87. もう一歩前進
「とにかく、後はやっぱりホルストお祖父様に相談しないとね――」
お茶のカップを下ろして頷きあう。
「仕方ないわね。お茶の時間も終わるし、今日のところは助けるか……でも、エリー? 本当はあなたの役目よ?」
「え?」
呆れ交じりのナタリアの言葉の意味が解らずに聞き返したら。
答えたのはナタリアではなくてジュリアだった。
「あそこに乗り込んで行って『もう行きましょ』ってのでも『最初から一緒に座って話を聞く』っていうのでもいいと思うけど、それをやるのはエリーの役目。もっとわかりやすく『私の夫に馴れ馴れしくしないで』っていうのでもいいと思うけど、今日のところはそれも癪よね」
「自分でどうにかさせないの? 助けちゃったら学ばないでしょ? トリスタンが自分でどうにかするべきよ――そろそろ飽きたけど」
リディアまでがそんなことを言って目を細めた。
「あら、何もそんなことしなくてもいいじゃない。私たちがガードを緩めればいいのよ。私たちが頭の軽いお嬢さんたちとは違うって気づいてるからこそ誰も声をかけて来なかったけど、真面目な話は終わったってわかれば絶対――」
そう言ってナタリアが身体の向きを変えた。
通りに面した方へ。
楽しそうに笑い声を立てて、ハンカチで口もとを隠す。
すぐにリディアが同じように小さく笑って何かを耳打ちした。
ジュリアが『やれやれ』って感じで空を仰ぐ。
「私、苦手なんだけど~」
そう言いつつも、すっと流れるような動きで扇を取り出すのは公爵家令嬢ならではで、エリザベスも何度もやったことのある動きだ。目元から下を覆って辺りを見回し「エリーも苦手でしょ? 悪役令嬢モードになれば?」と、扇の影から提案された。
「嫌よ。やっと解放されたのに」
「あれはあれでコアなファンがいたのよ? そのまま女王様になって欲しいって――」
「は!?」
眉を寄せて額に片手を当てたエリザベスを見てみんなが笑う。
「ね、誰が一番に来ると思う?」
「あっちの隅の明るい髪の人――ナタリーを見てうっとりしてた」
「私、カウンターで店主と話してた人が来ると思う。絶対エリー狙いで」
「エリー狙いの人はよっぽどじゃないと来ないわよ。地元の人も」
「お祖父様に呪われるから? 確かに、すごく効果がありそう」
「もう。すぐそうやってお祖父様を妖怪扱いするんだから――」
小さなくすくす笑いをしながら周囲を窺うみんなを半分呆れた感じで見る。
「――みんなは独身だけど、少なくとも私は既婚者なのよ?」
「少なくともここにいる誰よりも遅れてるくせに」
「キスはしてもらえた?」
「う……」
楽しく笑うみんなに何も言い返せない。
既婚者でありながらキスの経験もない――そんなのはたぶんエリザベスだけだ。
むう。と頬を膨らませても、事実は事実。
結局釣れたのは道を歩いて来た五人組の冒険者だった。見覚えもないし街に来たばかりなのだろう。目的は一攫千金か、経験値稼ぎのレベルアップか。みんなまだ若い。
わかりやすく口笛を吹いて近づいてくる。
「何秒かかると思う?」
「ここの支払い済みで四十秒ね」
リディアの小声の質問にジュリアが即答した。
「早っ! それっぽっち? けっこう信頼がないのね」
「私一人なら勝負がつくまで放っておいてくれると思うわよ? でも、あなたたちも一緒だし」
つまり、聞いたのは後ろのトリスタンたちが放っておいてくれる時間だ。
「ねえ、あの人たち、悪そうな人には見えないわ。それにどんな人だってダンジョンに潜ってくれるんだからここにとっては大事な人材なのよ? 攻撃魔法を使うような真似はしたくない――」
そんなことを小声で言っているうちに、男性たちは目の前まで歩いてきて立ち止まった。
「こんにちは、美しいお嬢さんたち。まさかとは思うけど冒険者かな? なかなかいい剣を持ってるね」
淡い茶色のストレートヘア、柔らかい笑顔の男性がジュリアが帯刀していることにいち早く気付いて笑顔でそう聞く。やっぱり若くても冒険者なのだな、と思う。
「似たようなものよ。あなたたちは?」
リディアが楽しそうな作り笑顔で尋ねると、男性たちはちょっと驚いた顔になってから一斉に吹き出した。
確かに自分たちは冒険者のパーティにしては若すぎるし華やかすぎるかもしれない。
「お仲間だよ。だけどこんなに美人揃いのパーティは初めて見たよ。男は入れないのかな?」
今度は黒髪でちょっと背が低めの男性が聞いた。声はからかい半分でもけっこう真剣な顔で、興味津々といったところか。
「そういうわけじゃないけれど、メンバーの募集はしてないの。入りたいって人が多すぎて。理由はわかるでしょう?」
肩をすくめてジュリアが断る。
「合同パーティってのはどう? 次潜る時一緒に――」
後ろから長身で金髪のお兄さんが聞く。この人もなかなかハンサムではあるけれど、みんな日ごろ見ているものが見ているものだし、簡単にときめいたりできないのがちょっと残念でもある。
「それも予約済みなのよ。残念だけど他を当たってくれるかしら?」
ナタリアもあっさりしたもので、当然だけれど断りの言葉を返した。
「それなら一緒に潜るのは諦めるけど、今日の夕食を一緒に、っていうのはどう? 人数が多いと楽しいし――こんな田舎でこんな美人に会えるなんて――千載一遇のチャンスだと思うんだ」
小さなウィンクと一緒に笑顔で誘われた。
本当に自分が誘われるとはまったく考えておらず驚いたエリザベスを見てナタリアが苦笑する。
リディアが肘で軽く突いてきた。その顔が楽しそう。
普段こんなふうに声をかけてくる男性はいないからみんながちょっと楽しんでいるのはわかる。わかるけど――。
「ごめんなさい。食事は家で夫と食べることにしているの。それに彼女たちは先約済み――」
断る時は誰にでもわかるように、はっきりと簡潔に。悪役令嬢並みに感じ悪く言うわけにはいかないので、エリザベスは謝る言葉と一緒にきちんと断りの言葉を伝え、伝えながら思った。
そういえば、こんなふうに見ず知らずの男性に誘いの声をかけられたのは記憶にある限り初めて――前世の自分もよっぽど男性に縁のない生活をしていたのね――なんて、どうでもいいことに気がついたついでに今世のエリザベスについても――美人なのだとばかり思っていたけれどこれが初めてってことは実はそうでもなかったのかも――なんてことが頭に浮かんだ。
経験値の低さのせいで、ウィリアムを筆頭にみんなが頑張っていたせいで誰も声をかけられなかっただけだ、などとは欠片も思わないエリザベスがちょっと落ち込んだところで、
「夫!? 君、結婚してるの? どう見ても既婚者には見えない――」
驚いた声が、途中でぴたりと声が止まった。
「ほらね、四十秒」
ジュリアの声にナタリアが「さすが」と、一言コメントして立ち上がる。その椅子を引いたのはニコラスだ。
「またね、お兄さんたち。ご飯は無理だけど、ダンジョン内で困ったときは声をかけてくれてもいいわよ」
リディアがひらひらと手を振る。その椅子を引いたのはナイジェルだ。
ジュリアの手を取って立ちあがらせたのはステファンで、さすがに卒がないのね――と思っていたエリザベスの肩にも手が触れた。
「シュヘル領へようこそ。次期当主のトリスタンです。ギルドで説明を受けると思いますが、ここにいる間、妻と友人たちを誘うのは控えていただけると助かります。彼女たちに何かあった場合の報復に限度はありませんし、逃げられるとは思わない方がいいですよ」
背後から聞こえた声自体は柔らかくて丁寧なのに、慮外な冷たさを感じる。
「何か困ったことがありましたら、遠慮せず冒険者ギルドに相談してください――行こうか?」
「そうね。ありがとう」
差し出された手を取ってエリザベスも立ち上がる――帰ったら相談窓口や投書箱について話してみよう。あと、お祖父様と相談したいことがあることも――そっちはちょっと気が重いな。そんなことを思っていたら、くっと引き寄せられて。
ん?
見上げた目じりに軽く唇が触れた。
わわ!?
突然の出来事に呆気に取られているうちに手を引かれ、そのまま店から出る。
いつもより少しだけ速足。
それにつないだ手もいつもよりしっかりだ。
今のって、なんのご褒美――?
よくわからないままにもう一度隣を見上げると、前を向いたままの不機嫌顔が目に入った。
うん。ご褒美ではなかったらしい。
だとすると。
お店にいた時も不機嫌顔だったし、彼女たちとの会話が楽しくなかったのは確かにそうかもしれないけど、今はもうお店からは出たんだし、さっきは『妻』だって、はっきり言ってくれたし――。
そっと反対側を見ると、ナタリアがすばやく片目をつむって、そのむこうでステファンが苦笑した。
リディアに言い訳を並べているナイジェルはともかく、他は全員似たような顔。
友人たちに感謝の微笑みを返して、不機嫌顔のままの隣を見上げる。
いろいろ先は長くても、これも一歩の前進には違いない。




