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流れゆく泥の河へ・三

カンパニー成績不審者収容所・所長室・河野敦side―――


「七年ぶりだな、オルトリーネ……」


 滝沢部長が就任し、日々の職務を果たすその部屋を、今は眼帯の中年男性……河野 敦(

あつし)が支配していた。

 彼は今、言われてもいないのに滝沢部長がやるべき書類仕事を遂行している。

 彼はそうしながら、この異世界に来たことを思い出し始めた。


 危険な異世界への渡りをつけたあの男……全ては奴に愚弟が騙されたのが始まりだった。

 その頃、現代日本での生活に膿んでいた。

 学生時代とは雲泥の差がある、つまらない、自分が貶められる生活。


 こんなはずじゃなかった。

 俺はもっとできる男だったはずだ。


 とある食品販売会社に勤め、営業として必死に頑張った末。

いつの間にか彼は会社での居場所をなくしていた。

何も乗っていない空っぽのデスク、それだけが残される。

 

だから彼は、同窓会であの男の……いや、弟の誘いに乗ったのだ。

しかし、異世界もまた彼に無能者の烙印を押す。


 異世界召喚によって得られる権能(チート)にはランクがあり、そのランク次第によってこの世界での優遇されやすさがまるで違う。

 高ランクのチートを得たならば王侯貴族に匹敵する生活を得られるが、カスみたいなチートを得たならば、一生薄給で飼い殺しも有りうる。

 それどころか……捨て駒として消費されることだって……。


 異世界人はしょせん余所者……信用されても信頼はされない余所者。

 それをもっと早く知っていれば……。


「けっ、俺に仕事は任せない……か」


 七年前……召喚された年に命令されたカンパニー支部の襲撃。

 どんなに努力し、必死に人生を切り開いても、チート一つでそれをズタズタにできる。

 他人の人生を蹂躙できる快楽を彼は知った。


「あの時の、絶頂をもう一度……」


 年齢以上に老け込んだ顔の中で、ただ一つ、目だけが若々しさを残している。

 その目は自分の「失敗した」人生を慰めてくれる生贄を欲していた。

 

 オルトリーネ……崩れかけた喉から漏れ出たその名前は、目がはっきりと捉えた。

 その女をその手で壊してしまえば、一時の安息が訪れる。

 それだけが……弟の付属物扱いされた彼の、願いであった。


*****


カンパニー成績不審者収容所・外・雪月side―――


「逃げたら特別顧問権限で即座に不合格……ええなぁぁ?」


 分かりやすい大上段からの振り下ろしを、俺は横に避ける。


 別にいいから、逃げるなとか……どうせなんだかんだで強制するんでしょ。

 俺は内心不貞腐れながら赤崎(あかざき)紅子(くれこ)と戦っていた。


 ぶっちゃけると、俺のせいじゃないし。

 何やら因縁があるらしいが、それは俺じゃなくて俺が乗っ取っている身体の主・シラユキに対してだから。

 とは言え、まさか身体乗っ取っていますとか正直に言えないところ……俺はシラユキの因縁まで背負わねばならない……クソッ。


「せぃ!!」


 続く横凪と見せかけた突きを俺は後ろに飛んで躱す。


 この戦い、勝てるなんてまったく思っていない。

 どうせ勝っても(勝てないけど)ズルで負けにされるんでしょ。

 ならばここは逃げ回って時間稼ぎ……不審に思った陽菜とリーネが助けに来ることを願う……俺は他力に賭ける。

 全ては他人任せ……だって自分が一番信用できないし……。


「……っ!!」


 次に来るのは足払いを狙った下段攻撃かな?

 俺は紅子の次行動にそう、当たりを付けた。


 この世界に来て、いや来る前からも怪我したり殺されかけてたり、嫌な事ばかり。

 そして俺は思う……もう痛いことは嫌だ。


 そのせいか、俺はなんとなく殴られる予兆みたいなものが分かるようになってきた。

 俺はマジで小動物。

 情けなくて涙が出てくるが、もはや流れる涙は枯れ果てた。

 決めた……来世はハムスターに生まれ変わろう。


 良い飼い主に恵まれればゲージの中でヒマワリの種を食い放題。

 俺……ネズミになりたいよ。


「本当に情けない……数か月前となんの変わりもない、可愛がられるだけのペットやな」

「実は記憶喪失で……」

「記憶喪失……気合で思い出せや!!」

(無茶言うな……!!)


 先程から一撃必殺の大振りばかりを繰り出して来た紅子。

 それが今度は槍を小刻みに動かして、フェイント交じりで体勢を崩そうとしてくる。

 俺には分かる。

 次の行動が分かる。


 俺の身体が殴られる予兆を感じる。

 何度も殺されかけた俺の折れた心が察知する。


 「お前をぶっ倒す」……と言うやる気が飛んで、そしてその後に槍が飛んでくる。

 俺を倒すと言う一撃は大きなやる気、体勢を崩そうとするフェイントは小さなやる気が先に飛んでくる。

 でも俺にはその全てを避けるだけの力(ステータス)がない。


(いてぇ)


 態勢を崩そうとする牽制を俺はわざと受ける。

 右腕を槍の穂先が掠めた、痛い……でも殺されるよりはマシ。


 だから俺は牽制には自分から当ることにした。

 避ければ、直撃すれば体勢が崩れて、その後の本命を躱せない。

 だが自分から当ればある程度はダメージをコントロールできるし、予測できる分、すぐに身体を立て直せる。


 それがもう数十回……全身傷だらけで血まみれ。

 重傷には程遠く、勿論出血多量などにはならないけれど、すごく痛い。

 相手が女子高生(にしか見えない)紅子だから良かったものの……鉄仮面だったら三桁ぐらい殺されていたかも。


 モブキャラよりもプラスアルファ程度美形度が上がった程度で。

 カンパニーの制服だがなんだか、陽菜が着ているスーツ型と違い、俺には紺色のブレザーとスカート……学生服にしか見えないんだよ。


 ふふふ、社畜である俺に対し、お前はしょせん女子高生……力の差を弁えよ。

早く陽菜、助けに来て……。


 俺が心の中で泣いているのに、相対する紅子は、とっても愉しそうだ。

 そんなに俺を弄って愉しいの。


「久しぶりやな……こういうの」


 目はギラギラ、ほとばしる汗が輝いて見える……何、貴方女子陸上部?


 会社の命令で戦いますの陽菜。

 かかってくるなら容赦はしないの、リーネ。

 対して彼女は多分……戦いたいから戦う……そういうタイプだと見た。


 暴れるのが大好き、敵を倒すのが大好き……隣にいて欲しくない人間である。


 そう言えば俺は、こんな青龍刀の上で鉄なべを振るうような艱難辛苦を何分ぐらいしているんだ。

 それとも何時間……?

 時間を確認しようと気をそらせば串刺しである。

 確認の仕様がない。


「貴様……いつまでこんなことをしている!!」


 俺がいよいよ神経を切らせようとして時、彼方から助けが来た……いや、来ない。

 滝沢部長だよ、あいつ。

 鼻に包帯を巻いているのが笑えるが、こいつじゃ何の役にも立たない。


「もはや受付も終わった、収容所の門が閉まる……閉めだされて夜に奴らに狩られたいのか!!」

「ちっ……急かす男は嫌われるんよ……けどしゃあないなぁ」


 汗で服がぴったりと身体に張り付くほど運動しても、大して体力を消耗しているようには見えない紅子さん。

 彼女は俺から距離を取り……一飛び、しかも後ろ向きで数メートル……もしかして貴方

竜騎士?


「薬研将軍には及ばないけど、ウチにもこれくらいなら……」


 紅子が槍を横に持ち、何らかの呪文を唱えると、穂先から炎が現れた。

 その炎は形を変え、嘴のようなものが見え、ついで翼が見える。

 炎はいつしか隼のような姿に変貌した。


「ウチはお前が嫌いだ……彩春(いろは)の寵愛に満足して甘ったれているお前がな……何もせず、誰かに守られることから抜け出そうとしないお前が」


 一瞬、ドキリとするが、きっと彼女はシラユキの事を言っているのだろう、俺の事じゃない。

 安心、安心……。

 え、でもこの流れは処刑……?


「だけど甘ったれていると言う評価は謝る……今のお前は自衛はできる、一人前ではないけど戦士ではある」

(戦士なんか目指してないんですけど……)


 目の前の体育系の勘違いに戦々恐々とする俺。

 今ここで全てを話しても言い訳とか命乞いとか思われて、ああぁぁぁぁ。

 どうにもできねぇ。


 

「はぁぁぁぁ!!」


 そしてついに炎の隼が放たれる。

 大きく、速いその妖鳥を俺は躱せない。

 瞬き後には目の前に嘴。

 その嘴が俺の喉に突き刺さる。


(ダメだ、嘴じゃない、首を見るんだ)


 隼の嘴を両手で抑えようとした俺はとっさに隼の首を狙う。

 炎でできたその身体を触るのは熱く、焼け爛れる痛みが脳内に突き刺さる。

 だがかつては感じた痛みよりはまだ甘い。


 俺は臆することなくその意外に細い首を両腕で力の限り締め上げる。

 嘴が俺の頸動脈スレスレに近づくが、防御しては殺される。

 経験上、ここはやられる前にやらなければ殺される。


 一、二、三。

 気を紛らわすように数を数え、それが三十ぐらいになった頃。

 絞殺に耐え兼ねた隼が悲鳴を挙げ、背中から倒れこむ。

 隼はそのまま地面をのたうち、ゆっくりと音もなく掻き消えるように消えていった。


「え……」


 何かが地面に叩きつけられる音が俺の耳に障る。

 隼かと思ったが、前を見れば紅子がぐったりと地面に倒れこんでいた。

 槍を杖にしなければ立てない程、衰弱しているようにも見えた。


「おかしいな……立てへん」

「炎を素手で切裂いた……何をした」


 弱り切った紅子に、何やらブツブツ呟く滝沢。


「しかし無様だな……これが東条彩春の近衛か?」

「そうやね……情けないわ」


 先程の意趣返しなのか、小声で彼女にしか聞こえない様に罵倒する滝沢。

 ちょっと、貴方小物過ぎません?


 しかし紅子は彼のそんなみみっちい復讐など聞いてないのか、何とか槍を杖にして立ち上がり、俺の方へ歩いてくる。

 顔が般若になっていた。

 まさかこの状態でやる気か。


 もう疲れたよ、火傷が痛いよ、今なら逃げられるんじゃねえとか思っていた俺。

 そんな目の前に、キリッとした17歳くらいの女子が現れる。

 いや、紅子なんだけど、なんか一瞬で顔が変わった。

 なんか女隊長みたいになっている。


「使鬼・シラユキ……貴方を収容所特別顧問の権限で試験合格といたします、以後、カンパニーに更なる奉仕を行いますよう……」

(はっ……?)


 その後の長々とした文言を俺は完璧に聞き流した。

 どうせ大したことは言ってない。

 最初に言われたことだけが重要なのだ。


「馬鹿な、いや確かに権限内だが……おい、赤崎……そんな勝手なことして!!」


 なぜかみっともなく喚き散らす滝沢部長を無視して、紅子が足を震わせながらも二本の足だけで収容所に戻っていく。

 後に残された俺は……呆然としていた。


 え、試験合格?

 これから一週間かけて、倍率が一割だか5%だかの試験が合格?

 そうか、特別顧問は強制的に不合格にできるのと同時に独断で合格にもできるのか、なるほど……。


 俺は自分がここまで想定内に弱いとは知らなかった。

 何が何だか分からない俺は、今が夕刻であり(朝から何時間戦っていたんだか……)門が閉まるらしいことに気付くことに遅れた。

 

 慌てて帰った時には無情にも門が閉まっていた。

 が、泣きながら土下座して、滝沢部長(どうやらここでは所長らしい)に責任転嫁していろいろと言い訳を並べたあげく、何とか入れて貰えることになった。


 守衛さんに感謝……。

 でもこれからの事に俺は不安でいっぱいだ。

 俺……これからどうなるの?

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