彼女を忘れたのは君なのに 弐
篠塚愛花と名乗ったその女の子は、赤ちゃんの頃に未熟児だった為親が心配して定期的に検査を受けているらしい。
ふてぶてしく座っている愛花ちゃんからは想像も出来ないが、体は弱いようだ。……ホントか?
横暴な振る舞いはその後も続き、やれあの本を読めだ、あの玩具を持ってこいだの、彼女が優しくすればそれだけ我儘を言い振り回す。すっかり女王様気取りの愛花ちゃんは桜子より質が悪い。
月に2回しか遊べない大切な時間が奪われる。まるで桜子と和樹の時のように。割って入りたい。彼女と遊ぶのは俺だと。
だけど2人だけで遊びたいなんて、周りの目が気になってしまうちっぽけなプライドが邪魔をする。それともし彼女に嫌われたらと思うと言葉が出ない。
今日だけの我慢だと思い、ぐっと拳を握りしめた。
しかしその思いは呆気なく崩れる。
「あ」
「けいちゃんこんにちは!」
「………ふん」
半月振りに会えた彼女の隣には、当然のように我が物顔で愛花ちゃんが座っていた。なんで?
疑問に思い、愛花ちゃんがまた定期検査を受けに来たのかと問うと、
「お休みの日は私が寂しくないようにって、遊びに来てくれてるんです」
彼女曰く、あの日から時間があれば此処に来るようになったらしい。なにそれずるい、俺だって遊びに来たいのに。
悔しくて、俺は久しぶりだからと彼女と2人で遊ぼうとしても、必ず愛花ちゃんが俺と彼女の間に居座る。仲良さげに彼女と話す愛花ちゃんが時折、「もうあんたより仲良いから」とでも言うかのように、得意気な笑みを向けるのがムカついた。
このままだと彼女を取られてしまう。
そう思った俺は、その日から休みの日は母に頼み病院に行くようになった。
「その玩具で遊びたいから私によこしなさい」
相変わらず態度はでかくて上から目線の高飛車。先に遊んでいた子から奪うなんてどういう神経してるんだ。
そう思ったのは俺だけじゃなく、診察に来ていた他の子供達も同じで。愛花ちゃんが病院に来ると場の空気が悪くなる。それを愛花ちゃん自身も感じている筈なのに、気にする事もなく堂々とやって来るのは正直凄いとは思った。心臓に毛が生えてんじゃないのか。
愛花ちゃんは彼女以外の子と遊ぶつもりはないらしく、いつだって彼女にべったり。折角遊びに来ても全然楽しくない。彼女を独占出来ない事もそうだが、あれだけ我が儘な態度を取っているのに、困った顔をする事はあっても拒絶せず、いつだって最後は俺の大好きな笑顔を向けるのを見るのが嫌だったからだ。
「困らせてばかりいるのに、なんで愛花ちゃんに優しくするの?」
我慢出来なくなった俺は、愛花ちゃんがまだ来ていない時に思いきって聞いた。
「確かに少し言葉がキツい事はあります。だけど愛花ちゃんは寂しがり屋で、少し意地っ張りなだけだと思うんです。本当は優しい子なんですよ」
愛花ちゃんの優しさなんて見たことないんですが。あれは意地っ張りなんていう可愛いものじゃない。ただの意地の悪い女の子だ。
「いつかふたりが仲良くなってくれたら嬉しいです。ふたりとも私の大好きなお友達ですから」
「……はは、なれたらいいな」
なれる気がしない。俺と愛花ちゃんが仲良くするところなんて想像出来ないし。
彼女の願いは叶わす、いつまで経っても愛花ちゃんと俺は仲良くなる事はなかった。だけど平行線のままだった俺達に、とある出来事が起こる。
「それは俺が遊ぼうとしてた玩具だぞ!」
土曜日の午後。母に用事があって遅れて病院に行くと、体格のいい男の子が小さな子から乱暴に玩具を取り上げていた。泣き出す子ににたついた笑みを見せ、今度は絵本を読んでいた彼女と愛花ちゃんの下へ。
「その本もよこせ!」
「は? バカなのあんた。今私が読んでる見えないの? それともその目は飾り? ああ、ただ頭が悪いだけなのね。だから病院でそのバカな頭を診てもらいに来たんでしょ。治るといいわね、あんたの事なんか全く興味ないけど」
「あ、愛花ちゃん……」
男だろうが自分より大きかろうがお構い無し。愛花ちゃんは変わらない。そこは本当に凄いと思う。
でもその行為は火に油を注いだようで、男の子は顔を真っ赤にさせた。
「な、なんだとぉ~バカにするなぁあ!!」
「きゃっ」
「やめて!」
怒った男の子は乱暴に愛花ちゃんを突き飛ばす。壁にぶつかりよろめく愛花ちゃんを守るように彼女が抱きしめた。
それが気に食わなかったのか、それともまだ怒りはおさまらないのか、標的を彼女に向ける。
「邪魔すんなっ!」
「やめろ!」
足を上げ、今にも彼女を蹴ろうとした男の子を咄嗟に後ろから突き飛ばした。だけど悔しい事に男の子はビクともしなく、ゆっくりと振り返る。鬼のような顔で。
「……チビのくせに、俺に刃向かうんじゃねぇよ!」
振り上げられる拳。怖さのあまり腰が引け座り込んでしまった。殴られる! そう思って顔を腕で防御した時、
「ダメ!」
振り下ろされた拳は俺にではなく、間に入ってきた彼女の顔に当たった。
それはスローモーションのようにゆっくりと、ゆっくりと倒れていく彼女。すぐ側で悲鳴と鳴き声が聞こえてくるのに、それは遠くから聞こえてくるように感じる。
彼女が倒れている、俺を庇って。
なんでこんなことに。立ち上がって彼女の傍に行かなきゃって思うのに、足が震えて力が入らない。恐怖からなのか動揺からなのか。俺のせいで彼女が殴られたのになにやってるんだよ俺!
「俺に刃向かうから痛い目みるんだよ」
にたにたと笑う男の子。優越感に浸る笑いがムカつく。やり返したい、彼女の痛みの何倍も痛い思いをさせてやりたい。
そう思うのに身体はいうことを聞かず、ただ震えるだけ。情けない。悔しくて悔しくて、睨み付けると癪に障ったのか笑い顔から不機嫌そうな顔に変わる。
「なんだその目、ムカつくなぁ。お前も殴ってやろうか!?」
「やめて!」
俺に向かって掴み掛かろうとした手を振り払い、再び彼女が立ち上がる。よろめきながらも、両手を広げ俺を守るように凛として立つ姿は桜子と重なった。
「女のくせにでしゃばんな!」
「女の子とか男の子とか関係ない」
いつもの優しい笑顔や声ではなく、時折見せる儚さでもない。
「大切な友達を守るのは当たり前です!」
彼女は震える足でそう言った。
怖いはずなのに。自分より大きな男の子に暴力を振るわれ痛くて、怖くて泣きたいはずなのに。怒鳴られても彼女はそこを動かなかった。
俺はなにやってるんだ! 彼女を守らなきゃ!
「や、やめ「やめなさないよバカッ!」…っ」
止めに入ろうと立ち上がったら、男の子の後ろから愛花ちゃんが本を投げつけてきた。一冊だけじゃない、何冊も何冊も投げ続ける。その中には動物図鑑も。それ頭に当たったらヤバイやつ。
「このっ、ぶん殴ってやるっ!」
「あんたなんかパパがやっつけてやるんだから!」
「なにやってるのあなた達!!」
漸く騒ぎを聞き付けた看護師がやって来る。男の子は自分は悪くないと主張するが、彼女の頬を見れば一目瞭然。看護師に怒られても気にもしない様子で腹が立つ。痛い目見ればいいのに、そう思っていた時、
「パパぁ!!」
愛花ちゃんが目を輝かせてパパと呼ぶ男の人に抱きつく。嬉しそうに愛花ちゃんを抱き上げ頭を撫でたと思ったら、目を細めてこっちを睨んだ。正確には男の子の方だけど。
「これは何の騒ぎかな」
「あいつよパパ! あのデブが私を突き飛ばして殴ろうとしたのよ!」
この時、初めて空気が変わる瞬間を感じたと思う。
「………へぇ」
愛花ちゃんを下ろし、ゆっくりとした動作で近づく。正直逃げたい。俺に向かって来ている訳ではないのに逃げ出したい気分だった。理由は愛花ちゃんのお父さんが笑顔のまま、その目は暗く底冷えするような冷気を纏っているからだ。
アニメや漫画で見る魔王ってこんな感じなんだろうか。そう思ってしまうぐらい、愛花ちゃんのお父さんは怖かった。
「君が、僕の可愛い愛花を突き飛ばしたあげく、殴ろうとしたのかい?」
「お、俺は悪くないっ……ぞ、そいつが本を、よ、寄越さなかったからっ」
蛇に睨まれた蛙のような状態で凄いなお前。俺だったらすぐ謝る。俺が悪くなくても謝る。この人には逆らうなと、子供ながら危険信号が頭の中で鳴ったから。
「私が読んでた本を奪おうとしたのよ!」
「……そうか。それは許せないね」
「お、お、大人が、子供の喧嘩に口出すなんて、大人気ないぞ! 母ちゃん言ってた!」
声を上げるが虚勢にしか見えない。その証拠に引け腰で、若干声が震えている。
「僕の大切な娘を傷付けられて黙っているはずがないだろう? 親なのだから。君は愛花より年上で体も大きい。そんな君がか弱い愛花を突き飛ばすなんて、怪我でもしたらどう責任を取るつもりなのかな? しかも理由が、読んでいる最中の本を渡さないから。あり得ないよね? まさかか弱い年下の女の子を傷付けておいて、子供の喧嘩で終わらすつもりとか言わないでくれよ。男が女の子を泣かせるなんて最低な行為だ。ましてや僕の大切で可愛い娘の愛花を泣かせるなんて、万死に値すると思わないかい?」
自分の子供が突き飛ばさたら親が怒るのも無理もないだろうけど、ちょっと待ってくれ。こんな状況だけど色々突っ込みたい。
人が読んでいる最中の本奪おうとするのは愛花ちゃんもよくやる事だ。本だけじゃなく玩具も。それもまだ言葉もきちんと話せない小さな子供から。人の事は言えないよ愛花ちゃん……絶対に愛花ちゃんのお父さんの前では言えないけど。
そして愛花ちゃん泣いてないから。お父さんの後ろで意地の悪い笑顔をしているんですけど。それはもう愉快そうに。どこの悪役だ。突き飛ばされて吃驚して怯えたかもしれないけど、勇敢にその男の子に本投げつけてたから。しかも動物図鑑。情けない話、俺よりずっと逞しいと思う。
「透! 何してるのあんた!?」
「母ちゃん! 助けて、このおっさんがっ!」
透と呼ばれた男の子は、自分のお母さんが来てホッとしたんだろう。慌ててお母さんの後ろに隠れる。透そっくりな体格のいいおばさんは、自分の子供を守るように愛花ちゃんのお父さんを睨み付けるが、途端に顔が赤くなる。
美形なんだ愛花ちゃんのお父さんは。普通に会ってたら格好いいなって俺も思っただろうけど、先程までのやり取りを見ていたこの場にいる俺を含めた殆どの子供達は顔面青色だ。
「うちの子がなにか?」
「……あなたがそこにいる豚の母親ですか? よく似ていらっしゃる」
「はぁあ!?」
「失礼、失言でした。何分私の娘を傷付けられて腸が煮えくり返りそうなもので。思わず本音が漏れてしまいました。申し訳ない」
申し訳ないないなんて事、微塵も思っていないだろう。変わらぬ笑顔のまま、息をするように毒を吐く。
この親にしてこの子ありだ。愛花ちゃんの毒舌はお父さん譲りで間違いない。
「傷付けられたなんて大袈裟な。子供の喧嘩でしょ。親が口を出すなんて過保護じゃないの? いるのよねぇ、あなたみたいな子供の喧嘩に過剰に反応する親。守ってばかりじゃ子供の為にならないわよ」
事情もよく知らないのに、さもこちらが悪いと言い張る透のお母さん。子供は親の背中を見て育つと言うけど、愛花ちゃんも透も似すぎなんじゃないだろうか。そこは似なくていいと思う。
「成る程。あなたの言う子供の喧嘩とは……読んでいる最中の本を渡さないからという理由で見ず知らずのか弱い女の子を突き飛ばし、周りにいる小さな子供達を怯えさせ、あまつさえ病人の女の子の顔に手を上げる……事を言うのでしょうか? 暴力を振るわれ泣いて助けを求めているのに、手を差し伸べる事を、あなたは過保護だと言うのか! ふざけるな!!」
辺りがシンと静まり返る。
怒っていたものの、笑顔のままでいた愛花ちゃんのお父さんが初めて声を上げた。横顔は怒りに染まり拳を握り締めている。ああこの人は、愛花ちゃんだけではなく周りもちゃんと見てくれていたんだ。幼い子が泣いて、彼女が殴られた事もわかって怒ってくれているんだ。そう思ったら目尻が熱くなった。
怖かったんだ、本当に。
「透っ、あんたそんな事っ!」
「だって母ちゃん……」
透は泣きべそをかき、お母さんは慌てふためく。流石に行き過ぎた行為だと思ったんだろう。苦笑いで謝ろうとする透のお母さんの顔の前に掌を出し、言葉を飲み込ませる。無言の圧力。愛花ちゃんのお父さんは一体何者なの?
「此処に居ては他の子供達を怯えさせるだけです。大人は大人同士、あちらでゆっくり話しましょうか。色々とね」
「ひっ……」
色々の部分が、地を這うような低い声だったのは気のせいかな。透のお母さんの顔色が、青を通り越して白くなっていくのも気のせいかな。うん、そう思う事にしよう。子供だから俺。
危ないからと透も一緒に連れていかれ、看護師さんが婦長さんを呼び、付き添いをするように付いていく。病院内の出来事だし、これからの事を話したいと言った愛花ちゃんのお父さんの顔はそれはもう清々しいまでの笑顔だった。怖いわ。
「ふふん、パパに掛かればあんなおばさんすぐやっつけてくれるわ。昔公園で私に砂場の砂をかけた糞餓鬼にパパすっごく怒って、その子の家族を街から追い出したんだから」
笑って言ってるけどそれ笑い事じゃないから。いくらなんでもやり過ぎでしょ。
「それはちょっと……」
「公園の砂にはバイ菌がいっぱいなのよ!? 目や口に砂が入って痛かったし、気持ちが悪かったわ。それに私体が弱いのよ? その後すぐに熱が出ちゃったんだから。パパが怒るのも当然よ」
当然、なのか? それこそ過保護じゃないんだろうか。砂をかけた子御愁傷様としか言えない。相手が悪すぎる。砂かけただけで街から追い出すとか、ホント愛花ちゃんのパパは何者なんだろ。怖すぎる。絶対敵に回したらいけない。
「……けほっ」
そんな会話を愛花ちゃんとしていた矢先、隣にいた彼女が咳をし出した。徐々に咳は酷くなり、喉の奥からヒューヒューと掠れた音がする。
「××ちゃん!?」
「いけない、発作だわ。誰か吸引を! 先生呼んできて!」
「はいっ!」
看護師は彼女を抱き抱え、急いで病室へと走る。その時の彼女は苦しそうで顔色も悪く、突然の事に体が動かなかった。それは愛花ちゃんも同じで。慌てたように医者が目の前を横切る。後ろから付いて走る看護師を慌てて呼び止めた。
「ねぇ、××ちゃんはどうしたの?」
「あの子大丈夫なんでしょうね!?」
尋常じゃない騒ぎに胸騒ぎを感じた。病院内で医者があんなに必死に走るなんてただ事じゃない。
「……大丈夫。緊張で発作が起きたのね。すぐに先生が診てくれるから大丈夫よ」
緊張。
愛花ちゃんのお父さんが来て、透達がいなくなったから緊張の糸が切れてその反動で発作が起きたのだと看護師は言う。
俺達の、違う。俺のせいで彼女が発作が起こした。俺や愛花ちゃんを守ろうと、緊張の中必死になっていたんだ。俺がもっと強かったら。彼女が安心出来るぐらい、透に立ち向かえるぐらいの勇気があればこんな事にならなかった。
重い足取りで彼女の病室の前まで行く。代わる代わる看護師が慌ただしく出入りする中、中の様子は見えなかった。ただ看護師達の彼女に対する必死の呼び掛けに嫌な汗が止まらない。
神様、神様。どうか彼女を助けて。
隣にいた愛花ちゃんがそっと俺の服を掴む。普段の気の強い雰囲気はなく、不安げに顔を曇らせていた。
「大丈夫、よね。あの子強いもの。いつも笑ってたもの。また笑って遊ぼうって言ってくれるわよね!?」
同意を求めるように声を上げる。その目には薄っすらと涙を滲ませて。
俺だってそう信じたい。だから大丈夫だと自分に言い聞かせるように頷いた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。俺にとっては一日ぐらい待ってた気分だ。それぐらい長く感じ、生きた心地がしなかった。病室から疲れた様子の医者出て来て、俺達に気付き優しく微笑む。「もう大丈夫だ」と言って。
「ほ、ほ、ほらね! 私の言った通りでしょ! あの子は私とずっと遊ぶって約束したんだから」
いつそんな約束をしたんだ。
どうも俺がいない時にずっと遊びに来てあげると言って、彼女は嬉しそうに指切りをしたらしい。なにそれ聞いてない。
さっきまでの不安そうな雰囲気は吹き飛び、ぴょんぴょんといつも抱えているヘンテコなぬいぐるみを抱きしめて跳び跳ねる。その姿に興奮ぎみで写真を撮る愛花ちゃんのお父さん。ちょっと引く。
彼女が無事で安心した。でも不安も残っている。もしまた彼女が発作を起こしたらと思うと……医者の慌て具合から、彼女の病気は俺が思っていたよりずっと重いものかもしれない。
「俺、強くなる」
「? なによ急に」
「そしてたくさん勉強して医者になって彼女の病気を治すんだ」
何も出来なかった自分が情けなくて。彼女を守れるぐらい強くなりたい。彼女の病気を治してあげられるぐらい凄い医者になって、彼女がずっと望んでいた病院の外の世界に連れ出してあげたい。
山や海、自然が大好きな彼女。遊園地や水族館、動物園や植物園。色んな所に連れて行って笑顔にしたい。幸せだと笑って欲しいから。
彼女が俺を守ってくれたように、俺が彼女の未来を守りたいんだと強く思った。
「……なにそれ、狡いわよ! 私だってあの子に色んな事してあげるんだから。一緒にお買い物したり、おしゃれしたりいっぱい遊ぶんだから!」
思っていた事を口に出していたようで、悔しそうに口を尖らす愛花ちゃん。
「わ、私も交ぜなさいよ。私は、あの子の…………なんだから」
「え?」
「だから! 私はあの子のし………っ、なの」
「え? 聞こえない」
徐々に顔を赤くさせるけど意地悪で言っている訳じゃない。声が小さくて最後の方が聞き取れないんだ。
「~~っ!! もうっ! あの子は私の親友なの! だから出掛ける時は一緒なのよ! あんたがあの子の病気治したからって、親友は私なんだからね。私も一緒に行くわよ!」
顔を真っ赤にさせながら剣幕を立てる。まさか愛花ちゃんの口から【親友】なんて言葉が出るなんて。あの愛花ちゃんが。
「……ふはっ」
「なっ、何がおかしいのよ!?」
「はははっ、ごめんごめん。うん、一緒に行こう。きっと楽しいよ」
尚も笑い続ける俺に愛花ちゃんが怒る。俺は間違っていた。
愛花ちゃんは傲慢で意地悪なのは間違いないない。でも、彼女の言う通りの子だった。自分より体格のいい透に突き飛ばされても、彼女が危ないと感じたら本投げつけて助けようとした。彼女が発作を起こしたら泣くのを我慢しながらも心配して待ち続ける。彼女が親友だから。大切な人だから。
愛花ちゃんは口も性格も悪い。だけど、意地っ張りで優しい女の子だ。
俺は今日、初めて愛花ちゃんと仲良くなりたいと思った。
「大きくなったら外国とかにも行きたいね。飛行機乗りたいって言ってたし」
「いいわねそれ! 私フランスに行きたいわ」
「え、最初はハワイとかじゃない普通」
「ハワイなんて行き飽きてるわ。普通なんてつまらないもの。フランスでお買い物したいし、美味しい物だってたくさんあるからあの子喜ぶわよ」
ふふっと、その時の事を想像して笑う。なんだ、全部彼女を思っての事じゃないか。いつも病院服でいる彼女をおしゃれに着飾って、病院食ではない色んな物を食べさせてあげたいだけ。どんだけ彼女が好きなんだ。
また笑いそうになるのを我慢して俺も想像する。元気になった彼女が目を輝かせて飛行機に乗り、世界を巡る。なんて楽しいんだろう。絶対に叶えたい夢が出来た。その為にも先ずは勉強だ。
「楽しそうな所悪いがそろそろ帰ろうか。君の親御さんもお見えのようだし」
愛花ちゃんのお父さんが声を掛ける。その後ろで母さんが見えた。別れの挨拶をする最中、愛花ちゃんに聞こえない程度の小声で、
「私の可愛い愛花に手を出すなよ。その旅行とやらも付いていくからな」
大魔王だ。
顔の血管が浮かび頭に角。背中には悪魔の羽と尻尾が見える。幻覚だろうけど幻覚じゃない気がするのはなんでかな。青ざめたまま必死に首を縦に振る。大丈夫、愛花ちゃんには絶対恋心を抱いたりしません。
母さんの車に乗り込み塾に行きたい事を話す。あまり勉強が好きじゃなかった俺が塾に行きたいなんて言い出して驚いていた。俺が本気で勉強したいと知って、塾より家庭教師が良いだろうと、評判の良い先生が週に三回来てくれる事になった。
勉強は苦手だし、正直辛いと思う事が多かったけど、医者になって彼女の病気を治してあげるんだという夢の為に頑張っていた。
俺はまだ子供で、力もなくて。ただ未来の為に必死に頑張るしかなかった。
いつか彼女の不安を全て振り払ってあげられる、そんな大人になりたかった。
俺はまだ子供で、わからなかったんだ。
俺達にはある当たり前のようにある未来。彼女にもあるのだと信じて疑わなかった。
何故彼女が生まれてからずっと病院で過ごしてきたのかを、本当の意味でちゃんとわかっていなかったんだ。
彼女が笑うから。些細な事でも嬉しそうに楽しそうに笑うから。
その笑顔の裏で、どれ程の苦しみや悲しみ、恐怖を抱えていたかなんて――
まだ子供だった俺には、想像する事が出来なかったんだ。




