第43話 クシナとアーラ
神前投票が終わり、神前祭も今日の夜を終えれば終幕となる。
長いようで短かったその期間を思い出しながら、櫛奈はぼんやりと賑やかな雑踏を眺めていた。
新たな神の候補が決まったこともあってか、あるいは祭りも今日で終わりだからか。特別賑わいが凄まじく、こうして遠くから眺めるだけでも目が回りそうになる。
少し高台に設けられたベンチへと腰掛けて、流れる煌めきを精いっぱい楽しんでいた。
『感傷にでも浸っているのですか?』
「久しぶりやん、フェイレス。今までどこ行ってたん?」
『少し、祭りの雰囲気というのは苦手でして。遠くから眺めていました』
「そうなんや。まあ、アンタそういうの似合わへんもんな。ウチもちょっと疲れたわ」
『面白かったですよ。人混みの中で様々な方から労われる貴方の姿は。最後の方は、顔が青くなってましたからね』
「人酔いしたん初めての経験やわ……。というか見てたんやったら助けてや。人でなし」
『悪魔なので。それに、ワタシでもどうにもなりませんでしたよ、あれは』
体調が悪くなったそのおかげで、こうして人気の少ない落ち着いた場所で休憩できているわけだが、櫛奈にとっては二度としたくない経験だった。
のんびりと、熱のこもった頭をクールダウンさせていところへ、近寄る影が一つ。
「お待たせ、クシナ! はい、これ! 屋台のおじさんがおまけしてくれたんだ。新しい神様にって」
隣に座ったアーラが、嬉しそうにそれを渡してくる。
串に様々な種類の果実が刺さっており、それらがシロップで固められている。
所謂、りんご飴のようなものだった。櫛奈はお礼を言いながらそれを受け取った。
「……なっちゃったね。神様に」
一言、聞き慣れた音が地面に跳ねた。
「まだ神様なわけちゃうけどな」
櫛奈はそれに笑って返す。
実感はない。投票の結果、神候補となったわけだが、本当に自分がその役目を全うできるのかは甚だ疑問ではある。
しかし、胸に満ちるのは不安ではない。
当初の目的を忘れそうなほどの期待。お金を稼ぐという行為の目指す先として神になることを目標にしていたが、ようやく一歩踏み出せたのだ。もっとも櫛奈自身、神としての活動はシェイド神が戻ってくるまでと決めているのだが。
先行きは不透明だが、それでも確かな達成感に包まれていた。
「アーラのおかげやわ。ホンマにありがとう」
「ううん。クシナだから、ここまで来られたんだよ。それに、お礼を言うのは私の方だよ」
流れる雑踏から視線を外す。嬉しそうな恥ずかしそうな、そんな表情を浮かべるアーラの横顔は、祭りの夜景に照らされて映る。
「ありがとうね、クシナ。この国に来てくれて。私を助けてくれて。神になるって言ってくれて。クシナと出会ってから、本当に毎日が楽しかった。来てくれたのが、クシナで良かった」
そう言って、はにかんだ。
ああ、そうか。きっと自分はその表情が見たかったのかもしれないと、唐突にそう思った。
誰かが落ち込んだり、戸惑っていたり、不安を抱えていたり、怯えていたり。
そういった人を見るとつい、手を差し伸べて自分がやると息巻いてしまう。
母が亡くなり、父がいなくなった時、弟は縋るように握る手に力を込めた。
それがあったから、自分がなんとかしなければならない、彼を安心させたいと、そう思えたし、突き動かされた。
アーラと出会った時もそうだ。
初めて出会った教会で彼女は戸惑い、そして怯えていた。
得体も知れない、どこから来たかも分からない人間が、神として招かれた。
信頼してもいいのか。そもそも、本当に神になれるのか。きっと様々な葛藤があったことだろう。
櫛奈はそんな彼女を、放っておけなかった。
「ウチは自分のできることやっただけやから。そんで、色んな人に助けられて今がある。皆が望んだ結果になれるかどうかは、分からんけど」
「クシナならできるよ。私もまだまだ、手伝うから。意外と、何とかなるかもしれないし」
「まあ、せやな。こればっかりはやってみんと分からへんもんな」
互いにそう言って笑い合う。
雑踏は遠くに聞こえ、祭りの浮いた心地だけが周囲に漂う。
まだまだやること、考えなければならないことは多い。これから待っているのは良い事ばかりではない。自分が想像しているよりもずっと大変で障害だらけで、上手くいかないケースだってあるはずだ
それでも、こうして彼女と今を楽しんでいる時間は、大切にしたい。
それは自分の為でもあるのだから。
『そうですね。ここからが本番ですよ、クシナさん。何せ、貴方は神なのですから。それもシェイド神の信仰に結び付けられるよう、振舞わないといけません。これで終わった感じを出されると、困ります』
『たまにはこういう息抜きもええやん。アンタも食べる? 果実飴』
『お気遣いありがとうございます。ですが甘味はあまり得意ではありませんでして。……それで、これからどうするんですか? バニタス氏の力添えもあって、どうにか上手くいきましたが、ここからはより道のりが険しいものになるでしょう』
『分かってるんやけどなあ……。まだ何をすればいいんか、具体的なんは出てけえへんねん。あ、でもやりたいことはあるで』
果実飴を口に含み、咀嚼する。果実特有の酸味と、これでもかと広がる甘さで口内が大混乱を引き起こした。
どうにかそれを飲み込んで、口を開く。
「なあアーラ。明日、お世話になった人達にお礼を言いに行かへん? レィタムさんとか、依頼人の人達とか、アーラの両親とかにさ」
「いいね! 多分これから大変だと思うけど、忙しくなる前に会っておかないとね!」
それから。
明日はどこから挨拶に行こうかとか、どういう恰好が相応しいかとか、言葉遣いは整えた方がいいかとか。
変わらない日常の延長を模索して、楽しんで、期待して。
櫛奈の神前祭は、その幕を下ろすのだった。




