第42話 虚飾のバニタス
「――ああ、接続が途切れてしまった。全く、堪え性の無いヤツだ」
ガラガラと砂利道を引きずる馬車の中、壮年の男がそう呟く。
窓を通して映る視界には、遠ざかる街の姿。シェイド・セントラルの街並みが輝いていた。
既に国境は越え、現在馬車が走るのは別の国。
最後まで見届けられないのは残念だが、今の男には一種の満足感があった。
「しかし凄いですねえ、ボス。あれだけ天使に啖呵を切れるだなんて」
「無論、勝算あってのものだ。でなければ天使などという化け物と対峙しようとは思わない」
「しかし何故、アイツとの取引を辞めたんですか? 順当にいけば、まず間違いなくあの国で天使に勝てる存在なんていないのに」
「わたしはわたし自身を投資の対象にはしない。あのままだとわたしは天使に憑依され、なりたくもない神となっていただろう。――なあ、バド。天使の憑依について情報は知っているかね」
バド、と呼ばれた男は目を泳がせ、そのまま隣に座る別の男へと質問を投げつけた。
「憑依対象は孤独であること。天使が憑依対象の血で染まっていないこと。――そしてそれらの条件を無視して、無理やり憑依することも可能。これが条件ですよね、バニタス様」
「そうだ。ならば初めからあの国の騎士団長へと憑依していれば、すぐに神へと至れたはずだ。だが、ヤツはそうしなかった。……理由は単純、それをすると騎士団長の自我まで奪ってしまうからだ」
目的だけを見据えるならば、きっとそれで良いのかもしれないが、トゥムクスの自我を奪わなかったのは何も天使が優しかった、という理由ではない。
彼は手に持った酒を一口含み、続ける。
「自我を奪うとは、即ち天使がトゥムクスの行っていた全てをこなす必要があるということだ。まだ神にもなれていないその人間の仕事を、わざわざ遂行しなければならない。ヤツはそれが、我慢ならなかったのだ。人間を見下し、侮り、嘲っている。故に嫌うのだ。人間の行っている行動及び努力、全てをな。結局、無理やり憑依するしかなくなったようだがな」
最早、その言葉は誰に聞かせるものでもない。ただ滔々と泡のように浮かぶ思考を吐き出すだけ。
「苦難こそ、真に信じるべき根拠なのだ。過程は覆らず、それらは未来さえ揺るがす。わたしはね、そこに飛び込んでいく人間こそ愛しているのだ」
酒の入ったグラスを掲げ、遠く見える街でそれを満たす。丁度、グラスの中に小さな街がすっぽりと収まるように。
「これからが本当の災事だ。わたしの信じた人間達よ、どうか足掻き抗い、勝ち取ってみせてくれ」




