第41話 神前祭⑩
何故何事も上手くいかない?
何故誰も期待通りの働きをしない?
数々の疑問が浮かび、それに答えを見出せずにただ反芻するのみ。やりきれない思いはある。そしてやはり納得もいかない。
決して難しい話ではなかった。筋書きは単純明快。子供でも対処できる内容なはずだ。
誰もいない廊下をただ、目的もなく歩き続ける。その思いを発散させる為と言えば、少々不合理だが、そうしなければ落ち着かなかった。
端的に表現するのであれば、彼女は苛立っていたのだ。
上手くいけば、いや上手くいく必要などない。ただ愚直に与えられた役割を遂行さえしていれば、望んだ結末を手に入れられたはずだった。
神前投票での不正も表沙汰にはならず、順当にバニタスが神の候補となっていただろう。トゥムクスの票数とは僅差になるよう細工する手筈だったこともあり、その目論見はほぼ担保されていると言えた。
想定と違ったのは、ただ一人の存在。
そしてバニタスの意味不明な行動。
これらが合わさり、彼女にとって最も不都合な結果となった。
圓富 櫛奈が神の候補として受け入れられる結果に。
「ああ、アリエル。こんなところにいたのか。随分と探したぞ」
城内の廊下を歩き回っていた彼女を呼び止めたのは、今最も話したい相手。
振り返ると、そこには脂汗を額に浮かばせる、小太りの中年男性がいた。
「バニタス。この結果について、釈明が必要ですか?」
冷たく、問い詰めるような口調。他者の声すら響かない厳かな空間を壊すように、緊張の亀裂が走る。
その空気に曝されるだけで大抵の人間ならば震えて声も出せない状況に、しかしバニタスはあっけらかんと肩を竦めてみせた。
「ああ。そのことだが、降りることにしたのだ。説明していなくて悪かった」
「降りる? 何の話でしょうか?」
「無論、貴女との取引だ。初めこそそれなりに金になると思ったがな。神のいない国に君臨する、異例の天使という存在。投資する価値はあると踏んだ。だがまあ、耄碌したのかどうにも当てが外れたな」
その場を支配していた空気が、さらに膨張する。
明確に溢れ出す、害意に臆する様子も見せない彼に、彼女の語気はさらに荒ぶる。
「勝手に投資対象にされて、勝手に捨てるとはとてもではありませんが正気を疑いますね。理由を伺っても?」
「投資家などそんなものだ。こんな得体の知れない人間に期待を抱いていたわけでもないだろう。しかし理由か。そんな大層なものでもないわけだが、単に投資先が変わったというだけの話だ」
「天使であるワタクシよりも価値がある存在が、この国にいると?」
「エントミクシナ。貴女が暗殺に失敗した彼女だ」
瞬間。
あれほどこの場を支配していた雰囲気が、露と消える。残されたのは変わらず無感情にバニタスを見つめる彼女と、狼狽える素振りすら取らないバニタス。
城内はいつも通りの静けさを取り戻したように見えた。
「面白い冗談ですね。余程彼女のことを買われているようで。八つの枢要財、バニタスともあろうお方も、仰っていた通り耄碌したご様子」
「……我々投資俱楽部の意向はな、未来ある投資先へとすぐに投資することだ。ヒトでもモノでも構わん。投資対象の遥かその先を見据え、できる限りの投資を行う。そうすることで、我々はここまでの存在となったのだ。……そして損切りもまた、即断で行うのがコツだ」
「聞き捨てなりませんね。ワタクシが、損であると?」
「未来のことまで勘定に入れると、軍配はクシナに上がる。それにわたしはまだ殺されたくないのでな。当然、利用されるつもりもない」
「……ワタクシが、誰を殺すと?」
僅かに、風が揺らぐ。城内に風は吹かないはずだが、流れる空気の気配が変わった。
「今更隠し立ても無しだ。何時から計画に組み込まれていたのかは知らないが、貴女はわたしを殺すつもりだった。いや、表現が少し違うな。殺すのではなく、憑依すると言った方が正しいか?」
「……そこまでお見通しとは。お見逸れしました」
「天使については色々と調べたからな。確か憑依にも条件があるのだったか。憑依対象が孤独であり、天使本体が対象の血で染まっていないこと。この対象の血というのが、肉親のものも含まれるのだろう? だから、トゥムクスの親を殺すというプランは取れなかった。間接的に、病死させるという回りくどい方法を取らざるを得なかった。だが、トゥムクスの肉親は生きる活力を手に入れ、無事に薬も手中に収めたことで彼を憑依の対象とすることができなくなった。時間を掛ければ可能だろうが、それは貴女の望むところではない」
淀みなく、すらすらと言葉が流れる。まるで独演会かのように話すバニタスは続けて自らを指差した。
「そこで、目を付けたのがわたし、というわけだろう? 神前祭という形で無理やりバニタスという存在を認知づけ、憑依後に問題なく神として振舞えるよう根回しした。尤も、それも失敗に終わるがな」
「失敗? ワタクシが? 意味が分かりません。まだ憑依対象は、目の前にいるじゃないですか」
アリエルの声と共に、その場全体で膨れ上がるのは目に見えない壁のような圧迫感。
一歩。さらに一歩と距離を詰め、彼女のその手が彼の頭部に伸びる。
常人ならば裸足で逃げ出すほどの圧力を前に、バニタスはそれでもおかしそうに笑うのだった。
「それが間違っていると言っているのだ。馬鹿め」
彼女の手がバニタスに触れる直前、その体は黒く歪み、形を変えた。
自然、天使の手も止まる。
「結論から言おう。貴女は何も得られない。憑依対象も、神という地位も、この国も。天使という強大な力を持つ存在が、地道な手法を取っていることが面白そうで手を組んだが……、実際見てみるとつまらない存在だった。様々な計画を立てては、失敗すれば今のように強引に自分の力へと変えようとする。面白味が無いのだ、貴女は。これならば、人間の方が余程面白い」
「……まだ手はあります。貴方の言う通り強引にはなりますが、騎士団長に無理やり憑依することもできますから。そうなれば彼の自我は消えてなくなり、彼を慕う人間からの信仰を集めることは難しくなるでしょうが、まあそれはいずれ考えるとしましょう。今は、この事情を知る貴方を消すこととします」
瞳が、その黒い存在を見据える。黒い何かは少しずつ形を変えて、煙のように消えていく。
それすらも見過ごすつもりはない。アリエルは行動する素振りさえ見せず、ただ目の前のそれに狙いを定め、放つ。
現れたのは光の槍。
吹いたのは一陣の風。
光は黒いそれを貫き、切り裂く。
肉片はない。血も出ない。確かに感じる違和はあるが、それに対する答えは持たない。
その疑問が顔に出ていたのか、それとも感じ取ったのか。散り行く残滓が、バニタスの肉声を紡ぐ。
「そうするだろうと、思っていた。だからわたしは虚ろを作ったのだ。虚ろ飾らう『虚飾』のバニタス。この程度の偽りならば容易に作れる」
「逃がしませんよ」
「言っておくがもうわたしの本体も、部下もこの国の外だ。貴女ならば探そうと思えば探せるだろうが……。いま、忙しいのではないかね?」
彼の声が途切れたと同時。背後に気配を感じ取った。
何故こうも矢継ぎ早に面倒ごとが舞い込んでくるのか。これもバニタスの仕業なのか。
行動するべきは何か。優先するべきことはどれか。思考は巡るものの、答えは出ない。
「……アリエル様? 何をされていたんですか?」
「何でもありませんよ」
否、答えならばずっと出ている。
この国で神として君臨するには、最早選択するべき行動は一つしかない。
アリエルは、その呼び掛けに応じるように振り返り、その声の主へと近づいていく。
僅かに、体が強張っている。緊張、あるいは警戒か。
だが彼は、この国の騎士団長であり、向かってくる者はこの国の賓客。
いきなり斬り掛かるようなことはしないだろう。
葛藤と惑いが混在する様子を眺めながら、アリエルはその手を伸ばす。
撫でるように、包み込むように。
彼の意思へと直接触れる。
気が付けば、アリエルの姿は消え、その場に残されたのはトゥムクスただ一人。
「――こうなっては強硬手段を取るしか無いですね。少々手荒ですが、国民には犠牲になってもらいましょう」
彼は事もなげに言葉を吐き出して、足早に立ち去るのだった。




