山は裁きを下す
香具山・裏山・秋虎side―――
「くそっ……あり得ない」
城壁前での戦闘を背に、西条秋虎はただひたすら逃げていた。
鉱夫を人質にした作戦も、人質ごと殲滅する氷穂が相手ならば無意味だ。
秋虎にとってもはや彼らは用済み……と言うよりも彼らから離れた方がいい。
己の生存のためにも。
陳情に向かった鉱夫の何人が生き残ったかは知らないが、彼らの恨みは自分に集中する。
逃げたからではない。
他に怒りをぶつけようがないからだ。
復讐とは、自分が手の届く範囲で行うことだ。
例えば北条氷穂のように、軍やら私兵やらで鉄壁の守りにいる人間には復讐はしない、それが自分の仲間を直接殺した者だとしても。
それは人間の弱さ、醜さを表している。
勝てない相手には戦わない、勝てそうな相手に戦うのだ。
強大な本当の敵は理由を付けて忘れ、身近な敵を屁理屈で真の敵と断定する。
それを打倒することで復讐心を満足させる。
復讐はお手軽でなければならない。
もっとも、鉱夫達を扇動したのは秋虎であるし、氷穂からすれば後ろに敵国の軍隊を控えた陳情団など敵以外の何物でもない。
ただ攻め込んできた敵を返り討ちにしただけ……見方を変えればそういうことになる。
しかし秋虎の中では自分は決して悪くなく、悪いのは氷穂、あるいはこの侵攻を計画した帝乃槍のライナルトであるのでそんな理屈は通用しない。
「もとはと言えば、あいつが氷穂が指揮官だと黙っていたから……あの三流め、大和の援軍が明日の昼頃に来ることを知らせたのも鉄仮面だし、それに焦って夜に攻撃をかけやがって……くそッ、なんでこんなことに」
自分以外への不満は留まることを知らない。
もはや秋虎は……自分以外の強大な悪が必要であった。
自分の失態やその他もろもろを飲み込んでくれる悪。
その悪を断定するには……それと同じだけの正義が必要であった。
「神楽様……奴らに裁きを……悪に裁きを……」
この香具山の由来たる、初代・灯穂乃巫女神楽に秋虎は祈りを捧げる。
統一帝の打倒に参加し、和人の世界を作り上げるうえで大きな働きをした戦巫女。
彼女は非常に正義感が強く、悪を激しく憎む心を持っていた。
他者を利用し、己が利益を得ようとした卑劣な人間に裁きを下す。
それが香具山の伝説である。
これは神頼み。
もはや秋虎はそれ以外に頼る術を持たなかった。
西条家には戻れない、戻りたくない。
帝乃槍も、敵前逃亡では重用されまい。
七年前の戦争に参加していた秋虎は義妹である穂乃香より修羅場をくぐっており、その分だけは現実が見えていた。
「裁きを……!!」
夜の森に雄たけびを挙げる。
なお、その大声が原因で敵に捕捉されるのは、彼にとっては想定外であった。
もうすぐこの山の出口……細かいことは気にしない、逃げた後に今後の事を考えればいい。
「俺はこんなことでは終わらない……若菜さんが、義母さんができる男だって言ってくれたんだ……俺は、俺は!!」
なんら計画のない逃亡劇は、唐突に途切れた。
秋虎の目の前には、いるはずのない人物が現れる。
来るなと言った。
だから来ない筈だった。
自分の言う事を聞くはず、今までもそうだった。
「馬鹿な……」
秋虎の身体から全ての力が抜ける。
今、何者かに襲われれば、それが例え子供であっても容易に殺害されるであろう……それすら理解できない程に彼の思考は束縛されていた。
「あり得ない……」
絶望すら生ぬるい、目の前の現実を否定する言葉だけが彼の口から飛び出した。
*****
香具山・裏山・雪月side―――
(なんだ、秋虎か……)
俺は自分が失望していることを理解していた。
新しい能力の実験台にと思った敵が……よりによって秋虎か。
リーネ「ごとき」に倒される程度の敵ではなんの実験にもならない。
(血の匂い……)
なぜか血の匂いが充満していた。
未だかつて……いや、俺が轢き殺された時に感じたぐらいの血の濃さ。
つまりは誰かが死んでいる。
目の前には秋虎しかいない……いや、もう一人いた。
顔はよく覚えてはいない、だがあの地味な浅黄色の着物には見覚えがある。
白峰若菜……穂乃香の実母だ。
件の血臭の原因は彼女だった。
矢が右胸を貫通し、背中から突き出ている。
流れ矢か……心臓がある左ではなく、右だと言うのが不運だった。
あれではなかなか死ねない……出血多量になるまでの十数分、生き地獄を味わうだろう。
「……」
呆然自失している秋虎。
そう言えば、彼女は穂乃香の実母であるが、同時に秋虎にとっては義母であったな。
それでショックを受けているのだろうか……俺には理解しがたいことだが。
ともあれ呆然としている秋虎の代わりに、俺は彼女から辞世の句でも聞いてやるか。
そのくらいはしてやってもいいだろう。
刀をくれたお礼……盗聴器付きだったがな。
(まったく、なんでこんなタイミングで山に来るんだか)
彼女の不運を思うが……理由を考えてみれば、一応は理屈が立つ。
娘である穂乃香は母親との葛藤から、彼女からの手紙を無視し続けた、返事も返さない。
恐らく若菜は手紙が届いていないと勘違いしたのだろう、そして直に向かい、運悪くこのざま。
笑えるほどの運の無さだ。
俺は苦笑いを浮かべながら、彼女の口に耳を当てる。
彼女は何者かが自分に駆け寄ったことに気付いた様子。
「ホ、ノカ……」
だがもはや目の前の人物が誰か分からない程、衰弱しているらしい。
面倒くさいので、俺はそのまま騙し続ける事にした。
死の間際に娘の心配とは、母親としては合格点……そのご褒美のつもりだ。
「アキトラと、なかよく……一緒に鉱山」
しかし出てきた言葉は俺にとって真新しい物ではなかった。
義兄である秋虎と仲良くし、鉱山を一緒に経営、そんなに秋虎を買っているのかね。
正直、目が腐っているとしか思えない。
ちらっと未だ放心状態の秋虎を俺は見やる。
うん……まさしくバカ息子。
これのどこを見て……」
「いざとなったら、彼に……全てのつみを」
今なんて言った……。
気をそらしていた俺は、すぐには彼女の言葉を理解できなかった。
罪を着せる……誰の、誰に。
一瞬、秋虎がぶん殴られたかのように痙攣したのが少し面白かった。
「私はずっとご機嫌取り……したから、彼、意外と義理堅くて甘い……」
彼女は死にかけている身体に鞭打って言葉を紡ぐ。
目の前にいるのが、娘と信じて。
いざと言う時、娘の身代わりにするために、ずっと西条家嫡男である秋虎をおだててきた事。
西条家当主・秋水が自分達親子を切り捨てた事。
鉱山の権利書が偽物だという事。
本物の権利書は、既に当主が売ってしまったこと。
そして買い取った者は……。
いつの間にか、秋虎が俺の隣に来ていた。
その顔が青を通り越して白くなっている。
舎弟に、叔父に裏切られ、今度は義母に利用されていたことを知る。
哀れだ……哀れすぎる。
俺は、自分の口元がゆっくりと引きあがっていくのを抑えられなかった。
こんな愉しいこと……いつぶりくらいだろうか。
「だから……」
終わる……長くも短い秘め事が終わる。
もはや彼女に時はない。
人の死にあまり触れたことのない現代日本出身の俺でも分かる程、死期が目の前まで迫っていた。
もう私は大丈夫だよ、とでも娘の振りをして言ってやるべきか。
俺は彼女の耳に口を当てようとして、秋虎に抑えられた。
「……っ」
信じられないような力だった。
間違いなく抑えられた腕は痣になっている。
指が痺れてくる。
腕で血の流れが止められて末端まで栄養が行かないのだろう。
止めろ……俺は秋虎の腕を引きはがしに行くが、ビクともしない。
この使鬼の身体は弱すぎる。
「……」
俺の代わりに若菜の耳に秋虎は何事か呟いた。
まるで蝋燭の灯が吹き消されるように、それが彼女の生命を刈り取ったかのようだった。
死に顔は眠るように穏やか……とはいかない。
薄く開けられた目はひどく充血し、顔全体が皺で歪んでいる。
ゾッとする程の凶相だった。
それが痛みなのか、それ以外の何なのか……俺には分からない。
「気は済んだのか……」
「ああ……」
同情してやるべきか、あるいはほっといてやるべきか。
なんとなく後者のような気がするが、友達のいない俺では判断できない。
「いいんだ……今のが全てじゃない……すごく、すごく、世話になったんだ」
秋虎は震えていた。
いつまでも震えていた、だが涙は流れない。
泣くことをついぞ、彼はしなかった。
(ふん、現実を直視できない哀れな男が)
目の前の秋虎が、ゴミ以上に不愉快な存在に見えて仕方がない。
彼の一挙手一投足が俺を苛立たせる。
かといって殴っても、自己憐憫にひたった彼は、それはそれで満足してしまいそうだ。
どうにも、扱いにくい。
(仕方がない……他に当たり散らすか)
こういう時の対処法は、酒を飲んだりゲームしたりで他で紛らわすのがあちらでの俺の方法。
仕事の失敗や嫌な事は酒で忘れるべし。
今現在、酒はないので、戦闘で敵を痛み付けてストレス解消だ。
今の俺には、その力がある。
(面白いことを聞いたな……権利書は今)
そいつの目的をぶち壊してしまうのも一興か。
まったく、紙切れ一枚で軍隊同士が戦うとは馬鹿らしい。
俺は震え続ける秋虎を放置し、件の敵へと向かい始めた。
目のない蛇を従えて。




