09話 地図から外れる村
「それでは、こちらの依頼はいかがでしょうか?」
受付カウンターの向こうで、パイルが一枚の依頼書を差し出した。
キミはそれを受け取り、隣からアイが覗き込む。
「薬草の採取?」
「はい。街道から少し入った森に群生地があります。危険な魔物の報告もありませんし、お二人なら問題ないと思います」
「愛さん、どうする?」
「いいんじゃないかな」
「じゃあ、これで」
「承りました」
パイルがいつもの手際で受付処理を始める。
その横では、別の受付嬢が冒険者にいくつかの依頼を紹介していた。
「こちらは近隣の村までの護衛ですね。それと、こちらが家畜を襲う魔獣の討伐。こちらは――」
一枚ずつ依頼書が机へ並べられていく。
「人探しになります」
「人探し?」
「はい。一年近く前から行方が分からなくなっている若い女性です。ご家族から継続して依頼が出ています」
冒険者は依頼書を少し眺めて、首を横に振った。
「一年か。さすがに手掛かりが少なすぎるな」
「そうですね。特徴としてはワインレッドの髪と――」
一瞬。
書類を処理していたパイルの手が止まった。
「左右で瞳の色が違うそうです」
「珍しいな」
「はい」
それだけだった。
冒険者は別の依頼書を手に取り、受付嬢も説明を続ける。
パイルも何事もなかったように仕事へ戻った。
「ではキミさん、アイさん。こちらが依頼書です」
「ありがとう」
「お気をつけて」
「行ってきます」
キミとアイがギルドを出ていく。
パイルは二人の背中を見送った。
そして。
ほんの一瞬だけ、先ほどの人探しの依頼書へ視線を向けた。
◇
「こっちだよね?」
「地図ではね」
街道から森へ入ってしばらく。
キミは地図と目の前の道を交互に見ていた。
「愛さん」
「なに?」
「道が二つある」
「あるね」
「地図には一つしかない」
「そうだね」
「…………」
「…………」
キミは右を見る。
アイも右を見る。
次に左を見る。
アイも左を見る。
「右かな」
「どうして?」
「なんとなく」
「うん。じゃあ右に行こうか」
アイは止めなかった。
キミの場合、地図に従わせる方が目的地から遠ざかることがある。
それをアイは、もう知っている。
二人は右の道へ進んだ。
しばらくすると、森が深くなった。
「愛さん」
「うん」
「道、なくなった」
「なくなったね」
振り返る。
さっきまで歩いていたはずの道も、ない。
「…………」
「…………」
「ここ、どこ?」
「さあ?」
いつものことだった。
二人はそのまま歩いた。
薬草の群生地へ向かっていたはずなのだが、こうなってしまえば仕方がない。
「戻れるかな」
「歩いていれば、どこかには出るんじゃないかな」
「それ、戻るって言わないよね?」
「そうとも言うね」
「言わないと思う」
そんな会話をしながら木々の間を進む。
やがて――。
「あれ?」
キミが足を止めた。
木々の向こうに、屋根が見える。
「愛さん」
「うん」
「村がある」
「あるね」
「地図に?」
「ないね」
「…………」
キミは地図を畳んだ。
「行ってみようか」
「そうだね」
二人は村へ向かった。
◇
村へ足を踏み入れた瞬間だった。
視線が集まった。
「……?」
キミが辺りを見る。
畑仕事をしていた男。
井戸端にいた女性。
荷物を運んでいた若者。
全員が、こちらを見ている。
「愛さん」
「うん」
「なんか見られてる」
「見られてるね」
「僕、何か変?」
「いつも通りだよ」
「じゃあ愛さん?」
「私もいつも通りだと思うけど」
二人は顔を見合わせた。
その間にも、村人たちの視線は外れない。
やがて、一人の男が近づいてきた。
「……旅の者か?」
「はい」
「どこから来た?」
キミは森の方を指差した。
「あっちです」
「…………」
男が黙った。
「街道から?」
「はい。途中で道が二つに分かれてて」
「道?」
「右に行ったら道がなくなって」
「…………」
「それで歩いてたら、ここに」
男はキミをじっと見た。
それからアイを見る。
「……そうか」
何かがおかしい。
キミにも、それくらいは分かった。
「ここって、なんて村ですか?」
「…………」
男は答えなかった。
代わりに、
「少し待っていろ」
そう言って、足早に離れていった。
「愛さん」
「なに?」
「歓迎されてない?」
「たぶん」
「帰った方がいいかな」
「その方がいいかもしれないね」
二人は素直だった。
別にこの村へ用事があるわけではない。
薬草を採りに来ただけなのだ。
「じゃあ、戻ろう」
「うん」
そうして踵を返そうとしたときだった。
キミの視界を、鮮やかな色が横切った。
ワインレッド。
若い女性だった。
大きな籠を抱え、道の向こうを歩いている。
珍しい髪の色だ。
それだけなら、少し目を引いただけだっただろう。
だが。
「あ」
女性がこちらへ顔を向けた。
片目を覆う眼帯。
そして露わになっている、もう片方の瞳。
女性はキミたちを見ると、一瞬だけ驚いたような顔をした。
すぐに視線を逸らす。
「……?」
「君?」
「いや」
キミは首を傾げた。
「なんか、すごく見られた気がして」
「珍しいんじゃない? 外から人が来るのが」
「僕ら、そんなに珍しいかな」
「君は珍しいと思うよ」
「どういう意味?」
アイは答えなかった。
女性はそのまま家の陰へ消えていった。
キミも、それ以上気にしなかった。
ただ。
風が吹いた、その一瞬。
女性が髪を押さえようと眼帯へ手をやったとき。
ほんのわずかに覗いた瞳。
キミは見た。
眼帯に隠された瞳は――。
反対側とは、違う色だった。
◇
「結局、薬草あったね」
「あったね」
村を出てしばらく歩いたところで、目的の薬草群生地を見つけた。
なぜ村を出たら目的地へ辿り着いたのか。
二人とも考えなかった。
考えても分からないからだ。
必要な量を採取し、その日のうちにギルドへ戻った。
「ただいま」
「お帰りなさい」
パイルが顔を上げる。
「依頼はいかがでしたか?」
「ちゃんと採れたよ」
「それはよかったです」
キミが薬草の入った袋をカウンターへ置く。
パイルは中身を確認した。
「はい。品質も問題ありません。依頼達成ですね」
「よかった」
「今回は迷いませんでしたか?」
キミが黙った。
アイも黙った。
パイルの手が止まる。
「……迷ったんですね?」
「ちょっとだけ」
「君」
「なに?」
「知らない村に着いたのは、ちょっとじゃないと思うよ」
「村?」
パイルが顔を上げた。
「はい」
「どちらの村ですか?」
「分かんない」
「…………はい?」
「地図になかったから」
パイルが地図を取り出した。
「どの辺りです?」
キミが覗き込む。
「この辺から森に入って……」
「はい」
「道が二つになって」
「この地図では一本道ですが」
「そうなんだよ」
「…………」
「右に行ったら道がなくなって」
「はい?」
「歩いてたら村があった」
パイルがキミを見る。
アイを見る。
もう一度キミを見る。
「……そうでした。《迷い人》でしたね」
「うん」
「納得したくないのですが、納得するしかありませんね」
パイルは小さく息を吐いた。
「それで、どんな村だったんですか?」
「普通の村だったよ」
「普通?」
「でも、なんかみんなに見られた」
アイが付け加える。
「外から人が来るのが珍しいみたいだったね」
「なるほど……」
「あ、それと」
キミが思い出した。
「珍しい人がいた」
「珍しい人?」
「髪が赤っぽくて」
「赤?」
「赤っていうか……」
キミが考える。
アイが答えた。
「ワインレッド、かな」
パイルの表情が止まった。
「…………」
「パイルさん?」
「その方は……女性ですか?」
「うん。僕らと同じくらいかな」
「他に特徴は?」
「眼帯してた」
パイルの指先が、わずかに動いた。
「……眼帯?」
「うん」
キミは思い出しながら、自分の片目を指差す。
「こっちだったかな」
「キミさん」
「なに?」
「瞳は?」
「え?」
パイルの声が変わっていた。
「その方の……瞳の色は?」
「見えてた方?」
「両方です」
「両方って、眼帯してたから――」
言いかけて、キミは思い出した。
「あ」
「見たんですか?」
「ちょっとだけ」
パイルが身を乗り出す。
「何色でした?」
「違ったよ」
「……違った?」
「うん。左右で違う色だった」
パイルが動かなくなった。
「パイルさん?」
「…………」
カウンターの向こうで、彼女の手がゆっくりと握られる。
一年近く。
何の手掛かりもなかった。
家族が依頼を出し続けても。
冒険者たちが探しても。
誰も見つけられなかった。
「……ウラル」
「え?」
キミには聞き取れないほど、小さな声だった。
パイルが顔を上げる。
「キミさん」
「はい」
「その村――」
言葉が詰まった。
それでも、もう一度。
「その村へ、もう一度行けますか?」
キミは少し考えた。
「…………分かんない」
「…………」
「だって僕、迷って着いたから」
パイルはしばらくキミを見つめた。
そして。
「……そうでしたね」
小さく息を吐いた。
けれど、その瞳はもう、いつもの受付嬢のものではなかった。
一年近く止まっていたものが。
ほんの少しだけ。
動き始めていた。




