84. ピザの宵
祖父はパートリッジ家の料理長のレシピを真似てエリザベスが漬けた、洞窟銀魚のアンチョビとチーズだけのシンプルなピザと、スモークサーモンと生野菜のピザが気に入ったらしい。
ワインではなく、ニコラスが持ってきた辛口の酒を合わせてゆっくり楽しむ。
マリーが隣で一緒に飲んでいて、そちらは昆布の佃煮にネギと海苔ののったピザと、大葉にこちらもダンジョン産の魚卵の明太子もどき――一度塩漬けにした魚卵を、濃い目にとった出汁と辛子、醤油、酒、砂糖などを混ぜた汁に昆布と一緒に三日漬け込むトリスタンの祖母レシピだ――とマヨネーズのピザがいたく気に入ったらしく、アルコールで目元を染めながら静かに口へと運んでいる。
みんなそれぞれ、あれが旨いこれが旨いと言いながら楽しそうだ。
「生地はまだたくさんあるから、もっと食べるなら自分の好みのトッピングで焼くのもいいわよ。ただ、乗せすぎると焼けにくくなるし窯から出す時が大変だから気をつけて」
食事の途中でエリザベスにそう言われれば、次々に立ちあがって食堂を出てキッチンに向かい、端に穴を開けた薄い石のプレートに伸ばした生地の上に好きな具を盛り付ける。
熱い窯の中に大きなヘラのような道具でプレートごと差し入れて、軽く焼いた後でプレートだけを引き抜けば、全体が焼けるまでには二分もかからない。プレートを使うのはヘラに直接乗せるとヘラから下ろすときに失敗しやすいからだ。
「これ、家に欲しいわ……」と呟いたジュリアに、「窯自体はあるだろ? これだってパンを焼く窯と一緒だと思う」とステファンが言う。
「じゃあなんでうちではこういうメニューが出たことがないのかしら? こんなに美味しくてすぐ焼けるのに」
「食べる時に手で持つからだろ? フォークとナイフで食べるより直接食った方が美味いのにな」
首を傾げたジュリアにナイジェルが言って、「うちはたまになら出しても叱られないかも……人前じゃなければマナーとかもあんまりうるさくないし。今度庭で食事をする日を作れないか提案してみよう。バーベキューも楽しかったし、庭に窯を作るのもありだな。エリー、あのタレのレシピ、教えてくれる?」と続けた。
「その日は是非招待してくださいっ」
リディアが頼む。
「いや、さすがに君を招待する日は無理だよ。リディは格上だし」
断られて、涙目になったリディアに「わかった、ちゃんと説得するから、ちょっと待ってて――でも、さっさと嫁に来るって方向で進んだ方が速いと思うぞ」と、またロマンティックな雰囲気のかけらもない状態でそんな台詞を言ったので、リディアが眉を寄せて口を噤んだ。
婚約した、とはまだ聞いていないけれど、つまり二人の間でそういう話は出てるんだ。
『リディ』って呼んだの聞いちゃった。
エリザベスは二人に気づかれないようにこっそり笑った。
「それはそうだろうけど、そういう言い方すんな。段階は踏め」
ステファンが肩をすくめて諫める。
「サマセット家なら絶対庭に造らせてもらえる――ミモレットはレシピ開発にも意欲的だしいろんなチーズも試せそうだ。俺、帰ったらさっさと婿に行けるようにがんばるわ。家でやれそうにないやつは遊びに来いよ。エリー、レシピくれよな」
ディミトリがやる気満々になった。
「もちろん! でも交換条件。チーズ、いろいろ送って?」
「まかせろ」
やった。
両手を握って小さく上下に振る。
トリスタンにウィンクを送ると、なぜかトリスタンは一瞬固まった。
――ウィンクもダメだったのだろうか。
気を取り直して話題を変える。
「高い身分や厳しいマナーってけっこう邪魔よね……そうだ、ワンピース借りたい人、いる? 明日はその恰好はダメよ。リネン室の隣の部屋に置いてあるからよかったら使って。エプロンも」
略装とはいえきちんとした格好を崩さないナタリアが小さな苦笑と一緒に手を上げて、ジュリアも続いた。ジュリアは今も騎士の制服に近い衣服なので動きやすそうではあるけれど、下は足首までのロングスカート(ダンジョンに入る時は完全に騎士服でパンツスタイル)だ。あの長さはたぶん水仕事には向かない。
リディアは今はナタリアに準ずる格好をしているけれど、着替えは持ってきてあるらしい。そういえば平民のフリをして街に出るのも好きだと言っていた。
「先に言っておくけど、コルセットは禁止よ。あんなのつけて家事なんかしたら息がつまってひっくり返っちゃうわ」
こっそり伝えたその一言にみんなの顔が明るくなる。
「熊退治もいいけど、みんなで街を見て回るのも楽しそう――ここって特産品とかあるの? 素材以外で、ってことだけど」
リディアとナタリアが頷きあった。たぶんこの二人とナイジェルについては、今日のダンジョンでひとまず戦いは十分って感じだったんじゃないかと思う。
「ダンジョン素材以外で? 農産物はごくありきたりだし、魔獣以外にはあんまり面白そうなものはないな……」
肩をすくめたトリスタンと頷くエリザベスの代わりに祖父が答えた。
「観光客を集客したいわけでもないのでな。だがここのダンジョンの中身はのう、中に入る冒険者によってかなり変わるんじゃ。わしの妻が生きておったころには、食べ物素材が多くて街に料理屋が増えたし、ここでしか食べられない甘味が結構あった。じゃが今は魔道具や武器防具の素材を求めて潜る者が多くてな。
……五十年程前に一時一攫千金の冒険者が集団で来た時は大変じゃったぞ。三十階層に金塊が出よってな。溶岩の海とモンスターハウス……あれは酷かった。通常階層にも宝箱の数が激増したが、トラップの方が多くてのう……噂を聞いて挑戦する輩が増え、怪我人が続出で、死人も出たしダンジョンは深くなりよるし」
「それ……結局どうしたんだ? 誰か持ち出したのか?」
トリスタンが恐る恐る、といった様子で聞いた。
「誰も運び出せんかったよ。仕方ないのでな、出現するたびに溶岩に蹴落としてダンジョンに戻したんじゃ。いい迷惑じゃったわい」
カラカラと笑いつつも実に嫌そう~な顔でホルストが言った。
「え~、もったいない~! そんなことができるならお祖父様はそこまで行けたんでしょう? 小さくして持ち出しちゃえばよかったのに。今頃すごいお金持ちよ?」
内情を詳しく知らないリディアが笑って言う。
「バカだな、持ち出せるってわかったら挑戦するやつが増えるだろ? 危ないじゃないか。それにそんなものがあるって大々的に知られたら国中から人が来るぞ」
そう言いつつも、ナイジェルも表情は割と明るい。
祖父がまた笑う。
「やったのはわしじゃのうて、わしの父親じゃ。五十年前のわしはまだお前たちとそう変わらんひよっこじゃった」
懐かしそうな顔でみんなを見回して「ダンジョンに入る前には欲は捨てるのが一番じゃ。本当に必要な物はダンジョンなんかにはありゃせん」と言ってからお酒を口に運ぶ。
実感のこもった言葉に場がしん、となった。
「まあ……ダンジョンの中身はいずれエリザベスやトリスタンが潜るようになれば変わってくると思うし、将来はトリスタンの監督のもとにやって行くようになる――その時に期待、じゃな。
珍しい食材が欲しいなら――そうじゃな、お前たちがいる間にエリザベスを低層に入れてお前さんたちに守らせておいてわしが深層に行って来るのもいいかもしれんが――まあ、何にせよエリザベスを任せられると思えればの話じゃな」
ダンジョンの活用方法はその時々でかなり違うらしい。
食材やら金塊やら――入る人の望みによって随分違うなんて不思議だ。
『エリザベスが入ったらおそらく魔獣は出ん』そんなホルストの言葉のおかげもあって、ダンジョンのことについては心配ばかりだったエリザベスの心がちょっと軽くなった。
安全に探検できるならむしろ入ってみたいかも――ちょっと楽しみ。
「ということは、明日街で見られるのは魔道具や武具ね……それも面白そう。いい魔石、ないかな」
ジュリアがやる気の顔になる。
「あ、そう言えば、『魔石の質がいいだろうから、アクセサリーを見て来い。原石でもいい』って父が――それでさ、なぜかどんなのがいいかは『エリーに聞け』って言われたんだ。まあ、デザインに関しては自分が見てもよくわからないってのはそうだし……こっちにいる間に見に行くのにつき合ってくれないかな」ニコラスがそう言って「母に贈るんだと思うけど」と追加した。
つまりそれは、お母様に贈るんじゃなくて、ニコラスの未来の妻、王女ローゼマリー様に贈る前提で選べってことだと思う。
「もちろん。光栄だわ」
王女様の容姿とトゥルクロウ家の格式に合ったものを公爵家の長女として選べ、という依頼は気が抜けない。
「それ、俺も一緒にいいかな。ミモレットにお土産を――自分でいい魔石が獲れたらそれでって思ってたけど、デザインとかは俺もイマイチわかんないから、教えて欲しい」
ちょっと頬を赤くしてディミトリも頼んだ。
「もちろんいいわ――ミモレットの好みは知ってる?」
「青か緑の――俺はあんまり濃くない色の方が髪や目の色には合ってるかなって思うんだけど……動いたり作業したりするときに邪魔にならないやつがいいんだ。ミモレットは外にいることが多いし、生き物が好きだから」
なんだかんだでしっかり相手のことを考えているところに好感が持てて、嬉しくなって頷いた。
みんな、幸せになって欲しい。
「これが、エリーが望んでいた暮らし、なのね?」
ちょっと苦笑交じりに見えるナタリアの笑顔も嬉しくて、エリザベスは同じような顔で笑いかえした。
ほぼほぼ、そうだと思う。
あとは、トリスタンが幸せでいてくれたら。
あの小さなため息が消えたら。
もうちょっと近い距離で笑い合える――そんな日が早めに来ますように。
卵とベーコンのピザを口に運ぶトリスタンを見ながら「よし。今日も食事は喜んでもらえたみたい」小さく拳を作ったエリザベスだった。




