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異世界の君  作者: 戒
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08話 道から外れるギルド

朝。

冒険者ギルドの扉が開く。


「おはようございます」


いつもと変わらない声が、受付から飛んできた。


パイルだ。


依頼書を並べ、昨日からの引き継ぎを確認し、返却された資料を棚へ戻す。時折、隣の受付嬢から回ってきた書類に目を通しては、間違いを見つけて返す。


「ここ、依頼期間が昨日のままですよ」


「あっ、本当だ」


「掲示する前で良かったですね」


「ありがとう、パイル」


「いえいえ」


いつもの仕事、いつもの受付。少なくとも、パイル本人はそう思っていた。


ゴーレムがギルドの中で暴れた日から、何日かが過ぎている。壊された箇所も修繕され、倒れた机や椅子も元の場所へ戻った。


壁際の棚には、一組の手甲が置かれている。けれど、それ以外は何も変わらない。


依頼を受ける冒険者が来る。達成報告をする冒険者が来る。


報酬を受け取って喜ぶ者がいれば、依頼に失敗して肩を落とす者もいる。


そんな冒険者たちを迎えるのが、パイルの仕事だった。


「次の方、どうぞ」


今日もまた、いつもの一日が始まった。



◇


昼を少し過ぎた頃。別の受付では、一人の冒険者が依頼を選んでいた。


「こんな依頼はいかがですか?」


受付嬢が何枚かの依頼書を並べる。


「こちらは近隣の村までの護衛です。こちらは家畜を襲う魔獣の討伐。それから……」


一枚の依頼書を手に取った。


「人探しですね」


「人探し?」


「はい。一年近く前から行方が分からなくなっている若い女性です。ご家族から継続して依頼が出ています」


冒険者は依頼書へ目を落とした。


「一年か……。手掛かりは?」


「特徴は、ワインレッドの髪。それと、左右で瞳の色が違います」


ほんの一瞬だけ。


書類を整理していたパイルの手が止まった。


「珍しいな」


「はい。以前、このギルドで受付をしていた方なんです」


「ここの?」


「ええ」


パイルは何も言わなかった。止まっていた手を、また動かす。


受付嬢も、それ以上は何も言わず依頼の説明を続けた。


「どうされますか?」


「悪い。一年じゃ、俺には難しいな。他のを見せてくれ」


「承知しました」


依頼書が、他の紙の下へ戻される。そして、パイルは一度だけ、その紙へ視線を向けたが、いつもの声で仕事を続けた。


「次の方、どうぞ」



◇


「だからよぉ! 急いでんだって言ってんだろ!」


大きな声がギルドに響いた。


何人かの冒険者が振り返る。


パイルが受付をしている横の列、一人の男が、並んでいる冒険者を押し退けるようにして前へ出てきていた。


「お客様」


パイルが男を見る。


「受付はこちらの列にお並びいただいた順番となっております」


「あぁ?」


「最後尾へお願いいたします」

「俺は急いでんだよ!」


「皆さんも同じですので」


男の眉間に皺が寄る。少し前までなら、こんな相手を前にすると、パイルは困っていた。


受付として揉め事を起こしてはいけない。冒険者を怒らせてはいけない。


自分が我慢すれば、それで済む。そう考えていた。


けれど……。


「俺が誰だか分かってんのか?」


「はい」

「だったら……」


「ですが、順番は順番です」

「てめぇ……受付のくせに」


パイルは男を見上げた。

そして……笑みを浮かべる。


「その言葉、最後まで貫けますか♪ 貫けないなら最後尾にお並びくださいね♪」


「うるせぇ、さっさと……」

「並べ♪」


「…………」


男の口が止まった。


ギルドが静かになる。


パイルは笑顔を浮かべている。ただ、それだけだった。


「…………」


「…………」


「……ちっ」


男は舌打ちすると、列の最後尾へ歩いていった。


「ありがとうございます」


いつもの声に戻る。パイルは何事もなかったように手元の書類へ視線を落とした。


「お待たせいたしました。次の方、どうぞ」


「あ、ああ……」


次の冒険者がおそるおそる受付へ進む。

その横で、別の受付嬢が、ぽかんとパイルを見ていた。



◇


変化は、思ったより早く広がった。


「この依頼、報酬少なくない?」


「依頼主様から提示された金額ですので、こちらでは変更できません」


「そこを何とかしてよ」


「できません」


「いや、だから――」


受付嬢は一瞬だけ言葉に詰まった。


ちらりと隣を見る。

パイルがこちらを見ている。


目が合った。

パイルは小さく頷いた。


受付嬢も頷き返す。


「できません」


「…………はい」


冒険者が引き下がった。


また別の日には――。


「姉ちゃん、仕事終わったら酒付き合えよ」


「お断りします」


「いいじゃねぇか」


「勤務中ですので」


「じゃあ仕事終わってからでいいだろ?」


「…………」


受付嬢がちらりと横を見る。

またパイルと目が合った。


パイルが親指を立てる。


受付嬢は小さく息を吸った。そして、にっこりと笑う。


「勤務後も嫌です♪」


「…………」


「お断りします♪」


「……はい」


なぜか冒険者の方が引いた。


パイルが目を丸くする。


受付嬢は得意げに笑った。


少しずつ、本当に少しずつ。


受付の空気が変わっていった。

誰かが我慢するのではなく。

駄目なものは駄目だと言う。

それでも仕事は丁寧に。


そして必要な時には――笑顔で。


いつしか、それが受付嬢たちの間で当たり前になり始めていた。



◇


もちろん、笑顔と言葉だけでは分かってくれない者もいる。


「ふざけんな!」


ドンッ!

受付台が大きく揺れた。


昼下がりのギルド。

一人の冒険者が受付台を拳で叩いていた。


「依頼失敗ってどういうことだ!」


「ですから、依頼内容に定められた素材が不足しています」

「これだけ持ってきたんだぞ!」


「必要数に足りておりませんので」

「融通利かせろよ!」


対応しているのはパイルではない。


先ほどまでパイルと笑いながら話していた受付嬢だ。彼女も引かなかった。


「規則ですので、お受けできません」


「受付風情が!」


男が受付台へ身を乗り出した。

受付嬢が一歩下がる。


「お客様」


パイルが立ち上がった。


「それ以上はおやめください」


「あぁ?」


男が振り返る。


「お前には関係ねぇだろ!」

「あります」


パイルは真っ直ぐ男を見る。


「大切な同僚ですから」

「うるせぇ!」


ドンッ!

もう一度。

男の拳が受付台を叩いた。

パイルは、その男を見つめた。


そして……


「…………そうですか♪」


笑った。


その笑顔のまま、受付カウンターから出てくる。


「……あ?」


怒鳴って力を振り回せば、受付嬢なんか軽いものだ。

そう高を括っていた冒険者は、パイルの思いがけない行動に思考を止めていた。


パイルは何も言わない。

男の横を通り過ぎる。


「…………」


男が振り返る。

パイルが向かっているのは、壁際。

そこにある棚。


その上には、一組の手甲が置かれていた。

――先日のゴーレム騒ぎで、パイルが手にした手甲だ。


その存在に気づいた瞬間。

周囲にいた何人かの冒険者の顔色が変わった。


「……おい」

「まずい」

「止めろ」


当の男だけが、まだ状況を理解していない。


「なんだよ。何する気だ?」


パイルは答えない。

笑顔のまま、その手甲へ手を伸ばす。


ガチャ……。


「止めろぉ!」

「押さえろ!」

「おい、そっち持て!」

「はぁ!?」


突然、周囲にいた冒険者たちが男へ殺到した。


「なんだてめぇら!」

「暴れんな!」

「腕押さえろ!」

「離せ!」

「いいから来い!」

「なんで俺が――!」

「お前を助けてんだよ!」


「はぁ!?」


数人がかりで羽交い締めにされ、そのまま男は入口へ運ばれていく。


「待て! 俺はまだ話が――」

「外で聞く!」

「だから、なんで俺が追い出されんだよ!」

「いいから出ろ!」


バタン!

扉が閉まった。


静寂。


「…………」


パイルは手甲を手にしたまま、閉じた扉を見ていた。


「……?」

小さく首を傾げる。


ガチャ。

手甲を棚へ戻した。


「皆さん、ご協力ありがとうございます」


「い、いえ……」


「当然のことをしたまでです」


「そうそう。ギルドの秩序を守るのも冒険者の役目だからな」


誰一人として、パイルと目を合わせなかった。



◇


「おーおー」


その一部始終を、酒場から面白そうに眺めている男がいた。


マイスだ。


昼間だというのに酒杯を片手に、上機嫌で受付を眺めている。その隣で書類を確認していたギルマスが、ゆっくり顔を上げた。


「……止めなくてよろしいのですか?」


「何を?」


「…………」


ギルマスは扉を見る。

先ほど連れ出された冒険者は、まだ外で仲間たちから何か言われているらしい。


次に受付を見る。


「次の方、どうぞ」


すでにパイルは通常業務へ戻っていた。

他の受付嬢も同じだ。

何事もなかったかのように仕事を続けている。冒険者たちも、何事もなかったかのように列へ戻っている。


先ほどより少しだけ、列が綺麗になっている気もする。


マイスが酒を一口飲んだ。


「良いギルドになったなぁ」


「どの辺りをご覧になって、そう思われたので?」


「受付嬢が笑って仕事してる」


ギルマスの目が、わずかに細くなった。

マイスはそれ以上何も言わない。


受付では、別の冒険者が依頼について質問している。受付嬢が答える。


その横でパイルが書類を整理している。

誰か一人が我慢して、何事もなかったことにする。


そんな必要は、少しずつなくなっていた。


マイスは、それを眺めながらまた酒を飲む。


「しかし」


ギルマスが口を開いた。


「あの手甲を受付に置いておくのはいかがなものかと」


「そうだなぁ」


珍しく素直な返事だった。


ギルマスがマイスを見る。

マイスは棚に置かれた手甲を眺めながら頷いた。



「カウンターの内側に置くようにするか?」


「……はい?」


「パイルがすぐ手が届くようにな」


「…………」


ギルマスはしばらく黙った。


「ギルド。私は遠ざけるべきだと申し上げたのですが」


「なんでだよ」


「危険だからです」


「だから近くに置くんだろ?」


「…………」


ギルマスは目を閉じた。


「原因と結果が逆です」


「結果が良けりゃいいだろ」


「よくありません」


即答だった。


マイスは声を上げて笑った。



◇


翌朝。


「おはようございま……」


ギルマスの足が止まった。


受付カウンターの内側。

パイルの席から手を伸ばせば届く場所に。

あの手甲が置かれている。


「…………ギルド」


低い声がギルドに響いた。


酒場から。


「おう!」


実に機嫌の良い返事が返ってきた。


パイルは手甲の新しい置き場所を確認すると、嬉しそうに頷いた。


「これなら、すぐ手が届きますね」


「そういう問題ではありません」


「?」


パイルが首を傾げる。


その横で。別の受付嬢が、新人へ仕事を教えていた。


「まず、笑顔です」

「はい!」


「相手のお話をきちんと聞きます」

「はい!」


「規則に反するお願いは、きっぱりお断りします」

「はい!」


「それでも聞いていただけない場合は――」


新人が首を傾げる。

先輩受付嬢も少し考えた。

二人の視線がパイルへ向く。


「?」


パイルも二人を見る。


先輩受付嬢が、にっこりと笑った。


「笑顔です♪」


「あっ、なるほど!」


「なるほどではありません」


ギルマスの声が飛んできた。


受付から笑い声が上がる。

冒険者たちも笑う。

パイルも笑った。


いつもの朝。

いつもの受付。

いつもの冒険者ギルド。

何も変わっていないように見える。

けれど。


少しだけ、何かが変わっていた。


パイル自身も。

受付嬢たちも。

ここに集まる冒険者たちも。

それがどこから始まったのか。

まだ誰も、気にしてはいなかった。


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