第33話 神前祭②
白塗りの壁に、屋根は木材。窓も必要最低限しかなく、客を迎え入れる扉は年季の入った木造で、それら特徴は街に並ぶ様々な建築物とそれほど大差はない。
初めて見ると、そこが宿屋であることなど分からないぐらいには街に溶け込んでいるわけだが、しかしアーラは躊躇うことなく扉を開ける。
「ごめんください」
挨拶と共に室内へと入る彼女に続いて、櫛奈も足を踏み入れる。
入ってみれば確かに宿屋であることを実感できる内装だった。
天井から吊るされたランプが柔らかくその部屋全体を照らし、不安な気持ちが払拭される。壁や床には汚れや目立った傷が見られず、清潔感すら感じられる。入って右手にはカウンターがあり、左手には机や椅子が設けられていてちょっとした談話スペースのような場所がある。
知る人ぞ知る旅館を思わせるような、狭いながらも温かみのある空間だ。
「あれ? いないのかな?」
入口から辺りを見回しても室内に人の姿はない。当然カウンターにも人がいないので、これでは泊まる為の受付も済ませることができない。
耳をすませば、聞こえてくるのは背後の扉から賑わう大通りの喧騒と――
「奥の部屋から何か……?」
アーラが呟き、視線を向けた先。入口から正面にある一つの扉に意識が向けられている。彼女が感じ取った違和感には櫛奈も気づいていた。
人気のないエントランスだが、その扉から声が漏れ出ている。はっきりとは聞こえないが、会話しているような雰囲気だ。
櫛奈はアーラと目配せし、頷き合った。
いつまでもエントランスで聞き耳を立てているわけのもいかない。もしかしたら客が来たことに気が付いていないだけかもしれない。
余計なお世話であることは理解しながらも、櫛奈は人の気配がするその扉を開ける。
「すみません~……受付したいんですけど……」
果たしてそこにいたのは机を挟んで向かい合う男性二人。
そしてその内の片方には見覚えがあった。
「あ、アンタはあん時の――」
「げっ!? お前はあの時の小娘!?」
お互いに声を上げたものの、櫛奈はその間も記憶を掘り出す作業に勤しんでいた。
目の前で偉そうな態度を取っている小柄な男。彼は以前アーラの家で見かけたが、その時も似たような状況だった気がしている。
アーラの家の土地を契約しにきたにも関わらず、情けなくその場を後にしていった彼の名前は確か――
「ああ、名前思い出せたわ。バドさんやん。なに? また悪いことしてるん?」
「悪いことじゃねえわ! ちゃんと国公認の仕事やってんだよこっちは!」
苦々しい顔をしながら一枚の紙を見せてくる。大きく土地改良事業、と掲げられているものの、詳細については文字が細かく書かれすぎていてどこを読めばいいのか分からなかった。ただ、話の流れからそれが国からの認定証みたいなものかと推測する。
「で、なんだ? そっちこそまた俺の仕事の邪魔をしに来たのか?」
「いや、ウチらただ宿に泊まりに来ただけやってんけど……」
ちらりと視線をバドの対面に座る男へとスライドさせる。
もぬけの受付に、何やら土地買いと会話している人物。状況から察するにその人物がこの宿屋のオーナーだろう。気の優しそうな雰囲気を持っていて、この宿に相応しい印象を受ける。
櫛奈の視線を受けたおかげか、喋る機会を逸していたその男性は申し訳なさそうに眉尻を下げながら立ち上がった。
「これはこれは……! お待たせしてしまい申し訳ございません! 私この宿のオーナーをやらせてもらっています」
「オーナーさん。お久しぶりです」
「ああ、アーラお嬢さんもいらっしゃっていたんですね。お久しぶりでごさいます」
後ろにいたアーラがひょこっと顔を覗かせて、櫛奈越しに挨拶を交わす。顔を覚えられているほど仲が良かったのかと、ぼんやりとそう考えながら、櫛奈は部屋に足を踏み入れそれにアーラも続いて入室する。
心配そうな表情を見せる彼女はすぐにオーナーの元へ駆け寄り、声を掛けた。
「大丈夫ですか? この男に何もされてませんか?」
「おいガキ。俺をなんだと思ってるんだ」
背後のバドからそんなツッコミが入るものの、アーラは振り返ることもしない。
そんな健気な彼女に、オーナーは初め驚いた顔をするものの、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。相変わらず優しい方ですね……。心配を掛けさせて申し訳ございません。ご安心してください。この方とは少し今後の経営に関して話していただけで、何もされてませんよ」
「本当ですか? このバドって人、私の家を奪おうとした人なんです。……もしかして、この宿も買われようとしてるんじゃないんですか?」
「それは……」
オーナーの言葉が詰まった。やはりか、と櫛奈はバドを睨み付ける。
「いやいや! 俺を睨むなって! 俺だって仕事でやってるんだよ! 国からの命令で仕方なくな」
「ホンマに~?」
「噓じゃねえ。国から言われてんだよ! 国の発展のために土地の権利を方々から集めてこいってな。このままだと国は崩壊する。神を決めるよう動いちゃいるが絶対に神になれるとも限らねえ。だから万が一に備えて管理下に置いておくってところだな」
「いや、そんなん急に言われても無理ちゃう? 今まで住んできた場所をはいそうですかって簡単に手放されへんやろ」
「まあまあ、国もそこまで鬼じゃねえ。そういうやつらのために、一定の金を納めれば免除する逃げ道も用意してある。ほらよ、これが今回の契約書だ」
バドが渡してきた資料に目を通す。確かにそこにはバドが言った通りの内容が書かれている。
この土地の権利を莫大な金額で買い取るということ。それが難しい場合は同様の金額を支払うことで今回の土地改良事業の対象外となること。
その額は――
「金貨百枚……!?」
「愛着のあるものに付けられた額にしちゃあ安いもんだろ。この土地は、それだけの価値があるって話だ。光栄に思えよな」
「いやいや、こんなん無理やろ」
櫛奈からすれば目もくらむような額だ。どう考えてもすぐに結論が出せるようなものでもない。
この国の住民達は皆一様に頑張っている。それはここを訪れて日の浅い櫛奈でさえ感じ取れることだった。
だが、国の中枢はというと、それら住民達の努力を無視するかのようにこういった施策を打ち出している。
そういった理不尽な事実を目の当たりにした櫛奈は、またも国からの遣いであるバドを睨む。
「アンタ、前回から全ッ然懲りてへんみたいやな。なんでこんな酷いこと平気でできるん? 人情とかそういうん無いん?」
「いやいや。俺だって可哀想だなって思ってるよ。だけどな、国からの直々のお達しなわけだし、俺だって逆らえねえんだよ。まあしょうがねえよな」
ゆるゆると首を横に振るバドは、言葉とは裏腹に微塵も憐れんでいる様子は見せず、それがさらに癪に障る。
この男はどこまでいっても姑息だ。より大きな庇護の下に自らを置き、好き放題してもいいと思っている態度が滲み出ている。
そういった自分勝手な人間を、櫛奈は許せるほど年を重ねていない。
「ホンマに、いい加減にせんと――」
「何か、揉めているようだな」
ついに櫛奈がバドに詰め寄ろうと一歩踏み出したところで後方、この部屋の入口からまた別の男の声が部屋に響いた。
聴き馴染みのない声音。振り返って見てみると、そこには立派な髭を蓄えた小太りの男が得意げに鼻を鳴らしている。
誰だろう、と。視線だけを向けてアーラに問いかけるも、彼女も小さく首を横に振るばかり。呆気に取られていると、最初に話し始めたのは意外にもこの宿のオーナーだった。
「あ、あのもしかしてバニタスさんですか?」
「いかにも。投資俱楽部にて八人いる長の一人、枢要財『虚飾』のバニタスとはわたしのこと」
胸を張りながらそう自己紹介するバニタス。櫛奈はその名前に聞き覚えがあった。
「バニタスって、ここに来るとき名前聞いたな。というか投資俱楽部って、名前からしてなんか怪しない?」
「何を言う! 投資俱楽部ほど健全な団体もないぞ! お金が全てを解決するこの世界において、我々は投資を目的に活動している。見通しの悪い未来に対して、種を蒔くのだ」
「種?」
「そうだ。金銭は全ての願いを叶えると同時、それは障壁ともなりやすい。この広い世界、金銭的に苦労している人間も多いだろう。我々はそうした人々に対して、投資するのだ。できないことが可能になる。死ぬ運命だった命が生き永らえる。時として種は芽吹き、立派な大輪となるだろう。それを願う団体だ、投資俱楽部というのは」
流暢にそう語り、大笑するバニタス。
なるほど、思ったよりも胡散臭い。
まず彼らには何もメリットが無いというのが引っかかる。投資するからには彼らにもリターンがあるはずだが、彼はそれを語らなかった。聞けば教えてくれるだろうが、こちらに対してのメリットばかり提示する人間には気を付けろ、というのは現代において必要な考慮材料だ。
そういう輩には耳を貸さないのが一番だ。
「納得いっていない顔だな」
「まあ、そうですね」
「ふん、ならばこの場をわたしが取りまとめようじゃないか」
「……ん? それってどういう意味なん?」
「実は話が聞こえていてな。お金が入り用なのだろう? オーナー」
バニタスの視線がこの宿のオーナーへと向けられる。彼は戸惑いながら目を泳がせて、しかし観念した様子で、「お恥ずかしながら」、と小さく返す。
それを受けて満足したのか、バニタスの声のボリュームがより一層大きくなった。
「ということだ。そこの仲介人。額を教えたまえ。今すぐに払おう」
仲介人、というのはバドのことだろう。バニタスが契約を進めようとするが、慌ててオーナーが横入りする。
「ちょ、ちょっと待ってください! お金を払っていただくなんて、そんなことできません!」
「なんだ、この宿を手放すつもりだったのか?」
「……いえ、ここを諦めるつもりもありませんが……」
「では提示された額を払う経済力があるのか?」
「……それも、ありません」
「ならばここはわたしが払おう。なに、わたしにとっては大した額じゃない。その代わりと言ってはなんだが……」
バニタスが懐から一枚の紙を取り出し、オーナーに渡す。
「それはこの神前祭での投票用紙でな。ここでお金を出す代わりに、その用紙にわたしの名前を書いてほしいのだ」
「え、それだけでいいんですか?」
「神になるためには手段は選んでられんからな。寧ろ安いぐらいだ」
やはり商人が言っていた通り、彼は神に選ばれるつもりのようだった。恐らくこういうことをして票を稼ぐつもりなのだろう。
金にモノを言わせる遣り口はあまり好きではないが、使えるモノはできる限り利用する彼の思想には共感できる。それも、人を傷つける使い方ではないのなら、文句も出るはずがない。
しかしやはり、拭えないのは不信感。いきなり現れた彼をどうしても櫛奈は信頼できない。
それはアーラも同じようで、不安そうな表情でオーナーに確認する。
「本当に、大丈夫ですか?」
「……この宿を失うことよりも、辛いことはありませんから。バニタスさんのお話は、喜んでお受けしようと思います。ですので、お気になさらないでください。寧ろ不安にさせたことをお詫びしなければなりませんね」
「そんなそんな! 頭を上げてください!」
人間ってこんなに曲がるんだと思うほど、礼儀正しく頭を下げるオーナーを慌ててアーラと共に止める。
しかし彼の意思としては、バニタスを頼ることにしたようだ。それに対して、外野である櫛奈やアーラが口出しをできるはずもない。
「交渉成立だな」
一歩、バニタスは前へ出て注目を浴びる。
視線はバドへ。未だに偉そうに座ったままの彼は、無言で歩み寄ったバニタスに対して警戒心むき出しの表情を見せている。
「バド、と言ったな。お前、延いては国が望むモノをくれてやる。好きな額を書くといい」
言いながら懐から出したのは一枚の紙。その紙にどのような効力があるのか、櫛奈は知らない。
だが、好きな額を書いてもいいという言葉を鵜呑みにするなら、それはきっと小切手のようなものなのだと推測できる。
「おい。この紙切れに効果があるって、どうやって証明すんだよ」
「それならこの街の銀行に行くといい。金額を書いてその紙を見せれば、応じた額を貰える。金額は払ったからな。お前の持っている書類への記載も進めてくれ」
「いや、まだ金は払ってねえだろ」
「安心しろ、きちんと払う。この場は宿のオーナーが払ったことにして、書類を進めよう。それが終わった後なら、銀行にもついて行ってやらんこともない」
「ああ。アンタは信用ならねえからな。逃げられても困るし、俺と一緒に来てもらう」
「いいだろう」
バニタスは頷き、こちらへと、正確にはオーナーの方へ振り返った。
「これで面倒な国との衝突は避けられたはずだ。この紙が、きちんとお金を払ったことの証明となる」
一枚の紙がオーナーに手渡される。そこには確かに、お金をきちんと支払ったことが書かれており、バドのサインも加えられていた。
「ああ、ありがとうございます……! どのようにお礼をすれば……」
「気にするな。オーナーは、わたしとの約束を守ってくれさえすればいい」
「……分かりました。必ず、貴方に投票します」
そう告げたオーナーに、バニタスが肩を叩いてすれ違う。
「あっ、ちょっと待てって!」
遅れたようにバドも彼を追いかけ、あっという間にその場は静寂に包まれたのだった。




