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【完結済】異世界移住パッケージ~保証付きスローライフだと思っていたら拾った男が訳アリ王族でした  作者: りわ あすか
移住編*エオルトリア高地の魔女

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29/90

029 TERRITORY 領域

 朝の森の湿気はすっかり抜け、澄んだ空気が肺の奥まで沁みわたる。鳥の鳴き声は遠く、耳を澄ませば、葉を揺らす風の音すら聞こえそうだった。


 ロシュディはいつも通りに家の外周を見回っていた。まるで巡回する騎士のように規則正しく、一切の妥協を感じさせない足取りで。


 一方、ユウは干していた薬草をひっくり返し、乾燥具合を確認している。そろそろ収穫時期のハーブ類は、彩りも香りも申し分ない……はずなのだが。


「……成長、速くなった?」


 独り言のように呟いてみても、目に見えるような変化はない。微弱ながら地力が上がるはずだと聞いていたが、その実感は薄い。


 とはいえ、土の手入れ自体は後回しになっていた。そろそろ連作障害の心配も出てきそうだ。そう考えながら、ふと思い立ち、裏庭へと回った。


 目的は、温泉水。

 先日の依頼――温泉の新効能に関するクエストを思い出したのだ。小屋の裏に設置された取水口から、木桶いっぱいに湯を汲む。意外にもずしりと重く、持ち上げた拍子に少しばかり溢れた。


 そのときだった。


「わっ――!?」


 後ろから伸びてきた腕が、木桶をさらりと奪い取った。驚いて振り返れば、そこには帰ってきたばかりのロシュディが、無言で立っていた。


「おかえりなさい!」


 ぱちぱちと瞬きをしながら声をかければ「ただいま」と静かに返される。彼は木桶を軽々と片腕で持ち直しながら、どこに置けばいいのかという風に首を傾げた。


「あ、プランターと花壇のところにお願いします」

「温泉水を撒くのか?」

「一部だけですよ。ちょっと実験を兼ねて」


 実は今朝、冷ました温泉水を飲んでみたのだ。恐る恐るだったが、腹痛などの症状は現れなかった。冷却によって独特の硫黄臭も和らぎ、飲料水として十分使えそうだった。


 残りは製氷皿に流し込み、今は氷になるのを待っている。無味無臭に近くなっているなら、調理にも応用できるかもしれない。風魔石で作った炭酸水に氷を浮かべ、果汁などで色をつければ、クリームソーダ風ドリンク――そんな食への探求が、ユウの魔女ライフの中核だった。


 高地の魔女などという称号を得たものの、日常に劇的な変化はない。

 ただ、住まいを快適に、食を豊かに、そして安全を確保して生きていく。


 選別したプランターの古い茎や根を取り除き、ふるいにかけて土を再生。指の第二関節まで土に押し込み、くぼみを作って種を播く。かつては苗を育てて移植していたが、今では直播きが基本になった。


 ソテリアやルーンダルシアといった薬草用プランターの一角。そこに、先日もらったサツマイモに似た黄色い芋を植え、水代わりに温泉水を注ぐ。もし何か効果があれば儲けもの、程度の心持ちだ。


 アリアを通じて知り合った麓村の村長からは、最近、相談事を受けていた。

 曰く――今年の芋の出来が悪く、半数は黒い斑点が浮かび、触れば柔らかく腐りかけているという。


 ユウの知識で思い当たるのは、病気か、害虫か、あるいは連作障害。家庭菜園レベルの経験では判別できず、やはり現地調査が必要だろう。


 地下室には、先代の魔女達が残した文献が山ほどある。

 何か手がかりがあるかもしれない。


 この高地は、冬になると完全に雪に閉ざされる。下界との行き来も絶たれる。そう聞かされてはいたが、想像以上に準備が難しい。現代日本の生活に慣れた身には、どこまで備えればいいかの目安すらない。

 ロシュディに尋ねたところ、彼もあまり過酷な冬を経験したことはないらしい。


 幸い、小屋には魔女の魔術が施された設備がある。けれど、それらがどこまで通用するのかは未知数だ。装置の一部は未解明のままであり、だからこそ不安も残る。


 やるべきことは、まだまだ山積しているのだ――そう思った瞬間。


【外部生命力反応を検知および接近中】

【推定規模:交渉部隊 構成:三名 装備:長剣・大剣・大弓 目的:説得 推奨:暗闘反目】

【――既に交戦中です】

【対攻城戦防衛パックを適用】


 ナビゲーションの無機質な声が頭に響き、ユウは咄嗟に顔を上げた。ロシュディはすでに立ち上がり、腰の剣に手をかけている。


 空気が、凍る。

 靄がかかったように静かな森に、不穏な気配が、はっきりと滲んでいた。


◇◇◇


 鋭く放たれた鉄製の矢が、魔女の結界に弾かれて地面へと落ちた。

 金属が岩に跳ねる音が、短く響く。


 黒髪を刈り上げた青年――王弟親衛隊の一人であるルネは、眉をひそめる。


「……魔女の結界ってどうやって突破するんすかね」


 問いかけられたグレイドは、表情を崩さず答える。


「我々の目的はあくまで説得だ。過度な接触は避けろ」


 高地の空模様は、早くも怪しげだった。

 にわか雨が過ぎ、地上には薄い靄が立ち込めている。高くそびえる岩山はすでにその輪郭を失い、鳥の鳴き声さえも、敵意を帯びて聞こえる。


「鴉が多いな……高地特有の種か」


 目つきの鋭い男が、空を睨みながらつぶやいた。


 現在地は、苔むす岩が点在する緩やかな斜面。真っ直ぐ進めば、魔女の住まう小屋へと至る。だが、道は見えず、気配だけが濃くなる。


「……いつ来ても、愉快な場所ではない」


 グレイドは吐き捨てるように言った。


 エオルトリア高地の魔女――。


 異端にして、脅威。

 過ぎた力は、災いである。

 

 そんなグレイドの思考は次の瞬間掻き消された。

 翼を裂くような風鳴りが、上空から突き刺さるように降って来る。


「来たぞ――!」


 グレイドの叫びと同時に、鴉の群れが森の影から姿を現す。

 黒一色の羽毛は光を吸い込み、刃のように尖った嘴と鉤爪が太陽光を鋭く反射していた。


 高地の鴉――シェル・グロウ。この地域特有の大型魔物であり、一般的な鳥類とは一線を画す存在だ。大人の人間ほどの体躯を持ち、視認すら困難な速度で滑空してくる。


 部隊の一人、弓兵のルネが素早く矢を番えた。


「射程、取れます!」

「撃て!」


 グレイドの短い命令とともに、矢が空を裂いて飛ぶ。一本は直撃し、鴉の羽根を裂いた。だが、落ちない。


「ッ――!? まだ来る!」


 斜め上から別の一羽が降下し、ルネ目掛けて嘴を突き立てた。咄嗟に身を翻したが、肩を鋭く切り裂かれ、矢筒が落ちる。


「ルネ!」


 隊の中で最も若い剣士ディエゴがすぐさま盾を構え、ルネの前に躍り出た。だが、それを狙ったかのように別の一羽が背後から迫る。


「ッ――囲まれてるぞ!」


 冷静な判断を下していたグレイドの顔にも、険しさが増す。シェル・グロウは個体ごとの判断力が高く、分断と包囲を得意とする。森の靄に紛れて攻撃してくる彼らを、地上から迎撃するのは困難だ。


「頭を狙え! 翼は分厚すぎる!」


「っす! けど!」


 ルネが再度弓を構えたとき、頭上から急降下してきた鴉が獲物に狙いを定める。もはや反応は間に合わない。


 閃光が弾けた。

 光が一閃し、真っ黒な鴉の身体が空中で爆ぜた。焼け焦げた羽がばらまかれるように落ちてくる。


「……え?」


 ルネの目が、きょとんと見開かれた。


 霧の向こうから、黒衣がはためいて現れる。

 剣を下げた姿で、まるで迷いなくこちらへと歩いてくる男。


「殿下……」


 グレイドが無意識に呟いた。

 黒衣の男は一切言葉を発さず、滑るように前に出る。

 次の瞬間、空から二羽、同時に襲いかかったシェル・グロウに対し――「下がっていろ」その一声と同時に、抜き放たれた剣が虚空を斬り裂く。


 爆ぜる羽、吹き飛ぶ肉。鋼の刃は残光を残しながら、二体の鴉を同時に撃ち落とした。

 森の中に響く羽ばたきが、一瞬で減る。群れが怯えたのだ。王都でも指折りの剣士の腕は、逃亡した今でも確かだった。


 ロシュディは表情ひとつ変えない。


「さっさと離脱しろ。また次の群れが来るぞ」

「お待ちください、我々は交渉に!」

「知っている。だが今はその時ではない」


 彼の声は低く、しかし絶対的だった。

 言葉よりも先に動くのが、ロシュディという男だ。手にした長剣が再び上段へと構えられ、次の一撃に備える。


 そして空から、さらに三体。だが、その動きはもう、先程のような勢いがない。ロシュディの一閃が空を切り裂き、地面に新たな影が落ちた。


 グレイドは息を呑み、その場に膝をついた。


「――の――器」


 そう呟いたとき、鴉の残党は完全に退却を始めていた。森の奥へと、霧に紛れて消える。


 ロシュディは剣を納めると、無言で彼らを一瞥し、背を向けた。

 呼吸を静かに整え、言わざるを得ない言葉を吐き出す。


「ついてこい」


 その背中は、あくまでも淡々と。


 だが、確かにその場にいた全員が、魔女の領域に踏み込んだのだと、皮膚感覚で理解した。


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