第35話 神前祭④
夜になっても街の活気は衰えず、お酒を出す店や煌びやかな明かりを灯すランプを飾ったりと、昼間とはまた違った雰囲気が流れている。
老若男女、楽しそうに通り過ぎていく住民達。アーラ達と別れた櫛奈もまたその様子にテンションが高揚していた。
『珍しいですね。こちらの世界でお一人の時間を過ごすことになるとは。ほとんど初めてなんじゃないですか? 今までは大体アーラさんと一緒にいましたから。どういった風の吹き回しです?』
『真の意味で一人にはもうなられへんけどな……』
気さくに話しかけてくる悪魔に肩を落としながらそう返す。
若干、このやり取りも受け入れつつある今の自分にも落ち度があるんじゃないかと思うものの、慣れてしまったものは仕方ない。
というか離れることもできないしどうしようもないのだが。
『うーん……。まあ別に理由もないんやけど。家族水入らずで過ごしてほしいやん。アーラにはいつもお世話になってるし、それにアーラを連れ出して本来家族で過ごすはずやった時間も奪ってる。これはウチがアーラ達にできる、精いっぱいの配慮みたいなもんやねん』
『そういうことならば、ワタシは何も言いません。クシナさんがそう思ったのならばそれを尊重します。ですが、一言貴方にお伝えするのなら、余計なお世話という言葉がピッタリでしょう』
『……それこそ、余計なお世話やわ』
『ふふふ、存じております』
本当は分かっている。この配慮もアーラ達にとっては不要なものであるということは。
しかしやはり櫛奈の心を占めるのは、後悔をしてほしくないという思い。自分達の家族のように、なってほしくなかった。
そんな櫛奈の模様をフェイレスも看破しているのだろう。なんとなく居心地が悪くなって、逃げるように別の話題へと急旋回させる。
『この時間やと職業提供連合会も開いてへんし、やることないねんなあ。暇やし、祭りを見て回るぐらいしかやることないわ』
『ならワタシが話し相手になって差し上げましょう』
『いらんいらん。アンタと話してたらまた変な能力買わされるやん』
『ですが、それで助かった場面もあるかと』
『……まあ、そうかもやけど』
それを言われると返す言葉もない。
実際、トゥムクスとの試合で良い勝負ができたのも基礎能力を上げていたおかげだし、魔獣襲撃の際にもその恩恵は如実に感じた。
素直にそのことを褒めるとフェイレスが調子に乗るのが目に見えていたので、適当にあしらいつつ櫛奈は一つ路地を逸れて散策を進める。
出店が立ち並ぶ大通りの雰囲気も良かったが、遠巻きに賑わいが聞こえる場所ながら、人通りが少ない路地もまた趣がある。
『人の目が少ないですね。お気を付けください。またどこぞの輩に声を掛けられるかもしれませんから』
『へえ、ずいぶん優しいやん? ウチの保護者みたいや』
『貴方は大切なパートナーですから。傷つけられるのはワタシとしても不本意です。まあクシナさんほどの実力があれば街のチンピラ共など取るに足らないでしょうが』
『ようそんな心にもないことベラベラ喋れるなあ』
『ふふふ、本心ですからね。悪魔はウソは言いませんよ』
どこか楽しそうなフェイレスの声を聞きながら夜の街を歩き回る。
裏路地は怪しい雰囲気が漂っているかと思えばそんなことはなく、祭りだからか少なからず人はいて、誰もが浮かれた調子ですれ違っていく。
確かに、と。櫛奈はフェイレスの言葉を咀嚼する。
そういう日だからこそ、より緊張感を持った方がいいのかもしれない。
特別な日は人の心のタガを外させる。ナンパみたいなことをされて、変に目立つことは避けたかった。
「お嬢さん。良ければわたしとお茶をしようじゃないか」
そんな折、早々に背後から男性に声を掛けられる。
心構えならできていた。以前ナンパされた時は耐性など皆無だったので対応が出遅れてしまったが、今回はキッパリと断る準備ができている。
「あの、生憎忙しいんで。お茶には一人で行ってください」
決まった。初っ端からこれだけ壁を張られては向こうもそれ以上何も言えないだろう。
勝ち誇ったような表情を浮かべる彼女は、どんな人物が声を掛けてきたのだろうと、振り返った。
「え、あれ? アンタ――」
そこにいたのは胸を張った小太りの男。
昼過ぎに宿を訪れていたバニタスだった。
「なんでアンタがここに――」
思わぬ珍客。そのことを追求しようとする前に、櫛奈の視線が彼の背後に及んだ。
優に二メートル近くあろうかという身長に、岩のように隆起した筋骨。厳つい顔をしたスキンヘッドの男に、櫛奈は見覚えがあったのだ。
「あっ、アンタこの前アーラの家にバドと来てたおっちゃんやん!」
「ぐっ、あの時の小娘……! 覚えていたのか……」
「もちろん、って言いたいところやねんけど、ごめん。名前までは憶えてへんわ」
ばつが悪そうに苦い顔を見せる男に、櫛奈は何となくこの場が有利になったような気になる。
フェイレスの能力のおかげだが、一度打ち負かした相手だ。見知らぬ土地に顔馴染みを見つけた時のような感覚に近い。先ほどまであった緊張感は薄れていた。
それに、バドとは違ってこの男は善人寄りの人間だと、二度目の邂逅ながら櫛奈はそう判断していた。
「まあ、この前のことは水に流して、改めて自己紹介しようや。ウチは圓富 櫛奈。アンタは?」
「……傭兵のグライドだ。今はバニタス様に仕えている。……言っておくが慣れあうつもりは無いぞ」
「つれへんなあ。仲良くしようや」
挨拶もそこそこ。片やコミュニケーションを取ろうとする櫛奈に、いつまでも距離を取ろうとするグライド。そのやり取りを止めたのは、一つの咳払いだった。
「仲がいいのは結構なことだが、そろそろ本題に入ってもいいか?」
「あ、すみません。あと別に仲良くはないんです」
再度バニタスへと向き直る。
そもそも。
何故自分がバニタスに声を掛けられなければならないのか。
一人になったこのタイミングを狙われていた?
疑問は尽きない。
再び警戒心を取り戻した櫛奈に、バニタスはその髭を触りながら彼女を眺める。
文字通りつま先から頭頂まで。品定めのような不愉快な目線に、思わず悪寒が走る。
「ふむ……、聞いていたよりは華奢だ。カリスマがあるようにも見えない」
「あ、あの~……。ウチになんか用ですか?」
舐められているかのような気色悪い視線に我慢できず、そう尋ねる。バニタスは少し目を瞑って、やがて真っ直ぐ瞳で櫛奈の目を見た。
「お嬢さん。ビニグス村の件で、中級クラスの魔獣を倒したと聞いたが、貴女で間違いないか?」
「え? それは、ウチがやったけど……」
中級クラスといえば、人型の魔獣のことだろう。フェイレスもそう言っていたので、間違いはないはずだ。
「なるほど。実力は申し分なし。中級クラスに勝てる人間はこの国ではかの騎士団長ぐらいだろうしな。であれば、問題はないか……」
「あの……、さっきから何をブツブツ……」
緊張を通り越して怖くなってきた。このまま帰ってもいいだろうか、と。その思考が鎌首をもたげてきたと同時、バニタスはその表情を崩し、芝居じみた友好的な笑みを見せた。
「決めたぞ。お嬢さん、貴女に投資させていただく。良ければ、わたしと取引をしないか?」
「取引?」
そのワードを聞いて、まず思い浮かんだのは傍らに今もいるはずのフェイレスのこと。彼も始めにそう持ち掛けてきた。
結果として、現実世界とこちらの世界を行き来するようになって、命がけのこともさせられたりしている。
これまでのそういった経験が、櫛奈に取引を拒否するよう促していた。
『クシナさん、取引するのは双方がメリットを感じた時だけがよろしいかと』
『アンタはちょっと黙っといて』
いったいどの口が言えるのだろう。まあフェイレスに口は無いのだが。
「悪いんですけど。よく知らん人間から持ち掛けられる取引は……」
「そう仰るな。聞くところによれば、お嬢さんは神になりたいそうじゃないか」
「……なんでそれを」
「投資俱楽部の情報網を甘く見るな。その気になれば金の力で何でも調べられる。……まあそのことはいいだろう。とにかく、神になりたいお嬢さんと、神になりたくないわたしとで手を組みたいと思ってな。そういった意味での取引だ」
「ちょっと待って。神になりたくない? それってどういう意味なんですか?」
神前祭にはバニタスも神の候補として名前が挙がっている。しかも宿で会った時にはしっかりと投票するように呼びかけまで行っていた。
にもかかわらず、正反対のことを言っているのは、どういう意図なのだろうか。
混乱が、バニタスへの不信感へと変わりつつある。
「どういう意味も何もない。わたしは無理やり、神前祭にて候補として選ばれたのだ。これはわたしの望むところではないし、実際民もまた、こんなよく分からない人間が神候補などと訝しんでいるだろう」
「無理やりって……。ほな辞めればいいんとちゃいますん? 別に辞退もできるんでしょ」
「そうできないからこうしてお嬢さんと取引をしようという話になっているんだ。本来、わたしは裏方に徹するはずだったのだが……。全く、とんでもない役回りをさせてくれる」
哀れみすら覚えるほどにうんざりしたような表情のバニタスに、少し不信感は払拭されるものの彼のことを信頼できないことに変わりはない。
警戒心を解かない櫛奈に、不意にフェイレスが囁いた。
『気になりませんか? 彼を裏で操っている人物が』
『……まあ、気にならんって言えばウソやけど。そんなん分からんやろ』
『ええ。普通の人間同士、やり取りをしているのなら、ワタシには分かりかねます。ですが、彼の裏にいるのは、人ではないようで』
『人じゃない……? 魔獣とか、神とか?』
『天使です』
『……っ!?』
聞き覚えのあるワード。つい最近聞いたその言葉に、思わず驚きが顔に出てしまう。当然、目の前にいるバニタスは怪訝な顔を見せるが、櫛奈はすぐに愛想笑いで誤魔化した。
「あ~……、バニタスさんも困ることとかあるんやなって。驚いちゃいまして」
「人間だからな。想定外のことに苦しめられるのは、世の常だろう。だが、まあいい加減それも飽きてきてな。少し別の場所で新たに取引をしたくなったのだ」
肩を竦めて首を振るバニタス。
どうするべきか判断に迷う。貴方は天使と繋がっているのか、と。馬鹿正直に尋ねていいものか。
はぐらかされるか、もしくは最悪口封じをされるか。可能性は無くはない。
だが、もし彼が天使のことを快く思っていないのであれば、関係性は分かりやすくなる。
あるいは味方にだってなれるかもしれない。
だから、意を決して疑問の種を彼にぶつける。
「あの、バニタスさんを困らせてる原因って……。もしかして天使、ですか?」
「……は?」
見せたのはそれまであったどこか余裕のある表情ではなく、鳩が豆鉄砲を食ったような理解ができないという間抜けなそれ。
しかし、さすがというべきだろうか。すぐにその顔はまた余裕を作った表情に戻る。
「いやはや、慧眼だな。別に隠すつもりも無かったが、かと言って悟らせるつもりも無かった……。何故分かった?」
「あ~……、えっとですね……」
まずい。天使のことは聞いたが、それを知った経緯までは話せない。すぐにフェイレスに相談を持ち掛ける。
『ホンマに合ってたやん!? なんで分かったん?』
『この世の万物には神聖、というものがございます。言わばオーラのようなもの。通常、人間が持つ神聖はおよそゼロに等しいのですが、彼からは僅かながら神聖を感じます』
『それがこの前会った天使と同じやったってこと?』
『神聖にも個性がありまして。人が感じる味覚と同じように、それを持つモノの色が僅かながら反映されるのです。尤も、これを知覚できるのは神に並ぶ存在のみでしょうが』
さも当然のように語るフェイレスの回答を聞いて、そのまま答えてもいいものか迷う。先ほどフェイレスは神に並ぶ存在のみが知覚できると言っていた。
ただの人間である櫛奈がそれを知っているのはおかしくないか。
『買いませんか? この能力』
『え? その、神聖を知覚できるって能力のこと?』
『ええ。この資質は【神聖感応】。このままの話の流れだと入用になるのは必至かと』
確かに神聖が分かると説明して、その都度フェイレスに聞くのも面倒だしラグが発生する。
それならば持っておいた方がいい力なのかもしれない。櫛奈はフェイレスにその能力を購入する旨を伝える。
その直後だった。
バニタスの体の一部から、青い靄が立ち上っているのが見えるようになった。
なるほど、これが神聖というものか。
「実は自分、神聖が視えるんですよ。バニタスさんの体の一部から、神聖が視えまして。それが以前襲ってきた奴と同じ色だったんで、もしかしてと思って……」
「……なるほどな。いやはや合点がいった。神聖まで視えているとは。通りで、ヤツが仕留め損ねるわけだ」
「認めるんですね。ウチを殺そうとした天使と繋がってるって」
「ああ。お嬢さんの言う通り、そして考えている通りだ。わたしは天使と手を組んでいた。もちろん、今も契約状態にある。だが、わたしはそれを手放したいと思っていてな。神の座は、わたしには過ぎたものだ」
「やから、ウチに譲ってくれるって? ウチを殺そうと企んでる天使と、共謀してる人の言うことなんて信じられませんけど」
「その通りだ。そしてわたしは別段その信用を払拭しようとも思っていない」
「……どういう意味です?」
言葉の真意が汲み取れない。その素直な疑問に、バニタスは大仰に腕を仰いで見せた。
「取引とは、いかに互いに得をするか、だ。損のする取引などあってはならない。故にわたしが提示するのは、劇的にお嬢さんへと国民の注目を浴びさせることを約束しよう。そうなることで、この国での信仰に困ることはなくなるだろう。どうだ? これはお嬢さんの望むものだろう」
「……そもそも、話を受けるなんて言ってませんけど」
「だが、魅力的だろう。本当にそれが約束されるのなら、条件次第では取引をしてもいいと思っているはずだ」
条件次第。その通りだ。櫛奈にとって利のある話ばかりだからこそ疑ってしまう。
言葉を濁していると、さらにバニタスはその言葉で距離を詰めてくる。
「わたしの利益はヤツの計画を頓挫させること。その為に、お嬢さんを利用したくてな」
利用、と。事もなげにそう言いのけるバニタスに対して、頭が痛くなるもののしかし、前半の内容には興味がわく。
「計画の頓挫? 具体的にどんなことするんです?」
「お嬢さんならば、きっとそう来てくれると思っていた」
ニヤリと口角を上げるバニタスは、懐から一通の手紙を取り出した。
「詳しい話はそこに書いてある。もし、取引に応じてくれるのならば、明日の日の出の時間に、今いるここで落ち合おうじゃないか」
半ば押し付けるように無理やり手紙を渡し、彼は踵を返す。
置いて行かれたグライドは少し間をおいて溜息を吐いた。
「全く、ようやく安全な職場に付けたと思ったのだがな……」
「なんや、ウチが絡んだら物騒になるみたいな物言いやな」
「少なくとも俺の認識ではそうだがな」
「いやいや、どう考えてもあのバニタスって人がまともなわけないんやから。おっちゃん、もっとマシな仕事見つけなアカンで」
「いや、小娘。お前も大概だと思うけどな」
ふっと笑ったかと思えば、グライドもまたバニタスを追い掛けるように、路地の闇へと消えていく。
『中々面白い人間しかいませんね』
『アンタも大概やで』
先ほどまであった非日常は消え去って、何でもない日常が戻っている。
ただ先ほどのやり取りが現実であることを主張するように、受け取った手紙が手の中でその存在感を露わにしていて。
遠くからは祭りの賑わいが聞こえてくるのだった。




