028 TRADE 交換
地下庭園――は全体的に淡い光を纏いキラキラと輝いていた。
魔石の中に混ざりこんでいる煌めきは雲母のような色合いで、ただただ圧倒される。
冊子を読み込み始めたユウを向かいに、ロシュディは静かに坐した。
彼女が向かいに座っているいつもの光景は、この場所がかなり異質な空間であるにも関わらず、ロシュディに安息を与えてくれていた。
朝食後、暖炉前のバスケットの中を寝床と決めて深い眠りの中にいたはずの黒龍が、ふわりと浮遊しふよふよとテーブルに向かって移動してくる。ロシュディは黒龍を肩に止まらせ、そっと滑らかな鱗に指を滑らせる。
東屋の横には簡易的なキッチンもあり、そこで茶葉と茶器セットをみつけたロシュディはお湯を沸かし始めた。まさか自分が、誰かのためにお茶を淹れる日が来るとは。彼の生の中で、想像もしたことのない未来だった。ユウが作業するのを毎日のように見ていた。
見様見真似だが、中々の出来ではないだろうか。一口味見をし、ユウの前にそっとカップを置く。チラチラとこちらを見上げる黒龍の前にもカップを置いてやった。
「ありがとうございます」と答える彼女に、笑みだけを返す。
穏やかで静寂な時間が、悠久に続けばいいのに。
【異世界移住パッケージプランTよりお知らせです】
【生活者の定着度が規定値εを超えましたので、重要なお知らせを開示いたします】
その静けさの中に、例のナビゲーションの無機質な音声が唐突に割り込んできた。
ユウは、口に含んだばかりのお茶を思いきり吹き出した。
「……は? いぷしろん……」
慌ててカップを卓に戻し、声の出どころ――に意識を集中させる。
ロシュディは、虚空に真剣な眼差しを向ける女を見る。
【おめでとうございます。ユウ様は、本拠点における新しい魔女候補として正式認定されました】
ナビゲーションの声は、相変わらず抑揚がなく、どこか事務的だ。
しかし、その内容はユウの思考を完全に停止させるに十分だった。
「え、いやいやいやいや待って!? 候補って何!? そもそも私、本プランに移行するとかも決めた覚えないんですけど!」
ユウは、椅子から半身を乗り出すようにして叫ぶ。
頭の中で魔女という言葉がぐるぐると渦巻く。自分はただの一般人で、異世界に放り込まれて、必死に生活しているだけなのに。
【本拠点は、空間転送手続きにより、他世界からの物理交換が行われております】
【交換対象者:エミール・トゥリィトリィおよび日比谷ユウ】
【交換目的:エミール・トゥリィトリィの異世界脱出】
ナビゲーションが淡々と説明を続ける。
その言葉は、ユウの頭の中で、バラバラだったパズルのピースを無理やりはめ込んでいくかのようだった。
「…………」
ユウは沈黙した。
あまりにも衝撃的な事実に、言葉が出ない。
そして、カクンと膝から力が抜けるように椅子に座り込んだ。
「つまり…………TRADEってこと!?」
その問いに、ナビゲーションは肯定も否定もしない。
ただ、端的に情報を提示する。
【当該施設前使用者エミール・トゥリィトリィは、当世界の政治的緊張および人間関係の複雑化に強いストレスを覚え退去を希望】
【加えて、草木アレルギーが進行していたため、森での生活が困難になったと報告有】
「そっちの都合ぉぉぉ!?」
ユウは、思わず絶叫した。あまりにも理不尽な理由に、怒りすら通り越して呆れてしまう。
自分の人生は、たった一人の魔女?の都合と、まさかのアレルギーによって、こんなにも大きく変わってしまったというのか。
【そこで、当該施設及び干渉適性の高い人物をエミール・トゥリィトリィ主導のもと追跡選定。日比谷ユウ様の社畜耐性および自活スキルに対する意欲が高評価を獲得】
「社畜耐性って、何!?」
ユウは、ひとりツッコミをいれ、テーブルを叩いて立ち上がった。
自分の評価基準が社畜耐性という、なんとも不本意なものであったことに、やるせない気持ちが募る。
完全にユウの意識からははじき出されていたロシュディが「落ち着け」とユウの肩を押した。
「……いや、あの……今、私の人生がすごい雑に転がされてる最中なんです……」
ユウは、混乱しつつも、かいつまんで状況を説明する。
先代の魔女がこの世界に嫌気がさして逃げ出し、自分が適任とされてどうやら召喚されたこと。そして、自分が新しい魔女候補として認定されたこと。異世界移住パッケージTの唐突過ぎるネタばらしである。
ロシュディは、席を立つとユウの隣に静かに座った。彼の表情には、驚きと、しかしどこか納得したような色が見て取れる。
「……俺の直感は当たっていた、ということか」
ロシュディは静かに呟いた。
彼の言葉は、まるで長年の謎が解けたかのような、深い感慨を含んでいた。
「君は、この場所に必要な存在だと。少なくとも俺は、こうして生かされたことは赦されたと、同義だと考えるように、変わった」
その言葉は、ユウの胸にじんわりと染み込んだ。
この世界に突然放り込まれたことへの理不尽さや、不安が、彼の言葉によってほんの少しだけ和らぐ。
「……でも、私、これただの被害者ですよね……?」
ユウは、不貞腐れたように言った。
確かに彼の言葉は救いだが、根本的な状況が変わるわけではない。
「……俺は、救われた。君が来てくれたから」
ロシュディの目はまっすぐだった。彼の瞳には、偽りのない真摯な気持ちが宿っている。どんな陰謀や理不尽な状況よりも、その言葉のほうがユウの胸に深く刺さった。彼が、彼女の存在を必要としてくれている。
【補足事項:日比谷ユウ様は、新・エオルトリア高地の魔女として生活権を継続利用可能です】
【補足事項:今後の行動次第で王家の監視対象から外れるかもしれません】
ナビゲーションは、構わず状況をまとめるように告げた。
「いや、勝手に話をまとめないで……魔女とか、名乗る気さらさら無いですから……」
ユウは、虚空に向かって泣きそうな顔を向ける。
ロシュディは、くすりと笑った。その表情は、どこか柔らかなものだった。
「魔女か。最初に会った時から、浮世離れしていたな」
「……ロシュディさんまでやめてください」
ユウは、ロシュディの言葉に頬を膨らませた。
しかし、彼の瞳は優しく、彼女をからかっているわけではないことが伝わってくる。
「だが……悪くない称号だ。君に似合うと思う」
照れくさそうに笑うロシュディの姿に、ユウは一瞬言葉を失った。
彼の言葉は、彼女の心に、これまで感じたことのない、不思議な感情を呼び起こした。胸の奥が、またちょっとだけ、ざわついた。
【メインクエスト更新:称号を獲得しました。第七十一代エオルトリア高地の魔女】
【達成報酬:ハーブ園の成長速度がわずかに上昇】
ナビゲーションの声は、再びユウの感情を無視して、淡々と情報を告げた。
「で……また微妙な報酬……」
ユウは、天を仰ぐ。
彼女の落とした言葉は、石の煌めきの海に吸い込まれていくようだった。




