03話 スキルの記録からも外れた男
翌朝。
僕と愛さんは、再び冒険者ギルドへ来ていた。
昨日は登録するだけで、ずいぶん大変なことになった。
僕の名前が「キミ」になったり。
僕のスキルが《迷い人》だったり。
愛さんのスキルが《メイド》だったり。
……改めて考えると、登録しただけなのに結構いろいろあった気がする。
「今日は仕事をするんだよね?」
隣を歩く愛さんが言った。
「うん。そのつもり」
「ちゃんとできそう?」
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「愛さん、僕のこと信用してない?」
「信用はしてるよ」
少し間があった。
「ただ、君だからなぁ」
「その言い方、昨日も聞いたよ」
ギルドの扉を開ける。
昨日と同じように、中は朝から冒険者たちで賑わっていた。
掲示板の前には何人もの人が集まり、依頼票を眺めている。
僕もその中へ混ざってみた。
文字は――昨日より少し分かる。
全部ではない。
けれど、ところどころ意味が頭に入ってくるようになっていた。
討伐。
護衛。
採取。
そんな単語が目につく。
「……本当に読めるようになってきてる」
「昨日よりはね」
愛さんが僕の横から掲示板を覗き込む。
「君はどれにする?」
「初めてだし、簡単なのがいいかな」
「それがいいと思うよ」
僕は依頼票を一枚取った。
「これは?」
「魔物の討伐だね」
戻した。
別の一枚。
「これは?」
「商隊の護衛」
戻した。
もう一枚。
「これは?」
「薬草の採取」
手が止まる。
「これにしよう」
「決めるの早いね」
「だって薬草を採ってくるだけでしょ?」
「たぶんね」
「なら大丈夫」
愛さんが少し考えた。
「……まあ、君が戦うよりは安心かな」
「僕、そんなに弱そう?」
「少なくとも強そうには見えないよ」
ひどい。
◇
依頼票を持って受付へ行く。
対応してくれたのは、昨日も僕たちの手続きをしてくれたパイルさんだった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
僕たちを見ると、彼女はほんの少しだけ表情を変えた。
昨日の一件を思い出したのかもしれない。
「今日は依頼ですか?」
「はい」
依頼票を渡す。
パイルさんは内容を確認した。
「薬草採取ですね。新人の方にもよくお願いしている依頼です」
よかった。
やっぱり簡単な仕事らしい。
パイルさんは地図を広げた。
「町を出て、この道をまっすぐ進んでください。少し歩くと林があります」
地図の上を指でなぞる。
「この辺りに目的の薬草が群生しています。必要数はこちらです」
「なるほど」
一本道。
分かりやすい。
「道から外れなければ、まず迷うことはないと思いますよ」
「それなら大丈夫ですね」
僕が答える。
愛さんが隣で僕を見た。
「…………」
「なに?」
「別に」
「何か言いたそうだけど」
「ううん。行こうか、君」
なぜだろう。
信用されていない気がする。
◇
町を出る。
天気はいい。
道も広い。
右には草原。
左には低い丘。
前方には、目的地らしい林が見えている。
そして何より。
道は一本しかない。
「これなら迷わないね」
僕は言った。
「そうだね」
愛さんも頷く。
「曲がり道もないし」
「うん」
「分かれ道もない」
「うん」
「目的地も見えてる」
「うん」
「完璧だね」
「そうだね」
何となく愛さんの返事が投げやりな気もしたけれど、気のせいだろう。
少し歩く。
何も起きない。
さらに歩く。
やっぱり何も起きない。
「愛さん」
「なに?」
「異世界って、もっと大変だと思ってた」
「昨日、死んだばかりの人が言うことじゃないと思うけど」
「それはそれ、これはこれ」
「そういうもの?」
「たぶん」
風が吹く。
草が揺れる。
鳥の声がする。
のどかな道だった。
僕は一歩踏み出した。
そして。
もう一歩。
「……あれ?」
足を止めた。
愛さんも止まる。
「どうしたの?」
「いや……」
周囲を見る。
さっきまで見えていた草原がない。
丘もない。
広い一本道もない。
代わりに――
僕たちは、木々に囲まれていた。
空を覆うほどではないが、かなり深い林だ。
足元には苔が広がり、少し離れたところを細い水が流れている。
振り返る。
道はなかった。
「…………」
愛さんも周囲を見る。
「……君」
「うん」
「さっきまで道を歩いてたよね?」
「歩いてた」
「曲がった?」
「曲がってない」
「私もそう認識してる」
二人でもう一度、後ろを見る。
やっぱり道はない。
僕たちは確かに、一本道を歩いていた。
曲がっていない。
立ち止まってもいない。
ただ、一歩。
前へ進んだだけだ。
なのに。
次の一歩で、知らない林の中にいた。
「……ここ、どこ?」
言った瞬間。
なぜか愛さんが額に手を当てた。
「君のそれ、こっちの世界だと酷くなってない?」
「僕のせいなの?」
「それが分からないから困ってるんだよ」
僕は少し考えた。
こういう時は。
「愛さんなら、何が起きたか分かる?」
「うん」
即答だった。
「私にも分からないことはあるよ」
「愛さんでも?」
「どれだけ私を万能だと思ってるの、君は」
「だって愛さんだし」
「理由になってないよ」
でも、愛さんにも分からない。
僕だけなら、自分がどこかで道を間違えたのだと思ったかもしれない。
だけど愛さんも、僕たちはずっと一本道を歩いていたと言っている。
それなのに。
僕たちは今、道のない林の中にいる。
「戻れるかな」
「どうだろう」
「……愛さん」
「なに?」
「迷った?」
「思いっきり」
聞き覚えのある答えだった。
◇
とりあえず、周囲を調べることにした。
幸い、危険な魔物はいないようだった。
愛さんは僕よりずっと落ち着いている。
木の種類を確認したり。
地面を見たり。
流れている水を調べたり。
「愛さん、詳しいね」
「見て分かる範囲だけだよ」
「それでも僕より詳しい」
「君と比べるのはどうなんだろう」
またひどい。
少し進むと、愛さんが足を止めた。
「君」
「ん?」
「あれ」
指差した先を見る。
低い草の間に、見覚えのある葉があった。
僕は依頼票と一緒にもらった見本を取り出す。
見比べる。
「……これじゃない?」
「たぶんそうだね」
目的の薬草だった。
それも一本や二本ではない。
周囲にかなりの数が生えている。
「採取場所、ここだったのかな?」
「パイルさんの地図とは全然違うけどね」
「でも薬草はある」
「あるね」
「なら採って帰れば依頼達成?」
「必要な数と状態に問題がなければね」
「よし」
迷ったことは一旦置いておこう。
今は仕事だ。
僕が薬草へ手を伸ばす。
「待って」
愛さんに止められた。
「なに?」
「根ごと抜かない」
「え?」
「必要なのは葉と茎でしょ。全部抜いたら次に生えてこなくなるよ」
「ああ」
「それから傷んでいるものは避けて。こっちの若い株も残した方がいいね」
「……愛さん」
「なに?」
「やっぱり何でも知ってるよね」
「だから、分からないこともあるって言ったでしょ」
愛さんに教えてもらいながら、薬草を採る。
必要数より少し多め。
状態のいいものを選ぶ。
採ったものを愛さんがまとめていく。
手際がいい。
妙にいい。
僕が一束渡すと、愛さんは葉の向きを揃え、傷まないように包んで袋へ入れた。
「……愛さん」
「今度はなに?」
「メイドって薬草も扱うの?」
愛さんの手が止まった。
「知らない」
「愛さんのスキルでしょ?」
「私にも分からないことはあるよ」
「便利な言葉になってない?」
「気のせいだよ」
たぶん気のせいじゃない。
◇
必要な数は集まった。
「あとは帰るだけだね」
僕が立ち上がる。
「その“帰る”が一番心配なんだけど」
「大丈夫」
「何を根拠に?」
「来られたんだから、帰れるよ」
「君のそういうところ、時々すごいと思うよ」
「褒めてる?」
「どうだろうね」
袋を持って歩き出そうとした時だった。
「ん?」
水辺に、青いものが見えた。
近づいてみる。
花だった。
小さな青い花。
透き通るような花弁が、水辺の光を受けている。
「綺麗だね」
僕はしゃがんだ。
「そうだね」
「これも薬草かな」
「少なくとも依頼の薬草とは違うよ」
「そっか」
しばらく眺める。
なんとなく。
一本だけ摘んだ。
「持って帰るの?」
「うん」
「どうして?」
「綺麗だから?」
「なんで私に聞くの?」
「なんとなく」
青い花を、採取した薬草と一緒に袋へ入れた。
僕にとっては、それだけだった。
◇
問題は帰り道だった。
「どっち?」
「私に聞かないでよ」
「愛さんでも分からない?」
「そもそも、ここがどこか分からないからね」
「困ったね」
「君、あんまり困ってないでしょ」
「愛さんがいるし」
愛さんが僕を見る。
「そういうことを普通に言うよね、君は」
「だめ?」
「……別に」
少しだけ、愛さんが視線を逸らした。
とりあえず歩く。
水の流れに沿って。
木々の間を抜けて。
しばらく進んだ。
「君」
「なに?」
「今度は変なところに出ないでね」
「僕に言われても」
「誰に言えばいいの?」
「……道?」
「じゃあ、道にお願いしておいて」
「分かった」
僕は前を向いた。
「お願いします」
「本当に言った」
一歩。
もう一歩。
木々の間を抜ける。
そして。
「あ」
目の前に道があった。
見覚えのある広い道。
右に草原。
左に低い丘。
振り返る。
林は遠くに見える。
すぐ後ろにあったはずの木々は、どこにもない。
「…………」
「…………」
僕と愛さんは顔を見合わせた。
「戻った?」
「みたいだね」
「どうやって?」
「君」
「なに?」
「私にも分からないことはあるよ」
「今日三回目だね」
「四回目になる前に帰ろう」
◇
ギルドへ戻る。
受付にはパイルさんがいた。
僕たちの姿に気づくと、パイルさんが顔を上げる。
「おかえりなさい」
「ただいま」
愛さんが軽く手を上げる。
「依頼の報告をお願いします」
「承ります。ギルドカードと依頼票をお願いします」
僕はポケットへ手を入れた。
右。
ない。
左。
ない。
上着。
ない。
「……キミさん?」
「ちょっと待って」
「君、さっき持ってたよね?」
「持ってた」
「どこで?」
「それが分かれば探してないよ」
「それもそうだね」
パイルさんが少し困った顔をした。
「もしかして、落とされたんですか?」
「いや」
僕は答える。
「しまった場所が分からない」
「それを一般的には失くしたと言うんじゃないでしょうか」
「あ」
パイルさんが口を押さえた。
愛さんが笑う。
「ふふっ。私もそう思う」
「愛さんまで」
「だって君だし」
もう一度、最初に探したポケットへ手を入れる。
指先に硬いものが触れた。
「あった」
「どこにありました?」
「ポケット」
「さっき探してましたよね?」
「うん」
「どこの?」
「最初に探したところ」
「…………」
パイルさんが笑顔になった。
「では、お預かりしますね」
なんだろう。
笑っているのに、少し怖い。
◇
薬草を確認してもらう。
数。
状態。
どちらも問題なし。
依頼達成。
……だったのだけれど。
パイルさんが袋の中を見て、手を止めた。
「……これは?」
青い花だった。
「途中に咲いてた」
僕が答える。
「依頼対象ではありませんよね?」
「うん」
「では、どうして?」
少し考える。
「綺麗だったから?」
隣から愛さんが言った。
「目的地へ行く途中で、君が道を間違えたんだよ」
「間違えてないよ」
「じゃあ、どうして指定された採取場所と違う場所に着いたの?」
「…………」
「君?」
「結果的には採れたから」
「答えになってないね」
パイルさんが地図を広げた。
僕たちが薬草を採った場所について説明する。
最初は地図の上を動いていたパイルさんの指が、やがて止まった。
「ここ……道ありませんけど」
「うん。僕もそう思った」
「思った?」
「気づいたらそこにいた」
「…………」
パイルさんが、また笑顔になった。
やっぱり少し怖い。
◇
報告を終えたあと。
僕と愛さんはギルドを出た。
「初仕事、成功したね」
「そうだね」
「思ったより簡単だった」
愛さんが僕を見る。
「君はもう少し反省した方がいいと思うよ」
「何を?」
「迷ったこと」
「でも依頼は成功したよ?」
「そういうところだよ」
町の通りを歩く。
昨日より、この世界の言葉が少し身近になっている気がする。
僕の名前はキミ。
愛さんはアイ。
僕のスキルは《迷い人》。
愛さんは《メイド》。
まだ、その意味はよく分からない。
でも少しずつ、この世界で生きていくための何かが始まっている。
そんな気がしていた。
◇
同じ頃。
ギルドの奥では、何冊もの古い記録が机の上に積み上げられていた。
「ねぇな」
マイスが本を閉じる。
向かいでは、ギルマスが別の記録を確認していた。
「こちらにもございません」
「もっと古いのは?」
「確認中です」
「地方の記録は?」
「照会を出しております」
「……ったく」
マイスが椅子にもたれた。
机の上には二枚の控えがある。
新人冒険者の登録記録。
キミ。
スキル《迷い人》。
アイ。
スキル《メイド》。
「珍しいだけじゃねぇのか?」
「その可能性も考えましたが」
ギルマスが一冊の本を閉じる。
「少なくとも、現時点で確認できるギルドの記録には存在しておりません」
「どっちが?」
「両方です」
「…………」
マイスが眉間を押さえた。
「一人だけじゃねぇのかよ……」
「二人でございますね」
「分かってる」
ギルマスは控えへ視線を落とす。
「《迷い人》」
指先が文字をなぞる。
「そして《メイド》」
「職業じゃねぇのか、それ」
「私もそう思います」
「なんでスキル欄に出る」
「私にも分かりかねます」
マイスが嫌そうに天井を見る。
「分からねぇことばっかりだな」
「そういう日もございます」
「お前が言うと腹立つな」
ギルマスは気にした様子もなく、もう一枚の紙を手に取った。
今日の依頼報告。
薬草採取。
依頼達成。
採取物、問題なし。
ただし――
帰還経路に不明点あり。
ギルマスの目が、そこで止まった。
「ギルド」
「あ?」
「どうやら、スキルだけではないようですよ」
「……今度はなんだ」
「彼らの本日の依頼ですが」
報告書を差し出す。
マイスが受け取り、目を通す。
しばらくして。
眉間に皺が寄った。
「……なんで一本道の採取依頼で、帰ってくる方向が変わるんだよ」
「さあ」
「お前、何か分かってる顔してねぇか?」
「いいえ」
ギルマスは静かに答えた。
「分からないから、調べているのでございます」
マイスはもう一度、登録記録を見る。
《迷い人》。
しばらく、その三文字を睨む。
そして、大きくため息をついた。
「名前だけじゃなく、内容まで面倒くせぇスキルだな……」
◇
「愛さん」
「なに?」
「宿って、こっちだっけ?」
愛さんが足を止めた。
僕も止まる。
周囲を見る。
見覚えがない。
「……君」
「うん?」
「昨日、パイルさんに道を教えてもらったよね?」
「うん」
「覚えてる?」
「なんとなく」
「じゃあ聞くけど」
愛さんが僕を見る。
「ここ、どこ?」
僕も周囲を見る。
「…………」
しばらく考えて。
答えた。
「分かんない」
愛さんは小さくため息をついた。
「やっぱり君は、しょうがないなぁ」
そして、僕の隣を歩き出した。




