06話 ミスリルゴーレム編03 加減から外れる母娘
「殺されてぇ奴はお前か! 石ころがぁ」
カーバンクルが、掴んだ腕を押し返す。
ミスリルの巨体が傾いた。
「うそ……」
パイルは動けなかった。
目の前にいるのは、いつもの母だ。
毎朝、起こしに来て。
笑いながら朝食を作って。
出かける自分を見送ってくれる。
その母が。
ゴーレムの腕を、片手で受け止めている。
「ぼさっとすんな!」
「え?」
「壁際まで下がれ!」
怒鳴られて、身体が動いた。
パイルが後ろへ下がる。
それを見届けるより先に、カーバンクルはゴーレムの腕を引いた。
巨体が前へ崩れる。
踏み込み。
拳を胸へ叩き込む。
重い音が、ギルド中に響いた。
ミスリルの身体が、床を滑る。
「おら。こっちだ」
カーバンクルが指を曲げる。
ゴーレムの顔が、ゆっくりと向いた。
次の標的を、決めたように。禍々しいコアが脈打つ。
「そうだ。それでいい」
カーバンクルは笑った。
パイルへ背を向ける。
ゴーレムと娘の間へ、自分の身体を置いていた。
◇
崩れた入口の向こうで、モーブは息を呑んだ。
「あれは……」
「カーバンクルさん?」
マホの声が震える。
「まさか」
ノコンも目を見開いていた。
二十年前に見た姿と、ほとんど変わらない。
違うのは、守る相手だった。
「娘って……パイルさんのこと?」
キミが聞く。
誰も答えなかった。
答える余裕がなかった。
カーバンクルが、ゴーレムの拳をかわす。
床を蹴り、横へ回る。
拳を叩き込む。
また、横へ。
「押してるぞ!」
「すげぇ……あのゴーレムに勝てるんじゃないか?」
「そのまま倒しちまえ!」
外から見守る冒険者たちの声が弾む。
誰の目にも、カーバンクルが押しているように見えた。
「違う」
モーブが呟く。
「何が?」
「あの人は、倒そうとしてるんじゃない」
モーブだけが、カーバンクルの足元を見ていた。
「ずっと、戦う場所をずらしてる」
ゴーレムが一歩進む。
カーバンクルが二歩下がる。
攻撃をかわすたび、別の方向から殴り返す。
少しずつ。
確実に。
パイルから距離を離していた。
「パイルさんを逃がすんじゃない」
モーブは剣を握ったまま、その動きを追う。
「戦場の方を、パイルさんから遠ざけてるんだ」
荒々しく見える。
だが、立つ位置に無駄がない。
殴る角度も。
かわす方向も。
すべて、娘を守るために選ばれている。
「あれが……《狂犬》」
ノコンが呟いた。
モーブは答えなかった。
狂ってなどいない。
少なくとも、今の戦いは。
◇
カーバンクルの拳が、ゴーレムの顎を跳ね上げた。
金属の巨体がよろめく。
「硬ぇな」
拳から血が落ちる。
素手で殴っている側だけが傷ついていた。
それでも、止まらない。
ゴーレムが腕を振るう。
カーバンクルは身を沈め、懐へ入った。
脇腹へ拳。
膝の裏へ蹴り。
体勢が崩れたところへ、肩からぶつかる。
ゴーレムが倒れた。
床が揺れる。
「お母さん……」
パイルは壁際で、その背中を見ていた。
助けなければ……。
けれど、何をすればいいのか分からない。
受付で覚えた知識では、目の前の化け物を止められない。
剣もない。
魔法も使えない。
ただ、見ていることしかできない。
ゴーレムが起き上がる。
胸のコアが、大きく脈打った。
一度。
強く。
禍々しい光が、全身へ走る。
空気が震えた。
「……あ?」
カーバンクルの笑みが消える。
ゴーレムが踏み込んだ。
速い。
先ほどまでとは、まるで違う。
カーバンクルが両腕を交差させる。
その上から、拳が叩き込まれた。
轟音。
カーバンクルの身体が飛ぶ。
棚を突き破り。
壁へ激突した。
石壁が砕ける。
身体が、壁の中へめり込んだ。
「お母さん!」
パイルは走っていた。
怖くないわけではない。
足も震えている。
それでも。
母を一人で戦わせたくなかった。
ゴーレムが、壁へ向かう。
パイルはその前へ飛び出した。
両腕を広げる。
「来ないで!」
声が震えた。
ゴーレムは止まらない。
「パイル……?」
壁の中から、母の声がした。
「今度は、私が守るから」
何ができるのかは分からない。
それでも、一歩も退かなかった。
◇
崩れた棚から、何かが滑り落ちた。
重い音が二つ。
床が割れる。
左右一対の手甲だった。
ギルドの壁に飾られていた、《狂犬》の武器。
片方につき、杭のような牙が二本。
床へ深く突き刺さっている。
「……懐かしいもんが出てきたな」
カーバンクルが壁から身体を引き抜く。
口元の血を、腕で拭った。
ゴーレムが迫る。
両方を装着している時間はない。
カーバンクルは左の手甲へ腕を通した。
持ち上げる。
床に刺さった牙が、石を砕きながら抜けた。
「パイル。退け」
「でも」
「いいから」
母の声は、いつもの声だった。
パイルの肩を押し、自分が前へ出る。
ゴーレムの拳が落ちる。
左の手甲で受け止めた。
火花が散る。
カーバンクルの膝が沈む。
「ぐっ……」
それでも、拳を押し返す。
残された右の手甲が、パイルの足元にあった。
これを使えれば。
母を助けられる。
パイルは腕を通した。
「重っ……!」
持ち上がらない。
両手で掴む。
腰を落とす。
力を込める。
床に刺さった牙は、びくともしなかった。
「抜けて……!」
もう一度。
動かない。
目の前では、母がゴーレムの腕を受け止めている。
足元の床が、少しずつ沈んでいた。
「お願い……!」
手甲は動かない。
重いから。
ただ、それだけの理由で。
母を助けられない。
それが。
どうしようもなく、腹立たしかった。
「邪魔……」
牙が刺さる床を睨む。
手甲の重さを睨む。
「邪魔するなぁぁぁ!」
何かが、外れた。
身体の奥で。
今まで自分を押さえていた何かが。
手甲が浮いた。
「え……?」
持ち上げたのではない。
急に、重さが消えた。
床に刺さっていた牙が、音もなく抜けている。
足元の石片まで、ふわりと浮かんだ。
次の瞬間。
すべてが床へ落ちた。
重い音が響く。
けれど、パイルの腕にある手甲だけは落ちなかった。
「パイル、お前……」
カーバンクルが目を見開く。
パイルは手甲を見た。
重さが分かる。
どちらへ落ちようとしているのかも……なら。
変えればいい。
重さを。
落ちる方向を。
「お母さん!」
カーバンクルの口元が吊り上がった。
「やれるか?」
パイルは、ゴーレムを見上げる。
怖い。
それでも。
「やる!」
◇
カーバンクルが、左の手甲を振るう。
ゴーレムの拳を横へ弾いた。
「右、空いたぞ!」
パイルが走る。
手甲の重さを消す。
一歩。
二歩。
身体が前へ引かれる。
落ちる方向を、ゴーレムへ変えた。
速さが増す。
ゴーレムが左腕を振り上げる。
カーバンクルが、その腕へ飛びついた。
「行けぇ! パイル!」
胸の空洞。
その奥で、禍々しいコアが脈打っている。
狙う場所は、一つしかない。
「そこぉぉぉ!」
パイルが右の手甲を突き出す。
その瞬間。
手甲の奥で、何かが噛み合った。
金属が滑る音。
パイルの魔力が、古い機構へ流れ込んでいく。
手甲に刻まれた魔力の道が、十八年ぶりに光った。
「なんだ、これ……?」
カーバンクルが目を見開く。
自分には、一度も動かせなかった機構だった。
二本の牙が、手甲の中へ引き込まれる。
一拍。
轟音。
圧縮された魔力に押し出され、二本の牙が同時に射出された。
ミスリルの胸へ突き刺さる。
牙ではない。
それは、敵を穿つための杭だった。
衝撃でパイルの身体が後ろへ弾かれる。
「きゃっ!」
カーバンクルが片腕で受け止めた。
ゴーレムの胸に、罅が走る。
小さな罅だった。
それでも。
誰も傷つけられなかったミスリルに、確かに刻まれている。
罅の奥で、禍々しい光が揺れた。
カーバンクルの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「上等だ、パイル」
娘を床へ立たせる。
そして、罅の入った胸へ向き直った。
ゴーレムが腕を振り上げる。
カーバンクルが踏み込む。
左の手甲を引いた。
「うちの子を――」
床が砕ける。
全身の力を、一点へ。
パイルが作った罅へ、拳を叩き込む。
「舐めんじゃねぇ!」
罅が、一気に広がった。
ミスリルの胸が割れる。
その奥で、コアが砕けた。
禍々しい光が弾ける。
ゴーレムの全身から、力が抜けた。
巨体が前へ傾く。
「パイル、離れろ!」
カーバンクルが娘の襟を掴む。
二人で後ろへ跳んだ。
直後。
ミスリルの巨体が、床へ倒れた。
ギルド中が揺れる。
土煙が広がった。
誰も声を出さない。
ゴーレムは動かなかった。
胸の奥にも、もう光はない。
静かだった。
◇
「終わった……?」
パイルの声が、ギルドに落ちた。
「ああ」
カーバンクルが答える。
「終わった」
パイルの腕から力が抜けた。
手甲が床へ落ちる。
轟音。
床が、もう一度割れた。
「重っ!」
「そりゃ重いだろ」
「さっきまで持ててたのに!」
「もう一回やれ」
「どうやって!?」
「知らねぇよ。お前の力だろ」
「そんなぁ……」
カーバンクルが笑った。
いつもの母の笑い方だった。
けれど。
血だらけで。
片腕には、とんでもなく重そうな手甲をつけている。
パイルは、母を見上げた。
「お母さん」
「なんだ?」
「あとで、全部説明して」
カーバンクルの笑顔が止まった。
「……何のことだ?」
「その手甲」
「…………」
「《狂犬》って、何?」
少し間があった。
崩れた入口の向こうで、モーブたちが目を逸らす。
キミが愛さんへ小声で聞いた。
「愛さん。あれ、逃げられると思う?」
「無理だと思うよ」
「だよね」
カーバンクルは、倒れたゴーレムを見た。
壊れた壁を見た。
最後に、娘を見る。
「……帰ってからでいいか?」
「駄目」
「だよなぁ」
カーバンクルは、観念したように頭を掻いた。




