92. 兄弟喧嘩
ん?
何か、思い違いがあることに気づいた。
「え、それって――『相談した』って――さっきのって、つまり、エリザベスが言ったってことなのか?」
アントニーがにやり、と笑う。
「そうさ。エリーとリリーは怒るところが殆ど一緒なんだって言って――考え方が似ているから、何を喜ぶかとかもきっと似てる。だから頑張れ、って励まされたんだ」
大きく息を吐く。
その視線の先はエリザベスで、アントニーの目つきは限りなく優しかった。それこそ、リリアナを見る時みたいに。
「そもそも僕たちはみんな、誰でもいいからできるものならエリーを落とせって言われてたのに――お前は黒豹やってたから知らないだろうけどさ。
その僕たちを尽く振り切ってしかも他の相手と相思相愛にするエリーの手腕ときたら――最後がウィルで知っての通り全滅だ。まさかお前がエリーを攫って行くとは思ってなかったよ――それだって僕はお前が残っててよかった、なんて言わないね」
トリスタンを見る目は、さっきとは打って変わって不機嫌そのもので。
「それって――」
「祖父さんの指示だ。保険はいくらあってもいいって」
簡素でわかりやすい理由に、がっくりした。
「だけど、ジョナサンは――? エリーはジョナサンの相手はわからないって言ってたんだ」
心配そうに眉を寄せて『邪魔はしたくないの』って言っていた。
アントニーが星空を仰ぐ。
「それでも、あれもエリーだ。クレアはエリーの『記憶』と性格が違ってて――理由あって作ってたらしいんだけど――どうなってるのかわからないってエリーが心配していたから、ジョナサンが調べてたんだよ。で、落ちた。クレアはジョナサン好みの――才女だからな」
そんな背景があったとは――。
「クレアはもともとウィルの相手にって言われてたんだ。だけど本人たちは乗り気じゃなくて。それでも公爵家の令嬢が嫁げるところなんて限られてる――ジョナサンの家は侯爵家だけど、当然王室には劣る。それがすんなり許されたのは、間違いなく将来のウィルの片腕になると見込まれたからだ。
最初は違ったんだぞ? エリーに信頼されて相談を受けていたことをきっかけに、エリーとウィルがケンカをしたりしても、ジョナサンなら調整役になれるだろう、ってとこから始まって――。
ここから先、ジョナサンがウィルの隣に立つときは妻のクレアの肩書が物を言う。
クレアをウィルの妻にしてウィルの立場を盤石なものにするか、ジョナサンをウィルのブレーンに加えて支えるか、大人たちは計っていた――わかるだろ。サリーは肩書きこそ公爵家の令嬢だけど母親の血が平民でクレアには劣る。おそらく能力だって。
王太子であるウィルの相手にはエリーだけじゃなくてクレアを押す人間もいたんだ。サリーも白魔法が使えることがわかって評価は上がったけどね。
結局国王たちもエリーやウィルの信頼の厚いジョナサンを切らずに、参謀としてウィルの側に置くことを選んだんだ――見事だよ。まあ、エリー自身はそこまで考えていなかったのかもしれないけどさ」
食べ終えて串だけになったそれを小さく振りながらアントニーが続ける。
「自分がどれだけ価値のある妻を得たのか、わかってるか? なあ、トリスタン。お前もいろいろ考えてるのかもしれないけどさ、もうちょっと頑張れよ。何を躊躇ってるのか知らないけど、言葉にするのが苦手なら、態度で示せ。エリーは自分は愛されてないんじゃないか、なんて思う暮らしをさせていい女性じゃない。――前回ちゃんと伝えたのはいつだ?」
そう聞かれれば、いつ、と答えることはできなかった。
「言葉じゃなくても、エリーは精一杯伝えてるだろ? お前が動く番だ。とにかく僕は、エリーが何を喜ぶかは伝えたからな?」
リュカに続いての助言には、参考にできそうなことがたくさんあった。だけど。
「……俺でいいと思うか?」
腰を浮かしかけていた兄を引き止めた。
「は?」
「……祖父が言ったんだ。『俺には子どもを残すための適当な妻を数人あてがって、エリザベスのことは自由にしてやりたい』って。パートリッジの祖父ちゃんも『どうしてもだめだと思ったら戻って来い』って――エリザベスにはそう言ったって……だけど、その時は俺のことは『置いて来い』って。……だから。俺が諦めれば、エリザベスは、他の人生を選べるんだ。今は追放されたことになってるからここにいなくちゃいけないけど――俺はエリザベスを縛り付ける鎖にはなりたくない」
自分に自信がない、っていうならそれもそうだけど。そう追加するとアントニーはちょっとだけ気の毒そうな顔になった。
「そういう理由で躊躇ってたのか……」
「エリザベスが、俺がいいって思ってくれたら――追放されたからとかじゃなくて、ここにいなきゃいけないなんていう義務なんかじゃなくて――その時はちゃんとウィルベリー公爵にも結婚の許しをもらって、と思ったんだよ。だけどここはこんなに田舎で不便だし、こんなふうに友達にも会えないし。なのにエリザベスが俺を置いてここから出て行くって考えただけで――」
どうしようもなく辛いのだ、と続けようとして。
「お前、バカだろう」
酷い言葉をぶつけられた。
「は?」
思わず聞き返しはしたものの、聞き間違いではないらしい。
顔つきがバカにしている。
金髪に青い目というのは、人を見下した顔をするとかなり腹立たしい表情になることがわかった――それとも誕生日が一か月も違わないすぐ上の兄の顔だからだろうか。
「だったらなおさら、お前がやるべきなのはエリーを手放すときの準備じゃなくて、エリーがお前から絶対離れたくないって思うところまで『落とすこと』だ。僕がさっき教えたこと、今夜から全部やれ」
「え?」
バカにされたと思ったのにアドバイスをされた――そして偉そうだった兄は、今度は急に落ち着きを失ってちらちらと周りの様子を窺いだした。
「後は――どうすんだよ、お前。ここに来る前だったらそういう店とかに連れてってやれたかもしれないけど――今さらだぞ? 相談すんのが遅すぎるんだよ――言っとくけど僕に聞くなよ? 僕たちの結婚は少なくても二年先だし、それこそ、リュカかウィルに聞けよ。僕は無理だ」
「え?」
なんだか、嫌な予感がした。
この兄は絶対的に、相談とかアドバイスには向いていない。
第一、自分はこれまで一度たりともこの兄に何かを相談したことはないし、今日だって自分から何か聞いたわけじゃない。
トリスタンのそんな内面には気づかずに、アントニーが言葉を続けた。
「『え?』じゃないだろ、夫婦なんだし――つまり、ほら、そんなことで悩んでるってことは、やることやってないんだろ? どうすんだよ――あ、まさかエリーの『記憶』ってそういうやつもあるとか? だったら教えてもらえば――」
ガッ
言葉より先に手が出た。
「そっから先、想像したら殺す」
「「「トリスタンっ!?」」」




