を拭いながら、真面目な表情に戻る。

「大街道は至る所が裂けて酷い状況でした。北区はほぼ壊滅ですが、南や中央はまだ綺麗な方ですな。それに――」


 彼は顎で、壁の穴から見える通りの方を指した。  

 そこには、子どもたちが割れた瓶の欠片を集めて一箇所にまとめ、魔導具職人が破損した街灯の代わりに即席の灯を作って回っていた。  

 屋台の親父が煤けた鍋で湯を沸かし、少し焦げたパンを「温かいぞ!」と声を張り上げて売り始めている。


「……あの逞しさには、心底感嘆します。この国は、そう簡単に沈みませんね」


 カイの言葉が、ユウの胸に深く染み渡る。  

 自分の流した魔力が、結界となってこの街を覆っている。その見えない膜の中で、人々は悲嘆に暮れる暇もなく、もう次の朝を迎える準備をしているのだ。


「私……少しだけ、魔力とか魔術について、わかった気がします」  


 ユウは自分の掌を見つめ、静かに言った。


「何をだ?」とリーグベルが興味深そうに問う。  


 ユウは顔を上げ、穏やかに笑って言った。


「こういう規格外の力で守れるのは、物理的な結界とか頑丈な建物じゃなくて……きっと人の時間なんだと思います。――こうやって、人々が明日へ向かって生きていける時間を、途切れさせないための力なんだって」


 リーグベルは一瞬だけ言葉を失い、目を見開いた。

 それからふっと目を細め、どこか眩しいものを見るような顔をした。


「……本当に面白いことを言うな。魔術を時間の保存と定義する魔術師は、世界広しといえど聞いたことがない」


 カイが笑いながら肩をすくめる。


「その時間ってやつを繋いでくれたのは、ユウさんだけではなく、貴方もでしょう。ありがとう、研究所の先生さん」


 リーグベルは照れくさそうに肩を竦め、視線を逸らした。


「礼には及ばんよ。俺はただ、使い慣れた装置の調子を合わせたに過ぎない」


 その時、遠くの教会から、低く重厚な鐘の音が響いた。  

 黒煙の残る空の彼方が、少しずつ鮮やかな橙色に染まっていく。

 夜の闇が薄れ、朝の光が瓦礫の稜線を縁取っていく。  

 ユウはその光景を見上げながら、小さく呟いた。


「……まだ、何も終わってないけど――きっと、大丈夫ですね」


 彼らの頭上高い空で、薄く再生した結界が朝日を受けて虹色に光を返した。  

 その輝きは、希望そのもののように、夜明けの光へと溶けていった。


◇◇◇


 夜明けの光が、ようやく王都の屋根を照らし始めた頃。  

 王城の一角にある作戦会議室では、重苦しい空気が澱んでいた。  


 破損した窓から流れ込む冷たい風と光が、中央に置かれた巨大な机上の地図を照らす。 焦げ跡のついた軍用地図には、いまだ王都を中心とした赤い線――警戒区域や被害報告――が無数に張り巡らされている。


 その地図を前に、王国軍を率いているロシュディは静かに眉間を押さえた。  

 指先は微かに黒ずんでいる。輝きを失った袖口の留め金は血で汚れ、整えられていた髪にも灰がこびりついていた。彼自身もまた、前線で剣を振るい、瓦礫を退け、民を守り抜いた証だった。


 対面に立つグレイドが、淡々と、しかし正確に報告書を並べた。彼もまた泥にまみれていたが、その背筋は鋼のように真っ直ぐだった。


「……王都結界、最低限の出力にて安定を確認。先ほど魔術研究所より連絡が入りました。リーグベル主席研究員と、協力者の手により再制御に成功したとのことです」


 ロシュディは短く息を吐く。

 肺の底に溜まっていた鉛のような重圧が、わずかに軽くなるのを感じた。 安堵の色を浮かべながらも、その彫りの深い表情に笑みはまだ、ない。


「そうか……。ならば、今は王都の民に束の間の休息を与えられる」


 ロシュディは立ち上がり、窓枠に手をついて外を見下ろした。  

 眼下では、崩れた街の中で、軍人と職人たちが区別なく共に動き出している。

 瓦礫を片付け、備蓄食料を配り、冷え切った体に温かいスープを行き渡らせるために火を灯す。

 

 その光景は、ロシュディにとって何よりの慰めであり、同時に新たな誓いを強いるものだった。


「……彼らのたくましさに報いるには、俺たちが立ち止まるわけにはいかないだろう」

「ええ、同感です」


 グレイドが短く答え、手元の分厚い紙束を整える。

 その目は既に次の戦場を見据えていた。


「しかし問題は、依然として各都市との長距離魔導通信が遮断されたままであること。王都の安定と復興の裏側では――外の世界の混乱が深まっています。街道からの報告によれば、魔物の活性化も確認されているとのこと」


 ロシュディの眼差しが鋭くなった。

 鷹が獲物を見つけた時のような、鋭利な光が宿る。


「……敵は、沈黙の中でも動いている、ということか」

「はい。今回の事象が人為的なものか、天災かは定かではありませんが、いずれにしても敵対勢力はこの混乱を好機と見ているでしょう」


 ロシュディは黙り込み、地図の上に指を滑らせた。  

 その指先が、街道の結節点となる一箇所に刻まれた印の上でピタリと止まる。


「……一番脆いのは、ここだな。王都と鉱都を結ぶ主要路。ここを断たれれば、復興資材も食料も届かなくなる」

「すでに隠密を含む偵察隊を向かわせています。が、正規軍を動かすには余力が――」


 グレイドが言いかけたその時だった。  

 バンッ、と部屋の扉が荒々しく開かれた。  

 

 室内の空気が揺れる。


 入ってきたのは、北門警備隊の腕章をつけた若い兵だった。  

 顔色は青白く、衣服の裾からは泥と水が滴り落ち、肩で息をしている。

 その様子だけで、事態の緊急性が知れた。


「し、失礼します! 伝令が到着しました!」

「何事だ。落ち着いて報告せよ」


 ロシュディの低い声に、兵は一度大きく息を吸い込み、叫ぶように告げた。


「カーネリアより緊急の書簡が届いております!」


 兵が差し出した羊皮紙は、隣国カーネリア王家の正式書簡である封蝋印が見て取れる。  

 ロシュディはグレイドと顔を見合わせ、地図上の一点を睨みつけた。  


 夜明けの光が照らす王都の安寧とは裏腹に、新たな嵐の予感が、不気味な足音を立てて近づいていた。


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