第26話 魔獣襲撃⑤
彼は傭兵として名が知られていた。
傭兵にもランクというものが存在していて、彼のランクは全部で五つあるうちの上から二つ目。それはそこそこ腕が立つという証左でもあった。
西の国に破壊の竜が現れたという話を聞けば、討伐体を立ち上げこれを撃退。東の街で抗争が起きれば有志を募りこれを鎮圧。いつしか彼の活躍を囃す声が多くなり、その後いくつもの依頼をこなしやがてその名前を轟かせていった。
評価されるべきはその性格であった。有事の際には同氏を集う判断力と行動力、そして自分一人では力不足だという謙虚な心。これらが合わさり彼の力というよりも、彼自身に惹かれる人が多かった。
もちろん彼が持つ力も語る上では外せない。彼が振るう剣には剣神の加護が授けられており、その威力は絶大。
事実、竜を退けたのも彼の一閃によるものだ。それらの要素が彼の評判を高めていった。
という記憶を魔獣であるムジナは有していた。
これは、その彼を食ったムジナの記憶。魔獣は彼の声帯、肉体、技、知識、経験全てを自らのモノにしていた。
その心以外は。
――アレは、ナンダ?
彼、もとい魔獣はその目を疑った。目の前で起きている光景が到底信じられなかった。
有する記憶のどれとも合致しない、未知との遭遇。魔獣はまだ見ぬ強敵と相対していた。
――あのオンナは、ナンナンダ!
たった一人の女だった。自分の能力があれば容易に倒せると踏んでいた。すぐに終わると、そう思っていた。
しかし現実、おかしい状況になっている。
周りには同じく人間を食った同胞が複数いた。
戦斧のシルセス。
彼はその体躯よりも大きい斧を振り回し、巨大な岸壁すらもかち割ったという噂がある戦士だ。傭兵としてはまずまず名が通っているらしいが記憶を有するムジナはあまり知らなかった。
だが大きい斧は見掛け倒しではなさそうで、軽々しく振り回すその様は戦斧と異名がつくにふさわしかった。
双剣のスゥイダルグ。
その両手に持つ双剣はなんでも特別な素材を用いられているらしく、頑丈であり軽い。そこから繰り出される斬撃はゴーレムの身体をも易々と切り刻み、彼自身のその瞬発力は目で追うことすら叶わない。
拳闘士のサンガバ。
彼はその拳に炎を宿し、爆発と火炎により凄まじい攻撃力を放つ。名前は知らなかったが、その手で多くの魔獣を屠ってきたらしい。
神術使いのセオ。
ムジナが記憶の中で名前を唯一知っていた男。様々なパーティに傭兵として参加し、戦況をサポート及び敵への弱体化神術を使ったり、そのまま本人も神術を用いて魔獣を討伐しており、その活躍から名前が知れ渡っていた。
今目の前で彼らは一人の女性と戦っている。言わば一対四の状況。負けるはずがない。負ける理由がないのだ。
しかし彼女と敵対する四体の姿は、一瞬にして黒い霧となって消えた。
倒されたのだ。ただの一撃も与えることなく、たった数刻の時間稼ぎすらもできずに。
四人の猛者だったやつらが倒された。
次元が違う。アレには勝てない。戦う前から、勝てるイメージが湧かない。
逃げ――
「あとアンタだけやな」
彼女から背を向けた直後、掛けられたその声に振り返る暇もなく。
ムジナの意識は、そこで途絶えた。
■
「なんや、これで終わり?」
あれだけいた人々の姿は消え、すっかり櫛奈一人になってしまった。木々のざわめきや遠くからは雄々しい声が響いて聞こえる。
「……不快やわ」
魔獣とはいえ、人の姿をした存在をできれば相手したくはない。かと言って、野放しにもできない。結果、櫛奈の中に蟠りが残るのだった。
この間も誰かが戦っている。この場所がフリーになったのならば今戦闘が起きている場所に手助けに行くべきだろう。
『クシナさん』
頭を切り替え、早速駆け出そうとした櫛奈をフェイレスが呼び止めた。そんな声に構っている暇もないはずだった。
彼の言葉には強制力も影響力もない。気にしなければいいだけ。
けれど櫛奈は立ち止まり、そして振り返る。
さっきまでは人ひとりいないはずだった。人が来た気配もしなかった。
櫛奈が振り返ったのはなんとなく、本当にただそれだけだった。
彼女の視線の先、そこには見慣れない人影が一つ。
「……誰や?」
ローブ姿の出で立ちでその顔は闇夜のせいかよく見えない。恐らく村人ではないはずだ。ならばたまたま迷い込んでしまった旅人か何かだろうか。
ただ、それも違うと櫛奈は本能的に否定する。
目の前のローブ姿が放つ雰囲気。あるいは存在感とでも言えばいいだろうか、その存在から目を離してはいけないと、脳が勝手に判断している。
そしてどうやらそれは、傍らにいるフェイレスも同じらしかった。
『クシナさん、気を付けてください。アレは――』
彼の言葉を、最後まで聞くことは叶わなかった。
衝撃。
そして次に視認。
気が付けば遠くにいたローブ姿のそれは眼前にいた。手にした得物は眩く光る槍のようなもの。咄嗟にその一突きを竹刀で防いだものの、重く力強いそれに弾き飛ばされる。
「――っ」
その背が小丘に叩きつけられ、肺の中の空気が強制的に吐き出される。遅れて、痛みが全身に広がった。
さらなる追撃が迫る。
退路は、ない。
「やばっ――」
追加の一撃を竹刀で抑えるものの、それ以上の抵抗は不可能だ。
鍔迫り合いの状況の中、圧倒的な力を押し付けられている状況で、櫛奈ができることは襲撃者に話しかけることしかなかった。
それで、どうにか時間を稼ぐしかない。
「なあ、アンタなんでこんなこと……」
間近で見て、ようやく気付く。ローブ姿の顔はあどけない少女のような顔立ちで、まだ櫛奈ほどの年齢にすら達していないようにも映った。
そんな彼女に襲われるようなことをした覚えもない。何故こんなことを、と問わずにはいられなかった。
そもそもどうせ会話など成立しない。
そう櫛奈は考えていたのだが、意外にも甘くキレイな声が返ってきた。
「残念ですが、貴女が何故死ぬのかを語る時間はありません」
会話が成り立つ。その事実に少しだけ希望を見出すが、しかし眼前にて見える彼女からは殺気が消えない。それどころかより鋭さを増したような気さえする。
「貴女が一人になってくれて助かりました。おかげであっさりと、今回もレィタム=ルムダに関わる人間を殺せる」
「はあ? どういう意味やそれ!」
「言葉の通りですが。まあもう時間も惜しいので、死んでください」
彼女の背後に二筋の光が生成される。
本格的にマズい。思考を巡らせるもののこの場を凌ぐ方法は何も思いつかない。
背中を、いやな汗がつたう。
心臓が、けたたましく脈を打つ。
時間にして一秒にも満たない間だったが、櫛奈にとって数秒、十数秒にも感じられた。
「ヤバ……っ」
吐息のように吐き出された言葉。
そして二筋の光が発射される、その直前。
聞き慣れた声が響いた。
「クシナ! 助けに来たよ!」
アーラの声だ。そう認識するよりも早く、櫛奈に掛かっていた圧が消えていた。目の前にいたはずのローブ姿の彼女は消えており、竹刀を握るその手には彼女の攻撃を受け止めたその重さが残っている。
「クシナさん。大丈夫ですか?」
どうやらトゥムクスもいるようだった。現れた援軍を見て、逃げたのだろうか。
――幻、ってわけやなさそうやけど。
いずれにせよアーラとトゥムクスのおかげで窮地を脱することができた。体勢を元に戻し、丘を登って彼女たちと合流する。
「だ、大丈夫!? 何か疲れたような顔してるけど……」
「……うん、来てくれて助かったわ。ありがとうな」
「来てくれて助かったって……。まだ何もしてないよ?」
不思議そうな顔をする彼女の顔を見て、張り詰めていた緊張の糸がほぐれた。ついつい笑みがこぼれてしまう。そんな櫛奈の表情を見ていたアーラだったが、すぐにキョロキョロと辺りを見渡した。
「それよりも魔獣は!? 村の人達が人型の魔獣が出たって教えてくれたんだけど……」
「そいつらはウチが倒したから安心し。ここにはもう魔獣はおらんから」
「そうなの? クシナ一人で倒したってこと!?」
「そうやで。いやあ、びっくりしたわ。いきなり見た目人間な魔獣が出てくるんやもん」
しかし、いずれの人型魔獣も騎士団長ほどの力は無かった。昼に彼と模擬戦闘をしていて良かったと、いま心からそう思える。
「さすがクシナだね! 私の方もほとんど片付いたから、村の人達に見てもらってるの」
「そうなんや。……騎士団長の方も大丈夫なん?」
何やら村人たちと話していた騎士団長に尋ねる。彼はこちらを気遣う視線を向けつつも、しっかりとその問いには答えてくれた。
「ええ。お二人のおかげで避難は滞りなく済みました。魔獣の数も随分と減ったようですし、後は夜明けまで警戒していればいいかと」
「ウチらも手伝うで」
「……お気持ちは嬉しいのですが、ここはビニグス村です。彼ら自身で守らなければならない大事な居場所。これ以上よその人の手を借りるのはよくありません」
「言いたいことは分かるんやけど……」
「大丈夫です。信頼してやってください。それに、いざとなれば貴女方の力をまたお借りしますから。お呼びするまでは、休息を取っていてください」
ニコリ、と。穏やかな笑みを浮かべそう話すトゥムクス。
大人な対応をされているなと、そう感じる。しかし彼の言葉には敬意も含まれていた。
そこまで完璧に、お役御免を告げられてはここから何を言っても櫛奈自身のワガママになってしまうだろう。
「……うん、わかったわ。ただ何か起きたら遠慮しやんと起こしてや」
「ええ。その時はお願いします」
そのトゥムクスの言葉に甘えることにして、避難所である孤児院へと向かう。
満身創痍の身体に鞭をうちながらも、アーラに心配を掛けさせまいといつも通り歩き始める櫛奈。それを追うようにアーラも後に続く。
やがて、孤児院に到着した二人は床に腰を下ろした。
そして疲労に襲われるように。
密度の濃い一日を噛み締めるように。
櫛奈とアーラは眠りにつくのだった。




