間章・北と西
香具山・本部・事務所・穂乃香side―――
陳情に来た禿頭の和人に糸のようなものが巻き付く。
その糸の先を西条穂乃香は握っており、彼女が横に手を動かすと糸は赤く染まっていった。
そして周囲には肉の焼ける不快な匂いが漂い、同時に押し殺したような声が禿頭の口から漏れ出す。
肌を焼く熱は徐々に高まっていき、たまらず男は胃の中の物を床に吐き出すが、それでも悲鳴を挙げないのは訓練された故に。
「そこら辺にしておきなよ……死んだら何もしゃべれない」
窘めるような北条氷穂の声に、はっと我に返った穂乃香が手を緩めると糸は再び白に戻り、力なく男の拘束を解いた。
縛られた男の腕や背にはまるで熱した鉄の棒を押し付けた様な醜い火傷跡が残っているが、その傷を手当てしようとする者はいなかった。
明け方、この香具山鉱山の経営者であり、所有者でもある穂乃香に不信任案とも言うべき陳情が届いたのだ。
内容は、能力の不足により採集される鉱山を軍やらカンパニーやらに安く買いたたかれており、それが従業員の給料が低く抑えられている。
よって穂乃香は経営者から退き、代わりに義兄である西条秋虎をトップに据えるという物だ。
ちなみに穂乃香は義兄の補佐としてこの香具山鉱山に所属する……何も追い出すと言う物ではない。
ただ叩き出せば穂乃香と親交があり、彼女に好意的かつ認めている従業員の反発を招くが、補佐として今まで通りに経営にかかわるとなれば反発も少ない。
とりあえず義兄にやらせてみて、ダメだったらまた穂乃香に戻せばいいと軽い考えで陳情を支持してくれることを計算に入れているのだ。
秋虎の背後には帝乃槍がおり、一度経営権を入れたのならば武力を背景にこの鉱山を支配することなど末端の従業員には分からない。
彼らの第一の目的は金……給料が増えることであった。
禿頭は従業員、この場合は鉱夫の代表……だが問題はその顔だ。
かつては軍人であり、人をまとめる術を知っているが故に代表となったとのことだったが、穂乃香が知っているその男とは顔が違った。
禿頭、あるいは彼に命令した指揮官は、穂乃香がまさか末端の鉱夫の顔を覚えているとは思わなかったようである。
あわれ禿頭はその成り代わった従業員の名前を告げた瞬間に、穂乃香に拘束された。
「恐らくは帝乃槍の者……地方の官では手に余る……都に引き渡し、洗いざらい吐かせてやろう」
ここ数日は治まっていた癇癪を起し、彼女はすぐさま配下の者に蒼石樹にて大和地方の中心たる太宰府への連絡を命ずる。
だが数分して返って来た答えは彼女に不安を覚えさせるものだった。
「腐った……樹がか?」
遠方と連絡を可能とするその魔術道具は、幾たびも下からの反乱を経験しているこの鉱山にとって非常に重要な物だ。
有事の際に、大宰府から軍を送ってもらう。
それもあって、軍へはやや割引いた額で鉱石を納品しているのだ。
その関係は変わらない……と言うよりもそれまでの関係もあって変えることが彼女にはできないのだ。
なお連絡がなければ軍は助けない……救援要請が届かなければ鉱山の危機に気付きようがない。
「今攻め込まれては不味い……早く修復を」
事態の深刻さを瞬時に理解した穂乃香が動揺しながら指示を下すが、それを部外者であるはずの氷穂が遮った。
いつの間にか、香具山本部の中に帯剣した兵卒たちが周囲を固めている。
この鉱山の自警団ではない、大和の軍兵でもなく、和人の首都がある本島に所属している、秋津国精鋭ともいえる親衛隊であった。
一糸乱れぬその動き、その巌のような顔つきを見て穂乃香配下の事務員が口を凍らせる。
「外部への連絡を遮断……上等手段だけど、タイミングが素直過ぎる……今から攻撃すると教えてくれるなんて」
気の抜けたその喋り方だったが、その声音にはわずかに安堵があった。
敵の拙さに、彼女が畏れる帝乃槍の長たる「先生」が指揮を取っていないことを確信したのだ。
「大隊長……本部従業員の拘束が完了しました」
「了解……拘束を破って外に出た者の再拘束、傷害、および殺害を許可する」
氷穂……軍籍を持つ彼女が大隊長と呼ばれるとき、それは彼女が軍人として職務をまっとうしなければならない時だ。
それを知っている穂乃香が氷穂に何事かと駆け寄ろうとしたが、彼女の左右を守る親衛隊が剣を突きつけることでとどまらせた。
「時間切れだよ、穂乃香……この鉱山はもう私の物だ」
「お前が反乱を……!!」
激怒する穂乃香に渡される一枚の手紙、それを器用に氷穂を睨みながら拝見した穂乃香……彼女の足から力が抜け、地面に膝が付く。
中学初め程の穂乃香、高校高学年ほどの年齢の氷穂。
五年ほどの年齢差では説明できない威厳の差があったが、今は穂乃香の方が大分年嵩に見えた。
氷穂は変わらない。
積み上げた何かをあっさりと崩され、もうやり直すことができないと悟った、氷穂の何倍もの年を重ね、折り返しを迎えた女。
「初めから……貴方はこの鉱山の持ち主じゃなかったんだ」
そもそも、この鉱山の取引は北条氷穂と鉱山の「本当の持ち主であった」西条家当主・秋水の物であった。
鉱山が欲しい氷穂、そしてできるだけ高く鉱山を売りたい秋水、その競い合う思惑の中、穂乃香に科せられた本当の役目は、買取金額を吊り上げる事。
鉱山を「不法占拠」する穂乃香を排除しなければ鉱山を氷穂は手に入れられない。
だが後妻の連れ子という、西条家では立場が低い穂乃香であったが、対外的には西条の姫。
力づくで排除すれば、北条家は西条家に大きな負い目をおってしまう。
たかが鉱山一つのために、姫を傷つけ、あるいは「殺してしまった」と言う負い目を。
加えて穂乃香は自分の願望のためもあってか、頑固で説得には応じない。
真実はカンパニーも掴んでいたが、一向に信じようとしない穂乃香を滝沢部長が暴力で分からせようとしたことにより、逆に態度を硬化させる結果となった。
この鉱山を自らの城とし、悲惨な目にあっている母と一緒に過ごそうとした目的……全ては当主・秋水の見せた幻。
秋水は吊り上がった買取金額に満足し、ついに氷穂に鉱山譲渡を決断した。
穂乃香はもはや用済みとなったのだ。
「陽菜は多分、真実を知らされてはいない……権利書譲渡をチラつかせて利用すれば脱出に協力してくれるはず」
「騙せと言うのか……何も知らないシラユキ達を!!」
「そうだよ……それ以外に穂乃香が助かる道はない」
穂乃香の怒りを、涼風のように受け流し氷穂は親衛隊に防戦の指示を下し始めた。
準備完了までおよそ30分……。
実のところ、この鉱山は要塞としてのポテンシャルを有しているのだ。
採集権を利用すれば、鉱夫という名目で兵士を駐屯できる。
土地そのものの権利書を有していれば、この鉱山を要塞都市として変えることもできるのだ。
だからこそ帝乃槍に取られる訳には行かないのだ。
領土のど真ん中に敵国の拠点があっては戦争が始まった時にどんな障害となるか分かったものではない。
七年前に和人を打ち負かしたムスペルハイム教国……しかしそれだけでは満足していない輩が徐々に教国の主流派になっている情報を氷穂、そして北条家は掴んでいた。
「要は帝乃槍を撃退すれば良いのだな」
見上げた穂乃香には烈火の如き気迫が満ちていた。
その心は未だ折れず、その闘志は進撃を続けているであろう敵の大軍に怯む様子を見せない。
ただ……理性というものとは、縁遠い顔でもあった。
そのひどく感情的で、感情に支配されている目を見て、あきらめた様に氷穂がため息を吐く。
「愚兄、および炎王の子らを、この手で討ち取って見せよう」
穂乃香の身体に変化が起こる。
頭頂部の左右の端から髪を盛り上げるように見せる獣じみた耳。
そして尻ら辺から、ゆったりとしたその袴の隙間を縫うように赤茶色のしっぽが生えてくる。
「妖か……」
「……」
親衛隊の一人が、侮蔑を交えた声を漏らす。
穂乃香は五百年前、統一帝に滅ぼされたと言う妖の血を引いている、いわゆる先祖返り、そして穢れた血であった。
「その暁には……再び交渉していただけますか?」
「いいよ……出来たらね……おすすめはしないけどね」
氷穂の回答を得ると、疾風のように穂乃香は事務所から出て行った。
それを抑えようとする兵は、しかし氷穂が目で制した。
「人をつけろ……自業自得でも西条の姫を殺しては不味い」
「しかし……あのままでは」
「逝きたい場合は逝かせてやればいい……一応は努力しようということだよ」
穂乃香を止めろという無理難題に当惑する親衛隊は、氷穂の答えで胸をなでおろす。
「さて、明日まで待てばあらかじめ連絡していた大和の防人がやってくる……気負いせずにいつも通りに……驕り高ぶった炎王乃子らを蹴散らしてやろう」
抑揚のないその声音には少しの危機も感じられない。
彼女らと100名ほどの親衛隊はこの戦いをそれほど悲観していなかった。
十分に勝機があると信じていた。
だからこそ……この戦いに臨んだのだ。
だが他の者の安否は知らない……陽菜やシラユキやオルトリーネのカンパニー組。
そして穂乃香。
彼らの身の安全の保障は、職務範囲外だったのだ。




