10話 受付業務から外れる受付嬢
「私も連れて行っていただけませんか?」
キミは瞬きをした。
「パイルさんを?」
「はい」
翌朝。
ギルドの受付カウンターを挟んで、キミとアイの前に立つパイルは、いつもの受付嬢の制服ではなかった。
動きやすそうな服に、腰には最低限の荷物。どう見ても、これから受付に立つ格好ではない。
「愛さん」
「なに?」
「パイルさんって、冒険者だったっけ?」
「違うと思うよ」
「聞こえていますよ」
「あ、ごめん」
パイルが小さく息を吐いた。
「冒険者ではありません。あくまで今回は、その村まで同行させていただきたいだけです」
「昨日の人?」
「……はい」
ワインレッドの髪に眼帯。そして、左右で違う色の瞳。キミたちが昨日、名も知らぬ村で見かけた女性だ。
「ウラルさんは、私と同じ時期にこのギルドの受付嬢になった人です」
「友達?」
キミの問いに、パイルは少しだけ考えた。
「……同期です」
それだけ答えた。
「一年近く前から、行方が分からなくなっています」
「昨日の人が、そのウラルさんかもしれない?」
「分かりません」
パイルは首を横に振る。
「ワインレッドの髪も、左右で違う瞳も珍しい特徴です。でも、それだけで本人だと決めつけることはできません」
「だから確認に行くんだね」
「はい」
アイの言葉に、パイルが頷く。
「ご家族も、ずっと探していますから」
「分かった」
キミはあっさり頷いた。
「行こう」
「……よろしいのですか?」
「うん」
「ですが、昨日もお話しした通り、場所が分からないのでは?」
「分かんない」
「…………」
「でも、行ってみないと分かんないし」
「…………そうですね」
納得していいのか、パイルには分からなかった。
ただ、他に手掛かりはない。
「では、よろしくお願いします」
パイルが頭を下げる。
キミは頷いて――ふと、受付カウンターの内側へ視線を向けた。
そこには、大きな手甲が置かれている。
先日のゴーレム騒ぎで、パイルが使ったものだ。
「あれは良いの?」
パイルもキミの視線を追った。
「置いていきます」
「いいの?」
「人を探しに行くのに、あれを持っていく必要はないでしょう?」
「そっか」
「それに――」
パイルは手甲を一度見てから、キミへ視線を戻した。
「私は冒険者ではありませんから」
それはキミに説明するというより。
自分自身に確認しているような言葉だった。
◇
「こちらですね」
森へ入ってしばらく。
パイルが地図を確認する。
「昨日の薬草採取の指定区域は、この先です」
「うん」
「昨日は、どこで道が分かれたんですか?」
「もう少し先だったと思う」
「なるほど」
三人は歩く。
パイルは周囲を注意深く確認していた。
パイルは地形や木々、足元まで注意深く見ながら、分岐らしいものや、昨日キミたちが通った痕跡が残っていないかを探していた。
だが。
「……ありませんね」
「何が?」
「道です」
「まだ先じゃない?」
「いえ」
パイルが地図を示した。
「昨日のお話が正しければ、そろそろ分岐があった場所のはずです」
「そうなんだ」
「……覚えていないんですか?」
「なんとなくは」
「なんとなく……」
パイルが額に手を当てる。
受付で冒険者から報告を受けることは何度もあった。
道に迷った。予定外の場所へ出た。地図にない道を見つけた。受付で冒険者からそうした報告を受けることは、決して珍しくなかった。
だが。
目の前にいる青年の場合。
それらとは、何かが違う。
「とりあえず行こうか」
「待ってください」
「ん?」
「昨日と同じ道を辿らなければ、村へ着けないのでは?」
「そうなのかな」
「普通はそうです」
「でも昨日も、帰りは同じ道じゃなかったと思う」
「…………はい?」
「だって村を出たら、普通に薬草のところに出たから」
「…………」
パイルはアイを見る。
アイはいつものように微笑んでいる。
「アイさん」
「なに?」
「これは……いつものことなのですか?」
「わりと」
「わりと……」
「うん」
パイルは黙った。
報告書では知っていた。
キミが《迷い人》というスキルを持っていることも。
本人の意思とは関係なく、道を外れることも。
その結果、本来なら辿り着けないような場所へ出ることも。
知識としては知っていた。
だが。
「では、キミさん」
「はい」
「今、どこへ向かっているのですか?」
「昨日の村」
「道は?」
「分かんない」
「…………」
「でも、こっちな気がする」
キミが指差した。
そこには。
道などなかった。
「…………」
「行こう」
「待ってください」
「はい」
パイルは道のない森とキミを交互に見る。
「今、何をしました?」
「歩いてました」
「まだ歩いていません」
「あ、そっか」
「そういう意味ではありません」
隣でアイが口元を押さえている。
「アイさん」
「ごめん」
「笑わないでください」
「うん」
笑っていた。
◇
「……おかしい」
村の中央。数人の男たちが集まっていた。
「異常はない」
「もう一度確認しろ」
「した。何度もだ」
「なら、なぜ入られた」
誰も答えられない。
昨日。突然、二人の旅人が村へ現れた。
ぼんやりした様子の青年と、背の高い女。それだけなら、ただの迷い人として片づけられたかもしれない。
だが、この村に迷い込むことなどあり得ない。
「術式に破損は?」
「ない」
「魔力の乱れは?」
「確認できない」
「外から解除された形跡は?」
「それもない」
沈黙。
村を隠す術式は正常に働いている。正常に働いているはずなのだ。
それなのに、二人は入ってきた。
「警戒を強化する」
「もうしている」
「足りん」
男が吐き捨てる。
「ここはもう安全ではない」
その言葉に、空気が変わった。
「移るのか?」
「仕方がない」
「準備には時間がかかるぞ」
「急がせろ」
すでに荷造りを始めている家もある。運べるもの、残すもの、処分するものを分けながら、村人たちは慌ただしく動き始めていた。
「二度と入らせるな」
「ああ」
昨日よりも強く。
昨日よりも厳重に。
村を外から切り離す。
今度こそ。誰にも見つからないように。
◇
「愛さん」
「なに?」
「道、なくなった」
「なくなったね」
「…………」
パイルが立ち止まった。
「待ってください」
「はい」
「今まで、道がありましたよね?」
「うん」
「私も歩いていましたよね?」
「一緒に歩いてたよ」
「ですよね」
「うん」
「では――」
パイルが振り返る。
振り返った先にあるのは、木々と草と茂み。それだけだった。
「なぜ、道がなくなっているんですか?」
「僕にも分かんない」
「…………」
「愛さん、分かる?」
アイは少し考えて。
「私にも分からないことはあるよ」
「…………」
パイルは二人を見た。
キミは本当に分かっていない顔をしている。
アイもいつもと変わらない。
「……《迷い人》」
パイルが呟いた。
「はい?」
「いえ」
知っていた。
知っていたはずなのだ。
だが、受付カウンターの向こうで聞くのと。
自分の足で体験するのとでは、まるで違う。
「……行きましょう」
「うん」
「どちらへ?」
「こっち」
「根拠は?」
「なんとなく」
「…………行きましょう」
パイルは考えることを一つ諦めた。
◇
「ねえ、愛さん」
「なに?」
「お腹空いた」
「そろそろお昼だね」
「パイルさんも食べる?」
「え?」
森の中。
アイが何でもないように荷物を下ろした。
「少し休もうか」
「ですが、村を――」
「急いでも君が道を分かってないからね」
「愛さん、それ僕が悪いみたいに聞こえる」
「違うの?」
「違わないけど」
パイルは周囲を見る。
道はなく、現在地も、目的地がどちらなのかも分からない。普通なら、とても休憩どころではなかった。
だが、二人は普通に昼食の準備を始めている。
「パイルさん?」
「あ……はい」
「食べる?」
「……いただきます」
考えても仕方がない。
今日、何度目か分からない結論だった。
そして。
「どうぞ」
アイが差し出した食事を見て、パイルが瞬きをする。
「……これは?」
「お昼ご飯」
「それは分かります」
温かい。
「どうして温かいんですか?」
「作ったから」
「いつ?」
「今」
「…………」
パイルはアイを見る。
簡単な調理器具に食材、飲み物。必要なものが、必要なだけ揃っている。
しかも手際がよく、早く、無駄がない。
「アイさん」
「なに?」
「以前からお聞きしようと思っていたのですが」
「うん」
「アイさんって……できないこと、あるんですか?」
アイは少し考えた。
「私にもできないことはあるよ」
「例えば?」
アイがキミを見る。
「君を道に迷わせないこと」
「愛さん!?」
「ほら」
「ほらって何!?」
パイルは二人を見る。
そして。
「ふっ」
思わず、笑った。
「パイルさん?」
「いえ。すみません」
「僕、今笑われた?」
「気のせいです」
「絶対笑ったよね?」
「気のせいです」
いつもの受付嬢の笑顔だったが、カウンターの向こうで浮かべるものとは、少しだけ違っていた。
◇
「……来ないな」
村の見張り役が森を見つめていた。
「当たり前だ」
隣の男が答える。
「昨日の連中がどうやって入ったのかは分からん。だが、もう同じことは起きない」
術式は強化した。見張りも増やした。
昨日以上に、外から村へ辿り着くことは難しくなっている。
「移動の準備は?」
「今夜までには」
「急げ。ここを捨てる」
「ああ」
男が森へ視線を戻す。
何もなく、誰もいない。それが当然のはずだった。
「……ん?」
木々の向こう。
何かが動いた。
「おい」
「どうした?」
「……人だ」
「は?」
木々の間から、一人の青年が歩いてくる。
「あいつ……」
昨日の青年だった。
その隣には、昨日と同じ背の高い女。
「また来た!」
「何だと!?」
声が上がる。
「昨日の二人だ!」
「術式は!?」
「正常だ!」
「なら、なんでいる!」
「知らん!」
そして。
一人が気づいた。
「……待て」
「今度はなんだ!」
「増えてる」
「は?」
二人ではない。青年と背の高い女、その後ろから、もう一人の若い女性が歩いてくる。
「三人いるぞ!」
「なんで増えてるんだ!」
「俺に聞くな!」
村が騒がしくなる。
◇
「あ」
キミが足を止めた。
「パイルさん」
「はい?」
「着いた」
「…………はい?」
木々が途切れる。
その向こうに。
家々が見えた。畑も、井戸も、人の姿もある。昨日、キミとアイが迷い込んだ村だった。
「ここ」
「…………」
パイルは後ろを振り返った。
道はない。
前を見る。
村がある。
「……キミさん」
「はい」
「昨日と同じ道を通りましたか?」
「分かんない」
「ですよね」
「でも着いたよ」
「……着きましたね」
パイルは大きく息を吐いた。
パイルは、もう驚くのはやめようと決めた。
「何者だ!」
声が飛んできた。
三人が見る。
数人の村人がこちらへ走ってくる。
昨日とは明らかに様子が違う。
「止まれ!」
キミが止まる。
アイも止まる。
パイルも止まった。
「昨日も来た奴らだな!」
「はい」
キミが素直に答える。
「どうやって入った!」
「歩いて」
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
「え?」
「キミさん」
「はい」
「少し私に任せてください」
「お願いします」
パイルが一歩前へ出た。
「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。私たちは近隣の街にある冒険者ギルドから参りました」
「ギルド……?」
「はい。こちらに、私どもの探している人物に似た方がいらっしゃる可能性がありまして」
ほんのわずかだが、男たちの表情が変わった。
だが、受付として多くの人間を見てきたパイルは、それを見逃さなかった。
「誰を探している」
「若い女性です」
「そんな者はいない」
早い。
パイルが説明するより先に返事が来た。
「まだ特徴をお伝えしていませんが」
「…………」
「お話だけでも伺えませんか?」
「帰れ」
男が低い声で言った。
「ここには、お前たちの探している人間はいない」
「ですが――」
「帰れ!」
その声に、周囲の村人たちも集まり始める。
集まった村人たちの顔に浮かぶものは、警戒と戸惑い。そして、パイルには焦りが混じっているように見えた。
「パイルさん」
後ろからキミが小さく呼ぶ。
「なんでしょう?」
「昨日より、なんか怖いね」
「……そうですね」
「やっぱり僕ら、歓迎されてない?」
「おそらく」
「そっか」
キミは村を見回した。
その視線が。
ふと止まる。
「あ」
「どうしました?」
「あの人」
パイルがキミの視線を追う。
人だかりの向こう。
一軒の家の前。
荷物を抱えた若い女性が立っていた。
ワインレッドの髪。
片目を覆う眼帯。
その姿を見た瞬間。
パイルの呼吸が止まった。
見間違えるはずがない。
一年間、同じ受付に立ち、一緒に仕事を覚えた。失敗もした。叱られもした。笑ったこともある。それなのに、彼女は何も言わずにいなくなった。
「……ウラル?」
声が漏れた。
女性の肩が震えた。
ゆっくりと。
こちらを向く。
露わになった片方の瞳が、大きく見開かれた。
「……パイル?」




