第46話 再び神話の世界へ
『……これは、まずいことになりましたね』
フェイレスがそう呟いたのは、昼前の授業が始まった直後だった。今まで黙っていた彼がここにきて櫛奈に語り掛けたことに、違和感を覚える。
『どうしたん? 体調悪いん?』
今までであれば、彼が話す口調というのは愉悦的とでも言えばいいのだろうか、楽しそうでしかしそこに別の思惑がありそうな、ともかく実際の感情について悟りにくい部分があった。
しかし、今のフェイレスの声からは焦りや余裕のなさが感じ取れてしまった。
自然と櫛奈もまじめな表情になる。
『いえ、私の体調は良好です。が、それもいいでしょう』
『どういうことやねん』
『クシナさん。今すぐに、眠りについてコスモスに向かってください。訳は着いてから話します』
『何が――』
唐突な提案に、その意図を尋ねようと口を開こうとした。
いつもなら、きっと色々とフェイレスに訊いていたことだろう。でも、今はそのいつもではないような気がした。
この自称悪魔は無駄なやり取りを好むが、余計なことはしない。
すぐに寝た方がいいというのならば、それに従うつもりではあった。
『寝たいのは山々なんやけど……、この授業だけは寝させてくれへんねんな……』
折悪く、この日のこの時間は他の科目の教諭よりもサボりに厳しい教諭が担当している。寝たところですぐに叩き起こされるのが目に見えていた。
『先ほど、クシナさんが言っていたではないですか。体調でも悪いのかと』
『ウチも別に体調悪ないし……。あ、もしかして仮病でサボれって言ってるん? ……まあ、できんことはないやろうけど』
『では、お願いします。あと、これだけはお伝えしておきます。貴方の国がピンチです』
『あっ、ちょっと待っ――』
それ以降フェイレスからの呼び掛けがなくなった。
国がピンチ? いったいどういうことなのか。
疑問が浮かぶものの、それに対して答えを知る存在はいない。
とりあえず櫛奈は頭を切り替えて目の前の問題に向き合うことにした。
授業はすでに始まっており、厳つい顔の教諭が淡々と黒板に文字を連ねていく。
静まり返った教室で、櫛奈はおずおずと手を上げた。ついでに、苦悶の表情を浮かべるというおまけ付きだ。
「あの、先生。少し体調が悪いので保健室に行ってもいいでしょうか……」
「……」
突如響いた教諭以外の声に、クラス中の視線を浴びることになる。
最早、恥も外聞もない。騙すようで気が引けるものの、一刻も早く向かわなければならない場所があるのだ。
授業を進める教諭と目が合う。
その眼光は強く、こちらのすべてを見透かしてきそうな鋭さがあった。
やがて教諭は再び黒板へと向き直る。
ダメだったか。後はもう実際に倒れるかするしかない、と。櫛奈が別の案を模索していると、教諭の声が教室に響いた。
「いいぞ。休んできな。付き添いは必要か?」
力強く芯のある声音ながら、そこには優しさも感じ取れる。櫛奈は込み上がる感謝の気持ちを抑えて、飽くまでも体調不良のフリを続けた。
「い、いえ。大丈夫です。ありがとう、ございます」
教室を後にして、すぐに保健室へと向かう。
『うまくいきましたね』
『アホ。早よ事情説明してや』
『シェイド・レグナムが滅亡の危機です』
『は!? 滅亡!?』
『正確に言うのであれば天使の乱心でしょうか』
『天使……!』
未だその顔つきすらまともに知らない相手。目的や思惑は不明。しかし櫛奈にとっては、良い思い出のない相手でもある。
その天使が、シェイド・レグナムに何をしているのか。フェイレスの言葉から、ある程度推測できてしまう。
自然と、保健室に向かう足も速くなる。
「……あの、休みに来ました」
保健室の扉を開けると、本来いるはずの担当教諭の姿がない。しかし、それを気にする時間ももったいないと感じてしまう。
櫛奈はすぐにその身をベッドに投じた。
向こうの世界で何が起きているのか。
果たして住民は、アーラは無事なのか。
様々な不安が睡魔を削るものの、櫛奈の意識は次第に飲み込まれていく。
神が集う神話の世界へと――




